幸運のネズミさん
アビーによるメルの追求(折檻)は、クリスタが口を挟むことによって回避された。
どちらかと言えば無神経なクリスタであるが、仲裁すべき事柄とタイミングは心得ていた。
メルを普通の幼児として扱うのであれば、アビーに任せるのが正しい。
だが、メルは精霊の子だった。
「黙っておったのは、メルが悪い。だけどなぁー。メルには妖精女王としての、大切な使命があるのじゃ。アビーも、そこは考慮してやらなきゃいかん」
「うーん。メルの立場で考えたなら、色々と悩むところはあるんですけどねぇー。やっぱり、どうしても心配なんです」
「それでも、堪えなきゃいかんよ。メルだって、帝都まで遊びに行った訳ではあるまい?」
「あい、野暮用じゃ…。あっちのセイエージュに呼ばれマシタ!」
メルは叱られそうにないので、正直に答えた。
「分かったかい?アビーが叱って止めるから、メルもコソコソするのさ」
「あーっ。そう言うコトなのか…。気づかぬうちに、あたしがメルちゃんを追い詰めちゃったのね」
アビーが、シュンとなった。
「メル…。アビーが落ち込んじまって、可哀想だろ。これからは、よぉーく説明するんだよ。つまらぬ隠し事は、やめにしな!」
「うん。まぁま…。黙っとって、えろぉスンマセン…」
メルがペコリと頭を下げた。
「もぉーっ、メルちゃんは謝らないで良いよ。これからは、あたしもちゃんと説明を聞くから…。隠さないで、本当のことを話してね」
「あい、わかりました」
「うむっ、それでエエ…」
クリスタが静かに頷いた。
「子どもらしく、楽しい毎日を過ごさせてやれたら、一番なんじゃが…」
クリスタとしては、メルを危険な場所に連れだしたりしたくなかった。
だけど、クリスタとメルの背負っている重い宿命が、ただ穏やかな日々を過ごすコトなど許してくれなかった。
(さじ加減が難しいところだよ…。メルには普通の子供として育って欲しいけれど、そうそう甘やかしてもいられない!)
メルは精霊の子であり、妖精女王なのだから、無理を承知で強要せねばならぬときもある。
これは精霊界の生き残りをかけた、非情な戦いなのだ。
「オマエさまが、普通の子ならなぁー」
「むっ。婆さまは、耳に毛ェーが生えとォーと、サベツですか?」
「んっ?何を言うとるのか…。オマエさまの和毛は、フサフサでかわいかろう」
「ふぉっ…?」
クリスタに耳を撫でられて、メルが奇妙な声を漏らした。
そこはメルの、ゾクゾクするポイントだった。
「ところで…。メルが精霊樹に呼ばれたって、どういうことなんだ?」
フレッドがメルに訊ねた。
「あーっ、それなぁ…。実はぁー。地下迷宮に呼びだした精霊がショボくて、ぼぉーえいラインを破られマシタ。わらし、助っ人マン」
「ってことは、侵入者を撃退しに行ったのかよ。ちっ…!父親なのに、愛する娘の手助けも出来ねぇとは…。情けねぇ」
「緊急事態ゆえに、やむなし…。気にせんでエエよ、ぱぁぱ」
「もっ…、もしかして。地下迷宮への侵入者とは、フレンセン隊長が率いる特殊部隊ですか?あの部隊には、最新型の魔導甲冑が配備されていたはず」
ゲルハルディ大司教が、驚愕の視線をメルに向けた。
「マホォーカッチュウなぁ。あんなもん、見てくれだけじゃ。わらしが、兵隊さんから取り上げたったわ…。改造して、つよぉーなったど!」
メルが得意そうに胸を張った。
「そんな…。あの連中はミッティア魔法王国でも、精鋭の部隊なんですよ!」
「そう言われてもな…。ちぃーとも、知らんわぁー」
「いやいや…。知らんって、メルさん」
「ビンス爺ちゃん。わらしコロモよ…。世間には、わらしの知らんコトばかりね」
メルは最近タリサが口癖にしている、『世間』という言葉を使ってみた。
両手のひらを上に向けて、分かりませんのポーズも忘れない。
何となく大人になったようで、気分がよろしい。
「ビンス同志。メルさんは本物ですから、早く慣れた方が良いですよ」
「ホ・ン・モ・ノ?」
