ありがとうを言おう
ある日のこと…。
メルはラヴィニア姫と精霊樹の自室(二階)でオヤツを食べながら、こう話し始めた。
「わらしなぁー。もぉー、八歳じゃん。弟のディーも、歩くようになったし…。『ねぇーね』と、呼ばれとるんよ…」
「メルってば、本当にディートヘルム(弟)が好きですねぇー」
ちょっとだけ不満そうな顔をして、ラヴィニア姫が応じた。
「ラビーも大好きじゃ…」
「ついでみたいな言い方だけど、許してあげましょう」
ラヴィニア姫は、メルの頬っぺたにチューをした。
「ウヘヘェー」
メルが照れくさそうに笑った。
「そんでなぁー、ラビーさん。わらしもさぁー。お姉ちゃんらしゅぅーせんと、アカンやろ」
「お姉さんらしくですか…。メルちゃんが…?」
「そやっ!」
「どんな…?」
ラヴィニア姫は、とても疑わしげな表情を浮かべた。
「信じてヤァー。わらしだって、お姉ちゃんらしくないんは知っとぉーヨ。だからぁー、がんばらなアカンよ」
「それで、何をするつもりなの…?まぁーた。『おとなは頼りがいが大事じゃ!』とか言いだして、身体を鍛えようとしたり…?」
「やめてぇー、ラビーさん。わらしの黒歴史を穿らんでくらはい。そんなんは、三日で放りだしました」
「ふぅーん。でも…。ディートヘルムくんに、アピールしたいんでしょ?」
「いやいや…。露骨なアピールは、逆効果やねん。わらし、学習しました…。弟は姉の背中を見て、育つのデス!」
メルはティーポットの紅茶をカップに注ぎながら、フルフルと首を振った。
「なぁーんか、台詞はおかしいけれど…。絶対に間違っていると思うけれど…。先が聞きたくなる、お話ですね」
「わらし、フレッド(父)の背中を見て考えたヨ…。オトナ言うもんは、どっしりとぶれないのが大事と思いますねん。そんでもって、ぶれないんは自分の大切デショ。だから、わらしの大切を順番に並べてみたわ…」
「ふぅーん。いい感じですね。メルちゃんにしては、オトナ…?」
「でしょ。でしょ…。そしたらさぁー。いちばんは健康。にばんは、美味しい。これっ、ぜったいに外せないよね…。ここまでは他人からしたら、『はぁー、そうですか…?』って感じやん。オマエなんぞ、勝手に生きたらエエやろって…」
「ほとんど、他人が関係ないですね。メルちゃんらしいと言うか…」
メルもラヴィニア姫の突っこみに、ウンウンと頷いた。
「美味しいは、多少なっ…。多少は他人も関係すると、思うけどさぁー。わらし…。自分が美味しければ、それでエエんよ」
「それでは、料理人としてダメダメですね。食べてくださるお客さんに『美味しい』と感じて頂くのは、とってもダイジだと思いますよ」
「でもなぁー。自分が食べたいもん作るんが、わらしの料理ヨ!」
「頑固えるふ…」
ラヴィニア姫は、呆れ果てた様子で呟いた。
これまでメルは、誰かをビックリさせたり褒められるコトを目的にして、料理をしたことが無かった。
自分の美味しいが最優先であって、他人の評価はどうでも良い。
ここを混ぜてしまうと、『美味しい』が濁る。
「美味しいは、置いといて…。さんばんデス」
「はいっ。三番どうぞ…」
「カンシャ大事ですよ。アリガトウ…。みんな、ありがとぉー!(絶叫)」
「ひゃぁ…。いきなり立ち上がって、叫ばないの…。お茶が、こぼれちゃうでしょ!」
ラヴィニア姫が、手にしていたカップをそっとテーブルに戻した。
メルとラヴィニア姫の間に、このようなやり取りがあって、『取り敢えずは、魔法学校で働いてくれているケット・シーたちに感謝を伝えてみよう!』と言う話に落ち着いた。
「ありがとうを言うだけなのは、違うデショ」
「うん。そうですよねぇー。何か感謝を示す行動が、欲しいかなぁー」
では具体的に何をすべきか考え始めたら、想像した以上にミケ王子と過ごした日々が役に立った。
というか、メルとラヴィニア姫には、ミケ王子しかケットシーを知る伝手がなかった。
(つらつらと思い起こすに、ミケ王子のお喋りは殆ど自己紹介だったよね…)
