未知との遭遇
斎王ドルレアックと幼児ーズの出会いは、必然だった。
何しろ季節は夏である。
手習い所は長期の休みに入った。
そして幼児ーズのホームグラウンドは、中央広場だった。
最初、斎王ドルレアックは遠方から近づいてくるものが何か分からず、じっと見つめていた。
暫くして、それが二本の棒を足のように使って歩く、三人の少女だと認識した。
その足元をピンク色のイキモノが、元気よく走りまわっていた。
「わんわんわん…」
「犬か。あれは犬なのか…?」
斎王ドルレアックは、犬らしくないハンテンを見て首を傾げた。
「クリスタ…。おい、クリスタ」
「ここでは、婆さまと呼べ。そうでなければ、森の魔女じゃ」
「……ッ。婆さま。あの子らは、何をしているんだ?」
「タケウマとか言う遊びじゃ。まあ…。メルに言わせれば、精霊魔法の修行を遊びに取り入れたものじゃ」
クリスタは凡そ百日ぶりに見る子供たちの姿に、しんみりと懐かしさを覚えた。
意図せずクリスタの口元に、優しげな笑みが浮かんだ。
こうした些細な喜びを知るようになったのも、心に余裕が生まれた証拠だった。
タリサとティナ、そしてラヴィニア姫が、楽しそうな様子で話しながら、中央広場に入ってきた。
「あっ。森の魔女さまだ」
「お帰りなさい、魔女さま!」
「婆さま。お久しぶりです。聖地でのお仕事、お疲れさまでした」
「ありがとなぁー。お疲れさまどころか、あたしゃ益々元気だよ。ずーっと気になっていた務めを果たして、心もすっきりじゃ!」
クリスタは幼児ーズを見上げ、笑顔で挨拶を交わした。
「コラッ!子供らよ。斎王さまの御前であるぞ。高みから無礼であろう!」
斎王ドルレアックの傍に控えていたドミニク老師が、大声で幼児ーズを叱りつけた。
騒ぎを聞きつけたフレッドとアビーが、『酔いどれ亭』の店先にひょっこりと顔を出した。
その横には、シャルロッテを引き連れたティッキー少年の姿もあった。
ディートヘルムは、シャルロッテと手をつないでいた。
ディートヘルムとシャルロッテは広場の騒ぎに関心を示さず、アビーから貰ったお菓子をモグモグしていた。
「だれ…?」
タリサがタケウマの上から偉そうに、斎王ドルレアックとドミニク老師を見下ろした。
位置関係の上でも意味の上でも、堂々と胸を張って見下した。
少女なのに、身に纏った威圧感が半端ない。
タリサに付き従う妖精の数が、常軌を逸しているのだ。
これを一目で見て取った斎王ドルレアックは、圧倒されて黙り込んだ。
慧眼の能力を所有するコトが斎王に必須条件として定められているのは、彼我の上下関係を明らかにするためであった。
それは傲岸不遜なエルフ族を正しく導くために、何としても必要なスキルだった。
エルフの統率者に力を推し量る能力が備わっていなければ、容易くエルフ族は滅びてしまう。
だが、斎王ドルレアックは自分が少女たちより格下であると覚りながらも、これを素直に受け入れられず、放心してしまった。
(こいつらは何なんだ。バケモノか…?人族の小娘たちが、わたしより妖精に愛されているなんて…。絶対にあり得ん。そんな話が、あってはならぬのだ。くっ…。わたしの立場で、このような理不尽を認められる訳がない!)
