調停者さまは偉かった
一晩中、降り続けた雪が、メジエール村を真っ白に染め上げた。
『酔いどれ亭』の外は、見渡す限り銀世界だ。
「ウーッ。さぶい」
「メル。防寒着をつけないと、風邪ひくぞ!」
「おーっ。わかとぉーよ。ぱぁーぱ」
「こっちにおいでェー。ママが着せたげる」
「あい…」
メルはアビーに赤い外套を着せてもらい、毛糸の帽子を目深に被った。
先っぽにポンポンがついたとんがり帽子は、やわらかなクリーム色だ。
「うんうん…。やっぱり似合ってるね」
「わらし、カワイーか?」
「可愛いよぉー」
「うへへ…」
アビーが編んでくれた、お洒落な帽子だった。
同色の毛糸で編んだマフラーと手袋も、身に着ける。
「ミケ…。逃げゆな!」
「みゃ!」
ミケ王子は寒いのが嫌いだ。
外になんて出たくなかったけれど、メルに捕まって懐に捻じ込まれた。
「ミィーケもわらしも、ほっかほか。ぬくぬくデショ!」
「みゃぁー」
着ぶくれしたちびっ子の完成である。
ミケ王子はメルの懐で、スピスピと二度寝を始めた。
「朝おきタイ、しゅつどぉー」
「ぶぅー」
トンキーに跨って、スコンと晴れた空の下へ。
「ウギャァー!みみぃ、痛いわ…」
ピューッと吹き抜けた風の冷たさに、メルが悲鳴を上げた。
「メル。遅いど…。オレが凍るだろ」
「スミマセン。冬は服が大変よ」
「メル姉、まん丸だな。着すぎじゃねぇの?」
「いやいや…。まだ寒いです」
暑さに弱いメルは、寒さにも弱かった。
何しろ中身の樹生は、エアコンが当りまえの世界で暮らしていたのだ。
我慢なんて大嫌いだった。
「おはようございます。メルさん…。この地方の冷え込みは、とんでもなく厳しいですな…」
ゲルハルディ大司教が、ダヴィ坊やの後ろで軽く会釈した。
ゲルハルディ大司教はフレッドの紹介で、ダヴィ坊やの両親が経営する宿屋、『竜の吐息』に部屋を借りていた。
自分の屋敷から追いだされた、アーロンと一緒だ。
「メジエール村の夏は、めっさ暑いどぉー」
「それは楽しみですな」
「ビンス爺ちゃん、おかしいわぁー。わらし…。さぶいのも、あちぃーのも、たのしないわ」
「メルー。凍えちまう。スープくれっ!」
ダヴィ坊やが、メルにプレゼントされたカップを突きだした。
「爺ちゃんも、カップ出しましょう」
「おおっ。これは申し訳ありませんな」
「こーんぽたーじゅデス」
メルは魔法の水筒から、熱々のコーンポタージュを注いだ。
「ヤケド、気ぃーつけなアカンで…。飲み終わったら、朝起きタイの活動を始めまショウ」
「スープが美味しいですなぁー。身体の芯から温まりますぞ」
「コンポタよ」
「こんぽたですか…」
『美食の旅』に書き記す内容が、ひとつ増えた。
「あちち…。爺ちゃんは、太鼓を叩く役だよ!」
ダヴィ坊やは、熱いコーンポタージュをフーフーした。
啜るのが下手なので、スプーンが欲しいところだ。
しかし厚手の手袋をしているので、スプーンは持ちづらかった。
「お任せあれ…」
ゲルハルディ大司教は、肩にさげていたメルから預かった太鼓をトンと叩いた。
いつの間にやら、朝起き隊のメンバーとなっていたゲルハルディ大司教。
アーロンと違って、幼児ーズのあしらい方が巧かった。
「オレが鉦で、メルは…?」
「ブブゼラです」
「ブーブー喧しいやつな」
「うむっ」
メルはスープを啜りながら頷いた。
ブブゼラとは、サッカーの試合でよく吹き鳴らされている細長いラッパだ。
メルのブブゼラはプラスチック製で、黄色だった。
もちろん花丸楽器の製品である。
「メルー。今日のゴハンはなに…?」
「まぁーだ、決めとらんヨォー」
「オレは温かいのが、食べたいなぁー」
「カリーうろんにすゆか…。モチを入れて…」
メルの台詞を耳にして、ゲルハルディ大司教の瞳がキラリと光った。
(とうとう、カリーラースが食べられるのですね。んっ。カリーウロン…?カリーラースとは、なにか違うのでしょうか…)
ゲルハルディ大司教は首を傾げた。
「カリーウロンか…。あれは美味いよなぁー」
「デブ。カリーうろんでは、なぁーぞ。カリーうろんじゃ」
「だから、カリーウロンだろ!」
「ムキィーッ!わらし、ちゃんとしゃべらんデス」
メルが苛ついて、足を踏み鳴らした。
カレーうどんの季節が到来した。
◇◇◇◇
メルは魔法料理店の厨房で、即興の歌を口ずさみながらカレーうどんのスープを作った。
大きな寸胴ナベが、二つも魔法のコンロに載せられていた。
