荷馬車に再挑戦
フレッドとアビーは森の魔女がエミリオに託した手紙を開封し、真剣な表情で回し読みしていた。
昼下がりの休憩時間で、『酔いどれ亭』の店内に客はいない。
夕餉の仕込みを始めるには、未だ少しばかり時間の余裕があった。
フレッドが溜息を吐いて手紙から視線を外すと、テーブルについたメルがカリカリに焼いたベーコンを頬張っていた。
頬っぺたが涙で濡れている。
「おい。メルー。今度会ったら、ちゃんとエミリオに謝るんだぞ。いきなり殴って、御免なさいって…」
「うーっ」
「それと、お礼もするのよ。ベーコン、とっても美味しかったです。アリガトォーって…」
「ううーっ」
メルはエサ袋をぱんぱんに膨らませ、泣きながら頷く。
フレッドとアビーは、メルがエミリオを追い返して事情を伝えに来ると、即座にメンタルケアを開始した。
所謂、逆療法である。
嫌がるメルを押さえつけ、『ブタさんの遺品』であるベーコンを薄切りにし、メルが見ている前でこんがりと焼き上げた。
そして現在。
メルは複雑な気持ちで、『ブタさんの供養』を執り行なっているのだ。
「美味いだろぉー?」
「うん…」
「ブタさんだって、メルちゃんが美味しいって食べてくれたら、喜ぶと思うわ」
「うん…」
嘘っぱちだ。
そんなことがある訳ないと、メルにも分かっている。
そもそもブタは死んでしまっているし、屠殺されるときには凄く怖かっただろう。
ただ、これは…。
メンタルの弱いメルみたいな存在が、家畜を食べて生きていくために必要な心の持ちようだった。
嘘でも、物語を作り上げて納得する。
そうしなければ、食べられなくなってしまうから。
フレッドとアビーはメルが食いしん坊なコトを知っていたので、心配せずに荒療治を施した。
放置して拗らせるより、一方的にストーリーを押し付ける方が良いと判断したのだ。
(狩りなら簡単なんだけどなぁー。そもそも腹が減って、喰いたいから殺す訳だしよぉー。だけど家畜ってのはなぁー。ガキには、納得するのが難しいだろ…。食べるために育てるのは、野菜とナニも変わらねぇけど、ブタはケッコウ可愛いからな。呼べば近づいてくるし。ちょっとメルに似てるし…)
メルとブタを重ねるのは、非常によろしくない。
(アビーが、よく口にするけど…。食べちゃいたいくらいに、可愛いか…?)
何やらメルが、美味しそうに思えてくる。
大きな皿に載せたくなる。
春野菜と一緒に。
ちょっとだけ想像してみる。
(ウチの娘、可愛いな。おい…!)
フレッドはメルを眺めて、フルフルと首を横に振った。
「いかん、いかん…!」
これでは、お伽話の恐ろしい人食い鬼と変わらない。
メルに嫌われてしまう。
天井を見上げて、密かに反省するフレッドだった。
「ぶたー。おいしいよぉー」
「うん、美味しいねぇー」
「ブタさん、アリガトウだろ。メル?」
「ぶたー、あいがとぉー」
メルはグズグズと鼻を鳴らしながら、カリカリベーコンを完食した。
「ところで、メル。森の魔女さまが、オマエに助けを求めている」
「なに?」
「魔導具の呪いを解くのに、力を貸して欲しいんだとさ。ロルフを迎えに行かせるから、エミリオの家で待っていてくれ、と書いてあった」
「ろうふ…?」
「魔女さまの黒い犬だ。メルが助けたって言ってただろ?」
「おーっ。くろ!くろ、わらし友だち」
メルは大きな黒い犬を思いだした。
「メルちゃん、行くの…?」
「わらし、行く!」
アビーの問いに、メルは元気よく頷いた。
「よぉーし、メル。魔女さまのために、可哀想な妖精たちを救うお仕事だぞ。オマエは『精霊の子』なんだから、泣いたりしてないで頑張るんだ」
「うん。わらし、がんばゆよ…」
フレッドとアビーは、手紙の詳細な内容について触れなかった。
