魔女さまの頼みごと
カラメルナッツとは…。
ローストした木の実に、煮詰めた蜜を絡めて固める。
香ばしくて栄養価に優れたお菓子だ。
歯磨きしない子には向かない。
アビーが得意とする焼き菓子で、メルの大好物だった。
大きな素焼きの器に、こんもりと盛られた木の実のお菓子。
表面を覆った蜜が、テラテラと輝きを放っていた。
見ているだけでゴージャスな気分になれる。
食堂のテーブルに置かれたカラメルナッツが、先程からメルを手招きしていた。
その誘惑に、メルが我慢できる訳もなかった。
おずおずと手を伸ばす。
「それを食ったら、アビーと仲直りだぞ…」
「やむなし」
フレッドの言葉にメルが答えた。
既にお菓子は、口の中。
カリコリ、もぎゅもぎゅしながら、メルは目を細めた。
しあわせ…。
蕩けちゃいそうな顔で、もう一口。
「まったく…。アビーとケンカしたんだろ。意地とか我慢とか、根性みたいなものを見せてみろよ…?そんな食い意地を張ってたら、お菓子に釣られて奴隷商人どもに攫われちまうぞ。俺には、そんな未来が見えるようだ」
「どえェー?」
「ああっ、分からないでもいい。美味しいモノに騙されたら、悪いヤツらに連れて行かれちまう、という話だ」
「わるいオトコら、オッパイ好き。わらし、子供。モンダイなし!」
メルは自信ありげに頷いた。
人さらいの目的は、魅力的な若い女性である。
しかるに自分は、女性特有の曲線美を持たぬ子供ではないか。
であれば、さらわれてしまうかも知れないと、心配するのはバカげている。
パパ…。
余計な心配をすると禿げてしまいますよ。
メルの台詞には、そのような意味が込められていた。
しかしフレッドは、都で幼いエルフが取り引きされる現場を何度も目撃していた。
若い頃には、いけ好かない貴族との付き合いとかもあったりしたのだ。
ヤンチャだったから…。
「あぁー、そうですかい。破廉恥な貴族どもがエルフさんに、どんだけ金貨を積むか知らん癖して…。メルは、呑気で幸せだぁー。『親の心子知らず』ってな、よく言ったもんだ。なんだか俺は悲しいよ」
フレッドは大袈裟に嘆いてみせた。
この世界に奴隷制度はない。
奴隷を所有するのは、完全に違法である。
だが他人を拘束して従わせる、契約呪紋があった。
戦乱の時代に開発された魔法術式で、暴力的に隷属を強要できる。
現在では凶悪犯罪者の再犯防止を目的に、刑罰として刻印される簡易式の魔法紋となった。
だが…。
これを悪用する者が現れた。
魔法技術に長けた奴隷商人と、倫理観が欠如した一部の貴族たちだ。
貴族が見目の良い亜人を侍らせていたら、奴隷紋を使用していると考えて間違いない。
そう世間で囁かれる程度に、亜人の誘拐と売買は後を絶たなかった。
「まあ。この村じゃ、起こりそうもねぇけどな!」
「わらし、だいじょーぶ。ちんまい、つんつるりん」
「そうだな…。メルもボインになったら、ちゃんと気をつけろよ」
フレッドはメルの頭をグリグリと撫でながら言った。
「アビーみたく、バインバインになぅ?」
「……どうだろうな。デブには、なりそうだけど。すでに、ちょっとデブだし」
「やむなし」
『デブになるから、お菓子を食べるな!』と言われても、メルには受け入れるつもりなど微塵もなかった。
いっぱい食べて太るのは、健康の証だ。
なにも問題なんかない。
「ふんっ!」
エルフ女児は、そう思うのだった。
その夜…。
仲直りしたメルとアビーは、一緒のベッドで重なるようにして眠った。
「おまえら、仲が良さそうでいいなぁー!」
寝入ってしまったメルとアビーの布団を直してやりながら、フレッドも幸せそうな笑みを浮かべて自分のベッドに潜り込んだ。
◇◇◇◇
恵みの森に棲む魔女は、長いこと解決の糸口すらつかめぬ難題に頭を悩ませてきた。
しかしメジエール村に精霊の子が遣わされたコトを知って、ようやく肩の荷を降ろせると安堵した。
「まったく、弟子なんぞ取るもんじゃないわ。心根の腐り切ったクズに、そうとは気づかず秘術を授けた罪科が、重たくて敵わん…」
魔女の庵には似つかわしくない鉄の武具が、壁際にズラリと並べられていた。
どれもこれも忌まわしい、魔紋を刻まれた人殺しの道具である。
王国の各地を渡り歩き、見つけるたびに回収してきた魔法具だ。
手間ヒマをかけ、財産と時間を費やし、誠意を尽くして所有者を説得し、時には暴力まで行使した。
全ては弟子の心根を見抜けなかったツケである。
「済まんなぁー。長いこと待たせちまって…。やっと、解放してあげられるよ!」
それらの武具には、騙された妖精たちが封印されていた。
ジッとしているのが大嫌いな妖精たちは、ずっと動けずに我慢させられて、人殺しに使われてきたのだ。
魔女の弟子は特殊な封印魔法を使用したので、これを解呪するために強い霊力を必要とした。
ところが魔女には、解呪に必要なだけの霊力を用意することができなかった。
そこで色々な方法を試したけれど、どれも上手く行かずに終わった。
この様な事情があって悶々と苦しんできた森の魔女であるが、メルの存在を知ってからは機会を待つだけとなった。
すでに妖精たちの解放は、約束されていた。
何となれば不肖の弟子が施した術式の如き代物は、メルの霊力でたちどころに雲散霧消してしまうはずだから。
「さぁーて…。依頼の手紙を書いたから、エミリオにでも届けてもらうとするかい」
『どっこいしょ!』と口にして、森の魔女は立ち上がった。
「あたしも…。すっかり、ババアになっちまったね」
メジエール村の人々は、森の魔女が幾つなのか知らなかった。
◇◇◇◇
精霊の樹にもたれてミケの蚤取りをしていたメルは、エミリオから巨大なベーコンと手紙を渡されて顔色を青くした。
「いやぁー。メルちゃん。この間は、アリガトな。ブタたちは、すっかり元気になったよ。これで嫁さんや息子にも、腹一杯メシを食わせてやれる。赤ん坊が生まれても安泰だ。本当にありがとう…」
「おぉ…」
「その手紙は、森の魔女さまからだ。メルちゃんに、お願いがあるとか言ってた」
「うむっ…」
「ベーコンはお礼だよ。フレッドやアビーと一緒に、召し上がってください」
「べっ、べーこん。ぶた?」
メルは唇を震わせながら訊ねた。
「ああっ、メルちゃんが助けてくれたブタを潰したんだ。きっと、美味しいぞ!」
「おっ、おまぁー。オニじゃ!」
「いってぇー!なんで殴るぅー?ベーコン、好きだって言ってたじゃないか!」
「帰れぇー!」
メルは手にしていたベーコンで、エミリオをゴツゴツと殴った。
泣きながら殴った。