狂人
魔法学校の生徒たちは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を魂から分離されて、徐々に生来の朗らかさを取り戻した。
それにつれて追跡型メンヘラ精霊の本体である人形も姿を変え、可愛らしいヌイグルミとなった。
黒くて禍々しい呪いの人形は、消え失せた。
そして今では、微笑ましい動物のヌイグルミが子供たちの腕に抱かれていた。
追跡型メンヘラ精霊は本来の役割を終えて、子供たちに寄り添う守護精霊へと生まれ変わったのだ。
子供たちが貧民窟で心に植え付けられたトラウマは、不良冒険者たちに恐怖を与えることで欠片も残さず消費された。
もう魔法学校の生徒たちが、意味もなく大人に怯えることはない。
帝国騎士団に所属するカール・レストナックは、魔法学校で学ぶ生徒たちの変化をつぶさに見守っていた。
「最初はどうなることかと不安だったけれど…。精霊の子ってのは、本当に奇跡を起こすんだな」
これまでは、どこか無理をして楽しげに振舞っていた子供たちから、肩の力が抜けた。
それは、とても素晴らしいことに思えた。
「カールさん」
「んっ。どうしたんだい?」
以前、カールに声をかけられて泣きだした少女が、気まずそうな様子で佇んでいた。
「あのぉー。これまでのことを謝りたくって…」
「えっ。どういう事かな?」
「あたし、意味もなく騎士さんたちのことを憎んでいました。カールさんは何もしていないのに、酷いことをする人だと決めつけていたの…。ゴメンなさい」
「これはご丁寧に…。しかし、小さなレディーよ。そのようなことは、気になさらなくてもよいのです。あなたが大人を憎むようになったのは、大人に責任のあることですから…。私だって、責められるべき立場にあるのです」
「でも、ゴメンなさい。それと…。あたしたちを気遣ってくれて、ありがとぉー」
頬を赤く染めた少女は、ペコリと頭を下げてカールのまえから走り去った。
嬉しかった。
魔法学校で子供たちと信頼関係を築くために頑張ってきたことが、ようやく認められたような気がした。
(だけど全ては、理事長のお陰なんだよなぁー。そこが納得できん)
お花畑の手入れをしていたケット・シーが、カールの尻をポンポンと叩いた。
「このイケメンがぁー。モテモテ男だニャ」
「いや、何を言ってるんだ。魔法学校の女生徒をネタにして、そんな浮ついた話をするのは良くないぞ!」
「そうかニャー?騎士さまと言えば、女子の人気三番目には入りそうな気がするけどニャ」
「ばっ、バカなことを言わないでくれ!!」
視線を向けると、花柄のワンピースを着たトラ猫が、目を細めて笑っていた。
帝都ウルリッヒの地下迷宮で訓練を続けるバルガスのもとに、50名近い不良冒険者たちが送り込まれた。
「なんだ、こいつ等は…?」
「妖精女王陛下の御命令で、クズどもの性根を我らで叩きなおすことになった」
「我らって…」
「もちろんバルガス、貴様たちと、この迷宮を管理する我々だ」
悪魔王子が得意そうに胸を張った。
メルに用事を仰せつかって、本心から喜んでいるのだろう。
「はぁー。よりにもよって、こいつ等を…」
バルガスとしては、へっぽこ冒険者を大量に預けられても面倒くさいだけだ。
何も面白くない。
「オマエたち、きちんと並べ!」
「そこぉー。だらしなく、列を崩すんじゃねぇ。そんなことも満足にできないのか?!」
バルガスの部下たちに怒鳴りつけられて、へっぽこ冒険者の集団がノロノロと隊列を作る。
「背筋を伸ばせ。指先は揃えて、腿につけろ!」
「アゴを引き、視線はまえだ」
「手にしたカンテラを無くすんじゃねぇぞ」
「コノ野郎、逆らうんじゃねぇ。オマエは何様だ、ゴラァー!」
