ギルベルト・ヴォルフの帰還
その日、珍しく朝から冒険者ギルドの事務室に陣取ったメルは、ギルドマスターのデスクに載って足の指をワキワキさせていた。
このところお馴染みとなった、腹掛けにかぼちゃパンツというクールビズな出で立ちだ。
冒険者ギルドでは内勤の仕事を割り振られた男たちが、大胆すぎる少女のファッションに居心地の悪い思いをしていた。
大胆に肌を晒す八歳の少女をついつい盗み見てしまう己は、いったい何者なのかと言う話である。
粗ほぼ全員が、腹掛けの隙間から見えるピンク色の部位に視線を吸い寄せられ、食い入るようにして見つめ、やがて自己嫌悪に陥った。
メジエール村での名誉挽回は難しく、久しく若い女性と言葉を交わした覚えさえない冒険者たちは、メルでも良かったのである。
そして、それこそが彼らに、自分自身の不甲斐なさを突き付ける残酷な刃となっていた。
「ちくしょー。おれは違うぞ…!」
「あれは悪魔チビだ。あれは悪魔チビだ…。惑わされちゃいけねぇ」
「仕事だ。仕事に集中するんだ」
「あんな小さいガキに、欲情してんじゃねぇ…。しっかりしろ、オレ!」
禁欲下に置かれた男たちの、哀れを誘う風景であった。
そんな冒険者ギルドに、颯爽と一人の紳士が姿を見せた。
ニキアスとドミトリに連れ去られた、不運のギルドマスター。
自称、大魔導士ギルベルト・ヴォルフであった。
「やぁ、バルガスくん。元気でやっていますか…?」
「うわっ、あんた…。ギルマス…。生きてたんですかい…」
「いやいや、失敬な…。こうやって元気に生きているよ。幻ではないぞ!」
ギルベルト・ヴォルフは右手のコブシで、トントンとバルガスの胸板を叩いた。
「これでも信じられぬのなら、頬っぺたでも抓ってみようか…?」
「あっ、申し訳ありませんでした。ギルマスは骸骨どもに連れ去られちまったんで、とっくに死んだと思っていやした」
ギルドマスターのギルベルト・ヴォルフが、帰ってきた。
書類仕事をしていた冒険者たちに衝撃が走り、その視線がギルベルト・ヴォルフからメルへと移動した。
冒険野郎一番星のメルさまと言えば、三代目ギルドマスターのギルベルト・ヴォルフを葬り去り、メジエール村の冒険者ギルドを支配下に置いた悪魔チビ。
倒されたと思っていたギルベルトが帰還したのなら、どうなってしまうのか…?
自称、大魔導師と、悪魔チビの対決…。
あの日の雪辱戦か…?
そう思って固唾をのみ、身体を硬直させて事態の推移を見守る冒険者たちであった。
だが、ギルドマスターのデスクに仰向けで寝そべっていたメルがムクリと起き上がり、まるで全てを知っていたかのようにギルベルト・ヴォルフを手招きした。
「遅い…。到着は朝だと、聞いておったのに…」
「おや、そちらにお出ででしたか…。これはこれは、お久しゅうございます。妖精女王陛下…」
二人の間には、欠片も緊張感がない。
「遅いわぁー。わらし待ちくたびれて、グダグダじゃ…」
「新しい衣装を揃えるのに、些か手間取りまして…。遅参のご無礼を深くお詫び申し上げます」
ギルベルト・ヴォルフは、デスクに載ったメルを見上げるようにして跪いた。
メルが裸足で、ギルベルトの顔を踏んだ。
踏みつけた上に、指をワキワキさせた。
「おほぉーっ。何と可愛らしい、おみ足でございましょうか…」
「顔を踏まれても、怒らんのかぃ…?ニキアスとドミトリは、しっかりと仕事をしてくれたようじゃのぉー」
「それはもう…。素晴らしい授業でございました。何度、殺してくれと泣き叫んだか、思い出せぬほどでございます」
メルの足に頬ずりするギルベルト・ヴォルフを目にして、冒険者たちは怖気づいた。
『ギルマスは、いったい何をされてしまったのだろう…?』
