お仕置だべェー
動揺してパニック状態に陥った冒険者たちと違い、クルトは平常心でチャンスを窺っていた。
メルと一緒に何年も過ごせば、少しは不思議に対する耐性も鍛えられる。
これほどの事態に巻き込まれたのは初めてだが、覚悟さえあれば理性を保てるのだ。
(取り敢えずは、ジェナさんを連れて囲みから抜けなければ…!)
メルの護衛を任されたのに、これでは足手まといになってしまう。
何もできずに捕縛されたとあっては、ヨルグ師匠に顔向けができない。
敵対している相手は、倫理的な判断など欠片も期待できないならず者である。
おそらくは戦士としての矜持さえ、持ち合わせていないだろう。
リーダーのギルベルト・ヴォルフがクルトやジェナを見せしめに痛めつけ、今すぐメルに投降を呼びかけたとしても驚かない。
「これ以上メルに、格好の悪いところは見せられないんだよ!」
クルトは小声で呟くと、脱力させていた全身に爆発的な力を発生させた。
「がっ!」
寸勁の威力を乗せた頭突きが、クルトを拘束していた冒険者の顎にヒットした。
僅かに腕が緩んだチャンスを逃すような、クルトではなかった。
自由を取り戻したクルトの視線が、ジェナを捕まえている冒険者に向けられた。
「オマエにも、喰らわせてやるぜ!」
クルトはダメージを負った冒険者が呻き声を漏らすより早く、ジェナを抱えた冒険者に手刀を叩き込んだ。
「うげっ…」
喉首にめり込んだ手刀が声帯を破壊し、冒険者から正常な呼吸を奪う。
「こっちへ、早く!」
「ありがとぉー」
ジェナは苦しむ冒険者から逃れて、いそいそと魔鉱プレートの束を取りだした。
「おまえは、止めを喰らえ」
喉を潰されて咳き込む冒険者の水月に、クルトが追い打ちとばかりに蹴りを放った。
「ぐぅっ…」
爪先を立てた突き入れる蹴りだ。
咳込み終わって息を吸うところに合わせ、爪先が突き刺さる。
力みようのないタイミングで急所を攻撃された冒険者は、声も出せずに蹲った。
「そこをどきなさい。燃やすわよ!」
「うるせぇぞ。テメェら、こいつを取り押さえろ」
「魔法使いを舐めるなよぉー」
ジェナの瞳に闘志が燃えた。
「聖なる浄化の焔ヨ…。我が行く手に立ち塞がる、全てを焼き払いたまえ!」
前方を塞ぐ冒険者たちに、ジェナが火の魔法を放った。
「うはっ!」
「やめんか、このクソ女…」
「あちちっ…」
咄嗟のコトで集中できず、ジェナの攻撃魔法は威力が低下していた。
だがジェナは躊躇することなく、手数で補った。
「えーい。みんな、燃えてしまえ!」
「やめろ。バカ女。そんな場合かよ」
「危ねぇぞ。こいつ、放火魔じゃねぇのか…」
こうした場面では、火の魔法が効果をあげる。
魔力が不足していても、焔は人の本能的な恐怖に訴えかける。
顔のまえで火を焚かれたら、怯むなと命じられても腰が引けてしまう。
それでなくとも冒険者たちは、雑木林に生じた未曾有の事態に怖気づいていた。
「ギャァー!」
離れた場所から、鶏を絞め殺すような悲鳴が上がった。
「ハキムがやられた。ケツを刺された」
「襲撃だ。単体じゃないぞ。ぐるっと囲まれてる!」
「チキショォ―。陣形を組め。敵が何者であろうと、返り討ちにしてやる」
バルガスが、鬼の形相で吠えた。
「魔法具を使え!」
