カレーライスの日
「いってらぁー!」
「メル…。ちゃんとおとなしく、留守番できるのか?」
「お腹がすいたら、クッキーとミルクを出して食べるんですよ」
「わぁーた。だいじょーぶ。はよ、いけ…!」
『酔いどれ亭』の入口に立ち、メルは二人を急かした。
「暗くなるまでには戻るからな…」
「ゴメンね。留守番なんかさせちゃって…」
「わらし。ちゃんとすゆ!シンパイ、すぅなー」
「いいか…。遠くに行くんじゃないぞ。オマエは、広場の外に出たらダメだ…。それと、厨房には入るなよ!」
「わぁーた。わぁーた。わらし。いい子すゆ!」
「じゃあ、よろしくね」
「行ってくるぞ」
フレッドとアビーが一緒に出かけた。
何でも大切な用事があるらしい。
二人に同行させて貰えないメルは、ひとりポッチで留守番だ。
遠ざかる養い親の背が見えなくなると、メルはスキップしながら『酔いどれ亭』に戻った。
気分はルンルンである。
一昨日の夜…。
『宿屋のオデットさんに、メルちゃんを預かってもらおうか…!』と、アビーが提案したので断った。
それはもう、全力を挙げて断った。
だって…。
フレッドとアビーが居ない。
だって、だって…。
『酔いどれ亭』にメルちゃんひとり。
(て、ことはだよぉー。て、ことはだ…。てへっ…。今日はカレーの日ぃ~♪)
禁止されていた厨房に、入り放題。
鍋もコンロも好きに使える。
こんなチャンスを逃す訳には行かなかった。
「むむっ…!」
厨房の出入口が、大きな木箱で封じられていた。
さっそくの小細工だ。
子供だましの小細工だ。
「ムダなことを…」
メルは女児だが、ただのちみっ子ではない。
カレーライスを食べると心に決めた、スーパー・エルフ女児なのだ。
〈妖精さん、よろー♪〉
〈キャハハ…。やるやるぅー♪〉
風の妖精がメルの周囲に集まり、ふわりとコンパクトボディーを宙に舞い上げる。
あっという間にメルの身体は、木箱の上。
(おやおや…。ホントに子供だましだ。支えのつっかえ棒もなし…。ただ単に、重たい木箱を置いただけだよ)
メルを邪魔しているのは、保存のきく根菜などがゴッソリと入っている木箱だ。
芋やニンジンにかぼちゃ…。
詰め込まれた根菜のせいで、木箱はメルよりずっと重たい。
だけど妖精パワーを手に入れたメルには、障害でも何でもなかった。
「どかぁーす!」
身のうちに宿った妖精の力を借りて、『うんこらせ!』と木箱を押しやる。
これで厨房への通路が確保された。
メルの目のまえに、憧れの厨房が広がった。
「……おっ!くろいの、おるやん」
まずは宿敵の駆除である。
毎日フレッドとアビーが掃除していても、黒いヤツは現れる。
人類の敵、食材の敵、美味しい料理の敵。
根絶すべき、メルの宿敵だ。
「おまぁー、ニクくさらすやつ。くぅー、ゆるさんヨ!」
肉好き女児のアイアンクローが炸裂した。
霊力全開。
たちどころに黒いモヤモヤは消え失せる。
浄化完了…。
(精霊樹の実で、メッチャ強化されたよね。妖精さんとも、意思を交わせるようになったし。妖精さんの部隊も、編制したし)
メルは洗浄で水の妖精たちと遊んだ経験から、同じに見える妖精にも個性があるコトを学んでいた。
今では…。
その威力から用途別に、十三段階に分けられた洗浄。
一がトイレの魔法だ。
三で皿の汚れを拭い去る。
八で鍋の焦げをこそぎ落とす。
威力が十になると、固い岩も砕け散る。
そこより上は、危ないので禁止だ。
つまり妖精たちには、血気盛んな子と穏やかな気質の子がいて、適材適所で使い分けてやらなければいけない。
使い分けないと、魔法コンロから火柱が立ち昇る。
『俺つぇぇー!』な妖精さんに、繊細さは期待できない。
そう言うことだ。
フレッドは妖精を見ることができないけれど、ちゃんと魔法コンロを使いこなしていた。
厨房には、火酒の注がれた小皿が置いてある。
火の妖精は、蒸留酒が好きなのだ。
フレッドの心遣いだった。
メジエール村では妖精との信頼関係によって、魔法の上達が約束される。
だから常日頃から、感謝の気持ちは欠かせなかった。
これが魔石を必要としない、メジエール村の秘密である。
メジエール村は太古の昔から続く、人と妖精の絆が大切に受け継がれた村なのだ。
