アーロンの心労
「ちっ…。バカ野郎どもが…!」
グレゴール・シュタインベルクは、いきり立つ冒険者たちに突き飛ばされて床に倒れた。
不景気の煽りを喰らい、暇を持て余して冒険者ギルドで安酒を呷っていた男たちは、身なりのよい子供に挑発されて簡単に切れた。
目を血走らせて通りに飛び出していった連中の形相は、通り魔や殺人鬼と変わらなかった。
凶状持ちのロクデナシだ。
「あいつらぁー。ゲーム気分で遊民のガキを殺してるって噂は、本当だったか」
信じたくはなかったが、もう明らかである。
今すぐに追いかけて、止めなければ…。
それこそ、ぶち殺してでも止めなければならない。
グレゴールは酒瓶を放り捨て、立ち上がった。
「うっ!」
このところの不摂生が祟り、不覚にも立ち眩みに襲われた。
悪党たちから賄賂を受け取り、悪事の片棒を担ぐ振りをして、もう心が限界だった。
だから酒を飲み始めた。
「くっそぉー。酒だ。酒のせいで、身体が錆びついてやがる」
己を罵りながら剣を手に取り、出入口の扉へと向かう。
だが、頑として扉は開かなかった。
「おいっ。どうして開かねぇんだよ?!」
「オマエの出番じゃないからさ」
黒ずくめの男が、グレゴールの放り出した酒瓶を床から拾い上げ、テーブルに戻した。
「はっ。誰だキサマ…!いつの間に、入り込みやがった?!」
「ちょっとした魔法を使った。同じ理由で、その扉は開かない」
悪魔王子だった。
「何だとぉー。俺の邪魔をするんじゃねぇ!」
グレゴールは剣を鞘から抜いた。
「グレゴール・シュタインベルクよ。大切な手紙を放置して、何処へ行こうというのか?」
悪魔王子は、グレゴールが落とした手紙を指さした。
メルがクリスタから預かり、グレゴールに届けた手紙だ。
「子供が…。こどもの命が危ねぇんだよ。扉を開けろ!」
「落ち着け…。手紙は読んだのか…?」
「そんな余裕はねぇ…。あの子を助けなけりゃ…。あの子は、調停者さまの遣いなんだぞっ!」
グレゴールは剣を構えたが、斬り込めない。
どう攻めたところで、黒ずくめの男に勝てそうもなかった。
そこらの剣士とは、圧が違った。
相対しているだけで、キモが冷える。
「落ち着け…。オマエが心配している子供は、死んだりしない」
「ふざけるんじゃない。何の根拠があって、そんな台詞を吐けるんだ!」
「酒精のせいで、まともに脳ミソが働かぬようだ。調停者さまの遣いが、たかが冒険者なんぞに殺されるものか…。ハッキリと言おう。オマエの善意は、邪魔だ」
悪魔王子が、面倒臭そうに告げた。
「邪魔…?」
「そうだ。調停者クリスタの手紙には、オマエの予定が書かれている。オマエはメジエール村の冒険者ギルドへ移動だ。これを受け取れ!」
「こいつは何だ?」
「旅券だ。フーベルト宰相から預かった…。俺に手間をかけさせるな…。自分で手紙を確認しろ!」
「だが、俺の仕事は…」
「近々ミッティア魔法王国の工作員どもは、一掃される。ウスベルク帝国を裏切った貴族連中もな…。オマエは不愉快な二重スパイの任務から、解放されたのさ。余生はメジエール村で、気ままに過ごせ」
グレゴールは剣を鞘に納め、手紙の封を切った。
◇◇◇◇
「よくやったなサリム!」
「スカッとしただろ」
「派手にスッ転がって、愉快だったぜ」
「初めてにしちゃ、上出来だ」
「アハハ…。ありがとう」
フランツは仲間たちに煽てられ、礼を言った。
だが引き攣った愛想笑いの下で、酷い苦痛を味わっていた。
酔いは醒め、吐き気が込みあげてくる。
(無力な子供を殺しちまった…)
十歳になるかならぬか…。
走って逃げる子供は、ナイフさえ身に着けていなかった。
それを追いかけて、背後から頭を戦鎚で殴りつけた。
(オレは、何をしたんだ?)
