凍てつく大地を温めよう
概念界の上空を悠然と黒鳥が舞う。
ブラックバードは巨大な翼を広げて、滑空する。
眼下には、雲海が広がっていた。
ブラックバードに頭部はない。
胴体部にある七つの目が、雲海の切れ間から覗く雪原を見据えている。
「ブラックバードから、通信あり!」
「ブラックバード、目的地に到達…。次の指示を求む」
ユグドラシル王国国防総省の司令塔では、【ドワーフ文明補完計画】が進行していた。
「妖精女王陛下、許可をお願い致します」
司令官が、メルに指示を求めた。
白いひげを伸ばした、地の妖精だった。
もちろん、ユグドラシル王国国防総省に籍を置く、闘う邪妖精である。
「うむっ。ドワーフたちのテクノロジー(ゴーレム)は、失う訳にいかない。我々は全力を挙げて、【ドワーフ文明補完計画】を遂行する」
「仰せのままに、妖精女王陛下…」
「では、予定通り。ヴォルケーノを投下せよ!」
メルは付髭を弄りながら、ヴォルケーノの射出を命じた。
「妖精女王陛下より、許可を得た。ブラックバードは、ヴォルケーノを投下せよ!」
ヴォルケーノは、火の妖精を高密度で融合させた火神だ。
「これを以て、ハルフォーン山脈地帯を活性化させる。火竜部隊は火神に協力し、気候の調整に努めよ!」
「わたしは現象界にて、ラヴィニア姫とドワーフの集落へ向かう…。木人たちを投入して、枯れた大地に命を注ぐ。緑地化だ」
「了解であります。木人の大部隊を転送しましょう」
司令官は、どことなく嬉しそうだ。
ドワーフ族の運命は、地の妖精たちにとって無視できないものだった。
鉱山で暮らすドワーフ族と地の妖精は、近しい間柄なのだ。
「ヴォルケーノ、現象界との境界面を突破。火神として、ハルフォーン山脈の地下に定着…」
「順調に、地熱が上昇中…。成功です。環境改造の第一段階が、完了しました」
「「「「「うぉーっ!!」」」」」
ユグドラシル王国国防総省の司令塔に、妖精たちの歓声が上がった。
「火神が、火の妖精を呼んでいます。複数の転移ゲートが開きます」
「ハルフォーン山脈北西部にて、小規模の噴火。ただし、ドワーフ族の集落に影響なし…」
「雪崩が発生しましたが、こちらも問題なしです」
「頑固なドワーフたちが造った、丈夫な洞穴住居だ。地震くらい、余裕で乗り越えてもらいたい!」
経年劣化を考えると、少しだけ不安になるメルだった。
◇◇◇◇
クリスタから緊急連絡を受けたメルは、可及的速やかに対応した。
エルフたちの引っ越しを幼児ーズとトンキーに任せ、ドワーフ族の土地に概念界から改変を加えた。
凍てついた大地に、活力を注入したのだ。
ドワーフ族が暮らす洞窟住居の位置は、クリスタの訪問によって明らかとなった。
座標データーがいい加減だとヴォルケーノの投下地点もあいまいになり、ドワーフ族の最期を招きかねない。
言うなれば、火神はマグマだし火山だ。
住まいに近すぎるのは怖い。
「ぐつぐつと煮えたぎる溶岩の上に、家を建てるバカはおらんヨォー」
高温のマグマは、大量の有毒ガスを発生させる。
いくらドワーフが頑丈でも、火竜の生息地には暮らせまい。
メルとラヴィニア姫はハルフォーン山脈に最も近い異界ゲートへ転移し、飛竜ゼピュロスの背に乗った。
長い冬に苦しんだドワーフ族の皆さまへ春をお届けすると言う趣旨のもと、メルはクリエイト召喚した飛竜に春を運ぶ西風の名を与えた。
「いけぇー。ゼピュロス!」
「飛ばせェー」
「クェェェェェェェェーッ!!」
高所を飛行するドラゴンの背で、恐怖より生じたつり橋効果により、メルとラヴィニア姫の関係が進展するような気配はなかった。
ラヴィニア姫は、ドラゴンが気に入ったようだ。
(ラヴィーって、ジェットコースターとかイケる口だよね…。僕の方が、ゲボしそうだよ!)
