メジエール村の自浄作用
フレッドとアビーはメジエール村の南方にある牧草地帯で、仲間たちと合同演習をしていた。
十名ほどの男たちが練習用の武器を手にして、短時間の打ち合いを何度でも繰り返す。
気合いの入った打ち合いではないが皆の顔つきは真剣であり、木剣でのやり取りにも慎重さを感じさせた。
打ち合いの感触から、自分の動きを確認している感じだ。
「どうにも鈍ってるな…」
「何だかよォ…。間合いが遠く感じねぇか?」
「互いの踏み込みが足りないから、遠く感じるんだ!」
「やれやれだぜ…」
フレッドたちはメジエール村に転げ込んでから、村の狩人と協力して危険度の高い魔獣退治などを行ってきた。
だが、対人の戦闘は全くしていない。
メジエール村には、武力排除が必要なシーンなどない。
村人たちには武器を腰にさげて出歩かないし、危険な凶悪犯も存在しない。
フレッドが冒険者ギルドに居た頃であれば、ふざけ合いからの決闘など然して珍しくもなかった。
しかし居候中の村で、差し迫った事態でもないのに剣を抜き放つのは無しだった。
それが剣の練習であっても、禁止である。
そもそも村人からすれば、ふざけ合いか本気の斬り合いかの見分けなど付くはずもない。
訓練中だと言えば、『何処が攻めてくるんだ…?』という話になる。
不穏な空気が村に流れたなら、つるし上げを食うのはファブリス村長だ。
そしてファブリス村長は、村人たちに何か説明するのが苦手だった。
だからフレッドたちに、『正体をあかすな!』と注文を付けた。
来るものを拒まない妖精の里は、傭兵であろうが、泥棒であろうが、転げ込んできた者たちを分け隔てなく迎え入れる。
そこには精霊さまの意図が働いているからだ。
ではあるモノの、村人たちは普通に疑問を持つし、不安を感じたなら村長に訊ねる。
『なんで精霊さまは、傭兵なんぞを招いたのかのォ…?』
ファブリス村長としては、村人たちを宥めるのが面倒くさい。
何しろ精霊さまの考えなど、ファブリス村長にも分からないのだ。
分からないものは、どうしたって説明できない。
更にいえば、村人たちよりファブリス村長の方が、ずっと不安に感じていたのだ。
フレッドたち傭兵隊の存在を…。
「全盛期の六割がいいところだ…」
「基礎体力もだけど、対人戦闘の勘が鈍ったわ…。これじゃ現役を相手に立ち回りは、ムリよ」
「はぁー。村の中で練習できないのが辛いな…」
フレッドの台詞にアビーが頷いた。
メジエール村の治安を維持するとなれば、斬り合いで勝てるだけでは話にならない。
相手を圧倒しなければいけないのだ。
フレッドたちも鍛錬を怠っている訳ではない。
実際にかなり強い。
鍛え上げたスキルや経験で言えば、現役冒険者を相手にしても引けを取らないだろう。
攻め入るなら、これで充分なのだ。
「村を守るってのは、なかなかに難儀な任務だ」
「もっともギルドの連中と敵対する訳じゃないから、がつんと強さを印象付ければ良いだけでしょうが…」
「反抗的なバカどもを黙らせるのは、えらい大変だぜ」
「そりゃ、フレッド。あんたの仕事だ!」
ハーディが隊長であるフレッドを練習用の木剣で指した。
ハーディの息は上がっていた。
フレッドの相手をさせられて、ヘトヘトになっていたのだ。
冒険者ギルドは緩い組織である。
緩いがゆえに、勢力を拡大してきた組織だ。
ルールは少なく、違反者を取り締まる仕組みも弱い。
個人主義が罷り通るので、腕に覚えのある乱暴者が頭角を現す。
規律を重んじる熟練者のグループと、乱暴者たちの格差が大きかった。
両者は互いに不要な干渉を避け、冒険者ギルド内で住み分けている。
だから礼儀知らずのクズに、行儀を教える者が居ない。
フレッドたちの仕事は、後者を叩きのめして再教育するか、二度とメジエール村に足を踏み入れないよう叩きだすか、の二択である。
「できれば再教育だろうな…。再教育が望ましい」
「森の魔女さまが、精霊さまの魔法結界について説明してくれたよ。メジエール村は、強固な魔法結界に守られているんだってさ…。だったらクズどものケツを蹴り上げて、放りだすのも有りじゃない…?」
「アビー姐さん。それはさぁー。冒険者ギルドが、村に入って来れないって話か…?」
「違うでしょ。精霊さまは、冒険者ギルドを招き入れるつもりでいるのよ!」
カイルの問いに、アビーが手のひらを振りながら答えた。
「なんで精霊さまは、わざわざ厄介ごとを招き入れる?」
「さらなる厄介ごとを追っ払うためでしょ!」
「あーっ。ウスベルク帝国かぁー」
「そう言うことだ!」
フレッドは頷いて、休憩時間の終了を告げた。
本当のところ、精霊の意図など誰にも分からない。
それぞれが勝手に想像しているだけだ。
ただし偶然が起こらないのだとすれば、魔鉱石の流出は変化の兆しである。
フレッドにしてみれば幾つかの予測を立て、有事に備えておくのが当然だった。