斎王ドルレアックが広めてきた信仰は、常にエルフ族の優位性を約束していた。
これでは話が違う。
斎王ドルレアックは悔しそうに爪を噛み、内省に嵌っていった。
一方、ドミニク老師には、幼児ーズと戯れる妖精たちの姿が見えない。
それ故に、タリサの態度を『礼儀知らずで生意気だ!』と、自分の都合で決めつけた。
「フンッ…。人に名を訊ねるのであれば、先ずは己から名乗るべきであろう。そのくらいの常識は、身に付けておかねばならぬ。オシメが取れぬ、赤子ではないのだからな」
ドミニク老師は、タリサを蔑むような口調で言った。
本来であれば、斎王ドルレアックがドミニク老師を止めるべき場面なのだけれど、ショックから立ち直れずにいたので口論がエスカレートする兆候を見逃してしまった。
(くっ…。しくじった。考えるのは、後にすべきだった…。このような強者を相手にして揉め事を起こすなど、あってはならぬ)
後悔、役に立たずである。
「おぉーっ、揚げ足取りですか。イヤミ臭いジジイ…。あたしは、名前なんか訊いてないの…。『だれ?』と質問したのは、『アンタ何様ですか?』って意味だよ。『アンタは、何で偉そうなの…?』って、お訊ねしたんですぅー。年寄りのくせして、そのくらい察しなさいよ!」
売り言葉に買い言葉。
これほどタリサの性質を的確に表した成句もなかろう。
「くぅぅぅぅっ…。黙らんか、この無礼者が…!」
「へへん。お断りですぅー」
ドミニク老師に怒鳴られたくらいで臆する、幼児ーズではない。
タリサの後ろでは、ティナとラヴィニア姫がドミニク老師を睨んでいた。
斎王ドルレアックは仲裁してもらいたくてクリスタに視線を向けたが、完璧に無視された。
(何故クリスタは、この事態を収めようとせぬ…?)
それどころかクリスタは、斎王ドルレアックの願いを蹴り飛ばすようにして、幼児ーズを煽った。
「こ奴らは、聖地から勝手に付いて来おったのじゃ。アタシの客人だと思って、オマエたちが気にする必要などないぞ!」
「なっ…?」
クリスタが意地悪そうに笑った。
(何てことだ、クリスタめ…。わたしを嵌めたのか?)
事ここに至り…。
斎王ドルレアックは、漸くメジエール村がアウェイであることに気づいた。
「聖地から…?では、ユグドラシル聖樹教会の方たちですね。ようこそメジエール村にいらっしゃいました。どうぞ、おくつろぎくださいませ」
ラヴィニア姫がタケウマから降りずに、ぺこりと頭を下げた。
これはこれで、かなり失礼な態度だった。
もっともラヴィニア姫からすれば、妖精女王陛下であるメルが誰よりも偉いので、斎王ドルレアックに挨拶をしたのは単なる社交辞令に過ぎない。
むしろ斎王が相手だからと畏まったりすれば、妖精女王陛下の地位を貶めることになる。
ラヴィニア姫に囁きかける妖精たちも、それで正しいと教えていた。
「くっ…。我らが何者かを知るのなら、その奇妙な棒から降りて挨拶すべきであろう!」
だけどドミニク老師としては、少女たちをタケウマから降りさせて謝罪させなければ気が済まない。
また、それが自分の役目であると、頑固に思い込んでいた。
「うっさいわ、ジジイ。エルフだからって、偉そうにするな。そんなに威張りたいなら、とっとと聖地とやらへ帰れ!」
「タリサ、落ち着きなさい。他所からいらした人たちに、ケンカ腰はダメですよ」
「だってティナ。先に怒鳴ったのは、このジジイの方じゃん」
ティナに注意されたタリサは、不満そうに言い返した。
「このっ、礼儀知らずな小娘どもめ。驚くがよい。こちらにおわすお方は、ユグドラシル聖樹教会の斎王さまであらせられるぞっ!」
いきなり話を振られた斎王ドルレアックは、あからさまに顔を引きつらせた。
(ちくしょぉー。長老連中には、こんな奴しかいないのか…?筋肉バカめが…。勝手に揉めておいて、私を引っ張り出すんじゃない…!)