妖精猫族のケット・シーは、他の精霊たちに比較しても人に憧れる度合いが強い。
ミケ王子が語るところによれば、そもそもネコの姿になったのは人間と同じ家に暮らすネコに嫉妬したからだと言う。
「ネコに嫉妬したんは、ホントかどうか知らんけどな…。ミケはテェートで、アーロンの店へ行ったのを自慢にしとる」
「あーっ、あの首に着けたメダルね。美食倶楽部の金メダル」
「美食くらぶ…?」
「あのメダルはねェー。アーロンが帝都ウルリッヒで資金援助をしているお店で、お客さんに配っている記念品よ。わたしも、アーロンに連れて行かれたから知ってるの…。『超一流料理店』と言うのが、お店の名前です」
「ほぉーん。納得したわ。わらし、字ぃー読めんでよぉー。店の名も、ちぃーとも聞いとらんデシタ」
あのとき、メルとクリスタにとっては、高級料理店の名前なんてどうでも良いコトだった。
「メルちゃんの話に戻ると…。ミケ王子は美食倶楽部で食事をしたのが、嬉しかったのね。人間の食堂で、人間みたいにゴハンを食べたのが自慢だと…。だからいつでも、首からメダルを下げているのね」
「そそっ…。何でも、人間の店で食事した証なんだって…。仲間を集めて、偉そうに話しておった。それを見た他のケット・シーたちが、また羨ましそうでな」
「だったらもう、することは決まったようなモノでしょ」
ラヴィニア姫が、自信満々で言い切った。
◇◇◇◇
「るぅー、るるっ、るるるぅーっ。れぇー、れれっ、れれれぇーっ。らぁーりぃーるれぇー、ろりろりぃー♪」
エルフさんの魔法料理店から、メルの調子っぱずれな歌が聞こえてくる。
手習い所に通うようになって一年が過ぎ、『ラ行』の特訓は確実に成果を上げていた。
熱血教師ブラバン先生の努力が、漸くにして実ったのである。
「滑舌ばっちり、わたしはヨイ子ぉー。たちつてトンカツ、美味しいなぁー♪」
「ぶひぃー!」
「おうっ。済まねぇ、相棒…。トンカツは、食べないよォー(嘘)」
「ブゥブゥ…♪」
「これを運んでくらはい」
メルはトンキーの背中に、大きな銀のトレイを設置した。
その上に、料理が盛られたお皿を並べていく。
「れっつらごぉー」
「ぶぅー!」
精霊樹の幹に設置された扉を開けて、背中に料理を載せて運ぶトンキーの登場だ。
「ブヒィー♪」
大きな銀のトレイには、揚物を山盛りにした皿が幾つも並んでいる。
「風のヨォセェーさん。料理が落ちんよう、頼んます」
その横に、コック帽子を頭に被ったメルが続いた。
魔法料理店の内部や扉は、トンキーの成長に合わせて少しずつ大きくなっていた。
とっても不思議だけれど、魔法だから悩んでみても仕方がなかった。
便利だと思って、笑って済ませるのが正解である。
「おうっ、皆ぁー。お待たせデス!」
「うにゃぁー」
「お腹がすいたニャー」
「妖精女王陛下、バンザイだニャ」
オープンテラスのパラソルがついた席には、魔法学校で活躍しているケット・シーたちが座っていた。
今日は、メルがケット・シーたちの労をねぎらって、ご馳走しようと言う趣向だった。
見た感じは、大きなネコたちの集会である。
クロにシロに灰色に、チャトラにミケと、あっちもこっちもモフモフだらけだ。
普通のネコ集会と違うのは、どのネコも椅子に座って料理が来るのを待っているところだろう。
胸当てエプロンを着用しているケット・シーが多いのは、食事中に胸の毛を気にしないで済むからだった。
食べこぼしが胸の毛に絡むと、厄介なことになるらしい。
「とりあえずぅー。前菜の天ぷらじゃー!」
メルが各テーブルに置いて回ったのは、ちくわの磯部揚げである。
お皿に盛られた揚物から、ふんわりと青海苔の香りが漂う。
揚物の頂上には、お手製の小さな旗が飾ってあった。
旗の紋章はネコの足跡だ。
「穴には、チーズがぶっさしてあるで…。ミィーケさんの、お気に入りなのだ!」
「いただきまぁーす。ありがとにゃ。メル…」
メルの台詞にミケ王子が喜んだ。
「コレッ、おいしい…。何コレ?」
「ちくわ…。お魚のすり身を加熱して作るのにゃ」
