内緒の話
ピンク色の不細工なケダモノが、メルによって配達された翌日のコト…。
ユリアーネ女史と小間使いのメアリは、ラヴィニア姫の変わりように驚かされた。
いつもは存在感の薄い、儚げな幼女であったラヴィニア姫が、まるで別人のように輝いて見えたからだ。
なんと愛らしい事か…。
(アーロンがコレを見たら、なんて口にするのかしら…?本当に、残念なヒトなんだから…)
そんなことをふと考えて、笑ってしまうユリアーネ女史であった。
これまでは子供らしい騒々しさも見せず、日陰のタンポポみたいに寂しく目立たなかった小さな幼女が、大輪の向日葵かと思うほど生気に溢れていた。
異質で、ともすれば悪目立ちしていたミントグリーンの髪も、まるでラヴィニア姫に設えたかの如く美しかった。
「ユリアーネさま…。ヒメさまの変わりようは、いったい…?」
「私に訊かれても、答えようがないわ」
「あのババッチイ犬が、原因でしょうか…!」
メアリは納得のいかない顔で、ピンク色の肉塊を睨みつけた。
ラヴィニア姫の足もとをついて歩く、ピンク色の不細工な犬っころ。
メアリとしては、ラヴィニア姫に喜んでもらおうとしてきたアレコレの努力を横合いから来た野良犬にかっさらわれた形である。
とうてい心穏やかではいられなかった。
「まあまあ、メアリ。私なんか、メアリよりずっと悔しい思いをしているのよ」
「あーっ。そうですよね…」
「理由が何であろうと、ラヴィニア姫が嬉しそうなんだもの…。悪いことではないわ。私たちも、素直に喜びましょう」
「はぁー。分かりました。そう言うコトにしておきます!」
メアリは不承不承と言った態で、ユリアーネ女史に頷いてみせた。
ラヴィニア姫は朝から元気で、つぶらなグリーンの瞳を輝かせ、自分と世界との関りを再確認して回った。
休む間もなく口を開いて報告する相手は、ピンク色をした不細工な肉塊である。
ラヴィニア姫の言葉を信じるなら、それは『ハンテン』という名の、普通の犬だった。
ラヴィニア姫より長く生きてきたユリアーネ女史も、見たことがない犬種だった。
おそらくは西の辺境にだけ生息する、希少な犬種であろう。
ラヴィニア姫の言葉を信じるなら…。
ユリアーネ女史は、そのように納得するしかなかった。
ヒゲと睫毛しか生えていない、全身が禿げた小型犬。
(どうにも、犬っぽく見えませんね…)
ピンク色のそれは、犬と呼ぶよりブタに近い気がした。
体表に転々と散らされた黒い模様が、名前の由来らしい。
確かに、言われてみれば斑点だ。
もちろんユリアーネ女史とメアリは、『ハンテン』が屍呪之王である事を知らない。
知っていたらブサイクとか言って、眉を顰めるだけでは済まなかっただろう。
普通、屍呪之王を屋内で飼おうとは、誰も思わない。
一般的な家庭であれば、『早く捨てて来なさい!』と親が命じるはずだ。
というか、たぶん子供の手を攫んで、走って逃げだす。
生涯を封印の塔で暮らしたラヴィニア姫には、一般的な常識がゴッソリと抜け落ちていた。
屍呪之王を連れているとなれば、この世を滅亡させる魔王の類として、世界各国から指名手配を受けてもおかしくない。
軍の特殊部隊や暗殺チームが、ラヴィニア姫のもとへ派遣されるかも知れない。
(あいつ等は自分の事になると、いきなり臆病になって大袈裟なのよ!)
ラヴィニア姫の辛辣な理性は、為政者や民衆の恐怖を鼻で笑う。
情け容赦なく贄とされた封印の巫女姫が、平穏な暮らしを失う恐怖で慌てふためく人々に、同情心を持たないのは仕方ない。
それでもラヴィニア姫は、どれだけ屍呪之王が人々から恐れられていたかは知っていた。
だからハンテンの正体については、なにも語らなかった。
これからも口を閉ざし続ける所存である。
(たった、それだけのこと…!)