「暗闇に注意しろ。何だか、ちっこいのが隠れてやがるぞ」
「見えねぇよ。誰か灯りを点してくれ」
ライトの呪文が詠唱されて、幾分か視界が広くなった。
「なんだ…。あいつらは…」
「小鬼だ。小鬼族に違いない…」
「そんなもの、暗黒時代に滅んだはずだろ」
「だけどよぉー。アレは、ゴブリンだぜ。本に載っていた挿絵と、そっくり同じだ」
クルトとジェナを囲んでいた冒険者たちが、外敵を迎え撃つために陣形を変えた。
怯えていても、小さな敵に背を向けることはできない。
円陣である。
「そこを退きなさい。道を開けないと吹っ飛ばすわよ!」
「ふざけんな!いま陣形の外に出たら、オマエたちだって弄り殺されるんだぞ」
ジェナのまえに立ち塞がっていた若者が、大仰に身を躱しながら罵った。
数発の小さな火球が、若者の立っていた場所をすり抜けていく。
「行きましょう」
「おうっ。駆け抜けるぜ」
道が開けた。
火球の脅し効果は抜群だ。
「ロドリック…。そんな奴らは、放っておけ」
「小鬼どもの対処が、優先だ!」
この混乱に紛れて、クルトとジェナは冒険者たちから脱出し、充分な距離を取った。
「ジェナさんの魔法、助かる…。どうやって殺さずに囲みを突破しようか、かなり悩んでた」
「そんなの、どうってことないわよ。それより、小鬼…。小鬼族が居るのよ。孤立したら、あたしたちも殺されちゃうよぉー」
「そっちなら、心配いらない。連中はメルの味方だ」
「えーっ。何それ…。意味が分かんない!」
「オレたちが、小鬼に襲われる危険はない」
クルトはジェナを宥めながら、前方から近づいてきた小鬼と互いの手を打ち鳴らした。
そして固い握手とハグだ。
ジェナは呆気にとられた顔で、クルトとゴブリンを眺めた。
クルトはメルに案内されて、帝都ウルリッヒの地下迷宮を訪れたことがある。
その時に、悪魔王子や精霊樹の守り役、ゴブリンにカメラマンの精霊などを紹介されていた。
前もってメルから色々と教えられていなければ、今現在の状況下で正気を保ち続ける自信などなかった。
「久しぶりだギャ、少年…」
「ケクス隊長も、お元気そうで何よりです。メルは無事ですか?」
「あっちで、メシを食っとるギャ」
「マジかよ…」
メルは邪霊たちを従える妖精女王陛下なのだ。
心配するだけ無駄と言うモノだった。
ケクス隊長の案内で雑木林に分け入ると、前方の空き地に座っているトンキーの姿が見えた。
だがトンキーは戦化粧のようなモノを施され、いつもより勇壮な外見に変わっていた。
その横に、チョコンと座ったメルが、お弁当を食べていた。
「おうっ、隊長。早かったのぉー」
「救出して来いと命令されたんだギャ、ちぃーとも活躍できんかった。わっちらが助けるまえに、クルト少年と姐さんは囲みから脱出して来たギャ」
「フゥーン。そうなの…?」
メルが目配せでクルトに訊ねた。
「とんでもない。ケクス隊長たちが暴れてくれたから、冒険者たちに隙が出来たんです。正直に言うと…。ジェナさんの魔法にも、すごく助けられました。皆さんに感謝です」
「えーっ。あたしぃー?なんだかクルト君に褒められて、すっごい嬉しいかも…」
クルトに礼を言われたジェナは、乙女のように頬を赤らめた。
三十過ぎて恋の予感…?
