チョコレートが買えない
エルフ耳に和毛を生やした少女は、言わずと知れたユグドラシル王国の妖精女王陛下デアル。
ミジエールの歓楽街でメルが奇妙な踊りを披露しているのは、訳あってのことだった。
事の起こりは下記の如くだ。
先日、無性にチョコが食べたくなったメルは、花丸ショップの商品棚を隅から隅まで探した。
以前は簡単に買えたチョコレートなのに、このところ花丸ショップで見かけない。
『解せぬ!』
何度もページを切り替えて諦めずに探したら、なんと非売品のリストが発見された。
それらは、条件付きのレア商品だった。
『なになに…。ここに表示された商品は、指定された条件を適えた場合にのみ、入手可能…?』
由々しき事態であった。
欲しいものが、欲しいときに買えない。
花丸ポイントは、二百億Pも貯まっているのに…。
なんと花丸ショップは、これまでの購入履歴からメルの好みを把握して、商品にロックをかけてきたのだ。
各地の穢れを浄化するだけで、好き勝手に買い物ができる時代は終わりを告げた。
『ふぉーっ、チョコ発見!ムムッ…。【ヨイ子のご褒美チョコ】とな…?』
怪しげな商品名からしてもう、妖精女王陛下を犬扱いしていた。
いつまで経っても女の子らしくならないメルに業を煮やし、オヤツで躾けようとの魂胆が透けて見える。
ユグドラシル王国の妖精たちも、そこはフレッドやアビーと大差なかった。
自分たちの妖精女王陛下に、お淑やかさを望んでいるのだ。
それでも花丸ショップから王子パンツが削除されないのは、妖精たちがボーイッシュ派とお姫さま派に分かれていたからだ。
因みに、ボーイッシュ派は少数派である。
思いのほか、妖精たちは保守的だった。
悪い子でも良いことをすれば、花丸ポイントがもらえる。
ダヴィ坊やの虫アミをへし折ったり、ティナのスカートをめくっても、花丸ポイントが引き算されることはない。
それは今でも変わらなかった。
ただしチョコレートが食べたければ、商品に記載された条件をクリアしなければならない。
『いと、めんどう臭し!』
――カワイイは正義!――
皆から、カワイイと褒めてもらおう。
カワイイを百P集めると、【ヨイ子のご褒美チョコ】がアンロックされるよ。
だけど皆に事情を説明して助けてもらったり、同じ人に何度もカワイイと言わせても、ポイントには加算されません。
『ほんなん、ちょろいですわぁー。わらし、美少女ですもん』
ちっとも、ちょろくなかった。
ラヴィニア姫なら楽勝なカワイイPの獲得も、メルには厳しかった。
メジエール村の住民たちは、メルが何をしてもカワイイと言ってくれない。
『アカン…。腰抜け冒険者どもをエクスカリボーで殴りまくったのが、わらしの印象を悪ぅーしとる。カール爺さんの納屋を壊したのも、不味かった』
可愛らしさでカテゴリー分けするなら、メルは【残念な娘】に分類された。
見た目は可愛いのに、やることが可愛くない。
冒険者たちが悪魔チビと呼んだように、メジエール村の住民たちもメルを小型の猛獣だと考えていた。
要注意なちびっ子である。
主婦やお婆ちゃんたちの好感度は高いけれど、それもしっかり者としてであり、可愛らしさとはベクトルが真逆だ。
この人に歴史あり。
歴史なので、そうそう簡単には覆せない。
お姉ちゃんはしっかり者で、弟のディートヘルムが可愛らしい。
どこへ行っても、この評価は変わらなかった。
『ぐぬぬぬっ…。こうしてみると、なんかムカつくわ。姉もカワイイで、エエやろ。グレるで、ホンマ…!』
三日かけてカワイイPは、二十に届かなかった。
なのでメルは、メジエール村を離れることにした。
