運命の出会い
さんざん躊躇った挙句、やっとのことでメルは右手の人差し指に針を突き刺した。
「いったぁーっ!」
そして、痛い、痛いと泣き叫んだ。
「ふぉーっ。ちぃーでた!死む。死ぬろォー」
言っているコトも、情けないほど大げさである。
森川樹生であったときには毎日のように針で刺され、点滴をされたり採血をされたりと、すっかり慣れっこの筈なのに。
幼児退行のバッドステータス、恐るべし。
「……メル?」
「はぁ…!」
森の魔女に見られているコトを意識した途端、メルの頭に理性が戻ってきた。
アビーは居ない。
メルを見ているのは森の魔女だった。
甘えてよい相手ではない。
「ちゃう…。わらし…。あかちゃん、ちゃうヨ!」
「はいはい。メルちゃんは良い子じゃ。分かっとるよぉー」
森の魔女が幼児をあやすように、メルの頭を撫でた。
「あかちゃん、ちゃうよォー!」
メルは己の醜態を恥じて、歯ぎしりした。
顔が真っ赤に染まる。
ここで…。
『闇に蝕まれし、我が魂のさだめ…!』とか、タイミングよろしくポーズを決めれば厨二っぽいのだが、やはり異世界言語の壁は厚かった。
城壁並みの分厚さだった。
メルの会話力は四歳児に満たない。
思考力は男子高校生だが、会話力となればからっきし。
咄嗟のごまかしや言い訳など、全然ダメである。
(くっそぉー。日本語で考えた通りに喋りたい。そしたら僕は天才児として、皆からチヤホヤしてもらえるのに…。だけど僕ときたら、ちっとも満足に言葉を喋れないし。幼女にまでお姉ちゃんぶられるし…。ラノベの主人公みたく、翻訳チートが使えたらなぁー。うはっ!要らんこと考えてたら、せっかくの血が固まっちゃうよ。僕ってば、ばっかじゃないの…!!)
メルは鬱々とした思考を振り払い、呪われた剣と向き合った。
そして、心に渦巻く気まずさを魔紋にぶつけた。
ヒステリーの八つ当たりである。
「おまぁー、ムカつく!」
メルの目には、魔紋が汚らしいヨゴレに見えた。
職業、掃除屋さんのヤル気に火が付いた。
「ムッシュ、ムラムラ…!」
メルは紅い血の玉がプクッと盛り上がった指先で、剣の根元に刻印された魔法紋をヌリヌリと擦った。
すると…。
『ピキィーン!』という衝撃が剣身を突き抜け、封印が弾け飛んだ。
「ふぉーっ!ヨゴレ、おとした。わらし、そーじやヨ」
「あははっ、汚れかね…。高度な魔法の封印が汚れとは、愉快じゃ。確かに…。しつこくこびりついた、頑固な汚れじゃった。あたしが何をしても、とうとう落とせなんだ…。それをいとも簡単に…。精霊さまの、ご加護じゃな。ほんに、ありがたい事じゃ!」
森の魔女が、ごにょごにょと感謝の祈りを唱えた。
歌うように奏上される祝詞は、メルの知らない単語が多すぎて聞き取れなかった。
「なんか、おるよォー」
メルはチカチカと瞬く光を視界に捉え、森の魔女に知らせた。
「おや…。封じられておった、妖精たちじゃな」
火の妖精だった。
ずっと剣に閉じ込められて、すっかりやさぐれてしまった火の妖精たちである。
赤い光は弱々しく明滅し、移動する様子にも元気がなかった。
だがメルに気づくと纏わりついてきて、その手のひらに沈んで消えていった。
「ふわぁー。ようせぇ、死んだ?」
メルは驚いて森の魔女に訊ねた。
「いや、心配するでない。死んではおらん。大嫌いな剣から解放されたので、居心地の良いメルのなかに引っ越すつもりじゃろ」
「わらし、オウチちゃうよ!」
メルが首を横に振った。
大切な身体を住居として、貸し出すつもりはなかった。
そもそも家賃を払って貰えるのか?
