光り輝くメル
領都ルッカの港湾施設を管理する警邏隊詰所は、倉庫が建ち並ぶ区画の入口にあった。
その指令室で、警報のベルが激しく鳴り響いていた。
「なんてこった…。異常があったのは、魔導甲冑の保管庫だぞ。複合多重結界が作動していない」
「コディ、バーノン隊。隊員を集めて11番倉庫へ向かえ!ランドールは、騎士隊に報告しろ!!」
「了解しました」
「休憩中の隊員も連れて行け。オマエたちは、宿舎で寝ている連中を叩き起こしてこい!」
「巡回警備中の部隊に、連絡を…」
警邏隊詰所で待機状態にあった大柄な男たちが、慌ただしく動き出した。
「まて、魔導甲冑の通話機が作動している。ちょっと静かにしろ」
「そんなバカな…。魔導甲冑は、搭乗者のキーがなければ動かないはずだ」
「マジかよ…。8号機のランプが点灯している」
ジージー、ザーザーと魔動通話機に特有のノイズ音が、指令室の操作パネルから漏れ出した。
『ウヒャヒャヒャヒャヒャ…!』
「ッ…。子供の笑い声だ…」
「こども…?!」
「シーッ、勝手に話すんじゃない。通話機から漏れる音が、聞き取れないだろ」
「スミマセン…」
指令室が、シンと静まり返った。
「どうやら、仲間と会話をしているようだ。侵入者は、複数人いると思われる」
「ナニを喋っている…?会話内容が、どうにも理解できない」
ヘッドフォーンを手で押さえたオペレーターが、苦悶の表情を浮かべた。
当然である。
侵入者は、侵入者らしい会話などしていないのだ。
意識を集中させて聞き取ろうとしても、とっさには対応できない。
もっとも、CMの話をしていると分かったところで、どうにもなりはしなかった。
「コイツ…。どうやって、魔導甲冑のハッチを空けた?」
「それを言うなら…。コッチとしては倉庫に侵入されたコトが、ショックだぜ!」
指令室に設置された拡声器から、魔導甲冑の操縦席でパネルを乱暴に叩いたり、レバーをガチャガチャと動かす音が聞こえてきた。
まさに傍若無人である。
『ワラシに、デンワしてくらはぁーい!』
突然の叫び声が、黙りこくった男たちの耳を襲った。
「くっ…!」
「なんだ?ナニを叫んでいる…?」
聞き取りづらい単語があったけれど、それは明らかに帝国公用語だった。
『キャハハ…』と子供の笑い声が聞こえた後に、派手な破壊音が続く。
そして、ブツッと通信が途絶えた。
魔動通話機は、その短い寿命を終えた。
「魔導甲冑が、壊されている…」
「急げ。11番倉庫だ。兵装を整えていけ!」
「破壊工作員は、強力な精霊魔法使いだと予想される。侵入者の人数は、皆目見当がつかない。くれぐれも、油断するんじゃないぞ!」
「はっ…。夜間格闘戦用の完全装備で出ます!」
オコンネル警邏隊隊長が、指令室の壁にもたれたエルフに視線を向けた。
「結界が破られたのは、そちらの責任であろう…。そうではないか、マリーズ・レノア技術士官どの」
「はい。詰まらない言い逃れは致しません。しかし現状では、責任の所在より侵入者の捕縛が優先されるかと…」
「ふんっ。侯爵さまが、何と仰ることか…」
「破壊された魔導兵器の補填については、さっそく本国へ問い合わせましょう。問題なく、新たな機体が送られてくるものと思います。手持ちのパーツで補える損傷は、私どもで修理をさせて頂きます」
ミッティア魔法王国魔法軍の制服に身を包んだ美しい女エルフは、モルゲンシュテルン侯爵領に派遣された技術士官である。
表向きの立場はオブザーバーだが、マリーズは七人委員会の長老サラデウスから密命を授かっていた。
『調停者クリスタを探し出し、何としてもミッティア魔法王国にお招きせよ!』
また、その一方では、老師マスティマの部下ワルターを通じて、クリスタを見つけたら密かに暗殺するよう指示されている。
どちらにも逆らえないマリーズ・レノアは、モルゲンシュテルン侯爵領で事態の推移を見守っていた。
要するに運任せである。
こうした指示の食い違いは、極まれにある。
大切なのは、自分と部下たちの立場を守ることだ。
矛盾した命令が同時に発せられた場合、その理由を問い質してはならない。
『はい、分かりました!』と頷いて、上層部の意見がまとまるまで待つのが正解なのだ。
こんな場面で任務の遂行に身を入れたりしたら、どこで足をすくわれるやら知れたものではない。
諜報員やら暗殺者の命など、トカゲの尻尾より簡単に切り捨てられてしまう。
一つしかない命は、大切に使いたい。
それが自分の命であるなら、尚更だ。
いま大きく事態が動き、マリーズの意識は侵入者に向けられた。
(帝都ウルリッヒの地下迷宮で、特殊部隊の魔導甲冑を破壊した女児か…?)
