ワレ幼女の手中に有りて、敗北は認めがたし!
ヴラシア平原の戦いは開始から一刻を費やすことなく、ユグドラシル王国軍の勝利で幕を閉じた。
ウスベルク帝国の軍勢が見守る中、ユグドラシル王国軍は押し寄せる魔道化部隊を見事に無力化させた。
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵とミッティア魔法王国の混成軍は、魔導甲冑と多脚ゴーレムを破壊されて敗走するに至った。
全装備を破壊された兵士たちは、ラヴィニア姫が率いるトレント部隊に捕獲されて、ヴラシア平原の端に放逐された。
今、役目を終えたユグドラシル王国軍は、整然と隊列を組んで転移門へと引き上げていく。
「勝ったドォー!」
早上がりで、メルはご機嫌だ。
巨人族の命令違反があったけれど、粗ほぼ予定通りの展開である。
ユグドラシル王国軍に於けるコミュニケーション不足は、当初より問題視されていたが、おいおい解決していくしかあるまい。
何しろ、巨人族やドラゴンと意思の疎通を図るには、尋常ならざる努力が必要となる。
互いが友好的な関係にあろうとも、異種族間を隔てる壁は厄介だった。
「初陣に完璧を望むのは、指揮官としてどうかと思うわ……。ユーディット姫は、あやつらにパンツを穿かせただけで上出来ジャ」
「うんうん……。そうだねぇー」
トンキーに跨って、メルの背中に張り付いたラヴィニア姫が、笑顔で頷く。
分かっていたことだが、ユグドラシル王国軍の圧倒的な戦力を確認したので、メルの採点は甘い。
目的としていたピクスたちの解放も、問題なく成功している。
「なぁーんか腹立ちますけど、デビルメルは有能デシタ。戦果を挙げていなければ、魔法学校の生徒からボッシューしたいところですが、ここは我慢しまショ!」
「うんうん……。メルちゃんは、偉いねぇー」
狼藉者たちを震え上がらせたラヴィニア姫は、とても満足そうだった。
ずっと理不尽な仕打ちに耐えてきたラヴィニア姫にとって、初めての復讐と言えた。
悪い大人たちに、ざまぁーである。
「利権がらみの争いごとは、有志でやらなアカン。嫌がる者にまで強要するんは、違うと思うわ」
「村の人たち、避難できて良かったね」
「せやねん」
戦争の本質とは、祭祀である。
祭祀は蕩尽であり、祭壇に捧げられる贄が兵士となる。
戦力的に圧倒しているのなら、味方に損害を出さず、敵の兵士だけを贄に捧げることも可能だ。
近代以降の戦争では、敵対する国家が人民の命をチップにして積み上げ、運命のルーレットを回す。
悪魔に祈るか神に祈るかは別として、そこで消費された命は正しくカジノのチップであろう。
戦争が終わると勝者は自らの正義を主張し、敗者に穢れを押し付ける。
新たなる秩序は、勝者の都合と悪意によって構築される。
祭祀で捧げられた人命の嵩が、新秩序の堅牢さを保証する。
しかしそれは、樹生が生きてきた世界でのことだ。
メルが生きる世界では、贄に捧げられた命の意味からして違う。
この世界は、人々が渇望した夢や経験を糧とする概念界と表裏をなしていた。
清く、正しく、美しく……。
あなたの真摯な祈りが、希望に溢れた明るい未来を切り拓くのです。
「それに……。本番は、ヴラシア平原とちゃいますから……」
「うんうん。頑張ろう」
ラヴィニア姫がメルの頭を撫でた。
本番の祭祀は、モルゲンシュテルン領で行われる。
「貴重な水は、正しく苗木に撒かねばならんのデス」
「肥料もね」
「せや。肥料も大事」
メルとラヴィニア姫は、二人してウンウンと頷いた。
今日も二人は仲良しさんだ。
祭祀の手配が整うまでは、人的損失を出さぬように手加減が必要となる。
唾棄すべき悪党どもは、輪廻転生のシステムを育てるために欠かせない水であり肥料だった。
ブガブガ、ドンドコ、キンコンカン……。
転移門の左右に整列したメルの親衛隊と魔法学校の軍楽隊が、勇壮なマーチを奏でる。
やって来た時とは逆に、メルとラヴィニア姫を背中に乗せたトンキーから、転移門を潜って帰って行く。
トンキーの後に、タリサ、ティナ、ダヴィ坊やが続き、巨人族やミニドラゴンたちも順番に並んで転移門を使う。
「ワンワンワンワンワン……!」
泥だらけになった犬と後ろ足で直立歩行するネコ(ミケ王子)が、ささっと転移門に駆け込んだ。
最後に軍楽隊の隊長であるチルが、ウスベルク帝国陣営に一礼する。
ピッ、ピィーッ!
