ラヴィニア姫と記憶
ラヴィニア姫は夜が嫌いだった。
日が落ちてベッドに入る時刻になると、憂鬱な気分になる。
そもそも暗い部屋で寝るのが苦手だった。
ひとりポッチで寝室に引き上げ、ベッドに腰を下ろすとイヤな記憶が蘇る。
三百年分…。
封印の巫女姫として過ごした長い歳月が、ラヴィニア姫の心を容赦なく拉ぐ。
最初に何があったのか…?
それはもう記憶の彼方だ。
夢で人形と化した両親の顏や声は、どう頑張っても思いだせない。
幼い頃に暮らしていた屋敷の様子や、兄弟姉妹がいたことさえ、すっかり忘れてしまった。
風化した石碑の碑文みたいに、ラヴィニア姫の記憶は劣化していた。
その一方で、苦痛に満ちた記憶だけは、今もなお鮮明であった。
闇の中で目をつぶると、殺風景な石の部屋が瞼の裏に蘇る。
薄暗く、窓のない、封じられた地下室。
耳鳴りがしそうな静寂。
己の身体が朽ちていく死臭と、魔法薬の独特なニオイ…。
ついでユリアーネ女史の憂い顔やアーロンの愛想笑いが、頭をよぎる。
『同情されて、不自然に気遣われるのはイヤ…。無理やり雰囲気を明るくされたって、ついて行けるはずがないもの…!』
かつてはユリアーネ女史やアーロンが機嫌を取ろうとする度に、強い嫌悪と反発感を覚えたモノだ。
二人にはどうしようもないと分かっていながら、不愉快な顔ツキになるのを抑えられなかった。
我慢できなくなると、乱暴に当たり散らしたりもした。
『失われてしまったものは何か…?』
それは素直な気持ちだ。
他者の存在を受け入れて、喜びを分かち合う寛容さだと思う。
没落しかけた家を建て直すために、ラヴィニア姫の両親は娘を生贄に差しだした。
ラヴィニア姫は市場で売り払われる家畜のように、封印の巫女姫として精霊宮に引き渡された。
忘れてしまいたいのに、そこだけは記憶にこびりついて消えない。
ラヴィニア姫は不信感と失望を人生のスタートラインとし、ただ絶望に向かって歩き続けてきた。
そこには苦い思いしかない。
ウスベルク帝国の役人や精霊宮の祭祀長から賜った言葉は、『名誉なことデアル!』と言うモノだった。
ラヴィニア姫は、名誉など必要としなかった。
人々のために犠牲となるなんて、まっぴらごめんだった。
『名誉が、わたくしに何をしてくれるのですか…?』
だれもが、『名誉は誇らしいモノだ…』と言う。
嘘っぱちに用はなかった。
それでも帝国貴族としての責務を果たすのだと、そのことだけに意識を向けて何もかもあきらめた。
ラヴィニア姫にも、責任と義務だけは理解できたから…。
また、そこにしがみつかなければ、あっという間に気が狂ってしまいそうだった。
世界を滅ぼそうとする忌まわしい邪霊は、誰かが封じなければいけないのだ。
その誰かが、たまたまラヴィニア姫であった。
そう信じようとした。
ところが、これまた嘘っぱちであった。
『屍呪之王は苦しんでいた…!』
何となれば…。
人々から邪霊として恐れられ、一身に憎悪を向けられた屍呪之王に、世界を滅ぼすつもりなど欠片もなかったからだ。
単に屍呪之王は、邪悪な魔法博士の手で世界を滅ぼすように造られた精霊に過ぎなかった。
とても可哀想な事に、忌まわしいモノとして創造されてしまったのだ。
そして人々から向けられる憎悪をとても恐れていた。
孤独で悲しい存在だった。
『ウソつきな大人たち…!』
嘘に嘘を重ね、裏切られ続けたラヴィニア姫に、他者を受け入れる余地などない。
いまメジエール村で幼児ーズと楽しい日々を過ごしながら、ラヴィニア姫は疎外感に苦しんでいた。
何も虐められている訳ではない。
疎外感の原因は、ラヴィニア姫の内面的な問題だった。
現実との間に、突破できない頑丈な壁があった。
その壁によって、ラヴィニア姫は幸せと隔てられていた。
(子どもを演じることは、幾らだって出来ます…。でも、わたくしには、素直な心が欠けている。何もかもが、嘘っぱちのゴッコでしかありません。仲良しゴッコ…!)
