領都ルッカ
風竜の移動速度は早い。
特に今回はラヴィニア姫とのデートでもないので、ゆっくりと景色を楽しむ必要がない。
そもそも夜の海上だ。
まっくらで、何も見えやしない。
新型スーツの機能は良好で、二人は気圧や気温の影響を殆ど受けなかった。
風竜は想像していたより早く、目的地上空へと到着した。
「翼よ。アレがルッカの灯じゃ…。てか領都、明るすぎやしませんか…?」
メルは風竜の背中に立ち、不愉快そうに顔を顰めた。
「本当だ。あそこが、ルデック湾だろ…?魔法ランプが、数え切れないほど燈されている。まるで、町が燃えているみたいだな」
「ねぇねぇ、メル。あれが、強制労働なの…?!」
「そうデス。わらしの妖精さんたちに、ただ働きさせおって…。いまに見とれ!」
ルデック湾の奥まった位置に鎮座する領都ルッカは、夜の暗闇に煌々と輝いていた。
「ヒドイ…。許せん!」
「あんなに町を明るく照らして…。それなのに感謝してもらえないなんて、妖精さんたちが可哀想だよ」
「グヌヌヌッ…。何とかして助けたいのですが、今回は手が回りません。なので、やつらの悪行を記録します」
メルは背嚢からヘッドライトのようなものを取り出して、頭部に装着した。
「何それ…?」
「ミケ王子…。ぼくですヨォー」
それは手足と言うかプロペラがあった駆動部分をもぎ取られて、無残な姿となったカメラマンの精霊だった。
「カメラマンども(子機)やブブ(孫機)は、瘴気が濃い場所で飛べん。それはオリジナルのこいつも変わらんので、使いやすいように改造したった」
「シクシク…。ぼくとしてはママのお役に立てれば、手足なんて要りませんけど…。本当に、元の姿へ戻してもらえるんでしょうね?」
「あっ…。うん。たぶん接着剤で、何とかなると思いマス…」
メルの視線が宙を泳いだ。
挙動不審である。
怪しい。
「ぐすん…。ちゃんと直してくださいね。絶対ですよ!」
カメラマンの精霊が、メソメソと泣く。
「やり過ぎだよ、メル。カメラマンの精霊が、泣いてるじゃん」
「メル姉。さすがに、この仕打ちはない。これこそ、弱い者いじめだろ!」
ミケ王子とダヴィ坊やが、ドン引きした。
「やかましい。アームを折り畳もうとしたら、メキョッと捥げたんじゃ。頑張ったけど、四本とも上手く行かんかった!」
「一本目で、止めてやれよ」
メルは前世でも、和樹のプラモデルをよく壊した。
基本的に不器用なので、工作はビー玉コースターの作製が限界だった。
ドローンなんて触らせたら、壊すに決まっていた。
「今回は偵察任務じゃ。言うなれば、おまぁーが主役です。わらしたちは、お供よ」
メルが猫なで声で、カメラマンの精霊を煽て上げる。
「ぼくが主役?」
「そうじゃ。撮影は、アータに任せました」
「畏まりました。妖精女王陛下、ぼく頑張ります!」
メルの言葉に、忽ち機嫌を直すカメラマンの精霊だった。
「さて、作戦開始じゃ」
メルはシュバッと左腕を突きだし、目のまえに手首を近づけた。
「20時13分…」
ウサギさんの腕時計は、20:13を示していた。
花丸ショップで購入した、狂いが生じない時計だ。
チクタクと正確に時を刻む音が、愛おしい。
樹生であったときには、動けずに寿命が浪費されていく音であり、孤独な死へのカウントダウンだった。
今では今日より楽しい明日が近づいてくる、時の足音だ。
チクタク、チクタク…。
「作戦開始時刻は、22時00分かぁー。只今、20時14分…」
二時間も待てない。
メルは時計のリューズを引き出し、クルクルと長針を回した。
時計を持っているのはメルだけなので、どれだけ針を動かしても問題なかった。
メルの時計は、いつだって正しい。
