フレッドのしくじり
久しぶりに手習い所へ向かうメルは、ダヴィ坊やを誘ってトンキーの背に跨った。
『竜の吐息』を経営するオデット母さんは、息子のダヴィ坊やをメルに託して、『よろしくね』とお菓子をくれた。
ダヴィ坊やが家庭で何を話しているのか分からないけれど、どうやらオデットはメルの強さを知っているようだった。
愛する息子のボディーガードだ。
お菓子で雇えるのだから、安いモノである。
「おいっ、デブ。おまぁー、家で余計なことを言うとらんやろな?」
「ちっ、オレを疑うのは良くないぞ。メル姉、トモダチを信じろ」
「うーむ。朝っぱらから、不機嫌で八つ当たりじゃ。すまん。わらし、反省します」
「はぁー。そんなに手習い所が苦手なのか…?タリサやティナは、メル姉が来るのを待ってるぞ!」
ダヴィ坊やの台詞が胸に刺さる。
メルだって、タリサやティナと会いたい。
できれば勉強なんて放りだして、わいわい楽しく騒ぎたい。
「しかしなぁー。あっこには、ルイーザとファビオラがおるやろ…」
「メル姉…。ルイーザとファビオラは、ちゃんと言えるのに、どうしてオレはデブのままなんだい?」
「むっ。デブって、呼び慣れてしもうたけ。今さら改まってダヴィとか呼ぶと、照れくしゃぁーわ」
メルが恥ずかしそうに、両手で頬を押さえた。
「ちょっと待て。意味わかんないよ。照れるとか言ってないで、ちゃんと呼んでくれよ」
ダヴィ坊やが憤った。
メルの恥じらいポイントは、訳が分からない。
世間の基準に照らすのであれば、『スカートでブタに跨るのは、恥ずかしくないのか?』と言う話になる。
思いっ切りスカートの裾がまくれて、かぼちゃパンツが見えている。
ダヴィ坊やが見ないようにしても、チラチラと目に入るのだから仕方ない。
「メル姉。かぼちゃパンツが見えてるぞ」
「んっ。しゃぁーないやん。トンキーに跨ったら、見えても気にせん」
「そうなのか…?」
長い付き合いだけれど、ダヴィ坊やにはメルの内面が想像できなかった。
普段は意気投合できていると思うのに、女の子だと意識した途端に理解が遠ざかる。
「オレさぁー。メル姉が男だったら、良かったと思う」
「おうっ、オトコと思ってかまへんぞ」
「ムリだぁー。だって…。メル姉は、カワイイじゃんか!」
ダヴィ坊やはトンキーの背中でメルに引っ付き、ブツブツと文句を垂れた。
どことなく、女の子らしくないメル。
特に恥ずかしがるポイントがおかしい。
だけど女の子らしくないところが、外見の可愛さを際立たせる。
メルはTS少女なので、それを知らないダヴィ坊やが頭を悩ませるのも当然のことだった。
メルの髪が、良い匂いを漂わせていた。
「メル姉。いい匂いがする」
「それなぁー。花丸石鹸の新しいリンス。エエ感じの香りやろ」
「うん。花の香りかなぁー」
「おもっきし、クンカクンカしてエエよ♪」
性の捩じれを抱え、歪み切った関係の児童が二人、大きなブタの背に揺られながら林道を進む。
二人は紛れもない幼馴染であった。
もうすぐメジエール村に、暑い季節が訪れようとしていた。
手習い所の教室に足を踏み入れたメルは、いきなりルイーザとファビオラに捕まった。
「お久しぶり、メル。冒険者は、もう大丈夫なの…?おうちのまえが冒険者ギルドだなんて、本当にツイてなかったね」
「えっ…?あわわっ…。心配してくださって、ありがとうございまふッ。ツッ…。おそらく、もう問題は起きないと思います」
突然のことに慌てたメルは、猫を被り切れずに台詞を噛んだ。
「よかったぁー。私は卒業したら、帝都ウルリッヒの魔法学校に行くの…。そうすると、もうメルに会えなくなるでしょ」
「うん…。新学期は秋からだもんね」
「そそっ」
この地方では、秋が入学シーズンに当たる。
夏休みまえには、ルイーザとファビオラが手習い所を卒業する。
帝都ウルリッヒの魔法学校は、全寮制だった。
