夜更かしする幼児
「うん。これにしよう」
メルは花丸ショップで、女児用の洒落たフレームを選んだ。
マギアレンズが製造している、視力補正用の眼鏡だ。
パーティー用のヒゲ眼鏡ではない。
「十万ポイントかぁー。地味にお高いデス」
これまでにメルが稼いだ花丸ポイントは、累計五千七百億ポイントだ。
そして現在の手持ちは一億を切り、九千三百万ポイント。
戦争は物入りである。
メルはヴェルマン海峡の封鎖を視野に入れて、ドラゴンズ・ヘブンに多額の花丸ポイントを投じた。
更にタルブ川流域の支配度を限界まで上げ、メジエール村の守りを堅牢にした。
ヴラシア平原での戦いに備え、味方ユニットの強化も図った。
風竜は千億、巨人族は一体につき三百億ポイントの買い物だった。
高度なクリエイト召喚には、それ相応の対価を求められる。
「わらし、根がけちん坊なうえに……。小心者デス」
戦争に掛かる費用を幾らかでも安く済ませたくて四苦八苦しているのだが、それで負けたら話にならない。
ここまでの莫大な先行投資も、勝てば回収できると自分を説き伏せて突っ込んだポイントである。
負けたら、何もかもが水泡に帰す。
「ユグドラシル王国を復活させるためにも、わらしは無敗でなければアカンのです」
妖精女王陛下の辞書に、『敗北』の二文字は要らない。
いいや、あってはならない。
よい子にしているだけでは、億なんて稼げない。
戦って勝つから、ドーンと稼げるのだ。
「勝つために、花丸ポイントを消費して強くなり……。勝てば、消費した花丸ポイントが何倍にもなって帰ってくる」
このサイクルが壊れたなら、そこから持ち直すのは難しい。
まさに、絵に描いたような自転車操業だった。
「ヴラシア平原での勝利が、花丸ポイントに反映されていないのが痛いわぁー」
魔装化部隊を撃退し、多くの妖精たち(ピクス)を救出したのだが、加算された花丸ポイントは五千万に届かなかった。
数億の稼ぎを期待していたので、メルのショックは大きい。
「計算違いじゃ。大幅に、予定が狂いよった」
だからメルは、夜遅くまで自室にこもってタブレットPCと向き合い、ヴランゲル城の攻略をシミュレーションしていた。
ピコピコピコ……。
タブレットPCが鳴った。
ユグドラシル王国国防総省からの緊急通信だ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!この情報は、マジ?ミッチアまほー国から、新型魔導甲冑が二百体!?さらに増援の可能性って……」
泣きっ面に蜂だ。
弱り目に祟り目である。
状況が変われば、新しいデータでシミュレーションをやり直さなければならない。
「うがぁー。賽の河原じゃ。わらし、シミュレーションの遣りすぎヤン。こんなん過労で死ねるわ!」
最初はゲームのようで楽しかったシミュレーションも、こうなると苦痛だ。
「はぁーっ。モニターの字がちいそぉーて、読めません!」
指先で目頭を揉む。
もはや治癒魔法で目のシバシバは取れず、視界はボォーッとぼやける。
メルは点眼薬をさし、購入したばかりの眼鏡をかけた。
『シンプルかつ美麗なフレームが、貴女の目元を涼しげに飾ります』
フラワー眼鏡店の謳い文句だ。
手鏡を覗くと学級委員長のような雰囲気を漂わせた美少女が、メルを見返していた。
なかなかに、知的な印象の洋ロリだった。
「フムフム」
視界良好である。
「メルちゃん、がんばれぇー。ふぁいとぉ!」
小さな声で、自分を応援してみる。
「くぉぉぉーっ。ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!!」
「ビクッ!?」
突然の大音響に、メルの腰が浮いた。
「クリスタめぇー、やらせはしません。今度こそ、わたくしが打ち倒しますわ……!ウフ、ウフッ、ウフフ……」
「……っ!」
「マロンパイ、とっても美味しいですわ。むにゃむにゃ……」
「なんだ、寝言かい。カワイイのぉー」
マルグリットの鼾と寝言だった。
「帝都ウルリッヒとは、随分と鄙びた都ですこと……。おチビの耳は、まるでブタのようですね。おぉ、分かりました。あなたはエルフでなく、オークの仔でしょ。鄙びた都では、エルフの仔もオーク(ブタ)になるんですねぇー。あはっ」
とても寝言とは思えない、長台詞だった。
そのうえ悪意に満ちていた。
「………………」
「かぁぁぁぁーっ。スピスピスピスピーッ!!」
メルは脱ぎ捨てられていたスリッパを片手につかみ、勢いよく振り下ろした。
「てい!」
スリッパが寝ているマルグリットの額に命中し、スパァーン!と鳴った。
「ぷぎゃ!?」
マルグリットは何事かと跳び起き、周囲を見まわす。
「おまぁー、うっさいわぁー」
「???????」
ちょっとだけ、メルの気分が上向いた。
◇◇◇◇
観戦武官としてウスベルク帝国軍の部隊と行動を共にするコストナーとサンデルスは、ヴラシア平原での戦闘に立ち会った。
驚愕すべきことに、ミッティア魔法王国の魔装化部隊は巨人族による投石を受けて壊滅した。
その他にも、巨大な転移門や怖ろしいドラゴン、魔導甲冑を体当たりで突き飛ばす巨大なブタなど、この戦いで目撃した怪異は枚挙にいとまがなかった。
あの日、エーベルヴァイン城で聞かされた、ウィルヘルム皇帝陛下の戯言が現実になった。
否……。
戯言を口にしたのは、年端もゆかぬエルフ女児であった。