詰まらぬ意地を張って死ぬのなら、ドミニク老師にはひとりで死んでもらいたい。
巻き添えにされるのは、まっぴら御免だった。
「うわぁー、バカだ。ここに、救いようがないバカがいますヨォー。どぉーして頭が呆けたジジイは、自分の家と他人の家の区別がつけられないのかしら?」
「な、なななっ、何だとぉー!」
「そこのお姫さまっぽいのが偉いのは、あんたの家での話なの…。わかるぅー?それは聖地とやらでの話でェー、ここはメジエール村。聖地とメジエール村は、ち・が・う・の…!だから、威張るのは止めて下さらないかしら…?」
タリサは偉そうな態度でマウントしてくる相手を絶対に許さない。
それが年上であれば、容赦なく辛らつになる。
「グヌヌヌヌッ…!世の道理を知らぬ、田舎者め。無知蒙昧な、小娘がぁー」
「へぇー。『道理』も通せないジジイのくせして、『道理を知らぬ』とか言っちゃうんだぁー。とっても、格好悪いですヨォー」
「うがぁー!」
理屈でへこまされたドミニク老師の口から、唸り声が漏れた。
ハンテンがドミニク老師を見上げて、ワンワンと吠えたてた。
ハンテンの頭には、いつの間にやら吉祥鼠のチビが張り付いていた。
「ティナ…。このお爺ちゃんは、愚者だよ」
「もぉー、タリサってば…。弱い者イジメこそ、格好悪いです。お年寄りは、労わるべきじゃありませんか…?ちょっとくらい呆けていたって、大目に見て差し上げないと…。さもなくば、妖精たちに嫌われますよ」
「うはぁーっ。それは良くないネ。笑顔、笑顔…」
「ティナさんのおっしゃる通りです。無意味な争いごとは、避けましょう」
攻撃的になったタリサをティナとラヴィニア姫が宥める。
なかなかに良い感じのグループだった。
『酔いどれ亭』の店先で揉め事の推移を眺めるフレッドとアビーも、幼児ーズの対応に満足してウンウンと頷いた。
「弱い者イジメだと…。武人であるワシを前にして、無礼にも程があろう!」
この展開に我慢ならないのが、ドミニク老師であった。
ナチュラルに挑発を繰り返す幼児ーズは、腕に覚えがあるドミニク老師のような武人にとって許しがたい存在なのだ。
言葉で勝てなければ、コブシで黙らせるのがドミニク老師の流儀だった。
「ちょいとばかり、折檻してくれるわ!」
その態度が酷すぎるからと言って、旅先で言葉を交わしただけの幼女を殴るのは不味い。
であるなら、思い切り尻を叩いて躾ければよい。
ドミニク老師がシャツの腕をまくり上げ、にんまりと笑った。
「おまーら、夏休みの初日からケンカなんぞするなや…。暑苦しい。続けるなら、メシを作ってやらんぞ!」
その場にタイミングよく、メルとダヴィ坊やがトンキーの背に揺られながら登場した。
「今日は、夏野菜のテンプラだってさ。雑木林で、美味そうな山菜を毟って来たぜ。タリサの分は、オレが食っといてやるよ」
「やだなぁー。アタシは、ケンカなんてしてません。早とちりは、よくないヨォー」
「そんならエエわ。今日はババさまの帰還を祝って、ひゃっこい蕎麦と天ぷらでパーティーじゃ!」
暴力の気配を感じて、素早く幼児ーズの近くまで移動していたフレッドが、メルとこっそり視線を交わした。
メルが無言でフレッドに頷いた。
「おいっ、そこのでかいエルフ。おまぁー、わらしのダチに暴力せんと身構えたな?」
「えっ?いや…。礼儀を知らぬ生意気な小娘には、躾が必要なのだ。異郷に暮らす同胞よ。躾と暴力は違うぞ」
耳の形からメルを同族の幼児と認定したドミニク老師は、想定していなかった非難を浴びせられ、諭すような口調で言い返した。
「おまぁーの躾けなんぞ、要らんわ。タリサは友だち思いの、エエ子や。この罰当たりなクソッ垂れエルフが、さっさと膝をついて謝らんかぃ!」
だがしかし、ドミニク老師の身内意識などメルには通用しない。
メルはハイエルフなので、エルフより偉いのだ。
当然、態度もでかい。
「何だとぉー。この妙ちくりんなガキめ!」
ドミニク老師が顔を真っ赤に染めて怒り狂ったのは、やむを得ぬことであった。
かくしてタリサに向けられていたヘイトは、すみやかにメルへと移動した。
「このガキがぁー。同族と思って優しくしてやれば、つけあがりよって!」
「同族では、なぁーよ。わらし、ハイエルフね」
メルはサムズアップするフレッドの姿を視界の隅に捉え、にやりと笑った。
この一部始終を茫然と眺めていた斎王ドルレアックは、クリスタの説明を受けるまでもなく、誰が妖精女王陛下なのか気づかされた。
精霊の子メルは、ピンク色の腹掛けにかぼちゃパンツと言うクールビズなファッションで、驚くほど大きなブタに跨っていた。
それは田舎の子にしても余りに自由奔放すぎる、蛮族のような出で立ちだった。
おそらく樹生の家族が見たら、『金太郎だね!』と笑ったに違いなかった。
だが問題は、そこじゃない。
斎王ドルレアックには、メルに付き従うヒャッハーな妖精たちが見える。
見たくなくても見えてしまう。
(これは、魔王…。いいや、魔神。破壊神…。破壊と創造の女神かぁー?)
