幼児ーズのお願い
クリスタの帰還を祝うパーティーが終わると、斎王ドルレアックの一行はビンス老人の勧めで『竜の吐息』に部屋を借りる運びとなった。
だが、霊峰グラナックに引きこもって暮らすエルフたちは、ウスベルク帝国の通貨を所持していなかった。
「ここは、私に立て替えさせてください」
「いいえ…。お気遣いは大変にありがたいのですが、ビンスさんに甘えてよい理由を思いつきません」
ビンス老人の提案を退け、斎王ドルレアックが帳場で宿泊費として納めたのは、とても手触りがよく美しい織物だった。
「これは…。エルフの絹織物。こっ、このように貴重で、高価な品を…。よろしいのですか?」
どう見ても国宝級の織物を前にして、ビンス老人は狼狽えた。
「精霊の子に差し上げようとしたのですが、断られてしまいました。ですから、もう良いのです…」
斎王ドルレアックは真剣な表情のビンス老人に、どんよりとした視線を向けた。
「お客さま…。後になって返して欲しいと申されましても、お返しできませんよ。ほんとぉーに、よろしいんですね?」
おずおずと指先で高級そうな織物に触れたオデットが、念を押すようにして訊ねた。
「はい、勿論です。そのように外聞の悪い真似は、致しません」
「はぁー。この織物を処分すれば、御殿のような宿屋が何軒も建つんじゃないですか…?」
「どうか気にせず、お納めください」
「わかりました。それでは私共も、精一杯のサービスをさせて頂きます…。宿泊日数は、お客さまのご自由にどうぞ。お気に入りの部屋がありましたら、そこは予約として常に空けておきましょう。宿泊費につきましては、既に先々の分まで支払い済みとお考えください」
色鮮やかな織物を大切そうに仕舞ったオデットは、一番上等な部屋へ斎王ドルレアックの一行を案内した。
(フンッ…。エルフ族が自慢にする織物も、やんごとなきお方には意味を成さぬか…。いったい何を捧げれば、精霊の子は喜んでくれるのだ…?)
もとはと言えば、精霊の子に用意してきた貢物である。
それなのに、『こんな上等なもん、要らんわ!』と突き返されてしまったのだ。
『キレイなベベを汚したり、破いたりしたら…。ママンに叱られるでしょ』と言って、精霊の子はテーブルに置かれた織物を指でグイッと押し返した。
まるで自分の傍から、忌まわしいモノを遠ざけるようにして…。
精霊の子が相手でなければ、『価値の分からぬ、野蛮人め…!』と一括するところだけれど、斎王ドルレアックは途方に暮れた様子で引き下がった。
(わたしが想像していたのと違う…)
正直に言ってショックだった。
斎王ドルレアックが思い描いた精霊の子は、清らかで可憐な白百合の如き風情を持つ少女である。
スカートをまくり上げ、お尻を突きだして踊りまくる田舎娘ではない。
(カボチャ姫…。カボチャ姫のダンスって、なんだ…?妖精たちは、わたしの舞よりカボチャ姫のダンスに熱狂した。あのように粗末な衣装で、破廉恥な身振りで…。それなのに…。わたしより、妖精たちを喜ばせていた。これは、どういう事なんだ?!)
嫌がるクリスタを説き伏せ、意気込んでメジエール村を訪れた斎王ドルレアックは、精霊の子も妖精たちも喜ばせることが出来ずにいた。
斎王、失格である。
このままでは、聖地グラナックに帰れない。
(何としても、精霊の子に気に入ってもらわねば…。わたしの立場が…)
千年近くも斎王を務めてきて、今さら失格はない。
そんな体たらくでは、自分が許せない。
だが…。
(どうしたらよいのか、皆目見当がつかぬ!)