不安しか感じない。
「精霊の子はなぁ。精霊樹とおなじで、妖精の棲み処じゃ。弱った妖精たちは、精霊樹や精霊の子に癒しを求める」
「わらし、オウチか?」
「イメージ出来なけりゃ、妖精の母親と言い換えても良い。メルもアビーに引っ付いとるじゃないか。アレと変わらんよ」
「わらし、ようせぇママー?」
四歳の若さで、お母さん。
しかもシングルマザーだった。
これまたヘビーだ。
「難しく考える必要はない。ただ慈しんでやればよい。一緒に遊んでやったり、優しく褒めてやれば、妖精たちは癒される」
「うむっ…。それなぁー。いっしょ、ダイジ。遊ぶ、たのしいヨ!」
『なるほど…』と、メルは納得した。
病院から出られないのも、武具に閉じ込められているのも、似たところがあるのかも知れない。
だとしたら、メルと妖精たちは分かり合えるはずだった。
自分が世界と繋がれていない無力感。
物になり切れず、持て余してしまう自意識。
寂しくて切ないのに、誰も信じることが出来ない。
他者と喜びを共有できず、達成感を味わった覚えなどなく、欠片も自信が持てないから。
自己嫌悪と焦燥感。
世界の破滅を祈るような、どうしようもなさ。
リアルな時間感覚から切り離されて、詰まるところニヒリズムに至る。
自己欺瞞、現実逃避、無感動、無感覚、虚無、虚無、虚無…。
きっと妖精たちも、同じような気持ちなのだ。
そうメルは考えた。
「うん…。わらし、ようせぇママやる!」
「そうかい…。ありがとなぁー」
それからメルは、夢中になって妖精たちを解放した。
地の妖精、水の妖精、火の妖精、風の妖精。
解放された全ての妖精たちが、メルに癒しを求めて縋りついた。
メルは消滅しかけた妖精たちを分け隔てなく、己の身体に取り込んでいった。
それはメルにとっても妖精たちにとっても、必要不可欠な癒しの儀式であった。
メルと妖精たちの結びつきには、如何なる強制力も働いていない。
だけど絶対だった。
トモダチ…。
『友だちは大切なんだ』
メジエール村の広場に生えた、精霊樹の導きだった。
魔法剣や魔法の盾、魔法の鎧が、メルの封印解除によって魔法とは関わりのない普通の武具に戻った。
大仕事を終えたメルと森の魔女は、テーブルを挟んでお茶を楽しんでいた。
お茶菓子は、チーズの香りがするクッキーだった。
「この不細工な金物は、村の鍛冶屋に売り払ってしまおう」
森の魔女が山と積まれた武具を横目で見て、忌々しそうに言った。
「んーっ。もったない。カタナ、たこぉー売れんか?」
「はん。そんなモノより、鋤鍬の方が、ズンとありがたいじゃないか!」
「クワ…?わらし、ナベほしす!」
マジカル七輪があっても鍋がないと、カレーを作れない。
米を炊く土鍋は、ブタを助けたときの花丸ポイントで手に入れた。
最近になって、安心安全な児童用の包丁とまな板がリストに並んでいたので、それらも迷わずに購入した。
小さなコックさんが誤って指を切らないように、魔法でセーフティー面を強化した優秀な調理具だ。
花丸ポイントで手に入る女児用の魔法具は、例外なく何処かしらピンクなのが腹立たしいけれど、ちゃんと野菜をざく切りに出来たので許す。
(カレーライスを食べるには、ご飯とカレーを同時に温めたいよね!)
そこで魔法のコンロを購入すると、花丸ポイントが足りなくなってしまう。
コンロか鍋か、どちらかは後回しにせざるを得ない。
欲しいものが沢山あるのに、やりくりは思うに任せず、実に悩ましい。
「よし…。それじゃ、あたしが魔法の鍋を作ってあげよう」
「おぉーっ。ホント…?」
「魔女は、ウソなんか言わないよ。鍛冶屋に鍋を作ってもらったら、オマエさまが使いやすいように魔法を仕込んであげよう。大したことは出来ないけれど、今回のお礼さ…。アビーだって、あたしから貰ったと言えば、仕方なしに使わせてくれるだろぉ?」
「うむっ。ババさま、ズルかしこいのぉー。わらし、カンシンした♪」
メルは嬉しくなって、タリサとティナに教わったダンスのステップを踏んだ。
「フンフンッ、タリラリラァ~ッ♪」
カレーライスの日は近い。
そんな予感がする。