メルの周囲に渦巻くエネルギーの奔流。
悪意、敵意、殺意、復讐心、そして神々しいまでに純粋な生命力の輝き。
斎王ドルレアックが初めて目にする禍々しい光を放つ邪妖精たちは、その全てが妖精女王陛下に忠誠を誓っていた。
いや妖精女王陛下と邪妖精たちには、区別可能な境界線など存在していなかった。
それらは分かち難く、ひとつに混ざり合っていた。
(恐ろしい。くっ、クリスタは狂っている。このようなバケモノを召喚して、どうするつもりなのだ…?これは、我らに制御など出来ぬぞ…!)
恐怖に取りつかれた斎王ドルレアックの膝から、力が抜けた。
誰に命じられるでもなく、自然と斎王ドルレアックはメルのまえに跪いた。
「斎王さま…?」
「こらっ、ラシェル。妖精女王陛下の御前である。急いで、おまえも頭を下げなさい」
斎王ドルレアックの声が震えていた。
「なっ、まさか…。こっ、この…。ブタみたいな耳毛を生やしたメスガキが、妖精女王陛下なのですか?」
ドミニク老師が驚愕の表情になった。
「なぬっ。おまぁー、いま何と言いくさった?」
青空を見上げていたメルが、ドミニク老師の台詞を耳にして、小鬼の顔になった。
「不遜なジジイじゃのぉー。たんまりと、シツケて欲しいんかい!」
この瞬間、メルの気配が一転した。
「ヌオォォォォーッ!?」
危険な邪妖精たちの怒気が、ドミニク老師を襲った。
それは無形の圧倒的な力だった。
「あっ、いや。ちょっと待て…。待たぬか。失言してしもうた。スマヌ…」
「じゃかましぃーわ!」
メルはエクスカリボーを手にして、トンキーの背からシュルンと滑り降りた。
「セッカン!」
メルの脛斬りが、目にも留まらぬ速さで炸裂した。
「はわわわっ…」
膝から下を切断されたような激痛に、思考が寸断される。
体勢を立て直そうにも、足が動いてくれない。
「くぅぅー。幼児相手に、無念なり」
ドミニク老師は、ばったりと倒れた。
もうドミニク老師には、メルを視線で追うことさえできなかった。
「セッカン、せっかん。折檻!!」
メルはビュンビュンとエクスカリボーを振りまわし、ドミニク老師を打ち据えた。
「ヒィィィィィィィィィィィィィィィーッ!」
メジエール村の中央広場に、ドミニク老師の悲鳴が響き渡った。
ドミニク老師が折檻されている間、斎王ドルレアックとラシェルは地面に平伏したまま、ピクリとも動こうとしなかった。
冒険者ギルドの窓から一部始終を見物していたバルガスが、腕組みをほどくと口元に手を押し当て、ヒクヒクと肩を揺らした。
声を押し殺して笑っている。
「くくくっ…。馬鹿野郎が…」
バルガスはメルに折檻される犠牲者を眺めるのが、大好きだった。
酔いどれ亭の方に視線を向けると、フレッドもニヤニヤと笑っていた。
「けっ。フレッドのやつも、楽しそうじゃねえか」
バルガスとフレッドの視線が重なり、二人はハンドサインで挨拶を交わした。
メルを間に挟み、二人の信頼関係は深まっていた。
悪魔チビに振りまわされる大人たちは、何となしに通じ合う。
言葉を交わすまでもなく、畏れを共有する。
『この村に骨を埋めるのも悪くねぇ!』と、バルガスは考えた。