大人げないアビー
その日。
『酔いどれ亭』に、沢山の芋が運び込まれた。
フレッドが農家から買ってきた芋だ。
「安くしてくれたから、どっさり買っちまった」
「うわぁー。これは多いね。さっそく使わなきゃ、芽が出ちゃうよ」
「わりぃーな、アビー。皮むきを頼むわ」
「任せておきなさい。今晩のメニューは、シチューかな?」
この世界の芋は男爵イモに似ている。
火を通すと粉っぽく崩れるアレだ。
メークインみたいに煮崩れしない芋もあるのだが、食堂の床に置かれた芋は男爵イモとそっくりなやつだった。
「ふぉ、おイモ。ぎょーさんある」
「そうだね。たくさんのおイモさんだね」
「たぁーくさん」
「そうそう、たくさん」
アビーはメルの言葉を直しながら、麻袋に芋を放り込んだ。
「カワ、むく?」
「うんうん。泥を洗い流して、皮を剥かなくちゃね」
「わらし、わらしも…」
「んっ?メルちゃんも手伝ってくれるの…」
メルは激しく頷いた。
「でもねぇー。メルちゃんは、ちっさいからナイフを持てないでしょ」
「いやぁー。わらし、やるぅー!」
「ふぅー。それじゃ…。取り敢えず、おイモを洗おうか!」
「ふぉー。ガンバル!」
メルも芋を抱えて、アビーと一緒に店の裏へ向かった。
裏庭には井戸があって、泥のついた野菜を洗ったり、魚を捌くときの作業場となる。
トイレも裏庭にあるのだけれど、大きなカメを埋め込んだタイプなので、地下水の汚染は心配いらない。
たぶん…。
増水とかしなければ、大丈夫なはず。
(やっと…。待ちに待った日が、やって来た!)
メルは芋の皮むきがしたくて、ずっと待っていたのだ。
今こそミスリル・ピーラーの出番である。
さささと芋の皮を剥いて、アビーに認めてもらうのだ。
一人前だと…!
「おイモを洗うよぉー」
「ウィ!」
先ず大きな木桶に井戸水を入れたら、そこに泥だらけの芋を放り込む。
それから棒で芋を掻き回して、泥汚れを落とす。
芋と芋がぶつかって、いい感じに汚れが落ちるのだ。
一度でキレイにならなければ、同じ作業を繰り返す。
汚れた水は排水用の溝に捨てる。
(地面に流すと、水溜まりになっちゃうからね!)
下水道を完備していない異世界には、それなりの工夫があったりするのだ。
知らずに汚水を捨てまくったりすると、巨大な泥濘を作りだしてしまう。
(地面は舗装されていない泥だから…。雨が降っても、ドロドロになるし)
排水用の溝が無ければ、間違いなく泥濘に泣かされる。
溝に溜まる泥やゴミの処理は面倒くさい。
レンガなどの補修も必要だ。
それでも泥濘に苦しめられるより、ずっとマシだった。
排水用の溝は、村から小川へと敷かれた側溝に繋がっている。
道のわきに造られた側溝は、人工の排水路だ。
(ドブだよ。ドブ。おっきなドブ。でも、さして汚くないから、カニとか棲んでるんだよね)
ときどき酔っぱらいが嵌っていたりする。
よそ見をしている悪ガキが落ちたりすることもある、非常に危険な溝なのだ。
蓋をすれば良いのだろうけれど、それ以前に気をつけないやつが悪い。
荷車が通る場所は、しっかりと丈夫な板や石で蓋がされている。
「さて…。おイモさんが、キレイになったよォ」
アビーが木桶を片づけて、洗い終えた芋をザルに積み上げた。
皮むきの開始だ。
メルはアビーの横に、ピッタリと張り付いて座った。
そして芋を片手に握る。
「メルー。そんなにしても、ナイフは持たせないからね。危ないからダメだよ。メルは、見てるだけ…」
アビーは芋を手にしたメルに、強い口調で言った。
「うんうん…♪」
メルはニッカリと笑って頷いた。
(ふふふっ…。今日の僕は一味違うのですよ。ナイフなんか無くたって、すんごい勢いで剥いちゃうからね。アビーに負けないくらい早く。いや、むしろ余裕で勝つでしょ…。軽くぶっちぎって、僕が勝ってしまうでしょう!)
メルの手には豚イベントで獲得した、銀色に輝くピーラーが握られていた。
メルはアビーが芋の皮を剥き始めると、自分もピーラーで芋の皮を剥いた。
『よーいドン!』だ。
アビーは驚いた。
メルには驚かされっぱなしだけれど、今日もしっかり驚いた。
(なに…。メルは何を手に持っているの…?)
ナイフには見えなかった。
見たコトのない形をした銀色の何かだ。
その何かで芋を撫でると、シャカシャカと皮が剥けていく。
子供が芋を四角く切ってしまう不細工な皮の剥き方ではなく、曲面に沿ってキレイに剥けている。
足もとに落ちる皮だって薄い。
(早い。剥くのが早いし…!)
ここで小さな女児に負けて堪るかと思うのが、負けず嫌いなアビーの性格だった。
メルに勝たせて褒めてあげようなどと言う気持ちは、さらさらない。
メルがアビーの顔を見て、得意そうに笑った。
カチンと来た。
「ふっ…。そんなインチキには、負けないわよ!」
アビーは手にした芋をクルクルと回し、素早くペティナイフで皮を剥いていく。
その速度は、普段よりずっと早くなっていた。
「うわっ。はやぁー!」
「まだまだ、こんなもんじゃないわ!」
横でアビーの作業をチラ見したメルも、負けじと手を動かす。
「私に勝とうなんて、甘ちゃんよね。ちみっこの癖して…!」
「あぅーっ!」
二個、四個、八個と剥き終えた芋が、ザルに放り込まれていった。
メルも歯を喰いしばって頑張ったけれど、焦るほどに手元が怪しくなってくる。
アビーにどんどん差を広げられ、とうとうメルは泣きだしてしまった。
「もう、いやぁー。だいっきぁい!」
「……えっ?」
大切なピーラーを放りだし、泣きべそを掻きながらの戦線離脱だ。
「うぉーん!」
感情が激してしまい、声を上げての号泣だった。
そして恥ずかしいから走り去る。
(やってしまった…!)
我に返ったアビーは、泣きながら逃げていくメルを目で追った。
後悔先に立たずである。
(やばい。大嫌いって言われた…?すごいショックなんだけど…)
芋を握ったまま、呆然とするアビーだった。
我が子を千尋の谷に突き落としたら、そのまま家出されてしまうパターンだ。
「メルー。メルちゃぁーん。ちょっと待って…。ママの話を聞こう!」
「やだぁー!」
メルの声が遠ざかって行った。
メルに振られたアビーは、ピーラーを拾い上げて『うーん!』と唸った。
「これって、何気にすごくない?」
安心安全の調理器具だった。
しかも便利で構造がシンプルだ。
アビーはメルの許可が得られるなら、鍛冶屋で似たようなモノを作ってもらおうと思った。
そのためにも、急いで仲直りをしなければならない。
「久しぶりに、お菓子でも作るかぁー」
メルのご機嫌を取るなら、美味しいものを食べさせて上げるのが一番だった。
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