ほくそ笑むクリスタ
「さあ、クリスタよ。わたしを初源の精霊樹がある場所まで、案内してくれ」
「オマエさま、その格好で行くのかい?」
クリスタは美しく着飾った斎王ドルレアックを見て、呆れ顔になった。
「勿論ではないか。初めて、初源の精霊樹に祈りを捧げるのだよ。正式な祭礼衣装を纏うのが、礼儀であろう」
さも当然であるかの如く、斎王ドルレアックは胸を張って答えた。
「異界ゲートは使わないよ!」
「はぁ?」
「メルが嫌がるからね。メルの樹にある異界ゲートは、許可を貰えた者しか使えない」
「わたしはユグドラシル聖樹教会の斎王だぞ。精霊の子も、わたしを拒みはすまい」
斎王ドルレアックが、不機嫌そうな口調になった。
「だったら、自分から精霊の子に頼みな。あたしはオマエさまのために、口を利くつもりなんてないからね」
クリスタが、そっぽを向いた。
クリスタとしては無理やりついてきた斎王ドルレアックの一行に、食事を与え、部屋を貸すだけで充分であった。
これまでの経緯を考慮しても、優しくしてやる理由が何ひとつとして思いつかなかった。
(やれやれ…。せめて、可愛げがあればねぇ…)
クリスタは、しみじみと思う。
当然だけれど、ここで言う可愛らしさは、斎王ドルレアックの外見と全く関係がない。
ことごとくクリスタに反発する、嫌らしい態度を疎んじての言葉である。
「庵の近くは結界内なので涼しいけれど、メジエール村の夏ときたら半端なく暑いよ。その格好で半日も荷馬車に揺られたら、具合が悪くなると思うがね」
「………だから何だ?斎王ともあろう者が、暑いの寒いのと文句など言っていられるか!」
「そうかい。それなら好きにおし…」
こういうところが可愛くない。
せっかく忠告しても、取り敢えず反発してくる。
(もしかして、反抗期かね…?いやいや、まさかねェー。千年も生き続けて、反抗期はないよね)
クリスタの判断は間違っていた。
斎王ドルレアックは、反抗期の少年だった。
斎王の座に就く前から現在に至るまで、ずっと反抗期のままである。
様々な経験を積み、この世の道理に通じていても、心のありようは変わらない。
残念ながら、反抗期は反抗期なのだ。
斎女のエグランティーヌは、精神的に不安定な厨二病患者(ドルレアック少年)を愛でているようだが、千年近くも敵意をぶつけられてきたクリスタにすれば、ただ単に憎たらしいだけである。
権力者に初々しい少年らしさなど、不要だった。
百害あって一利なしである。
だけど…。
斎王ドルレアックは、巫女であり聖職者なのだ。
ユグドラシル聖樹教会の信徒たちは、斎王の奇矯さを快く受け入れていた。
何しろユグドラシル聖樹教会の根幹は、精霊信仰である。
精霊の代弁者がトランス状態に入るのは、至極当然の事であった。
感情の起伏が激しく、ヒステリーに見えるくらいで丁度よいのだ。
「まったく、やってられないね」
クリスタが小声でぼやいた。
この時点では、まだまだ受難が続くものと、クリスタも考えていた。
クリスタでさえ、メルと幼児ーズの苛烈さを失念していたのだ。
幼児ーズの平等主義は、徹底している。
メジエール村に於いて義務と責任を果たさぬ者は、権利を与えられることもない。
そこに身分の上下はない。
特権者は許さない。
これが幼児ーズの掟だった。
メルの魔法料理を奪い合った経験から生まれた、幼児なりの哲学である。
しかし、ウンザリしながら斎王ドルレアックと言葉を交わすクリスタの頭は、正常に機能していなかった。
ようやくメジエール村まで戻ってきたのに、どうしようもなく憂鬱な気分だった。
兎にも角にも、嫌なことはさっさと終わらせてしまいたい。
「それじゃ行くよ」
偽装の魔法で森の魔法使いに姿を変えたクリスタは、斎王ドルレアックの一行を引き連れて結界の出口に向かった。
