メルに分らせたい大人たち
ジェナ・ハーヴェイは、ぼんやりと妖精の存在を察知することが出来る。
ミッティア魔法王国では、他者の魔力量を測れる希少なユニークスキル保有者だと考えられていた。
当人に職務上の問題さえなければ、魔法軍の上層部からは将来有望な新人であると、大いに期待されていたのだ。
しかし反抗的かつ頑迷な性格が災いして、ジェナ・ハーヴェイは魔法軍から下部組織である情報部へ払下げとなった。
当初、情報部はジェナ・ハーヴェイのユニークスキルに強い関心を示したが、やはりエルフ特有の性格を矯正できずに要職への配置を断念した。
結果として、ウスベルク帝国で諜報活動に従事するヨーゼフ・ヘイム大尉のもとへ送りつけ、様子を見ようと言う話になった。
要するに、情報部でも匙を投げたのだ。
そして今、ヨーゼフ・ヘイム大尉と部下たちは、生死不明の行方不明者名簿に名を連ねている。
当然そこには、ジェナ・ハーヴェイの名前も記載されていた。
だが、この様な状況に置かれて、『困ったぞ。何とかしなければ…!』と考えるようであれば、魔法軍はジェナを手放さなかっただろう。
ジェナ・ハーヴェイには、ミッティア魔法王国に対する忠誠心もなければ、魔法軍への帰属意識さえなかった。
ジェナ・ハーヴェイは間違いなく、誇り高き我儘者の魂を受け継いでいた。
実際ジェナはミッティア魔法王国との繋がりが消えてから、見違えるように明るくなった。
ヨーゼフ・ヘイム大尉が軍部と縁を切って良かったと、本気で浮かれていた。
職を失って悩むヨーゼフ・ヘイム大尉の横で…。
これからは軍関係者に、愛国心などと言う意味不明で難解な『ココロ』の有無を問い詰められる心配がない。
それだけでなく、軍務を気にしないで済むようになってからは、自分の判断で好きなときに好きなモノを食べられる。
オカネは、ヨーゼフ・ヘイム大尉に無心すればよい。
そもそも『メルの魔法料理店』は、一食あたり五十ペグだ。
お腹いっぱいに食べても、お会計は五十ペグの低価格に固定されていた。
幾つも料理を頼めば五十ペグで済まなくなるけれど、大抵はシェフにお任せで客の注文を受け付けない。
そこら辺も、ハーフエルフであるジェナには馴染みのある融通の利かなさで、不快に感じるどころか共感を覚える始末だった。
なのでジェナは、毎日のように『メルの魔法料理店』へと足を運ぶ。
明日の心配なんて、これっぱかしも無い。
(自由って、素晴らしい…♪)
どうしようもない娘(三十過ぎ)である。
メルのお店は閑古鳥が鳴いていた。
この慢性的な不景気は、冒険者ギルドのせいだった。
メジエール村のお客さんたちは冒険者を怖がって、誰も食べに来てくれない。
だけどメルは、冒険者たちに商売の邪魔をされても、ぜんぜん気にしなかった。
忙しいのは、とても面倒くさいのだ。
お客さんが来なくても、困るような事はなかった。
料理が余ってしまうようなら、家族で美味しく食べれば良い。
メルの考えによればトンキーも家族に含まれていたので、料理を捨てるような事態は起こり得なかった。
すっかりブタの性質を無くしてしまったトンキーは、豚肉を除外すれば何でも大喜びで食べた。
何を食べようと、お腹を壊したり泡を吹いて倒れるなどの中毒症状は起こさなかった。
いつだって元気いっぱいである。
因みに、トンキーの大好物はさつま芋ゴハンだった。
カレーライスも好きで、唐辛子や玉葱を苦手とする様子は見られなかった。
メルの話を聞いた豚飼いのエミリオは、トンキーを魔獣認定してから帰っていった。
『何でも食うとか…。それっ、もうウチのブタじゃねぇから…。見た目からしてヤバいし…。潰して肉にしろとか、言うなよ。絶対に、引き取らないからなっ!』
失礼な言いぐさだった。
冗談でも潰すとか言わないでもらいたい。
メルには、トンキーをベーコンにするつもりなどなかった。
精霊樹の実で強化されたトンキーは、何やら別の生物にクラスチェンジしてしまったようだ。