この世には、生き埋めの拷問より恐ろしい仕打ちがあるようだった。
「麻薬は、カンペキに抜けたか…?」
「はい、おかげさまで…。小賢しい洗脳からも、すっかり解放されました。これまでになく頭脳は冴えわたり、気力に満ちておりまする」
「したら…。責任を追及しますか…」
「ははぁーっ。此度の一件は、全て私めの不徳の致すところ…。如何ようにも、罰をお申し付けください」
「アホか…。おまぁーが悪いのでは、そこで終わってしまうやろ。話が先へ進まへん。責任はぁー。おまぁーに命じて、メジエール村を侵略させようとした者に取らす!」
メルが小鬼の顔になった。
「侵略ですか…?」
「メジエール村は、ウスベルク帝国にもミッティア魔法王国にも属さん。ユグドラシル王国の領土じゃ。正式な文書に、村長さんのサインも貰ってある…。領土侵害はのぉー。エライ、たこぉーつくで…。ブハハハッ…!」
メルはデスクに仁王立ちとなり、高らかに笑った。
◇◇◇◇
帝都ウルリッヒのミドルタウンに、大勢の美しい女たちを囲う瀟洒な屋敷が建っていた。
マルティン商会が出資している娼館だ。
マルティン商会のエドヴィン・マルティン老人から信頼され、汚れ仕事を一手に任されているのが、この娼館の管理人である。
表向きは美人で評判の女主人が経営を取り仕切り、何も怪しげな素振りを見せない。
管理人は娼館の執事に身をやつした、腕の立つ魔法使いだった。
異界ゲートで転移したメルは、ギルベルト・ヴォルフの案内で問題の娼館を訪れた。
「薔薇の館かぁー。真昼間から拝むと、悪所には見えんのぉ…」
「日が暮れてからも、娼館には見えませんね。だけど内側は、間違いなく娼館です。出迎えてくれる女性たちは、皆さんローズの名に恥じぬほど美しいですよ」
「ほぉー」
「そして例外なく、鋭い棘を隠し持っていらっしゃる」
「あーた。お姐さんに、刺されたんやね」
メルは冷たい目で、ギルベルトを眺めた。
「コホン…。管理人の名は、ゴットフリート・フォーゲル 。まあ、偽名でしょうな。確証はありませんが、おそらくミッティア魔法王国の工作員でしょう」
ギルベルトはメルの追及を躱して、説明を続けた。
自分が女の色香に嵌められた話など、稚い少女に聞かせられる訳がなかった。
しかも、相手はメルである。
悪女の手口を真似でもされたら堪らない。
「そいつがギルベルトに、メジエール村へ行くよう命じたのデスカ?」
「はい。麻薬を盛られ、魔法で行動を縛られました。今となっては、ちゃちな魔法だと思うのですが、なかなかに巧みでありましたな。私は奴の命令を自分で考えたことだと、完全に信じ込んでいました」
「好き勝手されて、悔しくないんか…?」
「それは、もう…。滅茶クチャ悔しいですなぁー」
ギルベルト・ヴォルフは、ニコニコと笑いながら話した。
その瞳には確かな理性の輝きがあり、一片の濁りもなく澄み切っていた。
メルを襲った時とは、大違いだ。
しかし、ふとした拍子に見せるギルベルトの剣呑な表情には、邪霊に近い雰囲気があった。
「めっさ鍛えられたようじゃな?」
「はい。魔法博士たちは、とっても丁寧に授業をしてくださいました」
「ゴットなんちゃらをコピーできそう…?」
「勿論です。仕草や記憶まで、バッチリです。何なら、一年でも二年でも、ゴットフリートの身代わりを演じましょう」
「そんなには掛からん…。ニキアスとドミトリに任せれば、十日ほどで片が付くでしょう!」
再教育の話である。
拉致って、結界内(地獄)に監禁して、とことんまで洗脳を施す。
「むむっ…。私より苦しむ時間が短いのは、納得できません」
「あんなぁー。わらし、虐めはアカンと思うんよ。こえはぁー、あくまでも再教育やねん…。『苦しむ時間がぁー!』とか、気まずいコトを言わんといて…。再教育に人道的な問題は、アリマセンヨォー」
