怒れる女児
メジエール村の雑木林には、建材につかう樹々の他にも多種多様な植物が繁殖していた。
恵みの森とは違って人の都合で作られた林だから、歩きやすいように整備された道もある。
季節ごとに果実をつける木が多く、よく探せば生薬材料に用いられる樹木も見つけることが出来た。
メジエール村の人々は、自分勝手に雑木林を利用していた。
ルールは単純で、他人に迷惑を掛けなければ、誰が何を植えようと文句など言われない。
その代わり、人に有害であったり、雑木林の生態系に悪影響を与える植物が発見されたときには、問答無用で引っこ抜かれる。
文字通り根絶やしだ。
だけど、何事にも例外と言うモノが存在した。
生態系を塗り替えかねない繁殖力を持ちながら、村人たちの多くに看過された植物があった。
それは木苺である。
木苺は低木で、茎や葉に鋭い棘を持つ。
当然のことながら藪漕ぎなどしようものなら衣服に引っ掛かるし、素肌であれば傷だらけになる。
びっしりと茂った葉は見通しを悪くさせ、危険な生物との接触事故を生じさせる。
さすがに大型の野獣と鉢合わせることはないけれど、毒を持つ虫や爬虫類などが危険だった。
「だけど、ベリーは美味しい」
そう。
木苺は美味しいのだ。
だから村人たちに駆除されず、林の中に幾つもの群生地を持っていた。
そしてメルを狙う冒険者たちが潜んでいるのも、木苺の茂みに隠された場所だった。
「待ち伏せされとるときは…。ミドリの葉っぱが、うざいのぉー」
メルは小声で嘆いた。
「……分かっているならさぁ。そこから先へは、進むなよ!」
樹々の上から、小声でメルの嘆きに応じる者がいた。
「えっ、誰なの…?」
ジェナ・ハーヴェイが驚いて、樹上を仰ぎ見た。
「クルトじゃ…。心配せんでエエ。クルトは味方です。おとぉーに言われて…。コソコソと、わらしを見張っとるんよ」
「そんな嫌そうな顔で、言うなよ…。オレはヨルグ師匠から、メルを守るように課題を与えられたんだ。フレッドさんじゃないよ」
「どっちでも変わりません。見張りなんぞ、ホント要らんわァー。わらし、年頃のオトメよ…。男にヒミツを覗き見されるんわ、好かん」
「オレだって、メルのかぼちゃパンツ姿からは顔を背けてるよ。だから、覗き魔みたいに言わないでくれ…。地味に傷つく!」
ヨルグの指導を受けて、クルト少年は立派な紳士へと成長していた。
「フムッ。傭兵隊のみんなは…?」
「八名は林に…。増援を呼びに行ったのが、三名ほど…」
クルトは仲間の状況をメルに伝えた。
「ボォーケン者は、ぜぇーんぶ林におるで…。二十三にん。全員集合です」
「ここで一網打尽にしてやるから、メルは事が済むまで待って…。魔法具で武装したならず者たちを半数の傭兵隊で潰すのは、幾らなんでも厳しい。そのうえメルを護衛するのはムリだ」
「ボォーケン者どもに、負けるんかぁー?」
「いやぁー。ケガするの嫌じゃん。どうせ連中を潰しても、代わりの冒険者が派遣されて来るんだ。だからさぁー。こっちには、無用の被害を出したくないんだよ」
「フンッ。剣を交えずの瞬殺ですか…。トラップによる、情け容赦ない毒殺デスネ…?そんな風に…。おとぉーたちはボォーケン者を消してしまうから、次々とオカワリが来よる。それでは、果てしないでしょ」
メルは大儀そうな様子でトンキーに寄り掛かり、傭兵隊の方針にケチをつけた。
「毒殺…?」
ジェナが囁き声で、メルに訊ねた。
「そう…。強力な毒を使用しております」
「ロクデナシどもは、毒でやられてたのね…」
「ボォーケン者は、何度でも同じ罠に掛かりマス」
「それは…。バカだからだよ」
ジェナは感心した様子で、ウンウンと頷いた。
魔法のある世界で毒殺を疑うには、何かしらの切っ掛けが必要だった。
被害者に傷を残すことなく魔法で殺害する手口も、暗殺者たちによって編み出されている。
要するに毒殺は、この世界で非常にマイナーな手法なのだ。
メジエール村の井戸に毒を投げ込もうとした二代目ギルドマスターのマリーノ・ベルッチなどは、非常に珍しい手合いと言えた。
だが、これを傭兵隊が阻止できたのは、至極当然の流れであった。
毒物の知見に関しては、どうしたって傭兵隊の狩人ワレンに軍配が上がる。