チルは警笛を口に咥え、力強く吹き鳴らした。
メルの親衛隊と魔法学校の軍楽隊は、ウィルヘルム皇帝陛下や騎士たちに敬礼しながら転移門に消えた。
「ふむっ。文句なしの完勝だ。素晴らしい!」
ウィルヘルム皇帝陛下は、鞍上で愉快そうに髭を捩じった。
家臣たちさえ見ていなければ、鞍から腰を浮かして『ブラボー!』と快哉を叫んでいた。
正直なところ、ざまを見ろである。
大声で妖精女王陛下の偉大さを歌いながら、勝利のダンスを踊りたい気分になる。
メルさん偉い。メルさん最高。メルさんカワイイ。ワシの天使ちゃん……♪
「妖精女王陛下から説明されておりましたが、これほどとは……」
ルーキエ祭祀長も喜色満面だが、伝説の存在である巨人族やドラゴンを目にした驚きを隠せない様子だった。
「ヴラシア平原を霧で覆い尽くし、泥沼に変えるとは……。何とも、恐ろしい魔力ですな」
ヴァイクス魔法庁長官は、己の配下である魔法使いたちの能力不足を認め、力なく項垂れた。
タリサやティナが見せた妖精パワーに、打ちのめされたようである。
「まあ、メルさんですからね。幼児ーズの精霊魔法については、斎王さまも認めるところです」
アーロンが気まずそうに、ヴァイクス魔法庁長官を慰めた。
「……………………」
ウスベルク帝国の黒獅子ことマンフレート・リーベルス将軍は、黙して語らず。
「マンフレート閣下。ご胸中はお察ししますが、メルさんのまえで同じ態度を取ると後悔しますよ」
「くっ……。どういう事かね、アーロン卿?」
「かつてメジエール村で冒険者ギルドを壊滅させたメルさんは、ギルドマスターに足の裏を舐めさせています」
「はぁーっ!?」
「己の軍門に下った敗北者と判断されたら、部下が見ているまえで足の裏ペロペロですよ」
「なんでだ……。どうして私が、そのような屈辱を受けねばならん!?」
「メルさんは『忠誠心の確認ジャ!』と、仰っていました」
アーロンもマンフレート将軍の頑固さには、苦労させられてきた。
メルとマンフレート将軍の間を取り持つために、かなり胃を痛めてしまった。
そのような事情があるので、【足の裏ペロペロ】はちょっとした意趣返しであった。
「はわわわわ……っ!」
「その程度で動揺するとは、情けないのぉー。マンフレートよ。そちもメルさまの馬になるか……?」
ウィルヘルム皇帝陛下が得意げな顔で、助け舟を出した。
「グヌヌヌヌッ!」
どう考えても、足の裏ペロペロより馬の方がマシである。
それでも苦悩するマンフレートだった。
「よし。それでは諸君。戦勝の祝いである。簡素ながら、酒宴を開こうではないか!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!やったぁー!!」」」
ウィルヘルム皇帝陛下の宣言に、騎士たちが歓声を上げた。
泥沼と化したヴラシア平原が凍結するまでに、少なくとも一昼夜は掛かる。
その間、ウスベルク帝国軍は反乱軍を追撃せずに待機だ。
「アーロン殿。反乱軍討伐部隊が、このように呑気でよろしいのか……?」
宴席にて、ルーキエ祭祀長が盃を片手に不安そうな顔を見せた。
「ルーキエ祭祀長、ご心配なく。この軍事作戦は、ウィルヘルム皇帝陛下に恭順の意を示さない貴族どもをモルゲンシュテルン侯爵領へ追いやるためのものです。我らはゆっくりと軍を進め、彼らに逃げる機会を与えることが肝要かと」