「ウゴッ!」
不貞腐れていた男が、木剣で強かに殴り倒される。
死んでも死ねないモードに設定された迷宮では、手加減無用で折檻できる。
これは罰と再教育を両立させた、お得なキャンペーンである。
「こういうのは、どうも気が進まねぇ。昔なら喜んでボコっただろうが、俺も枯れちまったからなぁー」
言いながらバルガスが、手近のへっぽこ冒険者を蹴り飛ばした。
「ヒグッ!」
「姿勢を崩すなって言われただろ」
眉間に縦筋を刻み、倒れ伏した冒険者の頭をぐりぐりと踏みにじる。
「取り敢えず、ここに慣れるまで死んでもらおう」
「そうだな。恐怖に麻痺するまで、何度でも死んでもらうしかないか…」
悪魔王子の台詞にバルガスは頷いた。
「オマエら、ダンジョン・サバイバルだ。当面の目標は、簡単に死なないこと…。力の限り、地下迷宮を彷徨え。そして殺されながら、生き残る方法を身につけろ!」
教えるのは面倒くさいが、これならダンジョン任せである。
オートモードは、手間が掛からずに楽ちんだ。
「オマエたちのような罪人には、丁度いい。せいぜい励むがよかろう!」
悪魔王子はへっぽこ冒険者たちを嘲笑し、突き放すような態度で言い放った。
文字通り、地獄のブートキャンプが始まった。
サリムことフランツは、恐怖に青褪めていた。
「父上の傍にいるのは、辛かった」
モルゲンシュテルン侯爵領で暮らした日々を思い浮かべ、フランツの表情が苦渋に歪んだ。
罪のない領民たちを魔導兵器で駆り立て、無慈悲に弄り殺す。
心が凍りつくような日常。
「だが、ここも最悪だ」
「ウギャァー!」
前方で、また誰かが死んだ。
「落とし穴か…」
そこいら中に、致死性の罠が仕掛けられていた。
暗がりの向こうからは、小鬼どもが矢を射かけてくる。
一瞬たりとも生きた心地がしない。
フランツは腰に下げたカンテラを外して、足元を照らした。
もしカンテラを無くせば、地下通路は一寸先も見えない真っ暗闇となる。
トラップを避けるにはカンテラの灯が必要だけれど、両手を空けていないと小鬼の襲撃に対応できない。
「こんな状況では、死を避けることなどできない」
死んでは生き返るの繰り返しだ。
殺したり殺されたりで、心がすり減っていく。
行くも戻るも、地獄でしかなかった。
だが地下迷宮での再教育は、生き埋めよりマシである。
そして本当に最悪なのは、魔法博士たちのもとへ送られることだった。
かつて薔薇の館を管理していたロペスは、身長が30センチメートルほどの骨人形に改造されてしまった。
その恐怖をフランツたちは知らない。
身と骨を削られる痛みが、どれほどのモノであるのか…。
ブートキャンプで落ちこぼれたなら生き埋めにされ、それでも態度が改められないときにはニキアスとドミトリに預けられる。
セップが魔法博士たちに連れ去られた事実は、へっぽこ冒険者たちに公表されていなかった。
セップに待ち受けている未来は、まだ分からない。
そこはニキアスとドミトリの気分次第だった。
◇◇◇◇
『帝都ウルリッヒでは、地下迷宮から悪霊が溢れだしている』
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、この噂を耳にして大いに笑った。
「どうやら屍呪之王を封じる結界に、綻びが生じたようだな。粘りに粘りおったが、最早これまでか…。ウィルヘルムの焦る顔を想像すると、愉快で堪らぬわ!」
「この機に、帝都へ攻め上りますか?」
「うむっ。もうしばらく、焦らしてみよう。打つ手もなく、必死で足掻くバカどもを眺めるのも一興よ」
「ミッティア魔法王国からの増援は、如何なさいますか?」
