ついてきた人魚さん
本来であれば、腕白と可愛いは子供を形容するさいに併置可能な概念である。
腕白で、とても可愛い。
可愛いけれど、ときに腕白なところもある。
しかし腕白の度が過ぎれば、相反する性質と取られても致し方ない。
メルの腕白は、実行可能性を伴うので、見る人から見れば最早ボウリョクだった。
素手で納屋を破壊するような子供は、狂暴かつ危険な存在だ。
たとえその姿がオコジョのように愛くるしかろうと、見た目通りには扱えない。
故に腕白が過ぎれば、可愛いポイントは伸び悩む。
当然の結果として、メルの花丸ショップから大量のお菓子類が消え失せた。
「駄菓子やスナックが全滅じゃ…。グヌヌヌヌッ…。チョコも、麦チョコしか残っとらん」
由々しき事態である。
何より問題なのは、メルが人々に知られるほど、カワイイPを稼ぎづらくなることだった。
カール爺さんの納屋を破壊した事件は、噂好きなメジエール村の人々にホットな話題として広がり、しっかりと記憶された。
【卑劣なチビ】【ミツアミ泥団子】【わらし大帝】【悪魔チビ】【小さな猛獣】【最も危険な生物】【アレ】
それらは全てメルを指し示す隠語であり、こすっても消せない烙印だった。
事態を重く見たユグドラシル王国危機管理事務局は、妖精女王陛下が人々から嫌われたりしないようにと、対症療法的な軌道修正を試みた。
そこで実装されたのがカワイイPであり、花丸ショップからお菓子を減らすと言うペナルティーだった。
だけど腕白は、メルにとって抑えようのない本質である。
また世間に広がってしまった噂を修正できるほど、メルは賢くなかった。
もともと熟考した末に動くタイプではなく、その場の思い付きでヒャッハー!したい性格なのだ。
ユグドラシル王国危機管理事務局が用意したシステム改変は、残念ながらイジメにしかなっていなかった。
大きなお友だちを引き連れて、チンドン屋のように開拓村を練り歩いても、花丸ショップの商品ラインナップは減っていく。
ここに、思いもよらぬ救世主が登場した。
メルよりも遥かに野生を剥き出しにしたボッチ人魚である。
「なぁ、ジュディー。アータのために、立派な漁師小屋を建てたったわ!」
メルは浜辺の近くに立てた小屋を指さし、ジュディットへの贈りものだと告げた。
「あたしに、この小屋をくれるの…?」
「そうです」
「スゲェー。あたしの家かぁー」
ジュディットは、感動で目をウルウルさせていた。
スカイブルーのワンピースを身に纏い、スカートの裾を海風になびかせて佇む姿は、すっかり漁村の娘さんである。
だれもジュディットを人魚だとは、思うまい。
「うんうん…。ラブリーな小屋が出来上がって、良かったのぉー。それじゃ…。わらしはメジエール村で暮らすけぇー、アータはここで幸せにおなりなさい」
「…………???」
「これで、暫しのお別れじゃ。また遊びにくるけぇー、なんも心配せんでエエねん。サメやシャチに気ぃーつけてな。達者で暮らせよ」
メルは手を振り、ジュディットを置き去りにしようとした。
助けたカメであれば素直に海へ戻るのだろうが、ボッチ人魚はそうしなかった。
「イヤだ!」
ジュディットがメルを捕まえて、羽交い絞めにした。
ジュディットの目は真ん丸に見開かれ、ギザギザの歯が口から覗いていた。
根暗なボッチ人魚の本性が、もろだしである。
「おい、コラ。何するんや!?」
「メルと一緒に暮らすぅー。あたしは、メルのお姉ちゃんだもん!」
「お姉ちゃんて…?わらしに姉など、居らんわ。アカン…。アカンて、言うとるやろ!!」
メルは足をばたつかせるが、逃れる術はない。
「むぅー。聞き分けのない妹は、頭から齧っちゃうぞ」
「ギャァー。やめてんかぁー!」
まさにアレだ。
蛇に睨まれた蛙である。