ぶつかり相撲でハンテンに負けないのだから、パワーは屍呪之王と同格である。
年数を経て、精霊祭で貰ったヨイ子の懸賞は、心強いメルの相棒へと成長していた。
「トンキー。大学芋って、知っとるか…?」
「ブヒッ?」
問いかけるメルに、トンキーが訝しげな様子で鳴いた。
異世界のブタが、大学芋を知っている訳も無し。
「そうかぁー。トンキーは、大学芋を知らんのか…。そんじゃ、作って食べましょ」
「ブィブィ…♪」
メルが食べたくなっただけである。
そんな訳で…。
ジェナ・ハーヴェイが『メルの魔法料理店』を訪れたとき、メルとトンキーはオープンテラスで仲良く大学芋を食べていた。
大学芋とはさつま芋をカリッと油で揚げてから、醤油風味の糖蜜を絡めた甘いオヤツである。
カロリー高めなデブのお供だけれど、メルとトンキーは気にしない。
スイートポテトよりマシである。
クリームとグラニュー糖をタップリと練り込んだスイートポテトに比べたら、とってもヘルシーなお菓子なのだ。
メルは山ほど作った大学芋をニックたちに届けて上げるつもりだった。
フレッドの外出禁止令は、メルに意味をなさない。
フレッドも、そこは諦めていた。
『ボォーケン者がコワァーて、料理人なんぞでけるかぃ…。わらしは、配達するもんねェー!』
フレッドはメルの啖呵に苦り切った顔をしたが、無理に止めようとはしなかった。
カワイイ娘が心配ではあるけれど、クリスタから自由にさせておけと指示を受けていたからだ。
メルは不安げなフレッドにギュッと抱きついて、『わらしは大丈夫!』と約束した。
男同士の誓だった。
メルは女児だけれど…。
メルとしてはフレッドを安心させるより、ハラペコ兄妹を助ける方が重要だと考えていた。
内戦に巻き込まれて無一文の遊民となってしまったニックの家族は、スカスカのパンと具が入っていないスープで毎日を過ごしていた。
食べられるだけマシだと雇用主から言われているようだけれど、小さい子供なら甘いものだって食べたいはずだ。
両親はともかくとして、ニックたち兄妹がひもじい思いをしていると知れば、何か差し入れをしたくなる。
病気を患って好きなものを食べられなかった樹生は、ニックたちの窮乏に同情していた。
理由や状況が違っていても、生きる喜びは美味しいゴハンから始まるのだ。
美味しい教団の教祖として、そこだけは譲れない。
「元気なのに食べれんのは、よぉーないわ。ハラペコさんは、アカン」
「ブヒッ!」
アーロンに両親を説得して貰って、ニックたちを魔法学校へ入学させるまでは、ときどきゴハンを運ぼうと考えているメルであった。
「メルちゃん、今日のゴハンは何ですかぁー?」
「うはっ。ジェナ、来たんかい。今日は、なぁーんもなぁーぞ!」
「エエーッ!でも、美味しそうなものを食べてるじゃない」
「コレはなぁー。あっちに、配達しますえ。ジェナには、やれん」
メルはニックたちが居る、建設作業現場のある方角を指さした。
そこは中央広場から雑木林を抜けた地点で、居住区画から外れた貯水池の近くだった。
「あたしにも、ください!」
「あーたは、面倒くさいわ…。言いだしたら、絶対に引っ込めんからのぉ」
お互いに頑固でシツコイ性格だから、メルとジェナは意見がぶつかっても言い争ったりしない。
そんなことを始めたら、ものすごく時間が無駄になってしまう。
意地を張らずに、譲れる方が折り合いをつける。
それがメルとジェナの間で取り交わされた、特別なルールである。
クリスタやアーロンも独特の頑固さを持っているが、年齢に比例して穏やかだった。
メルはジェナと話すようになって、長命種なはずのエルフが短命で終わる理由に嫌でも気づかされた。
(身勝手で人の話を聞かず、注意力に欠けていて感情の起伏が激しい。そのうえ突っ走るんだから、早死にしても仕方ないよ)
自分のことは棚に上げて、エルフの欠点をあげつらうメルだった。
メルはトンキーの背中に大学芋を詰めた鍋を背負わせ、テクテクと田舎道を歩いて雑木林の入口までたどり着いた。
