誘惑に負けたメル
「メルー。メルさん、ちょっと聞いてください」
「どうしましたか、ミィーケさん?」
朝の浄化に出かけたメルは、魔法学校でミケ王子と出会った。
別に珍しいことではない。
頻繁に定期報告は受けていたし、魔法学校の給食メニューも一緒に考えたりする。
離れて暮らしていても、メルとミケ王子は仲良しさんだ。
美味しいオヤツを分け合いながら、のんびりとした時間を過ごすことも多い。
だが、この日のミケ王子は、少しばかり様子が違っていた。
何となく、切羽詰まっているように見える。
「あのですねぇ。悪魔王子さんが、ボクに偵察をして来いって…」
「テイサツ?」
メルは予想していなかった台詞を耳にして、コテンと首を傾げた。
「なんだか…。モルゲンシュテルン侯爵領の様子が、知りたいようです」
「あーっ。偵察かぁー。ゴクドウサマです」
「それを言うなら、ご苦労様でしょ」
「そんなことより…。どうして語尾のニャーが、無くなっているデスカ?」
メルはエルフ耳をヒクヒクさせながら、先程から非常に気になっているコトを訊ねた。
「いや…。悪魔王子さんに鬱陶しいと言われたので、子供(生徒)たちの前だけで使うようにしたんだよ」
「なんですとぉー。語尾のニャーは、取り外し可デスカ?」
「やだなぁー。最初からボクは、ちゃんと喋れるよ。まさかメル。ケット・シーは、ニャーニャー、ニャーニャー喋ると思ってた?」
「…………くっ」
心ないネコにメルヘンを踏みにじられた少女は、ご機嫌斜めになった。
俯いた顔が、ちょっと小鬼だ。
「偵察の話なんだけど、ケット・シーの仲間に相談したら、自分で責任を取って下さいと言われました」
ミケ王子は仲間たちが冷たいのだと、メルに訴えた。
「ふーん。頑張ってね」
「いやいや、待って…。ちょっと待って。メルに見捨てられたら、ボクは独りぼっちよ。それに、どうやってモルゲンシュテルン侯爵領まで行くのさ?」
「歩いて…?」
「無理デショ!」
ミケ王子の髭と耳が、ふにゃりと垂れ下がった。
「どうせまた、偉そうに余計なことを言ったんだよね?」
「えっ、そうなの…?ボク、自覚が無いんだけど」
「ミィーケさんは上から目線で話すので、ときどき感じが悪いデス。そんな風に言われたら、『だったら、オマエがやってくれよ!』と誰もが思う。それでは周囲から好かれません。いざと言う場面で、スコンと裏切られる」
「そんなぁー」
「自業自得ですわ」
メルは腕を組んで、勝ち誇るように反り返った。
偉そうに言い放った結果は、自分で刈り取るべし。
それがメルの導き出した結論だった。
実のところ、ミケ王子とメルはどっちもどっちである。
ときどき偉そうで鼻持ちならない。
いざとなったとき、二人は互いに助け合うしかない。
何故なら、周囲から『威張りん坊』と思われているからだ。
謝れば済むのに、詰まらないプライドが邪魔をして、素直に頭を下げられない。
似たもの同士の二人だけが、辛うじて馴れ合える。
困ったときに甘えられるのは、メルとミケ王子が互いに死線を乗り越えた戦友だからである。
「ねぇねぇ、メルーさま。ボクを助けてよ」
「しゃあないなぁー。と言いたいところですが、わらしはアッコに行けんのデス。婆さまから、アカンと言われました」
「どうして?」
「そんなん、危ないからに決まっとろうが…!」
「いや、そうでなくて…。メルは大人の言いつけを守らない子でしょ」
「なっ、なっ、失敬な。わらしは、いい子です」
つい先日、首から『悪い子』のプレートをさげていた人物が、平気で自分を『いい子』だと言って憚らない。
この恥知らずで自分本位な少女が、正しくメルである。
ちっとも反省しないのだ。
クリスタの言いつけなんて、守る筈がなかった。
「危ないと言われて、素直に引き下がる弱虫じゃないよね?」
「むっ。わらし、弱虫と違いマス!」
「だったら、なんで婆さまの言いつけを守るのさ」
「婆さまが危ない言ったのは、本当デス。しかし、わらしが行きとぉーない理由は、別にあるんだわ」
「その理由って、何ですか?」
ミケ王子は諦めない。
ぐいぐいとメルに食い下がり、同行させようとする。
メルが協力してくれないなら、ミケ王子はお手上げだった。
悲壮な覚悟で、モルゲンシュテルン侯爵領まで旅をしなければいけない。
旅の途中で、死ぬかも知れなかった。
いや多分、死ぬだろう。
ミケ王子が向かう先は、あっちもこっちも戦場だから。
局地戦で耕作地を荒らされた人々からすれば、ネコだって立派な食材である。
ああっ。
ネコ鍋にされる運命が、見える。
それでも、『やっぱりボクには無理でした!』と、悪魔王子に頭を下げることが出来ない。
あれやこれやと格好よく自慢しまくったので、今さら引っ込みがつかないのだ。
「あのなぁー。バスティアンの奴は、とんでもなくピーッな野郎じゃ。そんでもって、アイツは適当に人を狩り集めては、広場で○○しとるらしい。アイツの部下もピーッなら、モルゲンシュテルン侯爵領に集まっとる連中もピーッじゃ。魔導甲冑で人をピーッする見世物に、大はしゃぎしとるらしいわ」
「ひゃぁーっ。そんなの頭がおかしいでしょ」
「それだけじゃないで…。こっからが本番じゃ。アイツら、○○をきちんと埋葬せんから…。城壁内は○○に虫が湧いて、えらい騒ぎじゃ!」