『ちっ…。メジエール村はアウエーじゃ。こうなったらミジエールの歓楽街で、カワイイPを稼いだる!』
斎王ドルレアックはメルに【カワイイの極意】を訊ねられて、何となく事態を察した。
なので深く追及することはせず、『メルさんなら、歌って踊ればよろしいのでは…?』と、当たり障りのない助言を与えた。
斎王ドルレアックと水蛇ザスキアは、妖精女王陛下の気まずい部分にできる限り触れたくなかった。
可愛さとかで妖精女王陛下の嫉妬を買えば、生きざまを変更しなければならない。
それが嫌なら、薮を棒で突くような真似は避けるべきなのだ。
こうして斎王ドルレアックから教示を受けたメルは、歌いながら踊った。
ミジエールの歓楽街に暮らす者たちは、その大半が邪精霊である。
自分たちの街で小さな妖精女王陛下が歌って踊れば、それはもう可愛らしい。
『何だか、雰囲気からして違うのぉー』
駅前のショッピングモールで、人気アイドルのサイン会が催されたようなものだ。
モテモテで、誰もがちやほやしてくれる。
メルのカワイイPは、ガンガン増えていった。
『最初から、ここへ来れば良かったんじゃ!』
しかし…。
ミジエールの歓楽街で暮らす邪精霊は、頭数に限りがあった。
『九十を過ぎたあたりで、ピタリとポイントが止まりよった』
それから数時間、いくら頑張ってもカワイイPは増えなかった。
あと数ポイントが稼げない。
『そんなぁー。また負け犬の如く、移動するんかぃ?』
大いに自己イメージ(カワイイ)が、損なわれた。
しかし、それでもメルはチョコレートが食べたかった。
◇◇◇◇
「やあ…。可愛らしいお嬢さん。ちょっと、お訊ねしてもヨロシイだろうか…?」
「……ムッ?」
スカート丈が短いクリームイエローのワンピースを着た少女は、ポラック兵長の台詞に反応して振り向いた。
バネ仕掛けの人形みたいにパーン!と跳ねて、身体ごと向き直った。
「うぉ!」
ポラック兵長は、その動きに面くらった。
「どちら様ですかぁー?」
少女は腰を折り、上目遣いでポラック兵長をジッと見上げた。
あざとい。
ちびっ子の魅力を前面に押し出した、媚び媚びのポーズだ。
少女の背中で、薄い板がカシャカシャと音を立てた。
「あっ。これは失礼いたしました。わたしは、ポラックと申します。辺境を旅する者で、各地の風俗などを記録しております」
「フゥーゾク?」
「人々の暮らしぶりとか…。伝統ある祭りやダンスに音楽、建築物の様式に日々の食事まで…。それはもう節操なく、片端から記録させて頂いています」
「ふむふむ。アータのお仕事は、ビンス爺ちゃんみたいですわ」
「はあ…。ビンスさんのお名前は寡聞にして存じ上げませんが、ご同業の方がいらっしゃるのですね」
「ビンス爺ちゃんは、お料理のレシピを蒐集されています」
「なるほどぉー。失礼ですが、お嬢さんのお名前を伺っても…」
「おおっ。わらしの名は、メル言います」
「メルさんですか…。これはまた、可愛らしいお名前ですね。ところで、お訊ねしたいのですが、ここはメジエール村でしょうか?」
「うーん、惜しい。ちと違う」
メルと名乗った少女が腰に手を当て、うな垂れて見せた。
一々仕草が、芝居がかっている。
「違うのですか…。惜しいとは…」
「ココなぁー。ミジエール言います。ミジエールの歓楽街。大人のムフフな街ヨ!」
一瞬、品のない顔になって、メルがムフフと含み笑いをした。
「ミジエール…」
「メジエールとミジエールで似とるから、惜しい。残念でしたぁー」
「では、メジエール村はどちらに…?」
「あっちじゃ!」
「あっち?」