「ゴットフリートの如き極悪人に、人道的な扱いなど必要ないでしょう…。そもそも責任の遡上をしたいなら、私がゴットフリートに成りすませば済む話ですよね。奴に口を割らせるまでもなく、師匠たちに教わった魔法で記憶を読み取ることも出来ます。どうして、メルさまは正攻法にこだわるんですか…?」
「妖精さんたちは、わらしがすることを見ています」
メルは妖精女王陛下として、ちゃんとしたかった。
責任追及は言いがかりに過ぎないけれど、そのうえで詐欺まがいのインチキまでしたらスジが通らないと思った。
だから面倒くさくても、ハラワタが煮えくり返っても、キチンとした手順を踏んでいるのだ。
エサを撒き、おびき寄せ、三味線を弾いて罠に嵌めているけれど…。
「スジは通している…!」
不可逆な暴力を行使するのだから、理由は分かりやすく。
オーディエンス(妖精たち)に、納得できるものでなければいけない。
「ほな、正面からお邪魔しよか…」
メルはギルベルトに手を引かれて、屋敷の正面玄関へと向かった。
こうした高級な娼館には、うるさい規則がある。
やれ知人の紹介状がどうとか、ドレスコードがどうとか、足を踏み入れようとする客に難癖をつけ、平気で門前払いを食わせる。
当然であるが、クールビズな装いのメルは問題外であった。
「申し訳ございませんが、当方では幼い女児の同伴を認めておりません。どうか、お引き取り下さい」
体格の良い門番が、慇懃無礼な態度でメルとギルベルトを追い返そうとした。
悪所の門番として雇い入れられるのは、腕に覚えがあるケンカ屋だ。
店の格式が高くなれば門番の礼儀作法や所作も、それなりに洗練されていく。
だが、どれほど立派に着飾っていても、中身は人殺しかケダモノの類と考えて間違いない。
「この男には、見覚えがございます。確かぁー、冒険者ギルドの鼻つまみ者ですな…。誰の命令も聞かず、皆から持て余されていました。それなのに、こんな所でゲートキーパーをしていたとは驚きました。いやぁー。ゴットフリートは、テイミングの天才ですな!」
ギルベルトは聞こえよがしに、門番の素性を並べ立てた。
「おいっ、ケンカを売りに来たのか!」
「そうそう、思い出したよ。キミの名は、ジェフリーだったかな…?」
「テメェ、何もんだ?どうして、オレの名を…。どこの回しもの…、おぐっ!」
ギルベルトの放った一撃が、門番の意識を刈り取った。
「おいっ。殺したぁー、アカンで…」
「メルさま…。コイツは、最低の人殺しですよ」
「ニキアスとドミトリにやれば、クズでも喜ぶ。この乱暴者も、コッテリと再教育じゃ!」
「そう言うことでしたら…。とどめを刺すのは、控えましょう。フフフッ…」
ギルベルトが嬉しそうに笑った。
メルはジト目で、ご機嫌な様子のギルベルトを眺めた。
「ふむっ…。それでは参りましょうか!」
ギルベルトは気まずそうにメルから視線を逸らせ、玄関の大きな扉を押し開けた。
そして自分が先に立ち、メルを娼館の内部へと招き入れた。
エントランスホールに居た人々の視線が、メルたちに集中した。
とくにメルを見つめる視線が、多かった。
場違いなのだから、仕方がない。
メルの装いは、履き古した大きめのドタ靴に、太もも丈の見せかぼちゃパンツ、青い腹掛けといった異装である。
肩からさげた幅広のタスキには、『ユグドラシル王国代表』の文字が大書されていた。
「たのもぉー!」
メルが大声を上げた。
「管理人のゴッド…何某に、用事じゃ。ただちに、取り次いで頂きたい。これは国際問題であるからして、軽々しく扱おうとする者どもには、容赦なく制裁を加える…。其の方ら、しかと心得よ!」
エントランスホールが、しんと静まり返った。