何とか妖精パワーで脱出したいところだけれど、心が委縮して幼児パワーしか出せない。
メルの脳裏に看病で疲れ切った母由紀恵の、心を病んだ目つきが蘇る。
『いっそのこと、一緒に死のうか…?』
狸寝入りをしていた樹生の耳元で、ポツリと囁かれた重たい言葉。
「ヒィー。人魚さん、ごめんなさい。わらし、良い子にします」
ヤンデレは怖い。
メルにとってジュディットは、手習い所の陰険な女子たちやルイーザより、ずっと質の悪い存在だった。
怖いのに放っておけない。
これはもう、宿業としか思えなかった。
メルとジュディットは、暖かなドラゴンズ・ヘブンに別れを告げてメジエール村に戻った。
村人たちが使用している村長宅まえの祠ではなく、直接メルの樹へと転移する。
「けっこう、長居してしもぉーた。そのうえ、ジュディーを置いて来れんかった。こんなことなら、グズグズせんで皆と一緒に帰ってくればえかったヨ」
メルが疲れ切った顔で、ぼやいた。
口にしても仕方がない愚痴だ。
「メルちゃんは、独り言が多いよねぇー。あたしも、よく独り言するヨォー。あたしたち仲間だぁー」
「ぐぬっ!」
独白は、ボッチの悲しい習性である。
「ここが、わらしのウチじゃ。そんでもって、階段を上がった右手のドアが、出入口な」
「この上に、出入口があるの…?」
「はい。ここは地下なのデス」
「あそこの戸を開けたら、メジエール村か?」
「そそっ…。引くんでなく、取っ手を捻って押すんじゃ!」
ジュディットが裏口の扉を外へ押した。
ウスベルク帝国の建物は内開きの戸が多いけれど、エルフさんの魔法料理店は外開きに統一されている。
「ムギギギィーッ。メルちゃん、この扉、重たいよ!」
「なわけ、あるかぁーい!」
「手伝って…」
「なんぞ引っ掛かっておるんか…?それにしても、ジュディーは非力じゃのぉー。エエ機会じゃけぇー、わらしのパワーを見せたる」
「うん」
「おん、あびらうんけんそわか…。来ませ、妖精ぱぅわー。フンッ!!」
メルがジュディットを助けることで、力の均衡は破れた。
凍りついていた扉が、バキン!と音を立てて開いた。
「おいおい…。勢い余ってもうたわ」
「いきなり、開いたぁー」
扉の抵抗が消え失せ、メルとジュディットはバランスを崩して、精霊樹の根元にコロコロと転がった。
そこに樹上から、雪の塊が落ちて来る。
ドスン。ドスン。
ドドドドドォーン。
「ウギャァー!」
「ひぃ!」
落下してきた大量の雪が、メルとジュディットを容赦なく埋めた。
「ウハッ…。さぶっ。真白じゃ。村が雪に覆われとるがな!」
「あばばばばっ…。冷たいヨォー」
エルフさんの魔法料理店から外へ出ると、そこは一面の銀世界だった。
「いったん、戻るで」
「あい」
「ラッセルじゃ!」
「らっせる…?」
ジュディットが初めて聞く言葉に、首を傾げた。
「そう…。こぉーやって深雪を掻き分けて、踏み固めるのデス。ラッセル、ラッセル!」
「らっせる、らっせる♪」
メルとジュディットは積もった雪を乱暴に蹴散らして、エルフさんの魔法料理店へ引き返した。
ノースリーブのワンピースなんて着ていたら、確実に死ぬ。
冬との過酷な闘いには、生き残れない。
「待っとれよ。今すぐに、湯ぅー沸かすで…」
「ヘッ、ヘヘッ…。ヘップシュン!」
ジュディットの鼻が垂れた。
◇◇◇◇
次の日からメジエール村の中央広場で、着ぐるみ姿の美しい娘と児童の姿が見られるようになった。
愛くるしい動物の着ぐるみは、言わずと知れた花丸ショップの商品だ。
花丸ショップには冬用の装備品も揃っているのに、メルは選ぶのが面倒臭いと迷うことなく着ぐるみを購入。
ジュディットも、反対意見を口にすることはなかった。
パステルピンクのウサギとパステルブルーのウサギである。
