導かれたハンス
行商人のハンスは、デュクレール商会の辺境地域交易担当者だった。
デュクレール商会とは、ミッティア魔法王国に本拠地を置く大きな貿易商で、売れる者なら親でも売ると人々から蔑まれている鬼畜な会社だ。
親は売らない。
家族を売った覚えなど無い。
麻薬や奴隷などの、違法商品を扱った記憶もない。
と言うか、やっかみかなんか知らないが、悪い噂を広げないで欲しい。
ハンスはデュクレール商会の悪口を聞かされる度に、一から説明してやりたくなるのだ。
騙した者が勝つインチキ商人が蔓延る中、信用第一のデュクレール商会は社員教育に厳しかった。
商人として必要な価値観や倫理観をブラック企業の洗脳かと思うほど、新入社員の脳ミソに焼き付ける。
完璧な商人として行動できるまでは、仕事をさせないのだ。
(あの当時は仕事がしたくて仕方なかった…。懐かしいなぁー)
メジエール村の女性たちから日常品の要望を聞き取りながら、ハンスは村の中心部を調査して回った。
雑貨屋の品揃えや、仕立屋が抱えた生地の在庫なども、メモにつけていく。
(やはり季節の変わり目には、不足する品物が増えるな…)
生真面目な男だった。
ハンスがメジエール村に腰を落ち着けたのは、恵みの森で採取される希少な生薬材料に目をつけたからだ。
ハンスとメジエール村の出会いはご多分に漏れず、精霊さまのお導きによるものだった。
簡単に言えば地方を彷徨い歩き、新たな薬や生薬材料を探し求めていたハンスは、迷子になってメジエール村に転げ込んだのだ。
ここの点は、フレッドとアビーも同様である。
未開地踏破に定評のある腕利きハンターでさえ、道を見失う辺境地帯だ。
ハンスが恥じる必要はなかった。
ウスベルク帝国の西域に存在するデュクレール商会の支店から、タルブ川を遡ってメジエール村の近くまで荷物を運ぶのに七日間を要する。
取引相手はメジエール村だけだ。
秘密の取引である。
それでもデュクレール商会は、メジエール村との交易で大きな儲けを得ていた。
この地で調合された薬品は、とても高値で帝国貴族たちに売れるのだ。
ミッティア魔法王国でも、非常にありがたがられている。
だからハンスは現地責任者に任命されて、帰ることが出来なくなった。
(まあ、心配する家族も居ないし。この長閑な村に腰を落ち着けたら、何処にも行きたくなくなるけどな…。世間で言うところの出世は、意味が無くなっちまったね。もう、どぉーでも良いけどさ)
実質上の島流しみたいなモノである。
本社は鬼だった。
元々ハンスは、帝国諸地域のニーズを調べて回る調査員だった。
生薬の専門家ではない。
だが残念なことにウスベルク帝国の西域には、生薬原材料くらいしか新しい発見が無かった。
それだけの話である。
そして…。
たまたま、偶然、うっかり…。
ハンスはメジエール村で見かけた薬品をデュクレール商会の上司に送り届けただけだ。
確かにその時…。
『これって、商品価値が高いと思うんですよ』
などと余計なことを口走った覚えがある。
それが、このような現在に繋がると、あのときは予想だにしていなかった。
(給料はバリバリ増えても、辺境の地で暮らしていたら金貨を使う機会がない。長期休暇も、上司が申請を通してくれない。何処にも遊びに行けないし、お嫁さんのきてもない。私が死んだら、あの貯金はどうなるんだ…?)
ハンスには身寄りもないので、なんだかデュクレール商会に財産を召し上げられそうな気がした。
非常に腹立たしい。
そんなことになれば、タダ働きさせられているのと変わらないじゃないか…。
色々の不満を抱えながら、若い頃からハンスが身一つでメジエール村に踏ん張って来れたのは、村人たちの暖かな応援があったからだ。
彼らはハンスが運び込んだ交易物資に、いつだって感謝の言葉を忘れなかった。
よい商人としてありがたがり、尊敬さえしてくれた。
いつの間にかハンスは、村人のサイドで物事を判断するようになっていた。
メジエール村の繁栄はハンスの喜びであり、不当な搾取をする悪徳商人など近づける訳にいかない。
(私が村を守る…!)