「はい…。22時00分になりました。降下作戦開始デス!」
「待ってましたぁー!」
メルとダヴィ坊やは、風竜の背から転げ落ちるようにして飛んだ。
二人の右手には、背嚢がリードで繋いであった。
風の抵抗を考慮に入れて、危なげなく空中姿勢を保つ。
皮肉なことに囚われたピクスたちが、目標地点を照らしていた。
目指すは、城下町に聳えるマチアス聖智教会の尖塔だ。
二匹の巨大モモンガが、町の上空を飛ぶ。
「みゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
メルの懐に押し込まれたミケ王子は、初のダイビングに大絶叫だ。
「うるしゃーわ。ミィーケが騒ぐと、夜警にばれます」
「だって、だって…。怖いんだもん」
「怖いなら、モモンガースーツに潜っていなさい」
「だって、だって…。メルってば、スーツの下ハダカじゃん」
注文の多いネコだった。
だけど紳士デアル。
◇◇◇◇
メルは領都ルッカの上空をゆっくりと旋回し、カメラマンの精霊に地上の様子を記録させた。
様々な施設や警備体制、領都に張り巡らされた道などを可能な限り撮影していく。
港湾施設を越えると闘技場のような広場があり、その先には大きな縦穴が幾つも見つかった。
遺体を投げ込む穴で、一応は石灰を撒いているのだろうが野ざらしだ。
邪霊が疫鬼となって誕生しても不思議はない。
虫どもの温床である。
モルゲンシュテルン侯爵家の居城は、巨大で堅牢な城壁に囲われた領都ルッカの最奥に位置する。
その背後は、切り立った崖だ。
崖下にはタルブ川から枝分かれした、ルコント川が流れている。
マチアス聖智教会の尖塔に取り付いたメルとダヴィ坊やは、そこから鍵縄と妖精パワーを使って、人気のない暗い路地に降り立った。
「むむっ、くっさぁー。こっ、コレは…。干物を作り損ねて、腐らせてしまった臭いじゃ。腐臭が酷すぎて、魂にダメージを負いそうデス。トラウマになるわ」
「うえっぷ…。この町と比べたら、オレのウ〇コの方が千倍マシだ。くぁーっ、鼻がひん曲がる。よく、こんな場所で暮らせるな」
「…………っ」
ダヴィ坊やのウンコ発言に、メルが嫌そうな顔をした。
何かと言えばウンコの話をしたがるのは、おこちゃまの証拠である。
そんな子と仲良しなのは、少し恥ずかしい。
「人は欲に駆られると、狂っちゃうんだ。頭が正常なら、こんな所には近づかないよ…。ハッ、ハァッ、ハクシュン…!」
ミケ王子が瘴気に中てられて、くしゃみをした。
「早く任務を終わらせて、帰りましょうよ。なんだか、お化けが出そうです」
カメラマンの精霊も、なんだか具合が悪そうだ。
いくら邪妖精と言えど、ニキアスやドミトリのレベルに達しないと生の瘴気はキツイ。
穢れに影響されて、何もかもが重たくなってしまう。
『まるで動作不良を起こしかけた、PCみたいだ』と、メルは思う。
瘴気は妖精や精霊に粘りついて、正常な動作を阻害する。
人であれば被害妄想に取り付かれたり、暴力衝動に駆られて暴れだしたりする。
実際、夜の町では、あちらこちらから悲鳴や物が壊れる音が聞こえてくる。
穏やかではない。
ちびっ子たちの胸が、ざわつく。
どうやら領都ルッカは、未だ暗黒時代から抜け切れていないようだ。
「フーム。ここまで穢れとるなら、心霊写真くらい撮れるかも知れん。気バレや、カメラマン」
「そんなもの、撮影したくありませんよ。ぼくのデーターバンクが穢れる」
「地下迷宮の管理者しとぉーくせに、小心者じゃのぉー」
「味方でもない邪霊は、やばいんです」
「わらし、へっちゃらよ。死霊だろうが悪霊だろうが、ドンと来いデス!」
ゾンビは除く。
