魔法のコックさん
一通り…。
やれることを見せてしまったメルは、腰に手を当てフレッドの判断を待った。
前世記憶にあるアニソンのリズムで腰が揺れているのは、ご愛敬である。
何しろ幼い女児なので、ジッとして待つコトが出来ない。
『気をつけ』は小学生からだ。
メルには、まだ難しかった。
「何だ…。それで終わりなのか?」
フレッドが作業を止めたメルに訊ねた。
「……んっ」
意味が分からなくて、メルは首を傾げた。
「料理を作らんのか」
「こんろ…。つこぉーて、エエの?」
メルが訝しげな様子で訊ねた。
料理をするなら、コンロを使わなければいけない。
フレッドは何より火を危険視していたので、作業を中断したのだ。
「俺とアビーが見ているんだぞ。使って良いよ。それに…。ハンスの話を信じるなら、それこそ今更だろ」
「パパとママは、メルちゃんの作ったお料理を食べてみたいの…」
これを聞いて、メルの顔がぱぁーっと明るくなった。
ハンスとゲラルト親方のせいで食べ損ねた、カレーライスが作れる。
それもフレッドやアビーに、食べてもらえるのだ。
家族で一緒に、カレーライスが食べれる。
(今日こそ、カレーライスの日だ…!)
なんて幸せな話だろう…。
メルは舞い上がった。
「ひゃっはぁーっ♪わらし、かりー作ゆ。ぱぱぁ、ままぁ、イッショ。メルと食べゆ!」
「うんうん。美味しく作ってね」
「楽しみにしてるぞ」
「ガンバゆー!」
メルがガッツポーズで答えた。
(ただの現場検証かと思ってたけど…。ホントに作って良いとなれば、手順が違うでしょ。材料を揃えていないし、お米の準備だってしてない…!)
メルは先走って刻んでしまった玉葱をボールに移した。
ニンニクと生姜も、小皿に取っておく。
(まな板は野菜の下拵えと、お肉の準備に使うから開けておかなきゃ。そんでもって、土鍋だよ。ご飯を炊くんだ。あれあれ…。お肉が使っちゃって無いじゃん。花丸ショップで買わないと…。ああーっ。何をしているんだ僕は…。肝心のカレールーも、買わなきゃダヨ!)
ラッシーも作るなら、それなりに材料が必要となる。
気ばかり逸って、考えがまとまらない。
メルはフレッドとアビーが見ているまえで、クルクルと回った。
女児の頭がパニックである。
「まて…!待って。わらし、ヨウイしゅゆ…」
「おう。いきなりだったからな。必要なモノを揃えておいで」
「メルちゃん、待ってるよォー」
「うん!」
メルは食堂に置いてあった背嚢をひっつかむと、裏庭にダッシュした。
二人に注目されていると、小さな脳が硬直してしまう。
興奮しすぎて、メルの顔が赤らんでいた。
「あなた、あの背嚢…」
「知ってる。空っぽなのに、何か入ってるんだ。さっきも…。シレっとした顔で、包丁を取りだしやがった。俺は見てたぜ!」
「あんな魔法、聞いた事ある?」
「残念ながらオマエの夫は、魔法使いでも魔法博士でもないんだよ。火魔法しか使えない、脳筋の魔法剣士なんだ…。魔法に関するコトなら、アビーの方が俺より詳しいだろ?」
フレッドがお手上げだとばかりに、店の外を指さした。
「精霊の樹…!一晩で大木が生えちまうんだから、箒に跨った女児が空を飛んでもおかしくねぇや」
「フレッドも、魔女さまと同じことを言うのね」
アビーが驚いたような顔をした。
「なんじゃそりゃ?」
「森の魔女さまがね…。精霊の子を気にかけてやるのは良いけれど、いちいち詮索すると頭がおかしくなるから、止めておけって…」
「なんて的確なアドバイスだ!」
「ダヨネ…」
二人は悩むのを止めて笑った。
酒場夫婦の一人娘は、謎だらけの不思議ちゃんだった。
フレッドとアビーは、それでも構わなかった。
メルが笑っていれば満足なのだ。
暫くすると、銀に近い金色の髪を揺らしながら、ちいさなエルフ女児が戻ってきた。
その両手には、大きな土鍋が抱えられていた。
「おっ、ちいさなコックさんのお出ましだ…。メル、その鍋を火にかけるのか?」
「まらっ!あわてゆ、ダメ…。まつ」
「開けてみて良い?」
「よい。でも、コンロ。まらヨ!」
アビーは蓋を開けて、水に浸かった米を見た。
「初めて見る食材ね…」
「どこで仕入れたんだよ?」
「いちいち詮索すると…」
「しないよ。だけど疑問に思うのは、仕方ねぇだろ。独り言だよ!」
フレッドは、少しだけ切れ気味に言った。
「あの背嚢から、水桶とか柄の長いモップが出てくるところを見たことある?想像してみてよ。私は腰が抜けるかと思ったよ」
「……そんな事があったのか?」
「エミリオの豚を治療しに行ったとき…。背嚢より大きな物が、バンバン出てくるんだよ!」
「まじかぁー。こえぇーヨ!」
フレッドとしては見たいような見たくないような、とても複雑な気分である。
物理的な不条理は、剣を頼りに生きてきたフレッドの心を容赦なく揺さぶるのだ。
ミュインと伸びる剣とか、そういう代物は反則だった。
だって…。
そんな武器が存在したら、間合いが見切れなくなってしまうじゃないか。
卑怯上等の武闘派冒険者であっても、得物が伸び縮みするのは絶対に止めて欲しかった。
想像するだけで、身がすくんでしまう。
(これからは、近接戦を避けるようにしよう…!)