「そうだな…。転ばぬ先の杖とも申すゆえ、更なる援助を依頼したい。屍呪之王が解き放たれた場合を考えるなら、いまの兵力では心もとない。なぁーに、万が一のことよ。其方の国でも、屍呪之王を野放しにされては困るであろう」
「まさに、モルゲンシュテルン侯爵の仰る通りでございます」
ミッティア魔法王国から派遣された使者は、バスティアンに恭しく頷いて見せた。
使者の名はワルター。
七人委員会の老師マスティマの部下である。
ワルターもまた、二百歳を越えるエルフの一人だった。
ワルターは紛争地帯に油を注ぐ、老練な戦争屋である。
枢密院の主戦派と強固な繋がりを持ち、魔導兵器開発局から多額の活動資金を受け取っていた。
エルフゆえに、ワルターの外見は若々しい。
だが酷薄そうなアイスブルーの瞳は、退屈に倦んで見えた。
ワルターは『調停者』を捜し出してミッティア魔法王国に招くよう、七人委員会から密命を受けていた。
(ふっ…。調停者クリスタとは、また随分と黴が生えた名だ。何とも、馬鹿げた話よ)
ワルターには、クリスタを捜すつもりなど毛ほどもなかった。
ワルターが望むのは、常に派手な戦争である。
「重装備の魔導甲冑を20体ほど…。それに加えて、魔法軍の兵士を50名ほど都合できるか…?」
「はい。取り急ぎ、本国へ要請を致しましょう」
「よろしく頼むぞ」
「畏まりました」
モルゲンシュテルン侯爵領は、とっくの昔に経済破綻している。
それでもミッティア魔法王国に援助を要請するバスティアンの図々しさは、ワルターを呆れさせた。
エドヴィン・マルティン老人が急死して、魔鉱石の製錬所は始動する前に放置された。
そのうえ自社倉庫から次々と密輸品が発見されて、マルティン商会は虫の息だ。
モルゲンシュテルン侯爵領の主な資金源は、マルティン商会である。
だがバスティアンは、マルティン商会が潰れようと全く意に介さぬ様子だった。
ワルターがタダの金貸しであったなら、決してバスティアンの傍には近寄らなかっただろう。
それだけではない。
家督を継ぐべきフランツが出奔したときにも、顔色一つ変えなかった。
モルゲンシュテルン侯爵家には、フランツの代わりとなる後継ぎがいないのに…。
とにかく正気とは思えなかった。
代々、屍呪之王を封じてきた家というものは、呪われているのかも知れない。
バスティアンだけではない。
モルゲンシュテルン侯爵家に関りを持つ者たちは、皆どこか狂っていた。
モルゲンシュテルン侯爵家に仕える騎士たちは、面白半分で駆り集めた遊民たちを大きな竪穴に放り込み、衰弱していくのを楽しそうに眺めている。
飢えた遊民同士が共食いを始めたなら、指をさして嘲笑う。
この見世物は、モルゲンシュテルン侯爵領に集まった商人たちのお気に入りでもあった。
彼らは死臭を放つ竪穴の周囲にテーブルを据えて、暇さえあれば豪勢な宴を開いた。
遊民たちに残飯を投げつけて、奪い合いをさせるのが彼らの娯楽だった。
ワルターには、バスティアン・モルゲンシュテルンという男が理解できなかった。
領民たちも狂っている。
(バスティアンが狂人だろうと、いっこうに構わん。ウスベルク帝国と盛大に戦ってくれるなら、それで充分さ)
ワルターの口元に、満足そうな笑みが浮かんだ。
モルゲンシュテルン侯爵領はウスベルク帝国侵略の橋頭堡として、すでに充分な役割を果たした。
何ならバスティアンが動かなくとも、ミッティア魔法王国の魔法軍を動かせば事足りる。
それだけの兵力がヴェルマン海峡を渡り、モルゲンシュテルン侯爵領に集結していた。
こうなればもう活動資金など、魔導兵器開発局から幾らでも引っ張れる。
(ああっ…。戦争の予感に、わが胸は高鳴る)
事態はグウェンドリーヌ女王陛下や七人委員会の思惑を無視して、枢密院の主戦派と戦争屋ワルターが望む方向へ転がりだした。