しかも帝都ウルリッヒの魔法学校とメジエール村は、遠く離れた場所にある。
なので、ルイーザとファビオラの入学が決まれば、簡単にはメジエール村へ戻って来れない。
「それでね…。アナタとは色々と行き違いがあったけれど、誤解されたくないから…。これは、私の気持ち。『がんばれ!』って、意味だよ」
そう言ってルイーザは、本がたくさん入ったカバンをメルに手渡した。
「私の本棚にあった、面白い読み物を集めてみたの…。メルが言葉を覚えるのに、丁度よいと思うわ」
「くれるの…?」
「ぜぇーんぶ、お話を覚えちゃったから…。私には、もう必要ないでしょ。メルがもらって…。それでもって、アナタが不要になったら、小さな子に譲って上げなさい」
「わかった」
別れを目前にして向き合ってみれば、よい先輩だった。
ウザイけれど、そこは仕方がない。
メルは不良生徒だから…。
「メル…。『手習い所へ来るな!』とか言って、ゴメンね」
「ええっ?」
「本当に、ごめんなさい」
ファビオラがメルに頭を下げた。
「叱るつもりだったのに、『もう来るな!』は無いよね。あたしが間違っていました」
「あぅー。そんなの、エエよ。もう、気にせんで…。やめてください、ファビオラ先輩。謝られたりすると、照れる…」
恥じらいのポイントがおかしい。
どうして、謝られると照れるのか…?
「うーむ?」
近くでメルたちのやり取りを眺めていたダヴィ坊やは、両腕を組んで考え込んだ。
その後ろに立つタリサとティナも、メルの奇妙な反応に頻りと首を傾げていた。
「これは、あたしからの『頑張ってね!』だよ」
そう言ってファビオラは、基礎魔法のテキストをメルに手渡した。
ビッシリと書き込みがされたテキストだ。
メルには不要な魔法書だけれど、ファビオラの厚意が心に染みた。
これは感謝せずにいられない。
「ちょっとしたコツみたいなものをメモしてあるから、試してみてね」
「うわぁー。ありがとう。ルイーザも、ファビオラも、魔法学校で頑張ってください」
「もちろんです。私は帝都ウルリッヒの魔法学校で、優等生を目指すわ。それでもって、偉大な魔法使いになってやる…!」
「あたしも頑張るよ!」
ルイーザとファビオラは、互いの決意を口にして微笑み合った。
未来を夢見る少女たちは、キラキラと輝いて見えた。
「そんじゃ、今日のお昼は…。皆でパーティーら!わらし、お大尽ね。大盤振る舞いシマス」
「えっ。俺らも参加していいのか?」
「当然じゃ。ルイーザとファビオラの、卒業記念パーティーを催す」
「ウォーッ!やったぁー」
教室に子供たちの歓声が上がった。
こうして手習い所に通う子供たちは、授業が終わってから全員参加でパーティーを楽しんだ。
メルが背嚢から取りだすご馳走やお菓子は、大いに子供たちから喜ばれた。
ルイーザとファビオラもパーティーを楽しみ、終始ニコニコ顔であった。
盛大なパーティーの最中、誰一人としてメルの背嚢に突っ込みを入れる者は現れなかった。
どうして次々と、大皿に盛られた料理が現れるのだろう。
背嚢は小さいのに…。
誰もが、その異常さに気づいていたけれど、メジエール村には金のガチョウを絞め殺す愚か者など居ない。
ご機嫌を損ねると、メルは何も言わずに帰ってしまう。
説明が下手なメルを問い詰めるのは、イジメに等しかった。
精霊の子が精霊の子である仔細を知っていれば、ルイーザとファビオラだってメルに絡んだりはしなかっただろう。
普通の子供と違って、精霊の子は色々な常識を知らないのだから、叱りつけても意味などなかった。
幼児ーズから事情を聴けば、メルは四歳児としてメジエール村に授けられ、『酔いどれ亭』の酔っぱらいたちから言葉を教わったのだと言う。
四歳からまえは空っぽなうえに、考え得る限り最低な教師陣がメルのお手本となった。
ヘンテコに育っても仕方がなかった。
