ラッコの事情
最初こそ、普通であれば許されないような不首尾があったけれど、そこは現役ボッチと前世ボッチ。
ジュディットはメルからチーズ入りかまぼこを三本もらって、あっさりと謝罪を受け入れた。
「美味しぃー」
「せやね。チーズかまぼこは、正義デス!」
美味しいものは、人を幸せな気持ちにさせる。
その点は人魚であっても変わらなかった。
ラヴィニア姫は仲良くなったメルとジュディットを生温かい目で眺めていた。
ジュディットに抱っこされたメルは居心地悪そうにもがいているが、脱出できそうになかった。
三百年間、ハンテンと引きこもっていただけあり、海でボッチなジュディットの心境に思うところはある。
さぞかし寂しいのだろうと…。
「うおぉーっ。もしかして、人魚さんチョロイン…?それとも、メル姉の人徳??」
ダヴィ坊やが、素直に驚きの表情を浮かべた。
「人魚さんは、きっと人恋しかったのよ。それはまぁ、チーズかまぼこも効果はあったと思うけど…」
ラヴィニア姫が、複雑な表情で笑った。
何でも物で解決するのは、よろしくない。
だけどメルにはメルの考えがありそうなので、黙っていようと思うラヴィニア姫だった。
「なんかさぁー。オヤツをもらって納得するって、どうなのよ」
「こう言ってはなんですが、随分と安いですね」
タリサとティナも、メルが上手いことジュディットを丸め込んだので釈然としなかった。
どう考えても、メルのしくじりとチーズ入りかまぼこ三本では釣り合わない。
もっと叱られて、ボコボコにされるべきなのだ。
「うーん。人魚さんだって怒っていても、ケンカ別れしたい訳じゃないから…。嫌ならメルちゃんの笛に呼ばれても、来ないと思うし」
「そっかぁー。わざわざ魚まで持って来たんだもんね」
ラヴィニア姫の考えを聞いて、タリサが頷いた。
「メルちゃん。ミケ王子がヘソを曲げたときも、チーズかまぼこでチャラにしてた。ケット・シーに支払われている魔法学校の労賃も、チーズかまぼこなんだよ。それも、一日に一本だけ。たくさん渡すと、ありがたみが薄れるんだって」
「どんだけ狡猾なのよ…?人魚さんも、メルの術中ってわけ?」
タリサはメルの交渉術に舌を巻いた。
敢えて品薄感を演出することで、商品価値を吊り上げるとは…。
そのうえジュディットの足元を見て、謝罪が安価で済むよう交渉を進めている。
「メルのやつ。ちびっ子の癖に、なんて商才…」
侮れぬ好敵手としてメルを認める、タリサだった。
だが実のところメルは、タリサの推理と全く違う動機で行動していた。
ジュディットが置かれた状況を訝しみ、妖精女王として焦りまくっていたのだ。
「魚、一匹デスカ…?」
メルは投げ捨てられた魚を拾い、ジュディットに訊ねた。
文句を言いたい訳ではない。
一匹しかない理由を確認したかったのだ。
「何よぉー。あたしがケチみたく言わないでくれる。欲しければ、すぐに獲ってきて上げるよ」
「いや。なんで、一匹なのかなって…?何度も獲りに行くのは、めんどいデショ?」
「片手が塞がっているから、一匹しか持てないのよ」
「左手に持っている石。それは、何ですか?」
「あたしの宝物。美味しそうな貝を手に入れたら、これで貝殻を割るんだよ」
『ラッコかよ!?』とメルは思った。
大海原で文明の恩恵を受ける機会もないジュディットは、裸っ娘だった。
その日常は、石器人の生活より悲惨である。
「ジュディ姐さんは、貝が主食かぁー。お魚は食わんの…?」
「ふぇーっ。お魚って、食べられるの…?硬くて透明なのが着いてるから、食べれないよ」
「……っ!」
「おやぁー。もしかして、メルちゃん。お魚が食べられると思ってたの…?」
「そうですけど…」