たくさん作っても、スープが残る心配は要らない。
むしろ足りなかった。
「わらしは、エウフのコックさぁ~ん。みんなに、おいしい配りますぅ~♪」
自分が食べたいものしか作らない、頑固一徹の料理人。
「あったかスープで、心もほっこり。あしたも、元気でがんばれう~♪」
心もち厚めにスライスした豚バラ肉を贅沢に鍋へ投入。
フツフツと沸いた鍋から、余分な脂を取り除く。
新鮮な豚バラ肉からは、灰汁などでない。
湯面に浮かんでくるのは、融けだした脂肪だけだ。
これは捨てずにドンブリへ。
火の妖精たちは、お酒と油脂が好きなので、こうしておくと無くなっている。
だからメルは、必要な際にラードを花丸ショップから購入する。
獣脂の備蓄はできない。
フライヤーの植物油だって、どんどん減っていく。
少しでも酸化した廃油部分は、火の妖精たちが持ち去ってしまうからだ。
揚げカスも容赦なく…。
「薄いショーユ味のソバツユ…。三温糖の甘味は、OK…。うん。いい感じデス」
そこにカレールーを溶かしていく。
「うはぁー。エエ匂い」
ひと口大にカットした玉葱をドボドボと鍋に放り込む。
「できたぁー!」
後は薬味の長ネギを刻んでおけば、うどんを茹でるだけで食べられる。
「おっ、モチ。モチを忘れとった」
お餅は焼く。
茹でるのも良いけれど、表面を焼しめた方が汁に溶けださない。
カレーうどんであれば影響はないけれど、鍋などの場合は焼いてあった方が汁を濁らせない。
メルは、お餅を焼く。
「こんちわ、メル。久しぶりだね」
魔法料理店の受付カウンターに、森の魔女が顔を見せた。
「うわぁー。婆さま。いらたいませ…!」
「いいところに来たみたいだね。美味しそうな匂いだ」
「カリーうろんな。すぐ食べれゆど…」
「そいじゃ、頂こうか」
「あいよぉー。まいどありー」
湯気の立ち込める厨房から、メルが元気よく答えた。
「メルさん。わたしのも、お願いします…。あっ。ビンスさん」
「アーロン同志。そちらのご婦人は…?」
「あらあら、なんだね…。こんな婆を捕まえて、ご婦人だなんて…。紹介しておくれよ、アーロン」
「こちらは旅の執筆家で、ビンスさん」
「ビンス…。と言うと、あの著名な料理本の執筆者かい。なるほどねェー。マチアス聖智教会の、ゲルハルディ大司教さまね。たしか、美食倶楽部の会員とか…」
「シーッ。ダメですよぉー。ビンスさんは、お忍びなんですから…」
「コホン。ただのビンスです。お見知りおきを」
メルは受付窓口から顔を覗かせて、三人のやり取りを見守っていた。
「こちらは、わたしの師匠でクリスタさま」
「く・り・す・た…?大魔法士アーロンの師匠で、クリスタと言えば…。それじゃ、調停者さま!」
ゲルハルディ大司教が、驚愕の表情を浮かべて硬直した。
『調停者』の実在を信じる者は、非常に少ない。
『調停者』とは歴史書に記載された古代エルフ王朝の女王であり、暗黒時代に予言書や詩編などを残したけれど、その後の行方は杳として知れず、とっくに死んだものと考えられていた。
それは古代エルフ王朝を真似て造られたミッティア魔法王国でさえ、何も変わらなかった。
『エルフの書』を心の支えとして来たゲルハルディ大司教は、クリスタに畏れを抱いた。
「なんだい。死人でも見るような顔をして」
「でも、そんな…。ミッティア魔法王国が建国されるより前の時代に、活躍された方が…」
「エルフだからね。ババアになっても、ピンシャンしてるよ」
森の魔女は腰に手を当て、偉そうに言い放った。
一方、ゲルハルディ大司教は雪の上に跪いて、森の魔女を拝んだ。
「こうして調停者さまにお会いできるとは、夢にも思っておりませんでした。ありがたい…。本当にありがたい」
ゲルハルディ大司教の顏に、神の降臨を目にした信徒の如き歓喜が滲んだ。
その瞳には、熱い涙が溢れていた。
「ふぉーっ。婆さま、偉かったんかい?」
「今更、何を驚いているんだい。メルの方が、あたしより偉いんだよ」
「メルさんは精霊の子で、妖精女王陛下ですからね」
「フフン。まあ、わらしは偉いけどな…。だけどぉー。これまで、誰かに拝まれたことなんて無いわ!」
メルは腕組みをして、そっくり返った。
「メルさん。わたしが拝んだら、美味しい教団の信徒に戻してもらえますか?」
「アーロンは、イヤじゃ!」
「そんなぁー」
「おまぁー、わらしより偉そうデショ。軽くて、嘘っぽいし…。拝まれても、ぜんぜん嬉しないわ!」
メルがフンと鼻を鳴らした。