それでは子供時代からやり直したところで、幸せになれる筈がなかった。
虚ろな心で友だちの振りをしても、ラヴィニア姫の心は育たない。
(ハンテンがいないから…?)
ラヴィニア姫は、最後の一欠けらを夢のなかで少女に託した。
信頼の一欠けらだ。
少女との約束は果たされず、ハンテンは消えてしまった。
ラヴィニア姫の希望と共に…。
もはや他人に託す望みなど、何ひとつ残されていなかった。
(偉大なる絶対者が…。それが何であるかは分からないけれど、この世界を創りあげた誰かがハンテンを返してくれるまでは、何かを期待することなんて出来ない…!)
こうした反抗的な思い込みは、何も生みださない。
むしろラヴィニア姫に、際限のない苦しみをもたらすだけだ。
それでも恨みは消えない。
ラヴィニア姫は、己に用意された運命を呪っていた。
「あれは…。意味のない夢だったの…。少女の約束も、わたくしの願望が生みだした夢…。そんなことに拘って、折角のやり直しを台無しにするのは馬鹿げている。何としても、忘れなければいけない。ハンテンは失われてしまった。もう一緒には、歩いて行けないの…。わたくしは独りでも、前に進むべきなんです。ハンテンの分まで…」
理性では分かっている。
だけど…。
たとえ分かっていても、従えないコトがある。
ラヴィニア姫はネコスケ(ミケ王子)を抱きしめて、シクシクと啜り泣いた。
夜を乗り越えれば、また楽しい明日がやって来る。
そうすれば中央広場でタケウマに乗って、皆とワイワイ騒ぐのだ。
夜だけの我慢デアル。
お日さまが世界を照らしていて、陽気な幼児ーズと一緒なら、嘘を吐くのもずっと簡単だ。
(ナサケナイ…)
夜を怖がる弱虫なんて、イヤだった。
「ネコスケ…。わたくしは…。過去を笑い飛ばせるほど、強くなりたい…!」
それがラヴィニア姫の切なる願いだった。
◇◇◇◇
「ラヴィニアってさぁー。いっつも、オシャレだよね!」
中央広場でチューリップ揚げを手にしたタリサが、羨ましそうに言った。
「ウスベルク帝国のお姫さまでしょ…。お姫さまなら、毎日のように新しい服を着ていても、おかしくないよ」
ティナもチューリップ揚げを齧りながら、タリサの台詞に頷いた。
「親が貴族さまだと、オシャレ出来るんだねェー。ミブンとか、ちっとも分かんないけど、お金持ちは少し憧れるかも…」
タリサはプリプリの鶏肉に、パクっとかぶりついた。
三人が囲むテーブルには、大きな皿が置いてあった。
だけど、山ほど盛られていたチューリップ揚げは、殆ど骨に変わっていた。
唐揚げのオヤツは、幼児ーズに大好評だった。
ラヴィニア姫が二本食べる間に、タリサとティナは五本も食べていた。
合計して十二本だ。
遠慮なんてしていたら、全て食べられてしまうのが幼児ーズのルールなのだ。
ちょっとばかり出遅れてしまった、ラヴィニア姫であった。
「わたくしに、両親はおりません。家名だって継いでいないので、貴族でもありません…。ただのラヴィニアです」
ラヴィニア姫はタリサとティナに、帝国貴族でないことを告げた。
ラヴィニア姫にとってウスベルク帝国との関係は、何も自慢にならなかった。
むしろ無関係だと主張したかった。
「えーっ。ラヴィニアには、お父さんとお母さんが居ないの?」
「はい。とっくの昔に、亡くなりました」
「かわいそう…。寂しいデショ?」
「いいえ。もう二百年以上も、昔の話ですから…」
「「…………?」」
タリサとティナは、目を丸くして黙り込んだ。
残念ながら突っ込み役のダヴィ坊やは、メルにチューリップ揚げをねだっていたので、この話を聞いていなかった。