頭から血を噴きだし、小さな身体が宙に舞った。
勢いよく雪道を転がった子供は、水たまりに浸かって動かなくなった。
仲間たちから殺せと唆された。
ひどく酒に酔っていた。
愚行の理由としては、充分じゃないか。
フランツには生活能力がない。
仲間たちが居なければ、衣食住にさえ事欠く有様だ。
だから、どうしても逆らえなかった。
食い詰めたフランツに助けの手を差し伸べてくれた、気のよい仲間たちなのだ。
(あの子が、皆を怒らせたりしなければ…。こんなことには、ならなかったんだ)
何故、ゴミ箱を投げつけて、罵声を浴びせたりしたのか…。
(煮えたぎる鍋に手を突っ込めば、誰だって火傷をするに決まっている)
自分の身も守れないくせに、大人を怒らせた。
自業自得だ。
それでも…。
普通なら、厳しく叱りつけてオシマイだ。
三つ編みが揺れる頭に、戦鎚を叩きつけたのはフランツだった。
(オレがコロシタ…)
臆病者のフランツは、結局のところ血族の呪いから逃れられなかった。
これではモルゲンシュテルン侯爵家から逃げ出し、サリムと名前まで変えた意味がない。
屍呪之王を縛る封印は、祖父の代に行われると思われていた。
しかし多くの遊民を贄とする儀式は先送りされ、やがて祖父が死んだ。
跡を継いだフランツの父バスティアンは、日毎に心を病んでいった。
その言動は荒み、面白半分で人を殺すようになった。
『フランツよ。オマエも、父を真似て慣れておけ!』
封印の書き換えで大勢の人を殺すのだから、本番で動じることが無いように己を鍛えろと、真顔で忠告してくる。
『人を人と思うな。ブタだと思え!』
フランツは、父の狂気に耐えられなかった。
だから逃げた。
だが残念なことに、モルゲンシュテルン侯爵家を捨てたフランツは遊民と変わらなかった。
身分を保障するものがなく、まともな仕事には就けない。
そのうえ遊民たちとは違い、これまで何不自由なく暮らしてきたお貴族さまだ。
飢えや寒さをしのぐ方法を知らず、貧しさには我慢ならない。
そして気がつけば、悪党たちと肩を並べて歩き、酒浸りの日々を過ごすようになっていた。
(子どもを殺しちまった…!)
もう戻れない。
フランツは道を誤った。
「しかしよぉー。真昼間に、冒険者ギルドの近くで殺しは不味かろう」
「ギルマスの野郎、絶対にチクるぞ!」
「いいじゃねぇか…。潰れかけたギルドに、今さら何の用がある?」
「言われてみりゃ、その通りだ」
「こうなったら、ウェンデルさんのところに転げ込もうぜ。なぁーに、まさか嫌とは言うまい」
ウェンデル商会は、ミッティア魔法王国から密輸入した魔法具を売りさばく悪徳商人だった。
帝都ウルリッヒで暮らす貴族たちに、奴隷の斡旋もしていた。
こうした悪事には、これまでフランツたちも積極的に加担してきた。
だが現状では、用心棒を必要とするような仕事などない。
要するにフランツたちは、悪徳商人の足元を見てタカリに行くのだ。
ベルゼブブたちは、激しくなってきた雪をものともせずに飛ぶ。
妖精女王陛下に乱暴狼藉を働いて、何事もなく逃げ果せられるはずがなかった。
◇◇◇◇
牡丹雪に塗れてジャリジャリの氷菓子と化したメルは、救護班の手で警備隊詰所に運ばれた。
前世が前世なので、メルは苦痛に対して驚くほどの我慢強さを見せる。
アビーに折檻されると大声で泣き叫ぶが、骨折などの大けがを負った際には樹木のように動かなくなる。
動物としては、どうしようもない欠陥品と言えよう。
だけど、もともとが精霊樹なので仕方ない。
また妖精たちの守りがあるので、誰かに助けを求めたりしなくても、負傷箇所は治療される。
只今メルは、警備隊詰所で待ち構えていたアーロンの指示で、お湯に浸けられていた。
「フヒーッ。手足がジンジンすゆぅー」
「湯加減は如何でしょうか?」
「うむっ。もうちょい熱くてもエエで…」
メルの言葉を受けて、バスタブにお湯が足される。