ジェナがメルの横に張り付き、ずぅーっと並んで歩いていた。
「で…。あーたは、どこまで付いて来るんかのぉー?」
「あたし…?あたしは、メルちゃんの護衛だよ」
「はぁ。なして、そうなるんよ…?」
「メルちゃんは知らないかもだけど、悪い大人たちに狙われているんだよぉ」
ジェナは大きな葉っぱで作った袋から大学芋を取りだし、文字通りホクホク顔でパクついていた。
ジェナの見立てによれば、メルが保持する魔力はせいぜい五ピクス程度だった。
正式に習えば、生活魔法くらいなら何とか使えるようになるレベルだ。
悪人から身を守りたければ、少なくとも五十ピクスは欲しい。
『エルフなのに魔力がないなんて、不憫な子…』と思い、ジェナは悲しくなった。
ヨーゼフ・ヘイム大尉に命じられるまでもなく、ジェナの気持ちは既に決まっていた。
この危なっかしい小さなエルフを守って上げなければ、お姉さんエルフとしての面目が立たない。
「わるいオトナ…?」
「おっかない顔の小父さんたちが、中央広場に居るじゃん。あいつらだよ。冒険者のこと…」
「あーっ。ジェナのぉー、お仲間デスネ」
「ちっ、違うわよ。あたしは、あんなのと仲間じゃないもん。メルちゃんの味方ですから…!」
ジェナは首を横に振りながら、堂々と冒険者ギルドに対する裏切りを口にした。
◇◇◇◇
昼間だと言うのに、雑木林はひっそりと静まり返っていた。
以前であれば近所の娘たちが木の実を集めに来たり、貯水池で小魚やカニを取る子供の姿を見ることが出来たのだけれど、今では誰も近寄らない。
初代ギルドマスターのカルロス・カスティーユに雇われた冒険者たちが雑木林で村長の娘に乱暴を働こうとしてから、貯水池の一帯はメジエール村の危険区域に指定されてしまった。
その雑木林に、大勢の男たちが息を殺して潜んでいた。
「あのアマ…。前から怪しいとは思っていたが、やっぱり裏切り者か…!」
「まあ、良いではないかバルガス…。狩りの獲物が増えて、楽しみも二倍になったと思え」
三代目ギルドマスターのギルベルト・ヴォルフが、ジェナの裏切り発言を耳にして憤るバルガスを宥めた。
何故に、ギルベルトとバルガスが雁首を揃えているのか…?
その問いに答えようとするなら、ダメ人間特有の嗜虐性について説明しなければならない。
取り敢えず此処では、雑木林に集合した男たちがダメな人であると知っておいてもらえれば問題ない。
そして冒険者ギルドは、ダメ人間の巣窟だった。
メルの人気は大したもので、いざ出陣となったらバルガスだけでなくギルベルトまでが参加したがり、とうとう全員で繰り出そうと言うことになった。
こまっしゃくれた子供と言うものは、駄目な大人たちを容赦なく興奮させるらしい。
「何だかよぉー。ちっこい羽虫が飛んでて、うざったくねぇか?」
冒険者の一人が、低木の陰に潜んだ体勢で苛立たしげにぼやいた。
「ああっ、メジエール村に来てから頻繁に見るよな。ハエと違って、どうしても叩き潰せない。すばしっこい上に頑丈だ」
「こいつら…。おれっちについて回りやがって、見張られてるみたいで気分が悪いぜ」
それはカメラマンの精霊がメジエール村に配備した、マイクロ・ドローンのブブちゃんたちである。
冒険者たちの行動は、リアルタイムでユグドラシル王国国防総省の危機管理局に転送されていた。
カメラマンの精霊は、オモシロ動画を撮り逃すつもりなどなかった。
妖精女王陛下の活躍を収めた動画は、永久保存である。
「おメェーら。グタグタ喋るんじゃねぇ。獲物に気づかれちまうだろ!」
バルガスが、落ち着きのない手下たちを小声で一喝した。
「よぉーし、近づいてきやがったぞ!」
今まさに冒険者ギルド総出の女児虐めが、開催されようとしていた。
「グヌヌヌヌッ…。皆して、わらしを虐めたいんか?」
「どうしたの、メルちゃん」
「何でもありません。ちと、ムカついただけデス」
「そう…?」
勿論メルは、全てを把握していた。