男として、何とも情けない話である。
いまは女児だけど…。
兎にも角にも、飛竜ゼピュロスは速い。
どこまでも続くかに思われた雪原を一息に飛び越え、ずんずんとハルフォーン山脈へ近づいていく。
「異界ゲートからの乗り継ぎで、日帰りコースじゃ!」
「クリスタさまは、ここを単独で歩き切ったのね。すごい…」
「婆さまは、冒険家じゃけん」
「冒険家って、冒険者とは違うの…」
「冒険に家ついとるけぇー。数段、格上とちゃうか…?」
冒険者のバルガスなら、雪原を見たところで引き返すだろう。
正しい判断だと思う。
辛いことは、一切したくない。
そして気づいたら、冒険せざるを得ない立場に追い込まれていた。
それが冒険者だ。
「ラヴィーも、分かるやろ?」
「ぜんぜん…!」
ラヴィニア姫が、ブンブンと頭を振った。
「ほらっ。さむーてさむーてベッドから出とぉーないのに、シッコしたくなって」
メルは諭すような口調で、説明を続けた。
「そんな話は、聞きたくないよ」
「それでも厠に行きとぉーないから我慢しておったら、耐えきれん尿意の波に襲われて…」
「わたしはぁー。クリスタさまの、格好よい話が聞きたいのに…」
「もう無理や…。と確信したところから、まじな冒険が始まりマス…。これなぁー。冒険者のパターンじゃ!」
『酔いどれ亭』は、未だに外便所だった。
「……メルちゃん」
「んっ?」
「わたし、トイレに行きたい」
「わらしも…」
二人は暫く前から、ずっとトイレを我慢していた。
モモンガァーZは、全シーズン対応のスーツだ。
これ一枚で夏は涼しく、冬は温かい。
肌の上にモモンガァーZを直接まとえば、大抵の温度差はものともしない。
だがモモンガァーZには、大きな欠陥があった。
お股の部分が、パックリと開かないのだ。
しかもセパレートではなく、全身スーツである。
丸っと脱がなければ、用を足せない。
そして、ここは鼻水さえ凍りつく雪原だった。
寒いに決まっている。
すごく嫌だ。
「やむなし!」
メルがゼピュロスの背から離床した。
もう漏れそうだ。
いや、既に滲んでいる。
「あっ、わたしもぉー!」
ラヴィニア姫が、メルに続く。
尿意に負けそうな女児たちの、プライドを懸けた冒険が始まった。
モモンガァーZが、メルとラヴィニア姫に風を纏わせる。
茶色い着ぐるみ姿の二人は、クルクルと宙を舞った。
息の合った美しいペア飛行である。
だが今は、美しさを誇るような余裕なんてない。
ギリギリまでは、急降下だ。
降下速度にビビッて漏らすか、間に合わずに漏らすか…。
それとも無事に、用を足すことが出来るのか…?
「やばぁ…。ラヴィーさん、もうヤバイっす」
「あきらめちゃダメ。人間はあきらめたら、そこでオシマイなの…。エルフだって、きっと同じはずよ…!」
「じゃあ、ガマンすゆぅー!!」
前世に加算すれば、メルは二十歳。
二十歳で漏らしたら、もう転生者失格ではなかろうか…。
スリル満点で、お尻がキュンとなった。
◇◇◇◇
飛竜はドワーフ族の洞窟住居がある崖下に、舞い降りた。
その知らせを受けたとき、忍耐力の限界にあったドワーフ族の長ドゥーゲルは、鼻から血を噴いた。
「今日は朝から、大騒ぎじゃねぇか。地震に噴火と続いて、次は雪崩だ。そんでもって、とどめがドラゴンの襲撃かよ。おらの我慢も、限界だぁー!!」
「うんうん…。先ずは、その鼻血を止めなっ。いい歳をして、みっともない」
「クリスタぁー。さては、おめぇー。災厄を運んできやがったな…!」
「失礼なことを言うんじゃないよ。妖精女王陛下の、お着きだよ」
クリスタは嫌がるドゥーゲルの鼻に、ハンカチをねじ込んだ。
(まったく…。メルと同じくらい世話が焼けるよ…)
ドゥーゲルに、斎王ドルレアックのような陰湿な厭らしさはない。
それでもドワーフ族のガサツさには、辟易とさせられる。
風呂に入らない(入れない?)ので臭いし、いちいち声がでかい。
ちょっとしたことで怒るし、感情表現も派手だ。
朝っぱらから酔っぱらっていて、他人の話を聞こうとしない。
女たちも、男に負けず粗暴である。
たぶん自分が頑丈なので、日常の所作が改まらないのだろう。
繊細なのは、物を作っているときだけ。
それだって他人お構いなしで、没入しているに過ぎない。
思いやりや気遣いはあるのだけれど、それ以上に性格がガサツなのだ。
一事が万事、クリスタにとって鬱陶しい。
メルがオモチャを握って発狂(興奮)しているときと、何も変わらなかった。
(メルなら、可愛いんだけどね…)
髭を生やしたオヤジにやられると、むかっ腹が立つ。
ラヴィニア姫と共にゼピュロスから降りたメルは、崖を眺めて眉を顰めた。
何となれば、そこにはウゾウゾと懐かしい黒い靄が蠢いていたからだ。
「ラヴィーさん。ここはアカン場所じゃ」
「ええっ。どうしたの…?」
「貧乏虫が、わんさかおるで…」
「ビンボウムシ…?」
「黒いモヤモヤじゃ。ひとの財産を食い荒らし、オイシイを台無しにしよる。それだけでなく、人に集って心を蝕む穢れデスワ」
メジエール村の黒い靄は、堆肥をつくる役に立っていた。
だけど、ここに居るのは別種だ。
帝都ウルリッヒを蝕んでいたのと同じ、最悪の貧乏虫(命名メル)だった。
それも何やら、ギンギンに強化されている様子。
「徹底的に浄化せんと、どうにもならん。こんな場所に精霊樹の苗を植えたら、カワイソウじゃ!」
「えーっ。そんなに…?もしかして、日帰りはなし?」
「ごめんなぁー。これは泊りじゃ!」
「着替え、持ってきてないヨォー」
モモンガァーZで、地べたに寝るしかなかった。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。