「本物です」
「なにの…?」
「精霊の子であり、妖精女王陛下だって、クリスタさまが仰ってたでしょ!」
「えーっ!ちょっと大げさな誉め言葉とかでは、ないんですか?」
「お気持ちは分かります。でも、メルさんは本物なんです」
アーロンが動揺したゲルハルディ大司教の肩に、ポンと手を載せた。
「ところで…。先ほどから、わたしは話が理解できていません。メルさんが、お一人で帝都に行ったとか、そう言う解釈で間違いないのでしょうか?」
アーロンがキリッとした表情で、メルを問い詰めた。
「あーっ。わらし、喋らんよぉー。アーロンには、ナイショ!」
「そう言うところですよ、メルさん。さっきも、クリスタさまに言われたでしょう…。大人に詰らない秘密は、いけませんよ」
「おまぁー、ムカつく。美味しい教団の教祖さまをコロモ扱い。許されません!」
「はぁー。アーロンよ。異界ゲートじゃ。メジエール村とエーベルヴァイン城。二本の精霊樹が、異界ゲートで繋がれておるのさ」
メルの横合いから、クリスタがボソリと告げた。
「あーっ。婆さま。言うたらアカンのにぃー!」
アーロンに、バレてしまった。
「そっ、それじゃ…。ここから帝都ウルリッヒまで、ヒュンとひとっ跳び?」
「ゲートを潜れば、そうなるのォ」
「何日も船に乗らず、行き来できる…?」
「移動は一瞬じゃ」
「やったぁー!」
「ではあるが、異界ゲートを他人に知られたくないのでな…。アーロンには、これまで通り、船を使ってもらおうか」
「そんな…。ご無体な…」
アーロンがクリスタの台詞を聞いて、あんぐりと口を開いた。
「おい、アーロン。オマエ…。ウィルヘルム皇帝陛下に知られていいのか…?」
フレッドが呆れたように言った。
「どういうことですか…?」
「よく考えてみろよ…。メルの移動手段は、城壁や守備隊を無意味にしちまうんだぞ。あの心配性の皇帝陛下が、城内に忽然と現れる暗殺者の妄想に憑りつかれたらどうするつもりだ?」
「やや…。それは困る。そんな事になったら、わたしが解放してもらえなくなるじゃないですか…。一日中、護衛をさせられますよ」
「船を使わずに帝都まで戻ったら、異界ゲートの存在がバレるんじゃないか?」
「………確かに」
デュクレール商会は、ウスベルク帝国の諜報機関だ。
アーロンが移動に船を使用しなければ、即刻ウィルヘルム皇帝陛下の耳に届くだろう。
ウィルヘルム皇帝陛下から移動手段を詰問されたなら、アーロンは真実を伝えなければならなかった。
そういう魔法契約で縛られているのだ。
「それでなくとも皇帝陛下は、地下迷宮に潜む悪魔王子の件で神経質におなりです。デュクレール商会から報告が行ったら、わたしの自由が完璧に奪われてしまいそうですね」
「悪魔王子ってのは、暗黒時代に活躍した悪魔王子か…?そうなると地下迷宮の変貌も、皇帝陛下から追及されるな…」
「それっ…。ぜんぜん知らないんですけれど、実のところどんな具合になってるんですか?」
「俺の聞いた話では、女のお化けがでるみたいだ。三人…。それと、小鬼の痕跡が複数あったらしい」
「なんてことだ…。地下迷宮は、もはや悪霊の巣窟ですか…?」
フレッドとアーロンが、メルをジッと見つめた。
「今なぁー。あっこは、工事中ヨ。毎日、毎日な…。ジャンジャン迷路をカクチョォーしてます。ボォーエー部隊も増強したで、セイエージュは安心安全ね!」
「そうかい…。オマエさまは、しっかりと頑張っておったんじゃな」
「ウヘヘ…。わらし、ヨイ子じゃ」
メルは敢えて二人から視線を外し、クリスタに語りかけた。
「メルさんの説明は、よく分かりませんが…。何だか、悪化の一途をたどっているような気がします」
「ウチの迷宮専門家が迷い込んだけど、おっかなくて一歩も動けなかったらしいぜ」
フレッドとアーロンは、どんよりとした表情になった。
「いや、しかし…。帝都ウルリッヒの守りが完璧であっても、ウスベルク帝国に傾いて貰っては困るぞ!」
