メルの気まぐれ魔法料理
『酔いどれ亭』の壁に、新しいメニューの札が掛けられた。
札にはスペシャルの表記だけで、内容や値段は記されていない。
数量限定、メルちゃんの気まぐれ魔法料理だ。
女児の気まぐれなので、注文できない日の方が多い。
メルが作らないと決めたら、メニューの札は裏返しにされる。
料理が運ばれてくるまで、何を食べさせてもらえるのか分からない。
何が出てこようと値段は変わりなく、『酔いどれ亭』で一番安いおつまみと同額だった。
因みに…。
『酔いどれ亭』で一番安いおつまみは、アビーの酸っぱすぎるピクルスだった。
銅貨五枚で一皿。
山盛りになった酢漬けの野菜が、運ばれてくる。
酸っぱすぎて食べきれないのだが、『ぼったくりだ!』と客の評判は悪い。
というか…。
店に居座る客を追い返すために、アビーが作った料理だと噂する者さえいた。
メルの大好物なのだが、酷い言われようだった。
スペシャルメニューの価格が銅貨五枚なのは、メルが半人前のコックだからである。
料理の味や量は、まったく関係なかった。
気まぐれだから安い。
『小さな女児は、店の仕事よりも遊びを優先させるべきだ…!』
こうしたフレッドとアビーの常識的な判断により、当分メルの身分は半人前のコックであり、スペシャルメニューの価格も銅貨五枚に固定だった。
「なにも安売りしようって話じゃないぞ。メルの腕だって、バカにしちゃいない」
「うん…」
「半人前にしたのは、メルがお店に縛られないようにとの工夫なのよ」
「わらし、わかった」
メルは二人に感謝した。
小さな女児の日常が脅かされないように、フレッドとアビーは先を考えて配慮してくれたのだ。
「メルのカレーライスか…?あれを食べてから、故障のあった膝が治っちまった」
「私もね…。身体の調子が、とても良いの…。何だか若返ったみたい」
「こんなありがたい料理を客の言いなりに出してたら、メルが殺されちまうって話だよ…」
「わらし、コロさえゆ…?」
「例えだ…。だけど、確実に自由は無くなっちまう」
フレッドはガリガリと頭を掻いた。
「俺らだけ魔法料理の恩恵に与るのはアレだから、メルの気が向いたら客にも作ってやってくれ…。あーっ。それと、ありがとな。違和感なく膝が動くようになって、すげぇー嬉しいよ」
「私からも、お礼を言うわ…。メルちゃん、ありがとね!」
「どう、いためまして」
「それを言うなら、どういたしましてだろ!」
フレッドがメルの間違いを生真面目に訂正した。
こうした児童保護の精神によって、メルの平穏な日常は守られた。
だが、その一方で…。
メルちゃんの気まぐれ魔法料理は、激レアメニューとなった。
銅貨五枚の新メニュー。
アビーの酸っぱすぎるピクルスと明らかに違う点は、食べると驚くほど美味くて身体の調子が良くなるところだ。
銅貨五枚で幸せになれる。
その噂は、瞬く間に広まった。
しかしスペシャルメニューと巡り合うには、かなりの幸運が必要だった。
常連客でさえ、なかなか食べられないのだ。
そんな状況下で、メルちゃんの気まぐれ魔法料理を食べまくりの連中がいた。
その代表格がタリサである。
バイオリズムか、運命の巡り合わせか、はたまたタリサに第六感とでも呼ぶべき超感覚が備わっているのか、そこのところは分からない。
だけどタリサは、非常に高い確率で料理中のメルに襲撃をかけた。
なにしろ…。
『酔いどれ亭』で出された、スペシャルメニューの殆どを食べているのだ。
もうラック値の怪物と、呼ばざるを得ない。
タリサについで、ラッキーなのがティナである。
いつも仲良く、タリサと二人で行動しているのだから、当然と言えば当然の結果だった。
二人は店屋の娘なので、お小遣いを貰っている。