斎王ドルレアックは、苦悶の表情で頭を抱えた。
◇◇◇◇
翌日の朝を迎えると、メルが幼児ーズを引き連れて、斎王ドルレアックのもとを訪れた。
「さいおーさま、おはようございます」
「これはメルさま。おはようございます」
「あんなぁー。実はなぁー。わらし、話があるねん。おヒマ…?さいおーさま、実はヒマじゃろ?」
「いや…。いきなり、暇かと申されましても…。先ずは、お話を聞かせて頂けませんか…」
「あたしたち、さいおーさまにお願いがあって来ました」
タリサが、メルの横から口を挟んだ。
「お願いですか…。どのようなことでしょうか…?」
「あたしたちに付き合ってほしいのです」
「付き合う…?」
「ああっ。ついて来るだけで、エエんじゃ。ついて来てくれたら、何もせんとホゲラァーとしとってエエよ」
大したことではなさそうに、メルが言った。
「よくわからないのですが…?」
「あたしたちは、小川で遊びたいの…。だけど子供が小川で遊ぶには、年長者の付き添いが必要になるんです」
「子供が川で流されたりせんように、見張る役じゃ。でも心配はいらんぞ。うちらは絶対に溺れたりせんから、河原で涼んどれば問題ない…。何なら釣りするか?したら竿を貸すぞ」
「何となく理解できましたけれど、何故わたしに頼むのでしょう…。どうして、村の大人たちに頼まないのですか…?」
斎王ドルレアックが不思議そうに訊ねた。
川遊びの見張り役など、普通であれば村の大人に頼むべきことであろう。
「メジエール村では、年長組の子供が年少組の面倒を見る決まりになっているんだ。仕事をしている大人には、頼めないだろ」
「なるほどぉー。それなら年長組の方に頼むのが筋では…」
「それが居ないので、さいおーさまに頼んでいる」
「ひとりも居ないのですか?」
ダヴィ坊やの説明に、斎王ドルレアックが首を傾げた。
「そこのタリサとティナが、ご近所の年長さんにケンカを売って歩くから、俺らは嫌われ者だ!」
「ケンカなんて売ってません。威張って意地悪するから、言い負かしただけですぅー」
「勝った負けたは、ケンカじゃないのかヨォー!」
「タリサってば、そう言う誤解を生むような発言は控えてください。ダヴィ…。わたくしたち、ケンカなんてしていません。おつむが弱い連中の、間違いを正して差し上げただけです」
ティナが澄ました顔で、タリサの台詞を言い換えた。
「言い方なんぞ、どぉーでもエエわ。おまぁーら、苛々させんでください。暑苦しい…!」
「メルー。そんなに怒らないでよ。あたしだって暑いんだからね」
「そうですよ。わたくしたち、パーティーのお手伝いをしてあげたじゃないですか。このような事態を招いてしまったことは、ちゃんと謝ります。だから、怒鳴るのは止めてください」
「うんうん…。メルちゃん、そうやって怒鳴るのは良くないよ。短気は損気って言うでしょ」
ラヴィニア姫がメルを宥めた。
「グヌヌヌヌッ…。ラビーさん、わかりました。冷静にね。冷静に…」
メルは青空に聳える入道雲を睨み、素数を数えた。
暑い。
今日も地獄になりそうだ。
「やっとれんわぁー!」
「メル姉…。落ち着くんだ」
「素数を数えて冷静になるとか、ウソじゃー!」
アホの子なので百十三から先の素数を思い出せずに、怒りがぶり返す。
「年長の子供たちから意地悪をされて、言い返したら嫌われてしまったと…。そういうことですか?」
黙って話を聞いていた斎王ドルレアックが、タリサとティナに確認した。
「「そういうことぉー♪」」
タリサとティナが、反省の色も見せずに答えた。
「そこっ、どぉーでもエエやろ…。さいおーさま。要するに、わらしは小川で遊びたいんじゃ。ここにいる五人は、年長さんに見張られんでも事故など起こさんけどなぁー。村の決まりは、決まりら。ちゃんと守らなアカンでしょ。そんでもってなぁー。十三歳から十五歳くらいの年長さんがおらんから、わらしは小川で遊べんのじゃ…。ここまでの話は、理解できましたかぁー?」
「はい、メルさま。最初から最後まで、完璧に理解しました。わたしなどでよろしければ、お供いたしましょう」
「あのさぁー。そのメルさまっての、何とかならんの…?さいおーさま、お姉さんやし。わらしに、『さま』はなかろぉー。呼び捨てにしてんか!」
「それは無理…。頑張って譲っても、メルさん」
斎王ドルレアックは、苦笑しながら首を横に振った。
「ところで…。さいおーさまって、お幾つですか…?」
ティナが笑顔で訊ねた。
「わたしですか…。このまえの誕生日で、とうとう千百歳になりました」
斎王ドルレアックがドヤ顔で答えた。
「うわぁー、でたよ」
タリサが、残念なものを見る目つきになった。
「こいつ、ラビーより年上だぞ」
「ラビーも大概ですけれど、とんでもない噓つきさんですね!」