「そうですよ、クリスタさま…。帝都ウルリッヒだけが守られていても、ひとつずつ他領を攻められたら滅ぼされてしまいます」
「やはり。バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵を取り除く必要があるか…」
「屍呪之王を滅した時のように、また三人で片づけましょう」
「こりゃあ面倒ごとを押し付けられたとしか、思えんわい。ウィルヘルムの奴め、虫の良いコトを…」
クリスタが苦々しそうに言った。
「なぁ、婆さま。わらし、考えたわ」
「なんじゃ、メル?」
「マホォー教えたら良いデショ」
「どう言うコトかいな…?」
クリスタがメルの台詞に、首を傾げた。
「あっこは、ヨォーセーさんたち居らんかったデショ。でも、シジュー消えたしセイエージュ生えた。どんどんヨォーセーさんたち、増えるで…。マホォー強力になる」
「おおっ…。それは考えておらんかった」
「マホォーを勉強すえば、みんなつよぉーなゆで…。ヨォーセーさんたちも、一緒に遊べて大喜びですわ」
「なるほどなぁー。この後にはミッティア魔法王国との対立も控えておるし、帝国の魔法使いを強化する良い機会じゃ。魔法による援護があれば、騎士団も魔導甲冑にむざむざとやられはすまい」
クリスタがウンウンと頷いた。
「婆さまが、マホォーの先生じゃな…」
「あたしがかい…?」
「婆さま…。マホォーの先生すゆから、コソ勉しとったんと違う?」
「うはぁ、コソ勉じゃと…?いや…。そそっ…。オマエさまの言う通りじゃ!他人に魔法を教えるのは、殊のほか難しいでな…」
クリスタはメルに追い込まれて、もごもごと口ごもった。
誰にもバレていないと思っていた基礎魔法の復習が、メルに筒抜けであった。
もうこうなると、妖精たちがメルに伝えたとしか思えない。
そこいらじゅうにスパイがいるのだ。
(もしかして…。いや、もしかしなくても…。メルには、ぜぇーんぶバレてるのね…。魔鉱プレートの評価が、二十点だったことも…)
クリスタは森の魔女から素に戻って、魔法王につけられた悲惨な点数を思いだした。
何としても闇に葬りたかった秘密が、すっかり露見していた。
ズドーンと、へこむしかなかった。
◇◇◇◇
お日さまが天高く昇り、外気も幾分か温もってきた頃になって、ユリアーネ女史に連れられたラヴィニア姫が顔を見せた。
キュッキュッと雪を踏み鳴らしながら歩くラヴィニア姫の横には、ピンク色のあいつが付き従っていた。
その背に乗っているのは、リスのような外見をした魔獣、ハンテンの盟友チビであった。
「こんにちはメルちゃん。ダヴィ。良いお天気ですね」
「いらたいませ、ラビー」
「待ちくたびれて、腹ペコだよ」
「ユリアーネさんは、大人どうしで…。ラビーとデブは、わらしの部屋でエエよね?」
『酔いどれ亭』の食堂では、大人たちが難しい相談をしていた。
どう考えても幼児ーズには居心地が悪い。
「クリスタさまが、来ていらっしゃるの?」
「うむっ。アーロンがなぁ、ややこしい用事を持って来よったで…。わらしら、食堂に居づらいデス」
「メルちゃん。わたし、クリスタさまに挨拶だけしてくるね」
「いってら…」
ラヴィニア姫はメジエール村に引っ越してきたとき、アーロンの紹介でクリスタと顔を合わせていた。
『調停者』であるクリスタは、メルと並んでラヴィニア姫の恩人であるし、何より幼い頃からラヴィニア姫が崇拝する聖女さまであった。
クリスタが絵物語や歴史書の存在ではないと知ったとき、ラヴィニア姫は目を丸くして驚いた。
そのあとは、もうクリスタを女神さま扱いである。
(僕って、ラヴィニア姫からすると何だろう…?ただのトモダチ…?まあ幼児だから頼りなさそうに見えるけど、仕方ないデショ…)
メルはクリスタに、幾ばくかの嫉妬を感じていた。
(それだけでなく…。女の子だし、ラビーよりちょっと背が低いし、耳の裏に毛が生えてるよね…。ラビーは、耳毛が嫌いかなぁー?)