銅貨五枚でオヤツが食べられるとなれば、親だって喜んでお小遣いを持たせる。
メルにとってタリサとティナは、お友だちであり、お姉さんであり、お客さまになった。
何だかもう、メルはマウントされまくりである。
三番目に多くスペシャルメニューを食べているのは、宿屋のダヴィ坊やだった。
もうすぐ四歳の誕生日を迎えるダヴィ坊やは、メジエール村の中央広場に店をかまえる宿屋の息子だ。
当然、お金を持っている。
四歳児のメルよりお金持ちだ。
お母さんのオデットは、ちょっと息子を甘やかしすぎだった。
このような事情があって、『酔いどれ亭』の食堂に子供椅子が四脚ほど並ぶようになった。
メルたちは子供椅子でないと、テーブルで食事をできないのだ。
話は変わるが、メジエール村に於ける貨幣の流通率はとても低い。
村人たちが使うコインは、行商人が持ち込んだウスベルク帝国の通貨である。
メジエール村は如何なる国にも属していないので、何ひとつ税金が掛からない。
突き詰めて考えるなら、メジエール村と行商人の取引は密輸だった。
だけど、それを気にする者は居ない。
密輸なんて言葉は、誰も知らないからだ。
メジエール村には、税金と言う概念さえ存在しない。
村人が力を合わせるときは、労働奉仕とか寄付になる。
持ち寄りである。
『長閑だなぁー』と、メルは思うのだった。
「メル、これはなに…?」
「ヤキソバ…」
「ふぅーん。変わった食べ物だけど、あたしは好きよ」
タリサがフォークで、お皿を突きながら言った。
タリサのお皿は、既に空っぽだ。
いつものように、誰よりも早く食べ終える。
おそらく実家では、オヤツの争奪戦が激しいのだろう。
「わたしは、この前の『すいーつ』とか言うのが食べたいです」
ティナはおっとりとした感じで、キッチリと要求してくる。
「パンケーキ?そえとも、クレープ…?」
「どちらも美味しかったです。両方、食べたい」
しかも欲張りである。
つらつらと思い返してみるに、ティナは絶対に遠慮をしない子だった。
喧しいタリサの陰に隠れて、確りと実利を得ているのだ。
「ティナ、カシコイ。それに、カワイイ」
「あら、嬉しいですわ」
「……むっ!」
印象がおしとやかだと、欲張りに見えない不思議。
是非とも欲しいスキルだった。
「メル、あたしは可愛くないの?」
「………ふっ」
「なによ、その態度は…!」
タリサは見習いたくない。
タリサの真似をしたら、ろくでもない事になりそうだし。
できれば自分もタリサの陰に隠れて、コッソリと実利を得たいと願うメルだった。
「あーっ。ねえちゃんたち、こっそり食べてる。ずりぃー」
ダヴィ坊やだ。
宿屋の息子が現れた。
「あい、メルねぇー。おカネ…」
「おう…」
もう、こうなれば仕方がない。
焼そばをよそって出すしかない。
広場の向かいに宿屋があるのだから、バレずに済むと思う方が甘かった。
「ダヴィは赤ちゃんなんだから、ママのそばにいなさいよ!」
「ママなぁー。シゴトでいそがしい。それとぉー、あかちゃん言うな」
「でも…。春になるまで、オムツしてたでしょ」
「おまえ、やなヤツ!」
ダヴィ坊やとタリサは、犬猿の仲だ。
初めて出会ったときから、罵り合いを続けていた。
「ばーか、ばーか、オネショたれ!」
「ブス、ブス。タリサのぶーす。足くさ、おんな…!」
二人が揃うと、非常に喧しい。
「おまぁら…。ギャァーギャァ。うゆさいわぁー」
「メル。あんたも、ナニ言ってるか、分かんなぁーい!」
「メルねぇは、オレのミカタせぇ!タリサ、泣かしたる」
「メル、いけないわ…。二人の好きにさせて上げましょ」
ティナが上品に焼そばを食べながら、クールな台詞を放った。
「おっ、おう…」
メルはティナのスルー能力に、ひたすら感心するのだった。