むしろ、『よくやった!』と褒めるべきであろう。
手習い所の教師や生徒たちは、メルの扱いを心得ていた。
現実にメルと関係を持ち、少しずつ学習したのだ。
精霊の子と言う、イキモノを…。
不思議ちゃんは、アンタッチャブルである。
問い質したりせずに、そっとしておくのが吉なのだ。
そして適切なタイミングを見計らい、やさしく手を差し伸べれば、ちゃんと懐いてくれる。
大きな耳をヒョコヒョコさせるエルフの少女は、照れ屋で気難しい甘えん坊だった。
◇◇◇◇
メルが手習い所で、卒業パーティーを催した日のこと…。
微風の乙女号でメジエール村に到着したアーロンが、中央広場に姿を見せた。
「おやぁー。アーロンさん、久しぶりですな!」
「ビンスさん、お元気でしたか?」
「ふぉふぉっ…。元気も元気…。この村に来てから、ズンと若返りましたよ」
「それは羨ましい限りで…。わたしも皇帝陛下の相談役など、さっさと放りだしてしまいたい」
にこやかに語るアーロンの目付きは、本気だった。
自分が帝都ウルリッヒでウィルヘルム皇帝陛下の愚痴に頷いているとき、ビンス老人はメルの料理を楽しんでいたに違いないのだ。
アーロンにとって、これほど腹が立つこともない。
「美味しいものを食べましたか…?」
「それはもう…。棺桶に片足を突っ込んだ老人としては、生きとるうちに何度あるやも知れぬチャンスをむざむざと逃すわけに行きません。『竜の吐息』で、二階の部屋から、ずぅーっとメルちゃんの動向を見張っとります」
「………ッ!」
美食倶楽部の大御所は、事も無げに言い切った。
やっていることはストーカーと変わらないのに、驚くほど清々しい笑顔である。
「あなたに、『竜の吐息』を紹介したのは間違いでした。あーっ。腹が立つ」
「ところでアーロンさん。お忙しいでしょうに、メジエール村まで何用でしょうか?」
「よく平気で、そう言うコトを口にしますね。秘密のお役目であるとか、考えないのでしょうか」
「秘密なんですか…?」
「いいえ。今回は魔法学校の件で、メルさんに呼ばれたんです。生徒を送り込みたいから、遊民の親を説得して欲しいと…」
それだけでなくアーロンには、エーベルヴァイン城までメジエール村の子供たちを引率する役目があった。
他の開拓村には、既にフーベルト宰相が数名の部下を派遣していた。
ある意味では、アーロンに与えられた夏休みだった。
ウスベルク帝国とバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の抗争は膠着状態にあり、双方ともに睨みあいを続けていた。
モルゲンシュテルン侯爵が状況を読み違えているところから生じた、空白の期間である。
未だ屍呪之王が健在であることを露ほども疑わないモルゲンシュテルン侯爵は、時間稼ぎを戦法に選んだ。
封印結界の限界が近いので、ウィルヘルム皇帝陛下から折れてくるときを待つ作戦だ。
この件に関しては、ミッティア魔法王国も正確な情報を入手できていなかった。
なので、帝都ウルリッヒの地下迷宮には、危険な屍呪之王が封じられているものと、頭から信じ込んでいた。
一方、ウスベルク帝国の側は、攻めあぐねている振りを演じることで、モルゲンシュテルン侯爵のミスリードに真実味を与えようとした。
モルゲンシュテルン侯爵に協力して貰わなければ封印結界の再構築ができないので、ウスベルク帝国は腹が立っても手をこまねいているしかない。
そう思わせるべく、帝国騎士団に中途半端な攻撃と撤退を繰り返させたのだ。
今のところ帝国騎士団は、モルゲンシュテルン侯爵の誤った認識を上手く利用していた。
このような状況が、暫くは続く筈だった。
だからウィルヘルム皇帝陛下も、アーロンがメジエール村に出かけるのを許した。
メルから届いた手紙をアーロンが理由にしたのも大きい。
とにもかくにも、久しぶりの自由である。