「歩きだと、到着するまでに一日は掛かるのぉー」
「うはぁー。それは遠い。不便ですね」
ゆいいつ外界と通じる桟橋が遠くに位置するのは、メジエール村を隠そうとした結果だ。
調停者クリスタは、村人たちの利便性より安全性を重視した。
「お金を払えば、あっこで馬車に乗せてもらえます。切符は千メルカじゃ」
「貧乏旅行者には、ちと厳しい乗車賃ですね…。親切なお嬢さんに甘えて、もうひとつお聞きしたいことがあります」
「なんね…?遠慮せんで、ちゃっちゃっと聞いてや」
「調停者さまが、こちらにいらっしゃると耳にしまして…。ご存じでしょうか?」
「ちょーていしゃ…?」
「クリスタさまと申します」
「ほんなら、婆さまのことかぁー」
「クリスタさまをご存じで…?」
「森の婆さまなら、おらんでぇー」
「えっ!」
「なんか帝都で、色々と忙しいのね。『ミッティア滅ぼす!』言うて、息巻いてましたわ」
ポラック兵長の顔から、サァーッと血の気が引いた。
メルの目は、ポラック兵長の正体を看破していた。
ポラック兵長が使っている隠蔽の魔法では、メルを騙せない。
(こいつエルフじゃん。ウスベルク帝国で禁止された魔道具を装備しているから、ミッティア魔法王国の密偵だな。そのうえ、邪妖精まで従えている…。効きもしない魅了の魔法が、ウザイなぁ。うーん。どうしてくれよう。このイケメン)
ポラック兵長が従える邪妖精たちは、妖精女王陛下に気づいて落ち着きをなくした。
メルの方へ来たいと、一生懸命にアピールしている。
カワイイPが欲しいメルに止められなければ、今すぐにでもポラック兵長を裏切る構えだ。
メルは石畳にスケートボードを置き、ヒョイと飛び乗った。
既にポラック兵長からは、カワイイPを貰った。
何とかして、残る三ポイントを稼ぎたい。
「アータ、お一人ではないですよね?」
「おや、見抜かれましたか…。あちらの茶屋で、仲間たちを待たせております」
「わらしも甘味は好きです」
「はぁ…?」
「餡子の白玉が食べたいです」
「アンコの、シラタマですか…。わかりました」
『甘味ごときで動揺するところを見ると、路銀に余裕がないな』と、メルは推測した。
メルが足でこぐと、スケートボードはゴトゴト揺れながら進む。
大通りの石畳は美しいけれど、凹凸があってスケートボードに適さない。
欄干の端っこにそそり立つ擬宝珠が邪魔で、レールスライドの練習も出来なかった。
悪路でオーリーを決め、オーリーからのヒールフリップを成功させる。
ジャンプしながらボードを一回転させて着地すると、ポラック兵長が拍手した。
「すごいなぁー。そうやって遊ぶのかぁー」
「ウヘヘ…。わらし、スケボー先生ヨ」
口から出まかせである。
スケートボードは、まだ始めたばかりの初心者だった。
ヒールフリップだって、三回に一回しか成功させられない。
魔法学校のスケートボードパークで練習できるチルたちは、高難易度の複合技をバンバン決める。
技量で引き離されてしまったメルは、生徒たちに勝ち誇られるのが悔しくて魔法学校のスケートボードパークを利用できない。
そうなると、スケートボードの練習をする場所がなかった。
アレヤコレヤと忙しくて、充分な時間も割けない。
ときおり、メジエール村の舗装路でオーリーの練習をするのが、精一杯だった。
『もうスケボーは止めようかな!』と真剣に悩むメルだけど、ポラック兵長に褒められて続ける気になった。
誰かに自慢できるなら、もう少し頑張ってもよい。
メルは勝てないと分かれば、簡単に努力を投げ出してしまうタイプだった。
(だってさぁー。我々に与えられた時間は、有限なんだよ!)