そのくらいの強い正義感と勢いがあった。
だが毎日のように頑張れば、身体の節々に疲労も蓄積されていく。
正義の味方だって不死身ではない。
無理をすれば、あちこちが擦り切れて来るのだ。
最近では寝つきが悪くなり、食欲も落ちていた。
暖かな季節を迎えたのに、汗がでない。
身体が重くて、動くのが億劫だった。
(下半身にむくみがある。森の婆さまに、いちど診てもらうべきか…?)
そんなとき食欲を誘う猛烈な香りが、ハンスの鼻腔を直撃した。
風に乗って運ばれてきたスパイスの匂いが、魅了の魔法でハンスを絡め取った。
「うっ…。何だ、この美味そうな匂いは…?」
昼食を取る気にもならず、村人たちの欲しいものリストを作成していたハンスは、暴力的なまでの匂いに誘われてフラフラと歩きだした。
そして気づけば村の中央広場に立ち、『酔いどれ亭』をジッと見つめていた。
「今日は休みだろ。入口の扉には、休業の札も掛かってる。亭主のフレッドが、新しいメニューでも開発したのかな…?」
ぶつくさと言いながらも、ハンスの関心は匂いの正体に向けられていた。
空腹の余り、腹のムシが鳴いた。
「くっそぉー。休みだって構うもんか。新メニューなら、試食する奴が必要だろ…?舌の肥えた私が、美味いか不味いかハッキリさせてやるさ」
普段はマナーに煩いハンスだが、休業の札を無視して入口の扉を押し開けた。
「オヤジさん、居るのかい?」
ハンスが食堂で目にしたのは、かぼちゃパンツ一枚でテーブルに向かうエルフのちびっ子だった。
真っ白い女児の裸体が、目に突き刺さる。
こっちを振り向くな…!
おっぱいが…。
いや、おっぱいはないけれど、とにかく服を着てください。
ハンスは狼狽えながら、かぼちゃパンツの女児を凝視した。
スプーンを手にした女児のまえに、ハンスを魅了する匂いの元が置かれていた。
(あれが食べたい…!)
だけど先ずは、裸でメシを食おうとしているエルフ女児だ。
なんとしてもメルに、服を着させなければなるまい。
「おいっ…。そこの裸ん坊…!」
このようにシュールな情景を放っておいたら、村人たちに申し訳が立たない。
おかしな性癖の持ち主だと噂されたら、生きていくのが困難になる。
今でさえ、充分に辛いと言うのに…。
いい歳こいて、独身だし。
嫁が来てくれないし。
「おいっ。なんで服を脱いでるんだよ。そんな格好でいたら、ダメじゃないか。早く、服を着なさい!」
ハンスは何んとか視線を逸らしながら、メルに着衣を促した。
着衣を促しながらも、テーブルに置かれたカレーライスを何度もチラ見していた。
と言うか、カレーライスが気になりすぎて視線を外せない。
メルが服を着るまでは、店の外で待つのが正しい。
紳士として当然のマナーだ。
そうと分かっていながら、ハンスの足は動こうとしなかった。
名も知らぬ一皿の料理が、ハンスを食堂の床に釘付けしていた。
(見た目はアレなのに、めっちゃ食べてみたい。頼めば、私にも分けてくれるだろうか…?いや、幾らでも払う。金なんか、捨てるほどあるんだ。大金貨を支払えば、文句あるまい…)
幼気な女児の昼食を金貨で取り上げようとは、実に腐った性根である。
だが、それもまた、尊い精霊さまのお導きだった。
ハンスはメルが拵えた魔法の料理を必要としていたのだ。