「チーズ。おれ、チーズが大好きにゃ」
「めっちゃ、ウメェーにゃ!」
オープンテラスは、ニャーニャーと騒ぐケット・シーたちの声で賑わった。
「熱いとダメ言うんは、なかなかに難しいのぉ」
ケット・シーたちは猫舌なので、ちゃんと冷めるのを待ってからテーブルに運ばないといけない。
熱いと食べられないから、ハフハフしながら食べるのは無し。
口に入れると熱々のチーズが溢れだすブリトーなんかを食べさせたら、オープンテラスが地獄絵図になってしまう。
だからケット・シーたちの慰労会には、ミケ王子の好みを参考にした料理が並べられた。
今日ばかりは、ミケ王子の『美味しい』が優先された。
「どんどん、持ってくるよぉー」
「ぶぅー!」
メルとトンキーは、精霊樹とオープンテラスのテーブルを行ったり来たりだ。
「美味しいにゃ…。嬉しいにゃ…♪」
「あたし…。料理屋さんで食べるの、初めてにゃ」
「おれもだニャ!」
アビーのピクルス液を混合したハーブ香る爽やかなドレッシングで、冷たいシーフードパスタを召し上がって頂く。
パスタ皿には、ボイルした海老やイカにスモークサーモンと、たっぷりの具材が飾られていて目に楽しい。
アサリのワイン蒸しにカツオのカルパッチョと、次々に運ばれる料理でテーブルは華やかだ。
「こうして眺めると、やっぱり驚きがあるよな…」
『酔いどれ亭』の店先に立つフレッドが、顎を撫でながら言った。
「うんうん…。あたしは、ずぅーっとミケちゃんがネコだと信じてたもん。冬の寒い日には、あたしのベッドに入れて寝てたし…」
「そうなの…?」
「だってさぁー。ニャーしか言わなければ、普通にネコだって思うでしょ…?」
フレッドとアビーは、ケット・シーの集会を複雑な心境で眺めた。
「あいつらさぁー。エーベルヴァイン城でも、フリーパスだよな?」
「メルが、ミケ王子は情報通だって言ってたわ。それこそ、エーベルヴァイン城だけじゃないでしょ」
「なんてこった…。デュクレール商会の連中が知ったら、雇いたがるぞ」
「でもねェ。こうやってケット・シーの存在が大っぴらになったら、もうスパイなんて出来なくなっちゃうよ」
オープンテラスを遠巻きにして、さまざまな人々がメルの主催するパーティーを見物していた。
冒険者ギルドの男たちも、目を丸くして見ていた。
これからは道行く野良猫がケット・シーと間違われて、迷惑をこうむるかも知れない。
ネコはケット・シーと違うのだ。
ちゃんとネコとして、扱って欲しいものである。
「ねぇーね。ニャーに、ゴハンあげう…?」
「そうよ、ディー。お姉ちゃんは、お仕事ですよぉー」
アビーは腕に抱いたディートヘルムに、頬ずりをした。
「お待たせメルちゃん。どうにか間に合ったみたいね」
慰労会が中盤を越えた頃になって、ラヴィニア姫がユリアーネ女史と共に姿を見せた。
「ぜんぜん、大丈夫デス。急がせちゃって、すんませんデシタ!」
「完成した記念品は受け取っていたんだけど、数が多いからラッピングに手間取っちゃって…。ユリアーネさんやメアリさんにも手伝って貰って、つい先ほど完成しました」
「ありがとう、ラビー。ユリアーネさんも、ありがとう…。メアリさんにも、ありがとうって伝えておいてくらはい」
「「どういたしまして…」」
ラヴィニア姫と付き添いのユリアーネ女史が、たくさんの記念品が入った籠をメルに渡した。
丁寧に箱詰めされた記念品は、金メダルが付いた魔法のチョーカーだった。
金メダルとチョーカーは、ゲラルト親方が拵えてくれた。
魔法付与はメルとラヴィニア姫から話を聞いた、魔法王の仕事である。
ずっと同じ毛皮なのを不満そうにぼやいていたケット・シーたちのために、魔法王が好きな色と模様に変身できる魔法術式をメダルの裏に刻印してくれたのだ。
「これで、感謝の気持ちが伝わるかなぁー?」
「うん。きっと喜んでもらえるよ」
ラヴィニア姫が自信ありげな仕草で、ラッピングされた記念品の箱をメルに突きつけた。
今日は魔法学校の開校記念日だ。
アリガトウの日である。