ウィルヘルム皇帝陛下からユグドラシル王国の女王として紹介された、妙ちくりんなエルフ女児である。
コストナーはロンバルディ神聖国から、サンデルスはワジム共和国連合から派遣された、ウスベルク帝国駐在大使だ。
当然のことながら、母国への報告義務を負う。
「伝令用の白銀鷲に、報告書を託したが……。さて、どうなることやら……」
「おそらくは、信じて貰えんでしょうな」
コストナーの不安そうな台詞に、サンデルスが諦めたような態度で応じた。
「うむ。サンデルス卿も、そのように思っておられるか……」
「最悪の場合、貴殿は祖国を愚弄した罪に問われるかも知れませんな」
「またまた。卿は他人事のように……」
「他人事ですから……。わたくしは、母国へ報告する手段を持ちません」
「なっ……。報告していないのですか……!?」
コストナーが目を丸くした。
「お恥ずかしい話ですが……。ワジム共和国連合は貧しいので、連絡用の白銀鷲など所持できないのです。大使の手当ても、必要最低限の体裁を整える額でしかありません」
「…………ッ」
「付け加えるなら、ヴェルマン海峡への出入口であるルデック湾をモルゲンシュテルン侯爵に封鎖されているので、船便も使えません」
「同じ身分にありながら、なんとも羨ましい話だ」
誰だって、己の正気が疑われるような奇跡体験を母国への報告書に認めたいとは思わない。
なのでコストナーは、大使として充分な援助を与えられていないサンデルスに、強い嫉妬を覚えた。
コストナーとサンデルスの当惑を他所に、ウスベルク帝国騎士団の行軍は続く。
ゆっくりとではあるが、確実にモルゲンシュテルン侯爵領が近づいて来る。
「フムッ。ヴラシア平原での戦い以降、抵抗らしい抵抗が見られないのは、どうしたことであろう……?」
ウィルヘルム皇帝陛下は顎髭を撫でながら、疑問を口にした。
皇帝として、諸侯から侮られている自覚はあった。
中でもアイスナー侯爵の態度には目に余るものがあり、皇帝となった日から忿懣やるかたない思いに苦しめられてきた。
それ故に、これまで帝国議会で皇帝を軽視していた元老院議員が、『反逆罪に問う!』の立て札を見ただけで逃げ出すのは納得できない。
「畏れながら申し上げます。陛下を侮っていた叛徒どもは、恐怖に駆られて戦意を喪失しております」
ルーキエ祭祀長が、明白な事実であるかの如く語った。
「であるなら、何故わしに逆らった!?」
「陛下とメルさまの関係を計りかねていたからでありましょう。メルさまの能力に関しても……」
「わしとメルさまが仲良しさんであることは、侍女にでも探りを入れたなら分かる話だ。なるほど……。つまり、あの馬鹿どもは妖精女王陛下の権能を認めたくなかった、と言うことか……。愚かよのぉー」
ウィルヘルム皇帝陛下が、笑顔で頷いた。
「折に触れて、メルさまが悪徳貴族どもに放った呪い。アレが地味に効果を上げております。普通なら信じられない話であろうと、呪いを喰らった貴族たちなら信じるのでしょう。なので我々が放った細作の噂話を耳にして、震え上がったのだと推察されます」
「メルさまが天誅を下すと言う、アレか」
「その天誅であります」
幾つかの高札には、『嘘を吐けば、妖精女王陛下により天誅が下される』と記されていた。
わざわざ『天誅』と書いてあるのだ。
水虫では済むまい。
嘘を吐かなければならない領主たちは、そのように考えた。
性根の腐った領主たちにとって、クソ生意気なチビの呪術師は悪魔に等しい存在だった。
「確か天誅は、精霊宮の発案であったか?」
「はい……」
ルーキエ祭祀長は、さも得意そうに反り返った。
「水虫と魔装化部隊の敗走が、彼らの頭で繋がったのでしょう」
アーロンが自らの考えを述べた。
「フムフム。なるほどなぁー。水虫にも負けない意志の強さが、不幸な結末を招いたと言うことかね」
「この場合……。意志の強さというより、強欲さとか、察しの悪さではないでしょうか?」
「違いない」
ヴァイクス魔法庁長官は、アーロンの見解に同意した。
アイスナー侯爵やクロイツァー子爵は、フーベルト宰相を泣かせた狡賢い詐欺師どもである。
アイスナー侯爵家は、先々代の頃から遊民保護政策を巧みに悪用して、数々の悪行を積み重ねてきた。
分かっていても、証拠がないので裁けない。
地下迷宮を利用した禁制品の取引に、人身売買や暗殺。
マルティン商会と結託し、薔薇の館で貴族たちを薬漬けにした容疑もある。
だが。
どれもこれも、メルがやって来たことで台無しになった。
地下迷宮は恐ろしい魔物が徘徊する危険極まる場所となり、違法な取引に利用できなくなった。
せっかく帝都ウルリッヒに根付かせた闇組織は、メルとフレッドが率いる傭兵隊の活躍で壊滅寸前にまで追い込まれた。
薔薇の館はエドヴィン・マルティン会長の急死により、所有権がデュクレール商会に買い取られてしまい、干渉不能になった。
順繰りと手足をもがれ、追い詰められていく心境とは如何なるものであろうか?
(アイスナーめ。今、どのような気持ちであろうか……?)
それを想像すると、ウィルヘルム皇帝陛下はうっとりとした心地になる。
ニヤニヤが抑えられない。
「これは、どうしたことであろうか……?エーベルヴァイン城を出発してからと言うもの、わしは日に日に若返るような気分であるぞ!」
眼鏡を必要とするようになったメルの耳に入れば、パンチの二、三発は免れない発言だった。