ハンテンと暮らせるなら、嘘や隠し事くらいヘッチャラなラヴィニア姫であった。
その点ではメルと同程度に自分勝手で、非常識な幼女だった。
中身は三百才なのに、困ったモノである。
一方ハンテンは、自分でも驚くほどに落ち着いていた。
言葉にするならば、『幸せ』が最も近いだろう。
ハンテンには、まともな時間尺度がない。
ラヴィニア姫と別れてからは、常に永遠とも思える時と闘ってきた。
焦りと苛立ちと闘争心を持て余し、あっちこっちに傷痕を残しながらメジエール村までたどり着いたのだ。
思うに…。
ハンテンは確固とした自我と言うモノを持っていなかった。
どうしても独りでいると、不安定になってしまう。
精霊樹の守り役たちは、ハンテンの依存対象に成りえなかった。
ラヴィニア姫でないとダメなのだ。
これは相性としか呼べない、摩訶不思議な力だった。
ラヴィニア姫の傍に居ると落ち着く。
安心だ。
ラヴィニア姫を通して世界を眺めれば、不測の事態など有りはしない。
全てが安定して、何をすべきかが腑に落ちる。
それなのに、ラヴィニア姫と引き離された途端、世界は命を脅かす敵になる。
何もかもが自分に襲い掛かってくる、忌々しい敵だ。
近くにいるものは、チビくらいしか信用できなかった。
そのチビでさえ、周囲は敵ばかりだと信じているのだから、もうどうしようもなかった。
いまハンテンは、ラヴィニア姫に寄り添って幸せを噛みしめていた。
その頭にチョコンと乗ったチビも、ハンテンの影響を受けて安心している。
ゴハンを食べてお腹がいっぱいだし、ラヴィニア姫は優しくてとても良い匂いがした。
「ばぅ…♪」
ハンテンは封印の石室を脱出して、本当に良かったと思った。
バカだから。
◇◇◇◇
「メルー!」
その日、ラヴィニア姫は朝早くから、中央広場にやって来た。
メルとダヴィ坊やの朝起き隊が仕事を終えた直後であり、まだ朝ご飯も済ませていない時間だった。
「犬、イッショ…」
「ずっと一緒だよ。わたくしとハンテンは、ずっと一緒です」
「そっかぁー。良かったね」
「メルちゃんには、とっても感謝してるの…。それを早く伝えたくって…。ありがとうございます」
ラヴィニア姫がメルに深々と頭を下げた。
カワイイ…。
可愛いけれど、これはメルが望むのと違った。
(なんかさぁー。他人行儀なんだよね。でも、それを言うなら、隠し事の多い僕に問題があるかぁー?)
友だちなら、もっと慣れなれしくて良いと思うメルだった。
それにハンテンを捕獲したからには、ラヴィニア姫に明かさなければいけない秘密もあった。
異界ゲートの存在である。
定期的にハンテンを帝都へ戻さなければ、精霊樹の守り役たちが機能停止してしまう。
納得しがたいけれど、この駄犬は彼女たちの仕える主なのだ。
主の務めは、キチンと果たして貰いたい。
その為にはラヴィニア姫がハンテンを連れて、帝都ウルリッヒまで移動する必要があった。
「まあ、ハナシあるけど…。まずは、ゴハンね」
「うんうん…。わたくしも、一緒によろしいですか?」
「エエよぉー♪」
そこだけは図々しくなった、ラヴィニア姫だった。
メルとラヴィニア姫は、アビーを交えて我儘な朝食を楽しんだ。
なにが我儘かと言えば、トーストに塗るラズベリージャムとバターの量だ。
「そっ、そんなに塗っちゃうの…?」
「エンリョせんで、ラビーもどうぞー。太るけどなぁー」
「アビーさん。メルちゃんを注意しないんですか?」
「言っても、無駄だしぃー。ビールと唐揚げで、仕返しされたくないしぃー!」
ダメ母アビー。
基本は、放任主義であった。
そもそもメルの身体は、お砂糖で出来ているのだ。
そのくらいシュガーを過剰摂取していた。
生まれつき健康を約束されているのだから、摂生に意味などなかった。
そしてそれは、実のところラヴィニア姫も同じであった。
「あんなぁー。わらし、ナイショの話あるんよ」
食後のホットミルクを口にしながら、メルが会話を切りだした。
「これ、美味しい」
「うん…。シュガーとシナモンパウダーね。ミユクの風味が嫌なヒト、こぉーすゆと飲めます」
「ふぅーん、しなもん知らない。でも、すごく飲みやすいね…」
幼児ーズに、ホットミルクが嫌いな子は居なかった。
メルが苦手なのだ。
「ハナシあるのデス」
「なぁに…?」
「実はァー」
口に白いミルクのヒゲをつけて、メルが話しだした。
それを見て笑うラヴィニア姫の口にも、ヒゲが出来ていた。