ジュディットは嫌がるメルを捕まえて、笑いながら抱きかかえた。
「幾らなんでも、それは物を知らなすぎだよぉー」
「ふぇ…?」
魚を獲っても道具がなければ、ウロコ剥がしは難しい。
熱湯をかければウロコが反り返って取り除きやすくなるけれど、悲しいかな海底では火を熾せない。
水の中では煮炊きどころか、刺身を造るにも難儀するだろう。
サクから切り離された切り身は、まな板から離れてユラユラと漂って行ってしまう。
「そりゃ、そうだよ。水ン中じゃ、料理なんぞでけへん…」
考えるまでもなく衣類なんてある筈がないので、すっぽんぽんだ。
野生の人魚である。
死霊と妖精が混じり合い、茫漠たる海洋にポツンと生まれた精霊種だ。
親もなければ、所属すべきコミュニティーもなく、類まれなる生存能力だけで存在している。
絵本の人魚姫とは、程遠かった。
(コレは酷い…。悲し過ぎる)
メルは愕然とした。
上半身が人で言葉や概念まで与えられているから、その悲惨さは目を覆いたくなるレベルだ。
これが海竜とかであれば、ここまで憐れは誘わなかっただろう。
何より…。
ジュディットは、食材の加工を知らない。
新鮮な魚介類が美味しいとしても、調味料なしの丸齧りだ。
美味しい教団の教祖としては、許しがたい事態であった。
メルは兎さんのポーチからピンクの板っぺらを取りだして、パカッと蓋を開けた。
ユグドラシルとの通信を可能にした、携帯念話装置だ。
パ・ペ・プ・ピ・ポ…♪
ぷー、ぷー。
ガチャ!
「もしもぉーし。ユグドラシル王国の女王さま係ですかぁー?あーっ、わらし女王陛下やけど…。そうじゃ。その陛下じゃ…。はぁん。そんなもん、用事があるに決まっとろー。用事がなければ、テルなんぞせんデショ…。でなぁー。お手数やけど、精霊管理事務局に繋いでくれんかのぉー」
『しばらくお待ちください』の言葉に続き、軽やかな保留音が流れる。
メロディーは、何故かポーランド民謡の『ククウェチカ』だ。
「カッコォー、カッコォー♪カッコ、カッ…。あっ、もしもしぃー。わらしじゃ。女王じゃ。あーもう。時候の挨拶なんぞ、どうでもエエわい。ちぃーとアータの部署に、注文があります…」
メルはジュディットに抱えられた(捕獲された)姿勢で、ユグドラシル王国の精霊管理事務局に連絡を入れた。
頭の上に載せられたオッパイが重たい。
小さな娘を抱くと頭にオッパイを乗せて楽をしようとするのは、アビーも同じだった。
無視しようとしても気になるし、煩わしい。
「いや。苦情とかではないヨォー。だけど迅速な対応を要請します。人魚さんの件デス。そちらでビルドした、人魚さんのデザインなぁー。ざっくりと説明してんか。うんうん…。ハァーッ?絵本のストーリーをギミックに組み込んであるとな…。なんねぇー、それは…!?」
メルの眉間に縦皴が刻まれた。
「あらららら…。参考資料は、兄さんが送ってきたアニメ動画かい!声と交換で足が生えるとか、アホですかぁー。ほんなら、悪い魔女に騙されるのも必要条件なの…?まったく要らん設定じゃ。エエですか。当人が望めば、いつでもマーメイドタイプとヒューマンタイプを移動できるようにせぇや。そそ、そうデス…。変身用の魔法術式を装身具に仕込んで送りなさい。んーっ?それだと人魚が海に棲まんようなるってか…。エエやん。陸で暮らしたって、構へんよ。王子さまに振られると、泡になって消える設定も無しじゃ!分かったな。分かったなら…。いま、すぐデス。パパッと魔法具を作ってください!!」
プピッ!
以上、通話終了。
「フゥーッ」
メルは携帯念話装置をポーチに戻し、額に滲んだ汗を腕で拭った。
(こうしておけば、僕が海底に連れて行かれることはないだろう!)