ゾンビには虫が集っていそうなので、ノーグッドだった。
「で、目的地は…?」
ダヴィ坊やがメルを促す。
「あっちじゃ!」
メルが港の方を指さした。
最初は城かと思ったが、反対方向だった。
ルデック湾に向かって戻る必要があったけれど、着陸するまで分からなかったのだから仕方ない。
港湾施設の大きな倉庫が、魔導甲冑の格納庫に使用されているようだ。
「どうして分かる?」
「わらし、妖精女王陛下よ。妖精さんがたくさん居れば、何となく分かるのデス」
メルはスライムのスラ坊を呼び出して、カメラマンの精霊を託した。
「わらしと一緒におったら、脳天をカチ割られたときに危険デス。スラ坊と一緒なら安心」
バルガスにフランツと、襲撃者がメルの頭を攻撃目標に定める頻度は、異常なほど高かった。
作戦行動中、メルの頭部は最も危険な場所となる。
何故か粗暴な男たちは、そろいも揃って妖精女王陛下の頭を叩きたがる。
「スラ坊さん。よろしくお願い致します」
カメラマンの精霊が、珍しく低姿勢である。
「キュイ、キュイ」
スラ坊はカメラマンの精霊を頭に載せて、しっかりと固定した。
「なあ…。どうしてメル姉のスライムは、瘴気の中で平気なんだ?」
「鍛え方が違います」
「嘘だ。絶対にインチキしてる。移動速度も、滅茶クチャ速いし…。ズルい」
この穢れた地で、ダヴィ坊やのミニグリフォンは召喚することさえ出来なかった。
それなのにメルのスラ坊は、濃度が高い瘴気に曝されても平然としている。
「デブの召喚獣も、強化するか…?けどなぁー、強化すると精霊バトルで撥ねられます。エントリー不可になりよるで」
「うっ。せっかく育てたのに、それはイヤだ。だけどタリサに勝てなくなったら、強化して欲しいかも…」
メルの樹にも、精霊バトルの筐体が設置されている。
メジエール村の子供たちは、そこで魔法学校の生徒と通信対戦ができる。
幼児ーズのメンバーは魔法学校の生徒たちとフレンド登録をして、時間の都合がつけば対戦を行っていた。
流行の発信源でありながら、誰と対戦しても勝てないメルは、ついついスラ坊を魔改造してしまった。
しかし、スラ坊のパラメーターを無敵に書き換えたところ、メルのアカウントがBANされた。
精霊バトルとは、子供たちがワイワイと楽しむ健全なゲームである。
だから、チーターは出禁なのだ。
たとえ妖精女王陛下であろうと、例外は認められない。
「負けても構わんから、皆と遊びたかった…」
後悔、役に立たず。
インチキした人は、仲間に入れてもらえない。
それがルールなのだ。
メルたちは人目を避けて、港の方へ向かった。
先頭はミケ王子だ。
ミケ王子がトットコと先に進み、通りの安全を確認する。
「大丈夫…。だれも居ないよ」
メルたちは、可能な限り暗くて細い裏道を進んだ。
どうしても住民を避けられないときには、建物の屋根に上って移動する。
モモンガースーツを着ているので、屋根から屋根へと音もたてずに飛び移れる。
メルとダヴィ坊やは子供だから、怪しげなモモンガースーツを着ていなくても見つかれば問題になる。
おそらく揉め事になるし、色々な不都合が生じるに違いなかった。
「新しいスーツに組み込まれた認識阻害の術式は、いい仕事をしよる」
「ちっとも消えていないけど、見つからないのか?」
「そう説明したデショ。視界に映っても、目撃者の意識から除外されるんですわ。まあ忍び足で、こそっと動けば気づかれん」
「なぁ、メル姉…。スイカ食べ放題。これ着て、メジエール村で…」
「新型スーツは、潜入捜査専用じゃボケェー!作戦が終了したら、ソッコーで取り上げるわ…」
最新魔法技術を悪事に使ってはならない。
スイカ泥棒とかは厳禁である。