叱られたって構いません
ヴラシア平原での初戦に勝利したウスベルク帝国軍は、粛々とモルゲンシュテルン侯爵領を目指して進軍した。
この世界でも、『戦に余計な時間をかけるのは愚かである!』との考え方がある。
一般的な兵法書も、あれこれと策を弄するより、素早く勝利を収めるべきだと、教えていた。
しかしウィルヘルム皇帝陛下は、兵法書から学んだ戦術の基礎を無視した。
『軍を急がせたら、絶対にアカン。このさい行楽と思ぉーてな。のんびりと各地を見物して来んしゃい』
妖精女王陛下の言葉は絶対なのだ。
そもそもメルに言わせるなら、ヴラシア平原での戦いは大いなる祭祀の準備段階に過ぎず、本番はまだ先である。
ウスベルク帝国軍の使者は、行く先々で町や村の広場に高札を掲げ、【逆賊は一族郎党、斬首刑に処す】と宣言した。
密偵たちも翻意が疑われる貴族の所領に潜入しては、圧政に苦しむ人々の反抗心を煽りたてた。
モルゲンシュテルン侯爵と親交があった貴族たちは、じりじりと接近して来るウスベルク帝国軍に恐怖した。
そうなると、じっとしていられずに下手を打つ小心者も現れる。
「陛下……。盗賊を装い、夜襲をかけてきた集団の身元が割れました」
「ふむ。でかしたぞ。ルーキエ祭祀長」
「お褒めに与り、恐悦至極に存じます。しかし、全ては妖精女王陛下より賜りし、霊薬の効果によるものでございます」
「確か、オシャベリ薬であったか……」
「はい……。賊の一人に投薬せしところ、それはもう面白いようにペラペラと……」
花丸製薬で開発された、オシャベリ薬。
ヤバイ薬だった。
「クロイツァー子爵に仕える騎士が、雇い入れた冒険者を指示しておりました。『あわよくば、陛下を弑せよ!』との命令で、夜襲をかけたようです」
「小者だな」
ウィルヘルム皇帝陛下は、残念そうに首を振った。
「陛下、陛下……。クロイツァー子爵の寄り親は、アイスナー侯爵家です」
アーロンが革のケースに納められた書状をウィルヘルム皇帝陛下に手渡した。
「ほぉーっ。どのようにして、コレを?」
書類を睨みつけたウィルヘルム皇帝陛下のこめかみに、青筋が浮いた。
それはバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵とハーディ・アイスナー侯爵の署名がある、魔法契約書だった。
紙面には、ウィルヘルム皇帝陛下を打倒するために協力する旨が、はっきりと認められていた。
「昨晩、盗賊の正体が判明しましたので、ドライアドに調査を依頼しました。その魔法契約書は、ドライアドの放った木霊が持ち帰ったものです」
アーロンは、事もなげに告げた。
「なんてことだ。下調べもせず、アイスナー侯爵の居城に忍び込んだのか……。しかも、忽ちの内に証拠を持ち帰るとは……。あり得ないだろぉー。精霊どもは、何でもありなのか?」
マンフレート・リーベルス将軍が、苦々しげな口調で毒づいた。
その瞳に、後悔の色が滲む。
あの日、あの時、エーベルヴァイン城に於ける会議で、妖精女王陛下の発言を信じておけばよかった。
少なくとも、悪しざまに罵って嘲笑するべきではなかった。
今更ながらに思うが、浅慮であった。
おそらく妖精女王陛下は、本当に屍呪之王を召喚できるのだろう。
それなのに、やって見せろと挑発してしまった。
『行儀も弁えぬ片言のチビに、何ができるものか!?』と、決めつけていた自分が恥ずかしい。
たとえオシメを穿いていたとしても、責任ある公人として敬意を払うべきであった。
妖精女王陛下が率いる軍勢は、圧倒的な力を証明した。
まさに魔法のような力だ。
魔装化された反乱軍の部隊を寄せ付けず、完膚なきまで叩き潰してしまう悪夢の如き攻撃力。
半日も費やさずにアイスナー侯爵の居城まで行って帰る、鬼神の如き機動力。
索敵能力に関しても、突出している。
闇夜に紛れで接近する賊を発見し、いち早く報告してきたのも精霊だ。
どう足掻いたところで、敵わなかった。
何と言い訳しようが、ちびっ子に負けたのだ。