ダヴィ坊やとティナも、斎王ドルレアックに抱いていた憧れのようなものを放り捨てた。
「千百歳って、三百歳の三倍くらい…?」
「およそ四倍ですヨォー。すごいですねー」
タリサとティナは、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべていた。
「三百歳とか千歳とか、どこから出てくるんだよ。いくら何でも、数字がでかすぎだ。そんなんじゃ、誰も騙されないだろに…」
ダヴィ坊やは、困ったような顔で腕組みをした。
「えーっ。わたしは、ウソなんて言ってませんよ」
ラヴィニア姫が口を尖らせた。
メジエール村に馴染もうとして、ラヴィニア姫は装いや言動を村娘らしく改めようとしていた。
一人称で『わたくし』を使わずに『わたし』と言うようになったのも、小さな変化のひとつだった。
お姫さまぶりたいティナとは、逆サイドを目指すラヴィニア姫であった。
「うんうん…。ラビーは三百歳ダヨネ」
タリサは感情が消えた目で、ラヴィニア姫を見つめた。
「はいはい…。千歳、千歳。さいおーさまは、千歳ですね」
「いいえ、千百歳です」
斎王ドルレアックが、ティナの発言を訂正した。
「百歳いるか…?千歳で、充分に盛ってるだろ。さいおーさま、欲張りすぎ」
「何なの、嘘つきのこだわりなの…?」
「わたしの三百歳は、本当ですヨォー」
ラヴィニア姫も負けずに、自己年齢を主張した。
「嘘じゃないですヨォー」
いや。
ラヴィニア姫は嘘つきと思われているのが、嫌なだけであった。
「…………」
ギャーギャーと騒ぎ立てる幼児ーズの中で、メルだけが沈黙を守っていた。
メルは可能な限り、年齢の話題に参加したくなかった。
自分が幾つなのか分からなかったから…。
この世界に来てからが年齢となれば、四つである。
それだけは、絶対に認めたくなかった。
「わたしだって、皆さんを謀ったりは致しませんよ。そもそもエルフ族は、人族と比べて長命なのです。その中でも、わたしは長く生きてきました」
「いやいや。森のババさまが、エルフは短命だって言ってたぞ」
「ヘイキン寿命が短いんだよねェー」
「それはですね…。愚かな若者が無茶をして死にまくるので、統計を取るとそうなるのです」
「トウケイって、なんだ…?」
ダヴィ坊やが真顔で言い放った。
「えっ。平均寿命と言うから…。統計の話ですよね」
「斎王さま…。八歳の子供に、何をお求めでしょうか?」
ラヴィニア姫が呆れたような口調になった。
幼児ーズはクリスタの受け売りで、覚えた言葉を口にしているだけである。
言葉の意味まで理解している訳ではなかった。
「そもそもさぁー。ラビーもさいおーさまも百歳を越えてるなら、お婆ちゃんじゃないのは可笑しいでしょー。手習い所のクレール先生なんか、七十歳でヨボヨボだよ」
「クレール先生なぁー。歯がなくて、シューシュー言ってるよな」
「若さですか…。それはですね。精霊樹の実を食べると、肉体的な加齢が止まるのです」
「………それ、マジか?」
メルが目を丸くして、斎王ドルレアックを見た。
「本当ですよ」
「わらし、バクバク食ってます。それも、毎日」
「そっ、そうですか…」
「もしかして、手遅れ…?」
斎王ドルレアックは視線を逸らし、メルの問いかけに答えようとしなかった。
「メル姉、くよくよ悩んでも意味ないぞ」
メルと並んで精霊樹の実をバクバク食っていたダヴィ坊やが、男らしく言い放った。
「そうよそうよ。永遠の美少女も悪くないわ」
「心配しなくても大丈夫です。だって、わたくしたち、去年より成長していますもの…」
「メルちゃん。トンキーだって大きくなっているんだもん。問題ないと思うよ」
「うむっ。確かに…。よぉー分からんで、悩んでも無駄じゃ…。さいおーさま、小川へ行こう!」
子供用の背嚢を背負いなおしたメルが、出発の号令をかけた。
「「「「おうっ!」」」」
幼児ーズが麦わら帽子を被り、メルの号令に呼応した。
メルたちの後ろに、ハンテンとトンキーが付き従った。
更に後ろから、お目付け役のドミニク老師と侍女役のラシェルがついて来た。
お日さまは眩暈がするほど眩しい。
夏の麦畑を眺めながら、一行はズンズンと進んでいった。
「あちぃー。あちぃー」
「畑はヤバイ。影がないよ。こんなところを歩いてたら、焦げちゃうよ」
「ダヴィとタリサ…。暑い暑いと、ボヤくのは止めてください。暑いとか聞かされたら、もっと熱くなるでしょ!」
「みんなぁー、もうすぐ森に入れるよ。がんばろォー」
「なぁ、ラビーさん。わらし、もうアカンです。お家に帰って、ひとりで金盥に浸かります」
メルが死にそうな顔で言った。
「メルちゃん…。そういう、泣き言を口にしないのっ!」
小川デビューに最適な天気だった。