この用心深さが、フレッドの持ち味だった。
フレッドが横道に逸れたコトで頭を捻っているとき、メルはコンロのまえに足場となる木箱を設置していた。
そして再び裏庭に取って返すと、下拵えの終わった野菜を運んでくる。
「やぁー。おリョウリ、カイシ…!」
メルは仔牛の頬肉を食べやすいサイズに切り分けた。
更に下味を付けてから、小麦粉を振る。
そして表面だけを軽くソテー。
お肉を取り皿に載せたら、汚れたフライパンはシュパッと水の妖精が洗浄。
再びフライパンに油を引いたら、下拵えを済ませたナスとパプリカをサッと炒める。
パプリカの食感は残したい。
だから火の通し過ぎは良くないのだ。
コンロに深鍋を置いて油を大目に注ぎ、ニンニクと生姜を投入。
弱火で焦げないように香りをだす。
「おっ…。良い匂いがしてきたな」
「まらまら…。こえ、ベースなの」
いい感じのところで、玉葱をごそっと加える。
火加減は妖精にお任せで、メルは飴色になるまで玉葱をかき混ぜる。
これが女児にはきつい。
「焦げないように、かき混ぜれば良いの…?」
「うん」
「どれどれ、私がやって上げるよ」
アビーが大きな杓子をメルから取り上げると、玉葱を炒めだした。
「ありあとぉー」
「どういたまして…」
「止めろアビー。どういたしましてだ。メルの真似をするな」
「ほいほい…」
幼児用語は、悪しき疫病の如く伝染する。
可愛いから…。
「コメぇー、にる」
メルの知る限り、この世界に炊くとか研ぐなどの調理用語はなかった。
そもそも米が見当たらない。
メルは土鍋をコンロに置いて、火の妖精さんにお任せした。
〈ゴハン炊いて…。この前と同じでOKよ♪〉
〈心得たぜ。任しときな。ヒャヒャヒャ…〉
実に心強い味方だ。
ヒトには通じない頭の中の言葉が、妖精たちには通じる不思議。
摩訶不思議…。
だがメルは動じたりしない。
不思議は、メルの本質だから…。
悩み始めたら、一発でフリーズする自信があった。
「つぎぃー。らっしー!」
手鍋より大きめの鍋に、ミルク、ヨーグルト、蜂蜜を混ぜ合わせたら、今日はブルーベリーの代わりに白桃を放り込んだ。
酸味を加えるために、少量のレモン汁も注ぎこむ。
ラッシーの準備はここまでだ。
冷たく飲みたいので、氷はクラッシュさせる。
風の妖精さんに依頼するのは、カレーが仕上がってからだ。
アビーのかき混ぜていた玉葱が飴色になったので、水を加えて煮立てる。
そこに取り分けてあった仔牛の頬肉をドボドボと沈める。
「ごーじゃす…」
花丸ポイントを大量消費して、たくさん購入した高級肉。
美味しく、プリプリに煮えてください。
ここでカレーのルーが登場。
うまうまカレー中辛だ。
「はぁー。エエ、におい…」
パキッと割ったルーのブロックをクンクンと嗅ぎながら、メルは陶酔した。
ルーが入っていたパッケージに鼻を突っ込んで、スーハー。
紛うことなき、カレーの匂いである。
かれーだ、カレーだ、カレーライスだ。
今日はぁー、カレーの日ぃ~♪
コンロのまえで歓喜のダンス。
お玉に載せたカレーのルーを鍋に入れて溶かす。
もわっと、カレーの匂いが立ち昇った。
もぉー、堪らない。
「ぬおぉぉーっ。スゲエな、この匂い。香辛料か?」
「うっはぁー。美味しそぉー!」
「あはははっ…。わらし、コックさん!」
メルが偉そうに胸を張った。
足台に載ったエルフ女児が、ドヤ顔である。
その手は確りと、チャツネが保存されたビンを握っていた。
メルが精霊の実で拵えた、特製チャツネだ。
疲れも病気もぶっ飛ぶ、強力な魔法素材だった。
チャツネ、投入。
うまうまー。
ふぅー。
やっとカレーライスが食べれるね。
次話のサブタイトルは、家族でカレーライスだよ。