そこはメルが気になれば魔女に訊くと思うし、魔女も自分の口から説明したいだろうと考えたのだ。
『弟子の裏切り』なんて話は、幼い子供に聞かせたくなかった。
「イヤな奴って、何処かしらに潜んでるよね。そんでもって、何もかもを台無しにしちゃうのよ。最低よ!」
「本当に、その通りだな。森の魔女さまも、実に難儀なことだ」
フレッドとアビーの嘆きは深い。
メルを健やかに育てる為にも、周囲の大人たちには立派でいて欲しいと願う、心優しい酒場夫婦だった。
三日後になり…。
村の薬師に吐き気止めを調合して貰ったメルは、万全の態勢で荷馬車に乗り込んだ。
今回の付き添いもアビーだった。
アビーはローザに、お土産を用意していた。
「なぁ、えみーお。ぶたー、こわがった?」
「そんなことはねぇよ」
「死ぬろ。死ぬん、こわぁー!」
「いや、だから一瞬だって」
「痛かったか?」
「本職に頼んで、苦しくないようにだな…。こぉー眉間のところを」
「やめなさい、エミリオ。メルが夜泣きしたら困るから。オネショとか始まったら、どーするの?」
生臭い演技付きで説明しようとするエミリオをアビーが止めた。
「すまねぇ…」
アビーに叱られてエミリオがしょげ返る。
「うほぉー。まぁーま、トリおった」
メルが草むらで跳ねる鳥を指さした。
茶色い小鳥だ。
「そうだねェー。鳥さんが遊んでるね」
二羽の鳥がパッと飛び立った。
「どこぉー、いく?」
「たぶん、ゴハンを探しに行くんだよ」
「ふぅーん」
メルは吐き気止めの薬が効いて元気だった。
「ねえねえ、えみーお」
「なんだい、メルちゃん?」
元気なメルは、ジッとしているのが苦手だった。
「いつ着く?」
「さっき、訊いたばかりだろ。まだまだだヨ…!」
「まだ着かんろ?!」
「まぁーだ、まだ」
「わらし、タイクツした!」
エミリオはメルの会話相手になるのが、とんでもなく面倒くさかった。
「やあ、メルちゃん。いらっしゃい」
「おぉー。ぶたー、元気か?」
メルは荷馬車からにじり降りると、脇目も振らずにブタの群を目指した。
笑顔でメルを出迎えたティッキーは、完全に無視されてしまった。
「ごめんね、ティッキーくん。後でメルには、ちゃんと言い聞かせておくから…」
「いえ…。メルちゃんは、ちっさいし…。ブタと遊びたいんだから、仕方がないですヨ」
アビーの謝罪に、ティッキーが言葉を返した。
「かぁーっ。物分かりが良くていらっしゃる。我が息子ながら、実に情けねぇ。おめぇ、ブタに負けてんだぞ。そこんとこ、分かってんのかよ…?そんなじゃ、メルちゃんは嫁に来てくれねぇからな。男だったら、しゃんとしねぇか!」
「うるさいよ。父さん!」
ティッキーは顔を真っ赤にして怒った。
「ボーッとしてねぇで、さっさと追っかけろ。メルちゃんだけじゃ、心配だろが!」
「あっ、そうだね。アビーさん。ボク、メルちゃんと一緒にいます」
「それじゃ…。メルのこと、お願いするわね」
「任せて!」
ティッキーはニッコリ笑うと走り去った。
「いらっしゃいませ。アビー」
「また、お邪魔するわね。ローザ…。身体の調子はどう?」
アビーは手荷物を提げたまま、玄関口で待っていたローザと挨拶を交わした。
「元気げんき…。心配事もなくなって、もぉーっ食欲モリモリですよ!」
「それは良かった。お土産に、バターケーキを焼いてきたの…。ドライフルーツのと、ナッツが入ってるやつ」
「わぁー。ありがとうございます。大好物です、ティッキーも喜ぶわ…。さあ、入ってください…。荷物をこちらに…」
「ありがとう…。でも荷物は、自分で持つわ。妊娠してるのに、ローザは気を遣わないで…」
エミリオは二人が家に入るのを見届けてから、荷馬車を片づけるために馬小屋へと向かった。