何しろボッチ人魚のジュディットは、友だちになったメルを放そうとしない。
お持ち帰りするつもりなのが、見え見えである。
妖精パワーを行使すれば、ジュディットから逃げるのも容易かろう。
しかし、それではジュディットの心を傷つけてしまう。
(ボッチを拗らせると、人付き合いで過敏になるんだよなぁー。挙句の果てに、相手から嫌われるような真似をしてしまう。どうにも厄介だよね)
このままでは今夕を待たずして、竜宮城へご招待だ。
「海の底はイヤじゃ!」
幾ら寂しん坊のためでも、料理が作れないところへなど行きたくなかった。
であるからしてジュディットには、陸で生きる決意をしてもらわなければ困るのだ。
◇◇◇◇
メルはジュディットを宥めすかし、抱っこ人形の役をラヴィニア姫と交換して貰った。
「どういうことなの、メルちゃん?」
ラヴィニア姫が不安そうな顔で訊ねた。
「抱っこされとったら、お料理でけへんから…。ちょっとの間だけ、我慢してくらさい」
気分はもう、友人のセリヌンティウスを身代わりにしたメロスだ。
ラヴィニア姫を海底に連れ去られるわけにはいかない。
何としても美味しいものを用意して、ジュディットに海より陸がよいと思わせなければならなかった。
そして料理は陸でしかできないと、納得させるのだ。
(ジュディットを虜にしたいなら、おそらく甘いものだ。海産物で甘いものなんて、ちょっと思いつかないもんな。だけど甘さがくどいと、慣れていないから嫌がるかも知れない)
こんなときこそ和菓子である。
干し柿より甘いものを下品と考える和菓子。
「自然の甘さデス!」
しかし残念ながら、これといった和菓子の作り置きがない。
甘さ控えめの餡子はあるけれど、真っ黒な見た目がネックになる。
(メジエール村でも、餡子は人気がなかった。黒いとダメだ。せめて何かで包まなきゃ…)
メルは岩の上に置いた魚をチラ見した。
ジュディットが獲ってきた魚は、形のよい鯛だった。
「赤魚…。真鯛か…?んっ、タイ…?」
たい焼き…。
たい焼きの型は、ゲラルト親方が拵えてくれたものを持っている。
「ピンと来ました!」
運命の導きには素直に従う。
閃きは大切にしないといけない。
「タイのお礼は、たい焼きやね!」
大判焼きの型も持っているけれど、ここはたい焼き一択だろう。
考えてみれば、作り置きを出しても意味がなかった。
ジュディットのまえで、料理をして見せることが大事なのだ。
「好都合じゃ。海中では料理できんことを教えたる」
メルは兎さんのポーチから、折り畳んである背嚢を取りだした。
ポーチでは口が小さくて、大きな道具を収納できない。
長細い釣り竿などは入るが、箱モノは無理だ。
なのでポーチには背嚢を入れてある。
「よいせェー!」
背嚢に収納してあった道具や材料を地面に並べていく。
「メル姉、手伝うぜ!」
「デブ、コンロは任せた」
ダヴィ坊やが、魔法コンロを手早く組み立てた。
たい焼きの型をコンロに載せると、さっそく火の妖精が加熱し始めた。
メルは分量の粉をボールに篩い、水を注いで混ぜ合わせる。
使用するのは薄力粉と水。
卵、牛乳、ベーキングパウダー、重曹などは使わない。
塩と砂糖がポッチリだ。
「たい焼きの皮は、カリッとサクッと」
目指すは、薄くて灰色のたい焼きだ。
ふんわりとして黄色い、カステラのような生地は作らない。
小豆の風味を活かした、薄皮のたい焼きを作る。
「メルちゃん。何してるの…?」
ジュディットは興味津々で、メルのしていることを見つめていた。
「これはデスネェー。料理と言うて、美味しいものを作るデス」
「おいしい…。ちーずかまぼこ…?」
「チーズかまぼことちごぉて、甘い菓子ですわ」
メルは胸を張って答えた。
「ふーん。あまい…?あまいって、どんなかなぁー?あたしも食べたいなぁー」
「ジュディ姐さんのために、心を込めて拵えます」
「やったぁー!」
ジュディットが興奮してヨダレを垂らした。
ラヴィニア姫がハンカチで、ジュディットのヨダレを拭いた。
熱した焼型に油を塗り、慎重に生地を流し込む。
右側の焼型と左側の焼型に、トロトロの生地をレードルで注ぐ。
「こんなもんかのぉー」