本物の戦で。
世間では爺と呼ばれる年齢を迎えても将軍の座から退かず、日々の猛烈な鍛錬と節制により自らの若さを保ち続けてきたマンフレート将軍に、異変が生じていた。
ウスベルク帝国の黒獅子と称される謂れとなった、黒々とした毛髪や眉毛に白いものが入り混じり、ガックリと老け込んでしまった。
愛馬の手綱を引く姿も、どこか大儀そうである。
「ヴァイクス卿……。この魔法契約書を複製できるか……?」
「暫く時間を頂けるなら……。公文書の写しを作成するときと同じ手順を踏み、専用の魔法紙に転写しましょう。そうすれば複製であっても、ウスベルク帝国が正式に認めた書類となります」
ヴァイクス魔法庁長官は、ちらりと魔法契約書を見てから請け負った。
「のちのち難くせをつけられぬよう、充分に注意をしてくれ。原本まで捏造だとか言い張られては、面白くないからな!」
「お任せください、陛下」
ウィルヘルム皇帝陛下は革の書類ケースを閉じ、ヴァイクス魔法庁長官に手渡した。
「これより逆賊アイスナーと、その一党に全力で圧をかける。ここにある謀反の証拠を大量に複製して、そこら中にばら撒くのだ。高札には、『アイスナー家から爵位を剥奪し、火刑に処す!』と記せ」
「ですが、陛下。高位貴族の処刑は、斬首刑と定まっております。火刑に処するなど、聞いた覚えも御座いません」
ルーキエ祭祀長が、ウスベルク帝国の刑法を持ち出した。
「前もって爵位を剥奪しておけば、問題なかろう。ん?」
「はあ、前例が御座いません」
「グチグチと煩いのぉー。刑法の文面に則っているのだから、異論は受け付けぬ」
こう言われてしまえば、ルーキエ祭祀長も引き下がるしかなかった。
「ははっ。精霊の御心のままに……」
ルーキエ祭祀長は成句を唱え、
「ハーディの裏切者め、楽に死ねると思うなよ。とろ火で、じっくりと炙ってやるからな。グハハハハハハハッ……!!!」
自分がどれだけコケにされているかを知ったウィルヘルム皇帝陛下は、御冠である。
どいつもこいつも皇帝の責務と孤独を知ろうともせずに、己の利権のみを追って好き勝手に振舞う。
貴様ら新年の祝賀パーティーで口にした愛国と忠誠の誓いは、どこへやった。
薄っぺらで薄汚い、売国奴どもめ。
「くっ……。許せん」
背中で感じた妖精女王陛下の温もりが、無性に恋しかった。
本心をぶっちゃければ、悲しくて泣きそうだった。
「よいか皆の者。逆賊どもが所領を捨て去り、領都ルッカに逃げ込むまで脅しつけよ。容赦するでないぞっ!」
「ははぁー」
「承知しました」
「我ら……。皇帝陛下の仰せに従いましょう」
「……………………」
ウィルヘルム皇帝陛下の家臣団は、今日も意気軒昂である。
只一人、妖精女王陛下の示威行為により鬱を発症した、マンフレート将軍を除いて……。
◇◇
領都ルッカの隠れ家にて、マリーズ・レノアはカレーパンを食べながら気まずそうに報告した。
「関係各所に問い合わせたのですが……。ミッティア魔法王国へ向かう船が、見つかりません」
「なぁーに、焦ることはないよ。じきに慌ただしく動きだすさ」
クリスタは苦笑し、ビンス老人が淹れてくれた茶を啜った。
「本国に要請しようとしたのですが、遠距離念話装置が不調になっています。マーカスには、遠話局で待機してもらっています」
「そこまでしなくてもいいよ。急いでいないから……。と言うか、とっくの昔に手遅れさ」
手遅れと言いながら、少しも落ち込んだような気配を見せない。
淑やかで美しい黒髪の魔女が老婆のような口調で話す様子は、マリーズのささくれた心を和ませる。
「そうですか……」
「そもそも義理で出す手紙さ。意味があるかどうかも、分りゃしない。何ならグウェンドリーヌに、届かなくても文句はない……。あたしは手紙を出したと言う事実があれば、それでよい」
「グウェンドリーヌ女王陛下は、調停者さまを尊敬していらっしゃいました」
「はんっ。迷惑な話だよ」
マリーズの台詞を聞いて、そっぽを向くクリスタだった。
「このパン。美味しいですね」