マリーズが思い浮かべたのは、数年前の出来事だった。
最新式の魔導甲冑が二体、幼児によって破壊された。
小さな女児の魔法攻撃によって、最新型の魔素収集装置がオーバーフローを起こしたと言う、非常に怪しい話だ。
(女児が体当たりで魔導甲冑を壊した、と言われてもな…。そうそう信じられるものではない)
以前に七人委員会の長老サラデウスから聞かされた、眉唾モノの話である。
(まさか、私が用意した結界を破られるとは…)
魔導甲冑の保管庫を守る結界は大掛かりなもので、何人もの精霊魔法使いが解除を試みたところで不可能なはずだった。
どれだけ優秀な魔法研究者であろうと、あの複雑な魔法術式の解読には数日を要するだろう。
内部に侵入者を手引きした裏切者がいれば、僅かなりと可能性もある。
しかし、もしそうであるならパスコードを用いて倉庫へ入る。
(結界自体が消されてしまうのは、完全に想定外だ。10万ピクスの多重結界をねじ伏せる力か…)
本国で耳にした与太話が、己の置かれた現状と繋がった。
「手がかりなど欲しくはなかったが…」
この流れで行けば、不審な女児から調停者クリスタの情報を得ることになろう。
何となればウスベルク帝国には、マリーズが開発した結界を破れるような魔法技術者など居ないからだ。
調停者クリスタを見つけることが叶えば、屍呪之王についても情報を得られることだろう。
屍呪之王と綻びかけの結界が放置されている状態は、マリーズを不安にさせた。
と言うか、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵が好きになれない。
どうにも破滅願望に囚われているようで、その人柄を知るほどに危うさを感じた。
圧倒的な兵力を駐留させているのにも関わらず、マリーズには領都ルッカが死地のように思えるのだ。
「滅国のクリスタに、優れた弟子が居たか…」
マリーズは、小さな声で呟いた。
伝説に語られる災厄の魔女と、幻の女児。
そこには外れクジに紛れた、番狂わせがあるかも知れない。
どちらでもよい。
もし本当に、見つかればの話だ。
「レノア中尉。どうしますか…?」
マーカス・スコット曹長が、ミッティア魔法王国の言葉で訊ねた。
「決まっている。本来の任務に戻る」
「怠けるのは、おしまいですか」
「こんな胸糞悪い場所で、いつまでも燻ぶっていられるか!」
矛盾した命令に取り組むのは愚かだが、情報だけは集めておくべきである。
「こらっ。オマエらだけで、内緒話をするな。ここでは、帝国公用語を使え!」
オコンネル警邏隊隊長は、マリーズとマーカスが互いの母国語でやり取りするところを見て、怒鳴りつけた。
「これは申し訳なかった。我々も現場の調査に入りたいので、専門的な相談をしていた…。測定器を使い、侵入者が使用した魔法の痕跡をたどる」
「現場だと…。まさか、今からじゃなかろうな?」
「もちろん、たった今からだ。どのようにして結界が破られたのか、可能な限り早く調べたい」
マリーズは使用された魔法の痕跡が消えることを盾に取り、早急な調査の必要性を主張した。
「ちっ。捕縛部隊の邪魔だけはするなよ!」
「分かっているとも」
真剣な顔で頷いて見せたが、邪魔をしないとは約束していない。
若い娘のように見える美しいエルフの女性技術士官は、御年100歳を迎える世慣れた殺し屋だった。
オコンネル警邏隊隊長に、どうこうできる相手ではなかった。
◇◇◇◇
メルは瀉血と祝福を行い、邪妖精たちに囚われたピクスの解放を命じた。
妖精母艦メルに救助されたピクスの数は、軽く見積もっても数十万に達した。
「あっ、まだ灯りはつけといてや」
魔法ランプからピクスが解放されて暗くなった倉庫内を邪妖精たちが照らす。
倉庫内には魔導甲冑の残骸が、山と積まれていた。
メルとしてはコックピットに座れたので、一応のところ満足である。
何しろ、この世界で騎士となる男たちは体格が良い。
メルが魔導甲冑に乗っても、フットペダルやレバーに手が届かない。
どう頑張ってみても、魔導甲冑の操縦は出来ないのだ。
「メル姉、逃げないのか…?」
「コソコソと隠れて移動するのは、とっても面倒デス」
「まあ、そうだけど…。よい方法でもあるの…?」
ミケ王子が、怪訝そうな顔で訊ねた。