未だ病床にあった前世のリアリティーに、囚われている。
多分おそらく、精霊の子はエルフより長生きだ。
努力を積み重ねれば、やがては輝ける星となる。
(まあ…。止めるのが勿体ないと思う程度には、スケボーが楽しいんだけどね)
因みにメルは、投擲に関して驚くほどの技量を持つ。
自室の床に寝転がって鼻をかみ、丸めたチリ紙をゴミ箱へ放り投げる。
不精者ゆえに、立ち上がってゴミ箱まで歩こうとは考えない。
食べ終えたお菓子の袋やアイスの棒も、ゴミ箱に投げ捨てる。
位置が悪ければ、壁にバウンドさせてゴミ箱へ落とす。
それだけでなく、歯磨きが終わるとカップを放って壁のフックに引っかける。
更に歯ブラシを投げて、カップに挿す。
当然、最初は風の妖精たちが手伝って、投擲物の軌道調整をしていた。
だけど最近では、風の妖精たちに出番が回って来ない。
こうして磨かれた投擲スキルもまた、メルを【残念な娘】にカテゴライズさせる要因の一つだった。
メジエール村の苛めっ子たちは、ほぼ例外なくメルに泥団子をぶつけられて泣かされた覚えがある。
メルは【卑劣なチビ】又は【ミツアミ泥団子】と呼ばれ、とても恐れられていた。
メジエール村の子は服を泥まみれにすると、こっぴどく親から叱られる。
老若男女を問わず、辺境の地では衣類が大切に扱われているのだ。
『わらし、知らんヨォ��。冤罪ですわ。濡れ衣です』
ねじ込んできた悪童の親に、メルは平気な顔でしらばっくれた。
悪童たちが襲われた現場付近では泥団子を作れないので、アリバイも完璧だった。
妖精パワーによる遠投は、遥か彼方からでも狙った標的を撃ち抜く。
それを知るのは、幼児ーズのメンバーと被害に遭った悪ガキだけである。
『ホントーに、わらしを見たんですか…?ちゃんと、○○くんを問い詰めてくらはい』
泥団子をぶつけられた苛めっ子は、メルの姿を視認できていないことが多い。
フレッドとアビーはメルの自己弁護に口を挟もうとせず、知らぬ存ぜぬだ。
たぶん苛めっ子の親にも、なにがしかの問題があるのだろう。
そこには明白な差別があった。
ヨイ子を誤射した際には、親から苦情が来なくてもアビーに手を引かれて謝りに行ったので、まず間違いなかった。
誤射は良くない。
巻き添えを喰らった子に、申し訳ない。
五日間の外出禁止も、メルを打ちのめすには充分すぎる罰だった。
『要するにだ。オマエが的を外さなけりゃ良いのさ』
コッソリと、フレッドが耳打ちした。
とんでもない親である。
悪魔の囁きを真に受けたメルは、ますます投擲スキルに磨きをかけた。
そして可愛らしい娘から、どんどん遠ざかって行ったのだ。
(メルの容姿があれば、百ポイントくらい簡単に稼げると思ってたよ。みんな女子の振舞に、煩すぎやしないか…。僕は男なんだよ。お淑やかって、メッチャ辛いわ!)
メジエール村の住民たちは精霊の子に注目していたし、アレヤコレヤを詳細に覚えていた。
(人の噂も七十五日と言うけれど、消えるのは噂だけです。ご近所さんは、過去の出来事を絶対に忘れてくれない。村社会って世間が狭いし、大した事件も起きないからなぁー。ちくせぅ)
今さら嘆いてみても、仕方なかった。
過去は消えてなくならない。
故にメルを知らない余所者は、とても貴重だった。
さっさとチョコレートを手に入れたければ、ミッティア魔法王国の密偵を誑かす必要があった。
メルは美少女の微笑みを顔に貼りつけ、ポラック兵長が指さした茶屋の入口でスケートボードを止めた。