凍傷治療のぬるま湯が、グンと温かになる。
「精霊の子、恐るべし…。普通の子供なら、凍死しているところですよ」
普通の子供なら、殴られた時点で即死している。
「それな…。めっさ、ちべたかったわぁー。死んだ振りも、楽じゃありません」
「こんな日に作戦実行とか、ムチャも大概にしてください」
「うん…。そこに関しては、反省しとぉーよ」
ふと思い立ち、行き当たりばったりで実行に移した。
かねてから計画は立っていたが、雪の日を選ぶ必要などなかった。
何なら、春の訪れを待っても良かった。
「天気なぁー。メジエール村は、スカッと晴れておったから…」
「ここは帝都ウルリッヒです。まったく、どれだけ離れているか考えてください」
「予定とか、状況把握とか、おまぁーは求めるものが高度すぎマス。十歳児には、ちと難しい」
「そぉーですか?!」
メルの世話を焼くアーロンとしては、とても不安である。
一方的に連絡を寄こして、こちらの返事も待たずにやらかす。
なまじっか少女になって行動力がついた分、その厄介さは増していた。
「最近、枕につく抜け毛が気になるんです」
「ストレスやね…。おそらくはコーテェー陛下のグチが、原因と思われマス」
「メルさん。あなたのせいですよ!」
アーロンが冷え切ったメルの腕をマッサージしながら、ぼやいた。
アーロンは調理人としてのメルを慕っているだけで、未成熟な女子に関心を示さない。
だからメルのツルペタな裸体をまえにして、些かも動じることはなかった。
むしろ、妖精女王陛下の世話を他人には任せられない、くらいの意気込みなのだ。
ラヴィニア姫への想いも、限りなくプラトニックなものである。
それは自己犠牲を厭わぬ聖女さまへの、崇拝の念に近い。
(よくよく付き合ってみると、アーロンって絵に描いたような草食系男子だよね。しかも、どことなく枯れている)
よくしゃべるお調子者のくせに、わび・さびの境地を感じさせる。
そもそもアーロンに性衝動があるのか、微妙なところだ。
それでもラヴィニア姫に懸想する若作りのエルフは、メルにとって目障りな恋敵だった。
大切な味方に、恋敵であるからと意地悪をすればメルの心が痛む。
妖精女王陛下たるもの、如何なるときもフェア精神を忘れてはならない。
アーロンが宣教師ザビエルのヘアスタイルになれば、少しは優しくできるかも知れない。
アーロンが、無駄に格好良いからいけないのだ。
そう思う、メルであった。
先ずは、そこのさじ加減をフェアにしたい。
「んっ。でもなぁー」
メルは温まってきた身体をほぐしながら、アーロンに反論した。
「あーたらも、『呪われし魔法具作戦』に同意したデショ。屍呪之王を縛る結界が緩んだ振りをして、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵とミッティア魔法王国の連中を煽り、同時に裏切り貴族どもや潜入工作員から魔法具を取り上げられるって、大いに喜んでいたじゃありませんか…」
「それは、そうですけど…。幽霊で悪人どもをビビらせるとか、メルさんでなければ思いつきませんしね。よい作戦だと思います」
「だったらさぁー。毛ぇーが抜けるくらい、どうってことありませんヨネ。アーロンは、エルフとしてもいい歳なんだしぃー。いっその事、ツルッパゲでも良くねぇー?」
メルが小鬼の顔になった。
「ハゲとか、簡単に口にしないでください!」
「はぅ!」
アーロンはメルの下唇をグイッと引っ張った。
いつも筆者の気付かない誤字を見つけて下さり、感謝に堪えません。
ありがとうございます。
感想のお返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
花粉にやられて、どうにもならんのです。
目がねぇー。
でも頂いた感想は、残らず読ませて頂いています。
単なる花粉による体調不良なので、ご心配には及びません。
今後もよろしくお願いします。