◇◇◇◇
斎王ドルレアックは調停者クリスタが聖地グラナックに精霊樹を齎してからと言うもの、一日たりと心穏やかでいられなかった。
盤石であったはずの日常がガラガラと音を立て、足元から崩れていくような不安に苛まれていた。
(わたしの立場が蔑ろにされている…)
クリスタの登場で急激に変化した状況は、斎王ドルレアックを置き去りにして進んでいく。
このような扱われ方には、どうにも我慢がならなかった。
精霊の子が聖地グラナックを訪れて、信じられないほど強力な浄化の魔法を使ったこと、消滅しかけていた妖精たちに活力を分け与えたこと、精霊復活祭の夜空に輝く大輪の花を幾つも幾つも打ち上げたこと…。
どれ一つを取っても、斎王ドルレアックには真似ができない偉業であった。
更に、異界ゲート。
斎王ドルレアックは、ユグドラシル聖樹教会の聖典に記録された異界門の再構築なんて、『実現不可能である!』と、頭から決めつけていた。
それなのにドリアードのユーディット姫は、忽ち精霊樹を大木にまで育て上げ、いとも簡単に異界ゲートを使用可能にしてしまった。
(グラナックの霊峰を越えず、ミッティア魔法王国を縦断することもなく、ヴェルマン海峡を渡るのに船を使うこともなかった。一瞬で…。文字通り瞬く間に、ウスベルク帝国の辺境地帯まで跳んでしまった。これは、まさしく脅威であろう)
そして止めが、クリスタの庵である。
大樹の家は、高位の魔法使いが妖精の助けを借りて完成させる。
エルフの書には、そのように記されていた。
だが斎王ドルレアックは、これまで大樹の家を目にしたことがなかった。
もっと言えば、エルフの書に記載された内容をおとぎ話くらいに考えていた。
それをクリスタが所持していたのだから、驚かざるを得ない。
気にしていない振りをするのは、非常に難しかった。
何となれば斎王ドルレアックは、クリスタの庵が羨ましくて仕方なかったからである。
このような精神状態にあって、素直にクリスタの忠告など聞くことはできない。
だから今、猛烈に後悔していた。
「暑い…」
「さっきから…。暑い暑いと、煩いんだよ!」
メジエール村の夏は暑い。
高地にあるグラナックの城塞とは、比較にならない。
「暑いのだから仕方なかろう!」
「だから…。先方についてから着替えろと、あれほど言ったであろう!」
「二人とも、罵りあうのはやめてくれよ。ボクまで暑くなる」
豚飼いのティッキー少年が、荷馬車を操りながら苦情を述べた。
ティッキー少年の横には、ちょこんと妹のシャルロッテが座っていた。
メジエール村の中央広場まで出かけるときは、小さなシャルロッテもお供する。
アビーに可愛がってもらえるし、弟分のディートヘルムもいるので、とても楽しみなのだ。
運が良ければ、メル姉にも会える。
メル姉はシャルロッテに、美味しいお菓子をくれる。
「お客さまたちはぁー。メル姉に会うの…?」
「おやおや…。シャルロッテちゃんは、お利口さんだね。どうして分かったんだい?」
「だって、ババさま。みぃーんな、お耳が似てるもん」
「確かに、耳が似ているな…。シャルは賢いね」
ティッキー少年が、シャルロッテの頭を優しく撫でた。
シャルロッテは得意げな様子で、クスクスと笑った。
森の魔女は偽装の魔法で、人族の老女になっていた。
『調停者クリスタ』の正体を知る者は、フレッドの傭兵隊と数名の村人たちに過ぎなかった。
だが斎王ドルレアックや巫女見習いの少女ラシェル、それにドミニク老師は、自分たちの正体を少しも隠そうとしない。
彼らからしてみれば、エルフ族は人族より高貴な存在だった。
なので種族を誇示することはあっても、人族の姿を借りるような真似はしない。
何故…?