メルとジュディットに、キチンとした装いを期待しても無駄だった。
「これは、あったかい!」
ジュディットは、もうそれだけで幸せそうだ。
「ふむ…。アニマルスーツは、丈さえ合えば問題なく着れる。すぐれもんや」
成熟した女性のサイズなんて、どこをどう測ればよいやら分からない。
ラヴィニア姫やティナの助けがなければ、メルにはどうにもならなかった。
温かなパンツやタイツは何点か購入して、ジュディットにサイズが合うものを選んでもらった。
だけど上半身は、仕方がないから間に合わせのロングTシャツで我慢してもらう。
「わらしなぁー。このブラカップ言うもんをどうしたらエエか分からんのデス」
トップとかアンダーとか商品説明に記載されていても、チンプンカンプンだ。
「ジュディーさん、ブラジャーって分かります?」
「うーん。ぶ、ぶらじゃ…?ぶらじゃーって、何ぃー!?」
つい先ごろまで裸娘だったジュディットに、女性の下着を訊いても分かろうはずがなかった。
こうしたやむを得ぬ事情があっての、アニマルスーツである。
アビーに事情を説明して頼み込めば何とかなる話だけれど、ジュディットは人魚で妖怪変化の類だ。
ミケ王子ならネコで押し通せても、時おりジュディットが見せる丸い目とギザギザの歯は、とんでもなく気まずい。
「まぁまは、他人行儀だと悲しむかも知らんけどぉー。何となぁー、ジュディーのことで頼るんは、違う気がするわ」
夜になると隣の部屋で寝ているはずのジュディットが、メルをジッと見下ろしていた。
真っ暗な部屋の中、魚のような丸い目で…。
(マジで怖いんだよ)
啖呵を切って捨てたりしたら、確実に生霊を飛ばしてくるタイプだ。
まだまだ、寄り添って浄化と癒しを与える必要があった。
安心させてやらないと、まじでヤバイ。
(ジュディーは、どちらかと言えば邪精霊だ。アビーには預けられない)
それにフレッドが居る。
ジュディットは美しい娘で、オッパイも大きい。
しかも、極端に開放的な性格をしているので、フレッドには目の毒でしかない。
もし仮にアビーがジュディットの境遇に絆されて、『人魚さんも、一緒に住みましょう』とか言いだしたら、フレッドは困り果てることだろう。
「ここは明確に線を引いておかんと、オトォーが可哀想じゃ。まぁまはオトォーに、『浮気はアカンよ!』と釘を刺すだろうし、絶対に揉めるデショウ!」
浮気をしていると嫁に疑われたくない亭主は、そう意識するだけで怪しく見えるものだ。
ディートヘルムのためにも、家庭は平穏であって欲しいと願うメルだった。
「オトナの男女関係は、ムツカシのぉー」
ウサギの耳を揺らしながら、メルがぼやいた。
パステルブルーの大人ウサギが、パステルピンクの仔ウサギを小脇に抱えている。
メジエール村の中央広場を通りかかった人は、ウサギの母娘に手を振る。
「むっ?」
メルのカワイイPが上昇した。
「何でや…?」
小さい少女が抱っこされている姿は、文句なく可愛い。
稚い少女の仕草から、他者への信頼と依存心を想像したときに、他人は可愛いと思うのだ。
「わらし、なぁーんもしとらんのに…。どうしてカワイイPが、増えていくの…?」
メルはボッチ人魚さんとの転倒した共依存関係を受け入れたことにより、皮肉にも可愛らしさのオーラを身にまとった。
真実を知らない他人の目には、ジュディットの猛烈な依存心が見返りを求めない慈悲深さに映る。
甲斐甲斐しい庇護者と、これに依存する少女。
だれもメルが、ジュディットを治療しているとは考えない。
全ては、他人の想像である。
可愛いは関係妄想なので、そもそも実体がなかった。
「わらし、可愛い!?」
突き詰めれば、それはメルに投影された他人の妄想だった。