マリーズがポツリと呟いた。
「はい。気に入って頂けましたか。メルさんから届いた、新しいレシピです」
「届いたって……?」
「今朝方、ミケさんが届けて下さったのです」
マリーズにカレーパンを褒められたビンス老人は、有頂天になってペラペラと喋った。
「ちょい待ち。ミケが来たのかい?」
「はい」
「ここへ……?」
「そうですけど……」
「そりゃまた、よほど大切な用事があったんだろうね」
「はぁっ!?」
クリスタにジッと見られて、ビンス老人は失言に気づいた。
「ミケはメルの使いで来たんだろ、わざわざ遠くから……」
「………………」
「だったらさぁー。このパンのレシピを渡しただけで帰ったなんてことが、あるかい!?」
「いえ。それだけです」
ビンス老人の目が泳いだ。
「ハァーッ。いつからゲルハルディ大司教ともあろうお人が、詰まらない嘘を吐くようになったんだい?」
「ワシはビンスです」
「嘘を吐いたよね」
「いいえ」
美味しい教団から破門される危険があるので、ビンス老人は口を割ろうとしない。
そのとき、ビンス老人の隠れ家に、賑やかな連中が戻って来た。
ヤニック率いる三人組だ。
「あたしが、帰ったぞぉー!」
ボロ屋に、ジェナ・ハーヴェイの可愛らしい声が響いた。
「うぃー。疲れた」
ヤニックが椅子に、どっかりと座り込む。
「皆さん、お帰りなさい」
クリスタの追及から逃れたビンス老人は、これ幸いとヤニックたちを労う。
「おっ。美味そうな匂いがするな」
「その皿に盛られているものは、なんだ?」
さっそく、マーティムとメルヴィルが目をつけた。
「メルが作った料理みたいだな……。コロッケとか言うヤツに、似てないか?」
ヤニックはビンス老人に渡された手拭いで、顔と両手を拭いた。
そうして、遠慮なく皿に手を伸ばす。
「うはぁー。カレーの匂いだぞぉー」
ジェナは大喜びだ。
「ちっ……。隠し事なんて、どうせ遅かれ早かれバレちまうもんさ」
ビンス老人に逃げられたクリスタは、ちょっとだけ不機嫌そうな顔をした。
それを見たマリーズは、クリスタを可愛いと思ってしまった。
◇◇
お使いを終えたミケ王子は、メジエール村の端でメルと並んで座り、悪霊が徘徊すると言われる荒れ地を眺めていた。
地平線まで続く、荒涼とした寂しい景色だった。
「ねぇねぇ、メル。あの壺だけどさぁー。作動させたら、クリスタさんにバレちゃうよね?」
「メモを読みましたか……。うん。作動させたら、確実にバレるデショウ」
「だったら、秘密にしたって叱られるだけじゃん」
ミケ王子が不思議そうに訊ねた。
「いいですか、ミケさん。おいたは幼児の特権です。これを叱るのは、オトナの義務です」
「はぁ……」
「おいたをして叱られるのは、仕方がないのデス」
メルが切なそうに言った。
「それなら、何で秘密にしたのさ?」
「おいたを成功させるためです」
「エェーッ!」
「やるまえにバレたら……。阻止されちゃうデショ!!」
ビックリ仰天の理由だった。
しかしそこには、更に割り切れない事情があった。
荒れ地を彷徨う憐れな怨霊たちは、己の恨みを誰かに押しつけなければ浄化されない。
メルがミケ王子に頼み、壺に詰めた怨霊を領都ルッカへ運んでもらったのは、気兼ねせずに恨みをぶつけられる悪党どもが、彼の地に巣食っているからだ。
これは独善であり、偽善かも知れない。
だけど、それでも構わないと心に決めたのだ。
一番に幸せな来世を手に入れるべきなのは、古代の遺跡を漂う怨霊たちだ。
絶対に、そうあるべきだった。
「ミケさんも、黙っていてくださいね」
「でもボク。クリスタさんに追及されたら、喋っちゃうかも」
「口止め料です」
メルはミケ王子に、チーズかまぼこを手渡した。
二人は並んでチーズかまぼこのパッケージを剥がし、口に咥えた。
「ボク、黙ってるよ」
ミケ王子は何となく察した。
メルの胸の内を。
「ありがとぉー」
メルが目を瞑り、頭を下げる。
メルとミケ王子は仲良しさんだった。