「うげぇーっ」
「わらし、虫は苦手ですわ」
メルは、きっぱりと言い放った。
「そんなこと言わないでさぁー。ボクと偵察しに行こうよ。オネガイ!」
「嫌です。だって絶対に、ガジガジ蟲おるモン」
「ちっ。こうなったら最後の手段だ」
ミケ王子は一枚の紙片を取り出して、しげしげと眺め始めた。
「うわぁー。コレは、すっごいなぁー。滅茶クチャ恰好いい」
「んっ。んーっ。何ですか、それは…?」
それはミケ王子がカメラマンの精霊から貰った、魔導甲冑の写真だった。
「ミッティア魔法王国の最新鋭機だよ。このデザインてば、ゴーレム好きのハートにグッとくるよね。やっぱり、魔導甲冑ってクールだ」
「最新鋭…?魔導甲冑……?ちょ、ちょ…。ちょこっとらけ、わらしにも見してくんしゃい」
「えーっ。だってメルは、モルゲンシュテルン侯爵領へ行かないんだよね。臆病者には、見せて上げられないよ」
「じゃかぁーしぃーわ。はよ、よこせ!」
メルはミケ王子から、写真をひったくった。
「むぅーっ。大きくて、パワー溢れとる感じ。うはぁー。腕にドリルついとるやん。カッケェー!」
もう夢中である。
「すごいよね。あーっ、近くで見たいなぁー。きっと迫力あるんだろうなぁー」
「グヌヌヌッ…。しかし、婆さまの言いつけがぁー。ガジガジ蟲がぁー」
「メルはガジガジ蟲が怖いから、生ロボを見られないね」
「ムキィーッ!」
メルがよい子の皮を脱ぎ捨てた。
◇◇◇◇
夢の中。
メルは妖精母艦の会議室に居た。
「我々としては、調停者殿との足並みを乱したくない」
「しかしですぞ…。この最新型が、どれだけのピクスを搭載していると思われる?」
「これまでの比ではないな。おそらく一機で、少なくとも一万近い同胞が強制労働をさせられているはず」
「許されん。早急に対処せねばならん」
「そうは言っても、護衛もなく妖精母艦を危険に曝すのは如何なものかと…?」
妖精会議は喧々囂々だ。
「ショクン!」
妖精母艦艦長であり、提督であり、妖精女王陛下のメルがテーブルをペシッと叩いた。
「如何なる理由があろうと、我らは同胞を虐められて黙っていることなどできない。是が非でも救出は行う。この救出作戦が成功すれば、ミッティア魔法王国から更なる魔導甲冑が輸送されて来るだろう。そうなれば我々は、より早くより多くの同胞たちを救うことが出来る」
「そこまで申されるなら、わたしは作戦決行に賛成する」
「ふむっ。火中の栗を拾うのも、一興。良いでしょう。俺も賛成します」
「私も賛成だ」
邪妖精の将軍たちが、次々と右手を上げた。
満場一致である。
妖精女王陛下は、我が意を得たりと鷹揚に頷いて見せた。
「攻撃は一瞬だ。囚われし我らが同胞を回収したなら、即座に撤退する!」
「なるほど、ヒットアンドアウェイですな」
「モルゲンシュテルン侯爵領は支配度が低いので、航空部隊の遠距離攻撃は望めない。邪妖精と言えど、我らの活動時間は限られる。かなりのパワーダウンを考慮せねばならん。本作戦を成功させるには、敵地に深く潜入する必要がある」
「最低でも、魔導甲冑を視認できる距離まで近づかなければならん」
「それならば、いっそのこと風竜による高高度爆撃を行ってはどうか?」
「そうだな。風竜であれば、モルゲンシュテルン侯爵領を更地に戻すことも可能であろう」
「コホン…。ショクン、聞いてくれたまえ。此度の作戦行動で重要となるのは、我らの活動を調停者に知られないことだ。故に空爆は却下する!」
クリスタに叱られるのが怖いメルだった。
「となると、隠密作戦か…。妖精女王陛下がそのように仰るのであれば、仕方あるまい」
「調停者のこともあるが、そもそも概念界は人の想念によって支えられている。相手が悪党であろうと、ユグドラシル王国は大量殺戮を認めない。ショクンには、そこを肝に命じておいてもらいたい。汝、殺すなかれだ」
メルは会議室のテーブルに着いた面々を見回して、念を押した。
「ははっ。畏まりました、妖精女王陛下!」
「それと…。ココだけの話だが…。バスティアンとの決戦では、彼の地に屍呪之王を投入する予定だ」
「なんと、シジュを…」
「そっ、それだと大量殺戮になるのでは…?」
「暗黒時代に破壊された輪廻転生システム。その要となるのが、屍呪之王である。屍呪之王(改)により死者の魂を黄泉送りして、輪廻転生システムを再起動させる…。彼の地での犠牲は、やむを得ぬ贄だ…。フフフッ…。アハハハハハッ…」
只今、ユグドラシル王国より派遣されたエンジニア(妖精)たちが、ラヴィニア姫に内緒でハンテンを調整している。
アップデート完了の日は近い。
「本作戦名を『ピクス奪還作戦』とする。明日22:00より、状況開始。では会議を終了する」
「解散!」
会議室の椅子を引く音が響き、邪妖精の将軍たちが席を立った。
退室するメルを敬礼の姿勢で見送る。
最近の妖精女王陛下は手抜きだ。
わいわい騒いで決めたのは、作戦名と開始時刻だけ。
作戦と言いながら、ひとつも具体的な計画を立案しないのが妖精会議だった。
クリスタが見ていたら、我慢できずに暴れているだろう。
妖精母艦メルは、いつだって出たとこ勝負である。