恵みの森で採取される毒物には、世間で知られていない危険なものが沢山ある。
これを木苺の茂みに塗布して獲物を突っ込ませれば、大型の野獣であっても容易く仕留められる。
鼻面にかすり傷が付いた程度でも、毒の効果は覿面だった。
それなのに筋肉自慢の冒険者たちは、普段から日に焼けた肌を露出させていた。
『衣類による防御もせず、どこを冒険するのか…?』と不思議に思うけれど、まあ冒険者を名乗っているだけの暴力集団なので仕方がなかった。
この毒が便利な点は、太陽光のもとで一刻も経過すれば分解されてしまうところだ。
長期間の保存がきかず、噴霧すれば味方にも甚大な被害を齎しかねない、大変に取り扱いが難しい毒物だけれど、冒険者の駆除には役立っていた。
「だってさぁー、メル。害虫は駆除するしかないだろ?」
クルトはメルに毒の使用を咎められたと思い、悲しそうに弁解した。
徒手空拳での格闘術を学ぶクルトには、毒殺を厭う純粋さがあったからだ。
だけどメルが問題視していたのは冒険者を殺してしまうコトで、その手段など全く関係なかった。
「テェートでヨルグが、チンピラさんを教育しとったやないですか…。あれをすれば、エエんや」
「ヨルグ師匠が帝都で…?それって、もしかして…。ボッコボコにして、心を入れ替えさせるってやつか?」
「それやで…!金槌でガンガン叩いて、正しい形に直しましょう」
「相手は、二十人も居るんだぞ」
「何人だろうと、同じや…。そういう訳で、わらしは行くどォー」
メルはトンキーの肩をペシペシと叩いて、林の奥へ歩きだした。
「ねぇ、メルちゃん。二十人って、冒険者の数…?この先で、待ち伏せされているの…?」
「せやっ…。正確には、二十三にん。エエ歳したオッサンどもが、幼気な女児を襲うために待ち伏せしとるのデス…。まったく、怪しからん!」
「えーっ。それなら、行っちゃダメじゃん!あっ、あたしを置いて行かないで…!てか、メルちゃん。そっちへ行っちゃダメだってばぁー!」
「あーた。ギャンギャンと耳元で、喧しわ」
メルがジェナの台詞に耳を貸すことはなかった。
メルの手には、いつの間にか妖精の角笛(改)が握られていた。
おそらく、『やる!』と心に決めたメルを止められるのは、現状においてクリスタとラヴィニア姫だけである。
その二人がメルを窘めるのも、せいぜい人前で鼻くそを穿る行儀の悪さくらいだ。
しかも残念なことに二人は、この大事なシーンに居合わせていない。
なので冒険者たちの運命は、ボッコボコ・コースに確定した。
ボッコボコ・コースとは、ニキアスとドミトリを改心させた、あの再教育プログラム(洗脳)を簡易化したものである。
(土中に埋けて、悪い子に反省を促しましょう。真っ暗な地の底は、お仕置に使う押し入れと同じですヨォー。ロクデナシをヨイ子へと変心させる、絶好の再教育施設です)
まあ普通なら、生き埋めにされて平気ではいられない。
悪い子は押し入れだけれど、大人なので地の底に閉じ込める。
ミッティア魔法王国の特殊部隊隊員にも、絶大な効果を発揮した躾方法だ。
冒険者たちを発狂させずにサルベージするタイミングは、地の妖精たちにお任せしてあった。
「仕方ねぇ。オレはメルの護衛だもんな…」
樹から飛び降りたクルトは、メルの後ろを追いかけた。
雑木林の中程に差し掛かったところで、メルの行く手に強面の男たちが立ち塞がった。
林道の両脇から、わらわらと冒険者たちが姿を見せる。
メルたちは四方を囲まれて、逃げ場を失った。
「ぶひぃ?」
「トンキー、心配せんでエエよ。おまぁーが突っ込んだら、連中は無事で済まん」
メルが臨戦態勢に入ろうとしたトンキーを宥めた。
「ヨォー。カワイイお嬢ちゃん。どっから来たのぉー?」
「あっちジャ」
メルの指が、中の集落がある方角を指示した。
「何処へ行くのかなぁー?」
「そっち…!」
メルは男たちの背後を指さした。
「ざーんねん。こっから先は、通行止めなんだよ」
「おまぁーら…。毎朝、わらしが起こしてやっとるに、その恩を仇で返しよるか?」
「いやいや、とんでもねぇ…。オレたちゃ、オマエと仲良くしたいだけさ」