「それではモルゲンシュテルン侯爵領にて相対する敵が、膨大になってしまいますぞ。各個撃破が、戦の基本ではないのですか……?」
「すべては、妖精女王陛下の計略です」
「なるほど……」
ルーキエ祭祀長は、アーロンの説明に頷いた。
ルーキエ祭祀長にとり、妖精女王陛下は絶対だった。
◇◇◇◇
「チクショー。グレムリンめ!」
戦争屋ワルターは、メルの顔を思い浮かべて毒づいた。
ここで引いては、本国に戻れない。
ワルター自身の価値など比較にならぬ莫大な資金が、水面下で動いているのだ。
責務を放り出して辺境へ逃げても、枢密院の放った追跡者に捕まり、最も惨たらしい方法で処刑されるだろう。
ワルターに敗北は許されない。
相手が怪物であろうと、勝利するしかなかった。
巨人やドラゴンを狩るのなら、そのために必要な魔道兵器を本国へ要請すればよい。
ワルターが負けを認めぬ限りは、枢密院も資金援助を止められなかった。
何故なら、損切りを口にした者が、全ての責任を負わされるからだ。
「汚らわしい怪物の助けを借りるとは、ついに血迷いおったか……。人族の生存圏を悪鬼に売り渡さんとする、裏切者どもが……!!」
ロナルト騎士団長もまた、巨人やトレントの恐ろしさを胸の内で反芻しながら、復讐者の形相を浮かべた。
栄光に満ちたロナルト騎士団長の人生で、初めての敗走だった。
魔法騎士にあるまじき、不名誉で恥辱に塗れた敗北を喫した。
最新の魔装化部隊を与えられながら、敵と剣を交えることなく背を向けた事実は重い。
このままでは済まされなかった。
ロナルト騎士団長とワルターは、敗残兵を率いて近隣の村に逃げ込んだ。
「静かな村だな」
ロナルト騎士団長が呟いた。
吐いた息が白く凍る。
汗で濡れた肌着が寒風に曝されて冷え、容赦なく体温を奪う。
「廃村かも知れませんね」
ワルターがロナルト騎士団長に応じる。
「警戒しつつ、村の中を探索しろ。武器所有者を先頭に、逆らう者が居たなら躊躇うことなく斬り捨てよ」
「了解であります!」
殆どの兵士は泥濘でデビルメルに襲われ、情けないことに徒手空拳だ。
魔法武器やピクスを収納してあった動力ディスクは、ことごとく破壊された。
軍靴を無くして、裸足の者も多い。
移動手段の多脚ゴーレムは投石により大破し、運んできた糧食や医療品も泥沼に沈んだ。
兵士たちに残されているのは、魔法付与されていない剣やナイフのみである。
追手を恐れての逃走劇に、体力や魔力も底を突きかけていた。
「不味いな……。足の指が、ジンジンする。爪先に感覚がない」
ロナルト騎士団長は、指揮所とした家屋の土間に屈み込み、足の指を叩いた。
血行を促すが、然したる効果は見込めない。
足の指が、紫色に変色していた。
極寒の季節に水浸しでは、凍傷を免れまい。
魔法による身体強化があろうとも、能力が低ければ手足の末端から凍りつく。
「火を焚きましょう。追撃を気にするあまり、消耗し過ぎました。休憩しようにも、身体の震えが止まりません」
ワルターも奥歯をガチガチと鳴らしながら、進言する。
力尽きての体温低下は、死に繋がる。
「団長……。村人の姿がありません」
「どの家にも、使えそうなものは残されておりません」
「ちっ……。やはり廃村か」
「戦場となるのを嫌い、逃げたのでしょう」