「もう時間よ。これが最後の練習だからね…」
「分かってるさ。日が暮れるまでには戻らないとな」
「食事の支度もあるんですからね」
「あーっ、それなら…。ミートパイが隠してあるから大丈夫だ」
「温めるだけで良いのね。だったら問題ないわ…」
アビーはメルの顔を思い浮かべながら頷いた。
傭兵隊の訓練は大事だけれど、『酔いどれ亭』で留守番をしているメルのことが気になった。
今ごろ寂しくて泣いてやしないかと、心配でならないアビーだった。
因みに…。
フレッドが隠しておいたミートパイは、既に無い。
カレーライスを食べ損ねたメルが、保冷庫から見つけてペロリと平らげてしまった。
アビーが用意しておいたミルクとビスケットを食べ終えた後の蛮行である。
明らかに食べ過ぎだった。
大きなミートパイを一人で食べきったメルは、グゥーグゥーと寝こけていた。
メルのお腹は、ポッコリと膨れていた。
「おっ、おなか、くるちぃ…。ムニャムニャ…」
ゴチソウサマ…。
◇◇◇◇
メジエール村に於ける情報の拡散は、噂話に因るところが大きい。
それを担うのは、おもに家庭の日常生活を支えている主婦たちだった。
だからタリサがメルのカレー事件を母親に伝えたところ、一気に噂は広がった。
「行商人のハンスさんと鍛冶屋のゲラルト親方が、メルのゴハンを取り上げて食べちゃったんだってさ」
「……えっ?なに、その話?どうしてメルちゃんのゴハンが、取られちゃうのよ」
「この間。メルと遊んであげたとき、聞いたのォー」
「いや、だから。もっと詳しく話しなさいよ。肝心なところを話しなさいよ…。お小遣い、上げるわよ!」
母親のコリンヌに催促されて、タリサは得意げに話した。
詳細にわたって、念入りに。
コリンヌは情報を仕入れてきたタリサに、お駄賃を与えた。
雑貨屋は、主婦たちの情報発信源である。
だから噂が面白ければ、商品の売り上げだってグンと伸びる。
いつ如何なる時も主婦たちは、新鮮で刺激的な話題を求めているのだ。
タリサがメルから聞き取ってきた情報は、コリンヌの脚色によって切ない物語となり、たちどころにメジエール村で共有される『真実』になった。
横暴な男たちにゴハンを取り上げられた『可哀想なメルちゃん』の話は、空前のヒットを飛ばした。
コリンヌから話を聞く女性たちは顔をしかめて唸り、眉間にしわを寄せて横暴な男たちを罵った。
中にはメルに同情して涙ぐむ、年配女性までいた。
噂話は登場人物たちを避けて、野火の如く広がった。
往々にして最後に事実を知るのは、噂の当人だったりするのだが…。
鍛冶屋のゲラルトなどは、その最たるものと言えた。
「おっかぁー。オイラの大事な酒がねぇんだけどよ。知らんか?」
「はぁー?そんなもん、捨てちまったよ!」
「何だとォー?ありゃ、おまえ…。『火竜の息吹』って、滅多に手に入らない銘酒なんだぞ!」
「知るかい、そんなこと…。あたしゃ、アンタのせいで肩身が狭いんだよ!」
ゲラルトは怒り狂った嫁さんによる、鉄拳制裁を喰らった。
「ぶへぇっ…!」
顔面に握りこぶしがめり込んだ。
鼻血ブーである。
「あにするだぁー?」
「アンタ、メルちゃんのゴハンを取り上げたんだってね?」
「いあ…。オイラは、『酔いどれ亭』で注文したメシを」
「それは…。メルちゃんのお昼だったそうじゃないかい!」
「オイラは、メルちゃんが初めて作ったって聞いたから、味見してやろうと」
嫁さんの二発目が、ゲラルトの顎に炸裂した。
「アグゥーッ!」
口から血がでた。
「どこの誰が、味見で山盛り二杯も食べるんかね?」
「面目ねェー!」
「謝るなら、メルちゃんに土下座してきな。ちゃんと許してもらえるまでは、寝室に入れてやらないよ。アンタみたいなアホは、鍛冶場で寝ると良いんだ」
「まじか…?」
「イヤなら、離婚だよ!」
後日ゲラルトは、メルの足もとに這いつくばって許しを請うた。
一方のハンスは、と言えば…。
ここ数年に渡り交際を申し込んでいた娘から、縁切りを申し渡された。
「わたくし…。小さなお嬢さんからゴハンを横取りするような人とは、お付き合いをしたくありません」
「はぁ…?それはもしかして、『酔いどれ亭』での話ですか…?私は、ちゃんと食事代を払おうとしました。しかも金貨ですよ!」
「それなら、やはり噂話は本当なのですね。金貨を払ってまで、メルちゃんのゴハンを取り上げようとしたって…。サイテーですわ!」
「何それ…?横取りとか、取り上げるとか…。どういう話になってるんですかぁー?」
混乱したハンスが、娘に近づこうとした。
しかし、娘は嫌がって後ずさる。
「知りません。もう貴方とは、口も利きたくありません。サヨウナラ…!」
ハンスの築き上げてきたものが、ガラガラと崩れ落ちた。
男ハンス。
三十六歳で迎えた独身の初夏。
それは手痛い失恋だった。
斯くして教訓を得たオジサンたちは、立派な紳士へと人生の進路変更を余儀なくされたのだ。