ふてぶてしい顔つきのバルガスが、メルに右手を突きだした。
「ほれっ。オレたちには色々と溝があるようだが、まずは握手だろ」
「んっ。あくしゅか…?仲良しさんだな」
メルはバルガスに差し出された、ゴツイ手を握った。
「つっかまえたぁー!」
「ウヒャァー!」
大きな男がメルの手をつかんで、宙吊りにした。
そのメルに向かって、近くにいた男が手にした戦鎚を振り下ろした。
「くらえっ、このクソガキがぁー!」
「やめろぉー!」
「キャァー。メルちゃん」
不覚にも冒険者たちに行く手を遮られたジェナとクルトは、メルの救出に間に合わなかった。
戦鎚はメルの頭頂部に命中し、ピューッと血が吹きだした。
だがメルを襲った男は、戦鎚を手から取り落として呻き声をあげた。
「兄貴ぃー。コイツの頭は、おかしい」
口の端から涎を垂らして、泣きっ面だ。
予測していなかった反発を喰らい、酷く手首を痛めたようである。
地の妖精によるガード・インパクトだった。
瞬間的に慣性力が跳ね上がったメルの頭骨は、空間座標に粘ってあらゆる外力を跳ね返す。
戦鎚で力任せにメルを殴った男は、まるで大きな岩石に跳ね返されたようなダメージを手首に負った。
「このガキが、頭のおかしなガキだってのはよぉー。先刻承知だろうが!」
「いやっ。ちがっ…。滅茶クチャかてぇー。ウォーハンマーが、弾き返された」
「なんだと…?」
手下に言われて、ようやく気付くバルガスだった。
「ゴラァー。ナニさらすんじゃい。アタマ、痛かろうモン…」
「ウギャァー!こいつ、何で生きてるんだよ…?」
血塗れの顏で睨まれたバルガスは、毒虫でも振り払うようにメルを放り投げた。
「うわっ。バケモンだ!」
「こっちに来るんじゃねぇ!」
バルガスに投擲されたメルを見て、冒険者たちは左右に身を躱した。
傷ついた女児を受け止めようとする善人など、ここには一人として存在しなかった。
「ウゲッ!」
地面に落下したメルが、呻き声をあげた。
「くっそぉー。メル、大丈夫か?」
「メルちゃーん!」
クルトとジェナが、心配そうに叫んだ。
急いで助けに駆け付けたいが、情勢は良くなかった。
多勢に無勢であり、隙を誘って反撃に出るしか手がなさそうだった。
メルは勢いよく草むらに放りだされて、コロコロと転がった。
だが冒険者たちの包囲網を抜けだして、つかの間の自由を手に入れた。
「子どもを騙す大人は、悪モンじゃ!」
ムクリと立ち上がったメルは、手にしていた妖精の角笛(改)を吹き鳴らした。
ポヘェー♪っと間抜けな音が、雑木林に響き渡った。
メルの角笛に応えて、冒険者たちの頭上に巨大な亀裂が走った。
青空や雑木林の景色が、二つに裂ける。
異界から夜が溢れだした。
「なっ、何だこりゃ?」
「いきなり、夜になっちまったぞ。いったい、どうしたんだよ?」
「狼狽えるな…。こんなもの、手の込んだ幻術に過ぎん。単なる目くらましではないか…!」
動揺する冒険者たちに、ギルベルト・ヴォルフの叱責が飛んだ。
「落ち着け、諸君。私は屍呪之王を生みだした魔法博士の再来と噂されるほどに、優れた魔導師だ。魔法王の魔法書に、目を通したこともある。正直に打ち明けるなら、ニキアスやドミトリの生まれ変わりではないかと、自負しているくらいだ…。その私が、問題はないと言っている。大いに安心するがいい!」
「ギルベルトさま、どうかお助けを…」
「問題ないと言われても、信じられる訳がねぇ」
「幻術なら、早く…。早く、解いて下さい!」
つい先程まで陽光に照らされていた林道は、ねっとりとした夜闇に塗りつぶされ、樹々の梢がコツコツと不愉快なリズムを刻み始めた。
葉ずれの音は辺りに陰鬱な雰囲気を漂わせ、生温い湿った空気が首筋を吹き抜けていく。
濃厚な腐葉土の匂いが、夜気に充満していた。
「シーッ。ナニか…。何か、聞こえてくるぞ!」
騒ぎ立てる仲間を黙らせて、冒険者の一人が囁いた。
暗闇の中、光源の分からない明かりがポツリポツリと灯り、周囲を薄っすらと照らしだした。
雑木林の風景は血のような、赤錆色に染まった。
「キャァー!」
「キャッキャッ、ギャァーッ!」
あちらこちらから薄気味の悪い叫び声が上がり、徐々に冒険者たちへ向かって近づいてきた。