「敵をここに集めて、目つぶしを食らわします。そしたら、外は手薄になるデショウ?」
「なるほどね。そうかも知れない」
「メルにしては、良い考えだと思うよ」
おそらく突入部隊は精鋭だろう。
これを無効化してしまえば、本隊が到着するまでの時間を稼げる。
「うむ。わらし、考えましたモン。魔法ランプを見上げたら、でっかい虫がギョウサン集っておった。ここらをウロウロするんは、ヤバイ」
「なんだ、虫対策かよ」
「そう、虫デス」
「虫なら、ボクがやっつけて上げるよ」
ミケ王子が、シャキーンと爪を出した。
「ミィーケは、何もせんでエエよ。おまぁーは、虫をばらして事態の悪化を招くだけじゃ!」
生きている虫もイヤだけど、バラバラに千切れた虫はもっとイヤだ。
メルはポップコーンを頬張り、モギュモギュと口を動かした。
敵地にて、おやつタイムである。
ダヴィ坊やとミケ王子も、ポップコーンをモギュモギュしている。
カメラマンの精霊は瘴気中りで、機能停止状態にあった。
今後のアップデートでは、脆弱性の解消が期待されるところだ。
メルはカメラマンの精霊を背嚢に収納し、スラ坊を往還した。
「あーっ。バラバラにするなら、メル姉でも出来るもんな」
「デブのおっしゃる通りデス」
エアバーストやエアブレッドを使えば、メルだって虫を撃退できる。
ただし、バラバラに千切れた虫の破片が、容赦なく頭上から降ってくる。
それは悪夢であった。
ガジガジ蟲との熾烈な戦いを再現してはならない。
「かと言って、火を放てば燃えた虫どもが突っ込んで来よる」
それもまた悪夢である。
虫が燃える煙を吸うのは、絶対にイヤだ。
一般の人々なら、燃えた虫は地に落ちると考えるのだろう。
そんなのは、メルに言わせれば『甘ちゃん』だった。
虫とは捕まえるか消滅させるまで、まったく安心できない生き物なのだ。
そこいら中から数え切れないほど集まってきて、中の数匹は確実にメルまでたどりつく。
メルに必要なのは、昆虫採集係だった。
「ふむっ、そろそろやで…。敵さんが、やって参りました」
「ようやっとか」
「妖精さんたち、消灯のお時間デス」
灯りが消えて、倉庫内が闇に閉ざされる。
正面の扉が、ギシギシと軋みながら開かれた。
無言の武装集団が、倉庫内になだれ込んで来る。
手には、攻撃用の強力な魔導兵器を構え。
視界を魔法の暗視装置で確保し、全身を強固な防護服で固めている。
「気配からして、20人、30人…。うぉーっ、どんどん増えていく」
木箱の影に身を隠したダヴィ坊やが、目を丸くした。
「こんなとき、カメラマンの精霊がおればのぉー。敵の位置まで、正確に把握できたものを…」
「メルの結界が消えたら、瘴気がヒドイ。こんなの、カメラマンの精霊でなくても具合が悪くなるよ」
「はぁー。これに耐えられるんは、結局のところシジュとニキアスやドミトリくらいのもんか」
メルは物陰から立ち上がり、警邏隊のまえに進み出た。
「総員、対閃光防御…」
「あいさぁー」
「らじゃ…」
メル、ダヴィ坊や、ミケ王子が、真っ黒なゴーグルを着けた。
「おまぁーらには、やり逃げ流こども忍術を喰らわしたるで…!」
メルが、ピカッと光った。
と言うか、一瞬にして倉庫内が光の闇に塗り潰された。
「ぎゃっ!」
「目が…」
「くそっ、何も見えん!」
五十万ルーメンの明るさは、容赦なく警邏隊から視力を奪った。
ボン。
パパーン!
あちらこちらで、魔法暗視装置が焼き付きを起こして破裂した。
「ヒィ」
「いてェー!」
まるで隊列の中央に、炸裂弾を喰らった部隊のようだ。
顔面から血を流し、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
「なんか、思ってたより悲惨になった」
「本当だね。みんな、大騒ぎだよ」
ミケ王子が苦しむ男たちを見回して、残念そうに肩をすくめた。
「でかい図体をして、大袈裟に痛がりよって…」
「惨い。惨いですねぇー」
「メル姉…。なんか苦しそうで、見てらんないぞ。これなら普通に気絶させるとかの方が、よかったんじゃねぇ?」
「そうやって、わらしを責めるなや…。みんなから責められると、わらし悲しぃーわ。やってしもぉーたモンは、しゃぁーないデショ!」
メルたちは、無力化された警邏隊の横をスタスタと走り抜けた。