メルは花丸ショップで買い入れたニンニクと生姜を細かく刻み、弱火で加熱したフライパンに投じる。
小さく刻まれた白いつぶつぶが、熱い油の中を泳いだ。
メルのおたまが、カチャカチャと油をかき混ぜる。
軽やかな音を立て…。
ゆっくりと香ばしい匂いが、厨房に漂いだした。
そこに細切れの玉葱をゴッソリと追加して、飴色になるまで炒め続ける。
(うわぁー。美味しそうだ。良い匂い)
玉葱がいい感じになったら、水を注ぎ入れる。
本日、カレーのルーは、種類がある中から厳選した『うまうまカレー』だ。
パッケージには花丸食品、うまうまカレー中辛と書かれていた。
(カレーのお姫さまは、なんか子供っぽいし。子供カレーの気分じゃないし。どうせなら本格的なのが食べたい。でも、口が女児になっちゃったから、辛いの怖いし。やっぱり、ここは中辛で決まりだ)
かなり悩んだ末の、うまうまカレー中辛だった。
カレーの具に用意したのは、仔牛の頬肉、ナス、パプリカ、マッシュルームである。
辛すぎたときのために、ラッシーも作る。
ヨーグルトにミルクと蜂蜜を混ぜ、冷凍のブルーベリーも加える。
ブルーベリーを砕き、トロリと口当たりよく撹拌してくれるのは、風の妖精さんだ。
ひんやりとさせるために、水の妖精さんも力を貸してくれる。
「どっこいせ…!」
メルは米と水が入った土鍋を火にかけた。
中火から強火の間で、お米から旨味を引きだすために必要な時間を掛け、ぐつぐつと沸騰させる。
ここは火加減を火の妖精さんに、お願いする。
ずっとフレッドにコンロを任されてきた火の妖精さんは、火加減のプロフェッショナルだ。
「いそがしぃー!」
仔牛の頬肉が煮えてきたら火を止めて、カレーのルーを溶かす。
隠し味に、精霊樹の実を使ったチャツネもどきも投入。
チャツネもどきは、ちょっと手間が掛かるけれど作り置きができる。
焼肉のタレにも応用できるので、メルが予め作って保存しておいたものだ。
カレーの日のために…。
「ふわぁー。カレーだぁ!」
懐かしい香辛料の匂い。
カレーの匂いが、寸胴鍋から溢れだした。
「ごきゅん!」
抑えようもなくヨダレが溢れてくる。
ナス、パプリカ、マッシュルームを鍋に入れたら、味の調整をして火を落とす。
ご飯が炊けたらカレーライスの完成だ。
「ひゃっはぁー♪」
メルは妖精さんたちとダンスを踊った。
「さぁてとォー」
テーブルの準備だ。
料理スキルと妖精の助けがあったけれど、初めての料理である。
思いのほか時間が掛かり、とうにお昼どきを過ぎていた。
お腹はペコペコだ。
メルはせっせとテーブルを拭いて、コップやスプーンを並べた。
もしかするとパンが欲しくなるかもしれないので、アビーが用意してくれたバターロールもパン皿に盛りつけた。
絶対に食べきれない量である。
実のところ、土鍋のご飯もやばかった。
初めてのクッキングは、作った量に問題があった。
料理屋の娘なので仕方がない。
たくさん作りすぎてしまうのは、宿命のようなモノだった。
「ごはん、むらした。おぉーっ。うまく、炊けたぁ!」
ご飯の粒々が立っていて、表面もツヤツヤだ。
〈アリガトォー。火の妖精さん〉
〈ひゃひゃひゃ…。ちょろいぜ…!〉
フレッドの妖精さんは、火加減の達人だ。
ヒトではないけれど…。
メルは幼児用のお皿にご飯を盛りつけ、寸胴鍋からカレーをよそった。
背が足りないので、足台に載っての高所作業だ。
「くぅーっ。ジュルル…!」
キラッキラのカレーライスだ。
パプリカの色合いも美しい。
芋と人参のカレーじゃないけれど、ナスが美味しいに決まっている。
仔牛の頬肉だって、プリップリに違いない。
空腹と美味しさの予感にクラクラしながら、メルはお皿をテーブルに置いた。
「あっ、そぉーだ」
温い季節にカレーを食べるのだ。
暑くなって汗をかくに決まっていた。
それに、カレーを溢す危険性があった。
ワンピースに染みが残ったら、フレッドやアビーにバレてしまうかも知れない。
「ぬぬっ、ここはやむなし」
メルは汚しそうな服を脱ぎ去り、かぼちゃパンツ姿で席に着いた。
そのとき店の扉が開いて、ひとりの男が顔を覗かせた。
行商人のハンスだった。
店主のいない『酔いどれ亭』に、お腹を空かせた常連客が…。
パンいちエルフ女児の運命や如何に…?
次回、【初めてのお客さま】をヨロシク。