アーロンは美味しいを求めて、『酔いどれ亭』に足を向けた。
メルが手習い所へ出かけた後。
フレッドは『酔いどれ亭』の保冷庫を整理しているときに、メルの保存容器を見つけてしまった。
そっとしておけば良かった。
だが料理人の好奇心が、それを許さなかった。
「ちょっとだけな…」
ゼリー寄せなどもメニューに掲げるフレッドだから、煮凝りを知らぬはずもない。
それでも残り物のソバツユがゼリー状に固まった物体を目にしたら、味見をせずにいられなかった。
煮凝りは、保存容器にタップリと入っていた。
フレッドが摘み食いをしたくらいでは、バレる心配もなさそうだ。
スプーンで少しだけすくい、口に含む。
「むっ…!」
旨味が深いけれど、単体で食べるには塩辛すぎた。
フレッドが作るハムと野菜のゼリー寄せとは、似て非なる料理だった。
口中でホロホロと崩れてしまった鶏肉が、味の滲みたシイタケが、フレッドを誘惑した。
サッパリとした後味が、実に心地よい。
「コイツは…。ゴハンだな。炊き立てのメシだ…」
そう気づいてしまうと、もう試さずにはいられない。
メルの手順を盗み見て、米の炊き方は覚えている。
フレッドは穀類保存庫に置いてあったメルの米を探しだし、作業に取り掛かった。
「たしか、頻繁に水を替えてたよな…」
井戸水で優しく米を研ぎ、土鍋に移してから再び水を張る。
「コメの量に対して、水はこんくらいだったはず…。あと…。水を吸わせなきゃダメだ、とか言ってたな」
メルの独り言をバッチリと覚えているフレッドだった。
「白米を一杯だけ…。其のくらいなら、メルも怒りゃしないだろ…。残った飯は、野菜炒めで食うとするか…。チャーハンとか言う料理に、使ってもいいな」
慎重に火加減を調整しながら、フレッドは土鍋をカマドに載せた。
ここからは、土鍋の音に集中して炊きあがりを調整する。
「頼むぜ、火の妖精さんよ」
料理歴、数十年にも渡る火の妖精なので、実に心得たものである。
蒸らしも含めて、フレッドの手際は完璧だった。
「へへへっ…。旨いコト、炊きあがったぜ。技術は見て盗む。職人の基本よ。料理人を舐めるなっての!」
得意になってゴハンを盛りつけ、テーブルに着く。
目のまえには、炊き立てのゴハンと保存容器に入ったタップリの煮凝り。
「美味そうだなぁー。この茶色いゼリー寄せをゴハンに載せて…。んーっ。やっぱり、ウメェー!」
フレッドが悦に入っていられたのは、ここまでだった。
「おや、フレッドさん。何やら美味しそうなものを食べていますね」
「どうやら、わたしたちは…。丁度よいところに、お邪魔したようです。ビンスさん。わたしたちも、ご相伴に与りましょう」
「………ビンス老人。それに、アーロンまで!」
フレッドは慌てふためき、メルの保存容器を隠そうとした。
だが、時すでに遅し…。
そのような甘っちょろい真似を許す、美食倶楽部の二人ではなかった。
「いや、おい…。待てよ。そんなに食うんじゃねぇ。メルに叱られちまう」
アーロンとビンス老人に押し切られたフレッドは、泣きっ面になった。
「本当に味が分かるのは、三杯目からです」
「ふざけんなよ。メルが黙ってねぇぞ!」
「メルさんに怒られるのは、フレッドさんでしょ。メルさんが作った料理をコッソリと盗み食いしていたのは、貴方ですから…」
相も変わらず、食べ物となると容赦のないアーロンだった。
「盗み食い…。なんと破廉恥で、罪深い行いでしょうか。神さまに、嘘は通じませぬぞぉー」
ビンス老人も、アーロンに負けていない。
まるでヤクザのような連中である。
美食倶楽部のメンバーは、美味しいモノが絡むと分別を無くす。
「この味の深み…。ラース(ライス)との相性が、絶妙ではありませんか」
「くぅーっ。もう一杯」
「オカワリは止めろぉー!」
こうしてメルとミケ王子の好物は、敢え無く消え失せたのであった。