メルにしてみれば、ラヴィニア姫の王子さまだと言い張るには、少しばかり問題が多すぎた。
『キライよ!』の一言が怖すぎて、何ひとつ行動に移せない。
勇気なんて欠片もなかった。
「致し方なし…」
メルは力なく呟いた。
ユリアーネ女史とラヴィニア姫は、『酔いどれ亭』の食堂に向かった。
途中、雪に足を滑らせたラヴィニア姫が転びそうになり、ユリアーネ女史に助けられた。
「あのくつ、アカンのぉー」
「ユリアーネさんの履いている靴も、道が凍結したらやばそうだぞ!」
「みやこモンは、ホンマしゃぁーないですね」
「雪が降り積もったら、オレらの靴みたいでないとな…」
真新しいスノーブーツが自慢のメルとダヴィ坊やは、顔を見合わせてウンウンと頷き合った。
メルとラヴィニア姫、ダヴィ坊やの三人は、暖かな魔法料理店の一階でカレーうどんを食べ終えると、夕刻間近まで二階のコタツに突き刺さって絵合わせゲームを楽しんだ。
「ラヴィニア、強すぎ…。オレ、このゲーム苦手だ」
「うむーっ。わらし…。花丸ショップで、新しいゲーム探しマス!」
「エエーッ。このゲームで良いでしょ。とても楽しいじゃない」
「「つまらん…!」」
メルとダヴィ坊やが、声を揃えてラヴィニア姫の意見を退けた。
ゲームは勝てないと面白くないのだ。
メルのコタツから、ミケ王子とハンテンの顏が突きだしていた。
三毛猫とピンクの犬が並んで、気持ち良さげに寝ている。
トンキーだけは、コタツの喜びを共有できない。
身体が大きすぎるから…。
なのでトンキーは、メルのベッドを占領していた。
むしろ、そのベッドはトンキーの寝床であり、メルが居候しているような状態だった。
大きく育ったトンキーは、小さなメルをお腹に抱えて寝る。
そうなるとメルは、まるで仔ブタのように見える。
ピギーちゃんと呼ばれても、仕方がなかった。
帰宅の時間が来て、ラヴィニア姫とダヴィ坊やがメルの樹を立ち去った後、二階の部屋にチビが取り残されていた。
「うはぁー。おまぁー、忘れられたんか?」
「キュイ、キュイ…」
コタツから這いだしたチビが、慌てた様子もなく穏やかな声で鳴いた。
「もしかして…。ちーびは、ここに居候するんかぃ?」
「キュィー」
住みつくつもりのようだった。
〈メルー。それっ、聖獣だよ。たぶん精霊樹の霊気が気に入って、居座っちゃったんだ〉
ミケ王子がコタツに刺さった状態で、メルに告げた。
〈えー、そうなの…?わたしは、てっきり栗鼠の仲間だと思ってた〉
〈リスとは、まったく関係ありません。昔から吉祥鼠と呼ばれている、とってもありがたい霊獣だよ〉
〈ふーん。キミって、縁起物なんだね?〉
〈キュィ…♪〉
トンキーと同じで、チビの念話もケモノっぽかった。
理解できるようになるまで、かなりの時間が掛かりそうだった。
〈わたしが知っている場所では、ミケ王子も縁起物だよ〉
〈そうなの…?〉
〈小判を抱えてる、三毛猫の置物があるのね。『招き猫』って言って、福を招くんだってさ〉
〈ボクはネコじゃないし…!〉
ミケ王子が、プイッとメルから視線を逸らせた。
「ミケェーは、わらしの大切なオマモリぞ…」
メルはミケ王子を抱き上げて、その額にチュッとキスをした。
ミケ王子が目を細めて、蕩けそうな表情になった。