何故エルフ族が人族より高貴なのかと言えば、エルフ族の方が人族より優れていて、妖精たちに愛されているからであった。
(わたしたちは優れている…!)
斎王ドルレアックは思った。
こうして異郷の地を訪れても、人族の言葉が理解できずに慌てるなどと言ったことにはならない。
何となれば、必要がないと思われる言語でも、長い時間をかけて学んできたからだ。
ミッティア魔法王国の言葉であろうと、ウスベルク帝国の言葉であろうと不自由は感じない。
長命種とは、そういうものであり、その一点だけを取り上げても、人族より優れていると言えるだろう。
こうした信仰に近い考え方は、純粋なエルフたちに共通するものであった。
だからこそエルフの長老たちは、偉そうにふんぞり返っているのだ。
「お客さんたち。ほらっ、あれ…!メルの樹が見えてきた。もうちょっとで、中の集落に入るよ」
「おおーっ。まさに聳え立つという言葉が相応しい、立派なお姿である。初源の精霊樹は、他に譬えようもなく美しい」
「オマエさまは、とうとう着替えなかったね。見上げた意地っ張りだよ」
「あーっ。斎王さんは、祭礼用の衣装を着ているんだもんな。それじゃ、暑くたって仕方ないよ」
ティッキー少年が、斎王ドルレアックの頑張りに感心して頷いた。
「少年よ…。実を言えば、耐えられぬほどの暑さではないのだ。精霊魔法で、冷気を纏ったからね!」
人族のティッキー少年に、さりげなく己の精霊魔法を自慢する斎王ドルレアックだった。
人族が拙い精霊魔法しか使えないことも、聖地グラナックで暮らすエルフたちの常識になっていた。
麦畑に挟まれた田舎道を走る荷馬車は、暫くしてガタゴトと揺れながらメジエール村の中央広場に到着した。
荷馬車から降りた斎王ドルレアックは、先ずメルの樹が料理店になっていることを知り、愕然とした。
「初源の精霊樹に穴を穿ち、大樹の家にするとは…。何と罰当たりな真似を…。しかも、料理屋だと…。くっ…。クリスタ…。これは、どういう事だ!」
「どうもこうも、メルの樹はメルのものさ。精霊の子が好きなようにして、何か問題でもあるのかい?オマエさまこそ、精霊の子に意見をしようっていうのかい。それは不遜じゃないか?」
「いや、しかしだな…。この樹は、世界樹だぞ。そこらに生えている大樹とは、訳が違うだろう!」
「はんっ。その考え方を改めないと、オマエさまは妖精女王陛下の逆鱗に触れるよ!」
「妖精女王…。何だ、それは…?」
ここに至り、ようやくクリスタにも物事の流れが見えてきた。
これは面白い。
凡そ千年の長きに渡り蔑まれ、蹴り板のように扱われてきた悔しさを晴らす時が、やって来たのだ。
見聞の広い大人たちであれば、斎王の名を聞くだけで平伏するであろうが、メルと幼児ーズは違う。
知っていたところで、気に食わなければ容赦せずに攻撃を始める。
アーロンでさえ泣かされたのだ。
メルに至っては、ウィルヘルム皇帝陛下でさえ意味がなかった。
(あの子たちは、生粋の闘士だよ!)
止めようとしても、必ずや衝突は起きるだろう。
そして小鬼の顔になったメルは、屍呪之王が走って逃げだすほど恐ろしいのだ。
「クリスタよ。妖精女王とは、何かと訊いているのだ!」
「あたしを頼らずに、自分で確かめな」
クリスタは斎王ドルレアックを冷たく突き放した。
可笑しくて、口角が吊り上がる。
笑ってしまわないように、我慢するので精一杯だった。
ここはメジエール村である。
クリスタのホームグラウンドなのだ。
何をしても上手く行かなかった、聖地グラナックではない。
(そうとなれば…。あたしは余計な口を挟まずに、おとなしく静観させてもらうとしよう…)
既に勝利は見えていた。
少しも負ける気がしなかった。