村の住民が、例外なく壮健な者ばかりとは思えなかった。
それなのに無人となれば、組織的な協力があったと考えるべきだ。
「井戸を見つけました」
兵士の一人が報告した。
「やめておけ……。下手をすると、ウスベルク帝国の策略かも知れん。井戸と水瓶に汲まれていた水の使用を禁ずる!」
「雪が積もっているのにですか?」
「フンッ。用心だよ。念には念を入れろと、言うだろ」
ロナルト騎士団長は、今更のようにリスク管理を口にした。
敵方の工作を疑うのなら、井戸水は危なくて使用できなかった。
兵士たちが見つけてきた少しばかりの食料も、断念せざるを得ない。
「家屋を破壊して薪にする」
「雪を集めて鍋に。井戸水は使うな!」
「使えそうな布切れがあれば、集めてきて足に巻け」
「治癒魔法を使える者は、疲れているだろうが負傷者の手当てを」
ロナルト騎士団長の負けず嫌いが、ともすれば挫けそうな部下たちの心を支えていた。
疲れ、傷つき、自尊心をへし折られ、消せない恐怖を植え付けられた兵士たちは、それでも己に鞭打って働き続けた。
「団長、畑に作物が残っていました」
「でかしたぞ!」
幸運なことに、放置された畑には未収穫の作物があった。
寒さに強い芋である。
雪をどけて、せっせと掘り起こされた小さな芋は、泥を落としただけで煮えたぎる鍋に投じられた。
とても料理とは呼べない代物だが、魔装化部隊のシェフは凍傷で指をやられていたし、芋が小さすぎたので仕方ない。
芋の数はあっても、皮を剥けば口に入る量が減ってしまう。
「なんだこれは……?」
「塩気がない」
「味はなくとも、滋養がある温かいスープだ。文句を言わずに感謝して食え」
「うへぇー」
兵士たちの半数以上が、不平を垂れた。
実に不味い。
しかし、食べなければ身体が持たなかった。
昨日までの食事とは、雲泥の差である。
戦に負けたものは、とことん惨めだった。
「不幸中の幸いなのは、徒歩で二日ほど進んだ場所にマクファディン子爵の屋敷があることだな」
「まあ、確かに……。ただ負けた我らを受け入れてくれるかどうか……?」
「そこは、受け入れさせるしかあるまい」
「はぁー」
ロナルト騎士団長が率いる敗残兵の部隊は、まともな武器を所持していなかったけれど、マクファディン子爵も子飼いの騎士隊を失っていた。
メルたちが村人を避難させているときに武力介入し、コテンパンにされたのだ。
「マクファディン子爵の屋敷で物資を徴収したいのだが、今の部隊では難しいか!?」
「何か手を打つ必要があるかも知れませんね」
ロナルト騎士団長とワルターは難しい顔で相談するが、杞憂である。
マクファディン子爵はロナルト騎士団長の部隊に屋敷を包囲されただけで、白旗を上げるだろう。
ツァーネル・マクファディン子爵の別称は、【腰抜けナメクジ】だった。
使用人や領民たちからは、単に【吸血野郎】と呼ばれていた。
その性根は、推して知るべしである。
投稿に間が空いてしまい、申し訳ありません。
体調不良を含め、筆者の事情です。
今年の梅雨は最悪でした。
喘息全開です。w
酸欠で死ぬかと思ったよ。
ボチボチとシリルを書き進めたのも、メルが書けなかった原因でしょう。
まあ両方を書けない時点で、体力と気力がヤバいんですけどね。
ポンコツでヘタレの筆者ですが、これからも生ぬるい目で応援をお願いします。( ̄▽ ̄)