「フゥーン。なんにせよ、二人が無事でよかったわぁー」
メルは花丸屋の牛丼弁当を頬張りながら、クルトとジェナの合流を歓迎した。
「済まんのぉー。わらし、ちっこいからなぁー。血ぃー出たら、こまめに補充せんとアカンのです」
「そうだよ…。それそれ…。メルちゃん、頭の傷は大丈夫なの…?」
「傷なんぞ、どってことありません。でもぉー。血ぃー流したんで、えらいことになったわ」
「おいおい、メルー。もしかして…。これって、計算外なのかよ…?」
クルトが呆然とした様子で、メルを問い質した。
「そそっ…。雑木林に邪霊を呼び集めようとしたっけ、わらしの血ぃーが反応して、異界と混ざりよった。まあー。邪霊たちが喜んどるから、エエんかのぉー」
メルは食べ終えたお弁当を背嚢に放り込んで、よっこらせと立ち上がった。
「責任をどうこう言うんなら…。幼気な女児のドタマをカチ割った、ボォーケン者どもが悪いねん。さてと…。悪魔王子さん、お仕置の時間やでぇー」
「畏まりました、妖精女王陛下」
木立に背を預けていた悪魔王子が姿勢を正し、優雅な仕草でメルにお辞儀をした。
「ケクス隊長、ゴブリン部隊を下げさせろ。トレントたちが暴れたがっている」
「了解だギャ!」
ケクス隊長は悪魔王子に頷くと、短く指笛を鳴らした。
トレントとは、朽木に邪霊が宿ったモノだ。
人より遥かに大きな樹木が、木人となって動き回る。
木製の土霊と考えれば、それなりに外見をイメージできるだろう。
「今更なんですけど、ここは何処ですか…?」
「うん。今更だね」
時機を逸したジェナの質問に、すかさずクルトが突っ込みを入れた。
◇◇◇◇
小鬼たちが引き上げたあと、冒険者たちは警戒を解かずに負傷者の手当てを始めた。
数名が短弓の矢を喰らい、戦闘不能になっていた。
「あのチビを締め上げる予定だったから、回復剤が足りません」
「冒険者ギルドには、山ほどポーションがあるって言うのに…。なんてことだよ」
「ぼやくな…。ぼやいても、事態は改善されないぞ!」
バルガスは大声で手下たちを叱りつけた。
『小娘をぶちのめすのに、装備なんて要らないだろ!』
冒険者ギルドを出発する前に、そのような台詞を口にしたのはバルガスである。
自分の判断ミスを蒸し返されて責任追及が始まったら、事態の収拾は非常に難しい。
こうした場合は、威嚇し、強気で振る舞い、文句を言わせないのが一番だった。
だからバルガスは、手下たちを絶え間なく怒鳴り散らした。
「はははっ…。小鬼など恐れるに足らず。私の結界魔法に腰を抜かして、逃げ去ってしまったぞ。それでは諸君、あの女児を探しに行こうではないか」
「ギルベルトさん。ここから撤退しないんですかい?」
「何を言う?この幻術が女児の仕業であるなら、あやつを捕まえてぶち殺さなければ解けん。オマエは撤退と簡単に言うが、どちらへ向かうつもりだ?」
「ええっ。あのガキを殺さないと、ここから出られないんですかぃ?」
バルガスの顏に、絶望の気配が滲みだした。
これまでバルガスは、ギルベルトの太鼓持ちをして来たけれど、その実力を確認したことが無かった。
先ほども結界魔法について語っていたが、真実かどうかは分からない。
むしろ大言壮語であり、殆どが嘘だと感じていた。
ギルベルトは、狂気の臭いを漂わせていた。
帝都ウルリッヒで貴族たちに流行っている、麻薬の臭いだ。
「この忌々しい呪われた場所で、どうやってガキを見つけるんだよ…?無理に決まってるだろうが…」
バルガスは小声で悪態を吐いた。
そんな不安に囚われたバルガスの耳に、ズシンズシンと言う地響きが聞こえてきた。
「何だ、この音は…」
「やべぇ、絶対にやべぇ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ…っ!あれを見ろぉ!」
「ヒィッ!巨人だぁー」
雑木林の陰から現れたのは、身の丈が人の三倍はあろうかと言う木人の部隊だった。
その先頭に、育ち過ぎたブタの背に跨る、女児の姿があった。
「蹴散らせ!」
メルが冒険者たちを指さして命じた。
大きな木人が三体。
ギシギシと身体を軋ませながら、ゆっくりと足を運ぶ。
赤錆色の明かりにボンヤリと照らされた木人は、驚くほど巨大に見えた。
その周囲を守るようにして、小さな木人たちが進む。
総勢二十体に及ぶ、木人の部隊である。
明らかに過剰な戦力だった。
バルガスは謝りたかった。
今すぐメルの足元に這いつくばって、命乞いがしたかった。
だが、それは許されない。
手下たちの見ているまえで、そんな情けない真似は出来なかった。
「汚い。魔物なんぞに助けを求めやがって、汚いぞ。この悪魔っ子め…!」
バルガスは歯を食いしばって、メルを睨みつけた。
泣きそうだった。