たい焼きの生地は多すぎず少なすぎず、形を損なわないように気をつける。
「メル、生地が少なくない?」
傍で見ていたタリサが、不満そうな顔で言った。
「アンコが入るけぇー、生地は薄めにせんとアカン。何ならタリサのは、生地だけで焼いたるわ」
「何よぉー。ちょっと気になったから、口にしただけでしょ。アンコは尻尾まで、たっぷりと入れてね!」
「フッ。心配は無用デス。これまで、アンコをケチったことはありません!」
いつだって、アンコはたっぷりだ。
沸々と泡が浮き始めた生地の片側に、ドーンとアンコを載せる。
そして接着用の生地を足してから、焼型の左右をベシッと折り畳む。
両面を焼きながら待つこと暫し、たい焼きの完成だ。
「出来たぁー!」
「お魚みたいだねぇー!」
「たい焼きですから…」
「ちょうだい!」
一個目のたい焼きは、ジュディットが驚きの速さで食べ終えた。
「パリパリ。これが、あまいなの…?黒いの、おいしぃー!」
「したら二個目は、海の中で食べてください」
「……うん?」
ジュディットはメルに手渡されたたい焼きを持って海に消え、すぐに戻って来た。
「ベチョベチョになった。しょっぱくて、おいしくないよぉー!」
何だか、もの凄く悲しそうである。
「ふむふむ…。なるほどぉー。やはりでしたか…。そうなるとぉー。美味しいを楽しみたければ、ジュディ姐さんも陸で暮らす必要がありそうですね」
メルが真面目くさった顔で、ウンウンと頷いた。
「…………メルちゃん。あたし、人魚だよ。陸では泳げないよ」
「陸では泳ぎません。陸で暮らす人々は、二本の脚を使って歩くのです。人魚さんでも人間に変身できる魔法の道具が、わらしの手元にあります。これを使えば、ジュディ姐さんだって簡単に足を生やせるでしょう」
「それ、くれっ!」
ジュディットは、メルの方に両手をつきだした。
些かの迷いも見せず、即決である。
宝物の石は、砂浜に捨てられた。
「これな…。指に嵌めて」
メルはユグドラシル王国の精霊管理事務局から送られてきた魔法の指輪をジュディットに渡した。
指輪を着けたジュディットの尻尾は、瞬く間に二本の脚へと姿を変えた。
「うぉー。足が生えた!見てみて、足だよぉー!!」
ジュディットが自分の身体を見下ろし、喜びの声を上げた。
困ったことに、ジュディットはすっぽんぽんだった。
「……ッ!」
ダヴィ坊やはたい焼きを口に咥えたまま視線を逸らし、じりじりと後退した。
「メルちゃん。人魚さんの衣装は、用意してないのですか…?」
「はい…。この展開は考えてませんでした」
メルの視線が宙を泳いだ。
「人間になったのに、ハダカは不味いです」
ティナが眉を顰めた。
「デブ、こっちを見たら承知しないよ」
「見るか、ボケェー。早く、何とかしてくれ!」
タリサがバスタオルをポーチから取り出して、ジュディットの身体に巻きつけた。
だけど恥じらいとは無縁な孤高の人魚に、身体を隠す必要性など理解できるはずもなかった。
「ヒャッホォー!」
「ああっ。じっとしてなきゃ、ダメでしょ」
無邪気に走ったり飛び跳ねたりするので、はらりとバスタオルが落ちる。
「このっ…」
ジュディットの後を追いかけるタリサの眉間に、青筋が浮いた。
ボッチ人魚が人間に変身しても、問題は山積みだった。
「これはぁー!?」
メルが頭を抱えた。
ジュディットのボディーは、メルやラヴィニア姫の幼女体型と違う。
女性らしい曲線美を兼ね備えた、若い娘の身体だ。
屋外で全裸は、絶対にヤバかった。
「人魚だと胸が見えていても神秘的でしたけど、人になったら滅茶クチャ破廉恥ですね!」
ティナの評価は容赦なかった。
しかし、それこそが世間一般の反応だろう。
「うーん。一から教育しないと駄目っぽいかな…」
ラヴィニア姫も難しい顔だ。
「わらし、魚を捌くわ」
メルは鯛のウロコをこそぎ落とし、喉から包丁を入れて腹開きにした。
鰓と内臓をキレイに取り出して、砂浜に捨てる。
「一夜干しにして、食べよう」
現実逃避である。
正直に言えば、ダヴィ坊やと一緒に逃げたかった。
「フゥーッ。幸せって、難しいのぉー」
妖精女王陛下の責任は重い。