そこでラヴィニア姫が口にした二百という数字は、タリサとティナの常識に従って速やかに書き換えられた。
二百年は二年に短縮された。
「二年前なら、ラヴィニアは二才くらい…?」
「小さいのに大変でしたね」
「両親の死を知らされた頃には、わたくしも大人でした。それと二年前ではなく、二百年以上デス!」
ラヴィニア姫は、タリサの間違いを正した。
「………あのさぁ。ウソは良くないよ」
「ラヴィニアちゃん…。アナタは、幾つですか?」
タリサとティナが、ラヴィニア姫を胡乱な目ツキで眺めた。
背伸びするにしても、二百才は盛りすぎだった。
森の魔女さまならまだしも、ラヴィニア姫は幼児にしか見えないのだ。
「わたくし、こう見えても三百才ですから…。アナタたちとは違って、大人のレディーなんです」
「うひゃぁー。三才ですかぁー。三才児が見栄を張って、三百才ですか…?」
「そう言うデマカセは、嫌われるよ」
「嘘じゃありません!」
お姉さんぶりたいタリサとティナは、ラヴィニア姫の主張を鼻で笑って蹴とばした。
『年齢詐称にも程がある…!』と、二人の表情が語っていた。
「ラヴィニアちゃんが三百才なら、竹籠屋のお爺ちゃんなんか一万才だよ」
「うんうん…。ミルコ爺さん、ヨボヨボだもんね」
「わたくしの外見は幼児ですけれど、中身は三百才なんです。嘘でも冗談でもありません!」
そう言われて信じるほど、幼児ーズは甘くなかった。
「わかった。ラヴィニアは三百才です♪」
「……ッ!」
タリサはチューリップ揚げの軟骨をコリコリと齧りながら、ラヴィニア姫を笑った。
完全に上から目線で、小さな子をあやしているような雰囲気だった。
「あたしは、五百才だけどねェー♪」
「なに?タリサが五百才なら、オレは千才だ!」
「おまーら、何を言い合ってるの…?」
メルは串に刺した唐揚げを食べながら、幼児ーズの会話に首を突っ込んだ。
そしてティナから言い争いの内容を聞かされて、ピクリと肩をすくめた。
そこまでの経緯が手に取るように分かる、詳細で時系列に沿った説明に驚きを隠せなかったのだ。
(幼児の癖して、説明が完璧じゃん。幼児って、もっとメチャクチャだと思うんだけど…。ちょっと、賢くなりすぎじゃない…?)
メルとしては、気前よく精霊樹の実を与えすぎた自覚がある。
特にトンキーには、毎日のように食べさせていた。
仔ブタなのに、かなり高度な言葉を理解できるトンキーは、既に家畜の領域を越えてしまった。
パワーだって半端ない。
アレのせいで幼児ーズの脳がおかしなことになっているとしたら、由々しき問題であった。
(種族進化とかの効果があるなら、食べさせないようにしないと不味いのか…?)
今さら、手遅れであった。
毎日のように摂取してきた精霊樹の実は、幼児ーズの精神活動を活性化させ、身体もまた頑丈に作り変えていた。
体内に漲る霊力は、幼児ーズをスーパー幼児へと進化させていたのだ。
(宇宙人みたくなったら、困るぞ!)
外見が変わってしまった訳ではないから、取り敢えずの様子見である。
ラヴィニア姫はメルが突きだしたチューリップ揚げを受け取り、唐突に夢のシーンを思いだした。
「ラビー、コレ食え。ボーッとしてると、デブにゼェーンブ食べられてまうど」
「アリガトウ…」
夢のなかでは、こうして果実を受け取った。
ピンク色のワンピースを着た幼女。
金色の目に、銀の髪で、耳が尖っていた。
(なんで、今まで思いだせなかったんだろう…?)
ラヴィニア姫は、じっとメルを見つめた。








