☆メルの掃除屋さん
エミリオとティッキーは、メルの不思議ちゃんぶりを目にして黙り込んだ。
荷馬車でゲボしたときには、この子の何処が『精霊の子』なのか?と首を傾げたけれど、空っぽの背嚢から取りだされる掃除用具を見れば、エミリオも拝まずにいられない。
『酔いどれ亭』のメルは、耳がおかしなだけの女児ではなかったのだ。
「なんで…。袋よりデカいもんが入ってるんだ…?」
「んー。わらし、分からんもん。よぉー、セツメーせんわ」
「そうなの…?」
モップとか木桶、棕櫚の箒などは、どう見ても背嚢におさまり切らない。
小振りな木桶だけならまだしも、柄の長い箒やモップはどうしたってはみでる。
しかも足もとに置かれた木桶には、並々と水が入っていた。
エミリオが見ている間に、木桶の底からコポコポと水が湧きだしたのだ。
(これは尊い精霊さまの御使いだ…!)
そう結論したエミリオは、息子のティッキーと雁首を揃えて、メルの足もとに跪いた。
「おまぁら、ナニしとォー?」
「へぇ?いや…。ほらっ、ありがたい精霊さまだから…」
「アソんどらんで、ぶたー助くゆどぉー」
メルは残念そうな目つきでエミリオを眺めてから、病気のブタが隔離されている畜舎へと向かった。
「えーっ。信者に祝福とかないんですか?」
「ないーッ!」
メジエール村の精霊信仰など、メルのあずかり知るところではなかった。
メルにはエミリオたちが、ふざけているようにしか見えなかったのだ。
「エミリオさん、ティッキーくん。さあ、行きましょ!」
「あっ、ああっ。済まない」
「ねぇ、父さん。メルって、何なの…?」
ティッキー少年の疑問は尤もだった。
「いや、何だか分からんけど…。うちのブタどもは、助かるかも知れん」
何よりも、そこが重要だった。
エミリオはアビーに促されて掃除用具を抱えると、メルの後を追った。
「信じとらんかったこと、メルちゃんに謝らにゃいかんな…」
メルが黒いヤツを浄化しても、エミリオには見えないので意味が分からない。
言うなれば、奇妙なパントマイムを見せられているようなモノだ。
カワイイけれど、有難くはない。
ブタを助けてもらっている実感が、欠片も感じられないのだから。
(オレも、まだまだ信仰が足りねぇ。奇跡を目にするまで、精霊さまを信じられなかったんだからな…)
さっきまでは、メルのしているコトに不審しかなかったエミリオだが、不思議な背嚢を目の当たりにしたら、一気に天秤が傾いた。
信じる方へ、ガタンと…。
(メルちゃんは、本物だぁー!)
精霊の子は実在したのだ。
メルが聖なるハタキを構えると畜舎に爽やかな風が吹き抜け、黄色のキラキラが舞い降りてきた。
黄色く光っているのは、風の妖精たちだった。
「天井のハリに、黒いのおゆけぇ。叩き落として、くれん…?ヨーセイさん、いっけぇー!」
メルの号令で解き放たれた風の妖精たちは、嬉々として天井付近を飛びまわった。
埃が舞い、木っ端が飛び散り、梁から剥ぎ取られた黒いヤツが弾き飛ばされた。
下で待ち構えていたメルが、落ちてくるヤツを魔法幼女の箒で打ち据える。
魔法幼女の箒は浄化作用を持つようで、叩かれた黒いヤツが灰色の塵を撒き散らしながら縮んでいった。
そして漸くつかめるほどのサイズになると、メルが握りつぶして止めを刺す。
「うい、やぁ、たぁーっ!」
畜舎内を旋回する風の妖精たちも、ヤンヤの喝采である。
「うっしゃぁー!ばんばん、行こかぁー」
昨日とは違い、バッチリ装備があるので効率よく除染が進む。
乾草の陰に潜んでいた黒いヤツも、風の妖精たちに吹き飛ばされてメルの足もとに。
「このぉー。くらえ!くらえ!くらえぇー!」
魔法幼女の箒で痩せ細らされ、エルフ女児の小さな手に握られて。
「これで止めじゃぁー!」
ブチッと浄化。
午前中は畜舎のあちらこちらに隠れていた黒いヤツらが、このパターンで一掃された。
「はぁはぁ…。しんどいわ。こんなん、ジドォーギャクタイ、ちゃうんかい…?」
飛ばし過ぎてヨレヨレになったエルフ女児が、地面にへたり込んだ。
大人たちには黒いのが見えないので、ちっとも助けにならない。
メルを手伝ってくれるのは妖精たちだけだった。
「わらし、ひとりかぁ…?もぉー、ムリ…」
まだ、ブタが四頭とも手つかずで残っている。
(ちょっと休ませて…。キミたちが苦しいのは分かってるけど、休憩しないと死んじゃうよ…。お昼休みね。ごはん、ごはん…)
第一ラウンドが終了した。
燃料切れである。
メルはアビーに抱っこされて、お昼ご飯を食べに行った。
お腹いっぱいに食べたら、お昼寝タイムだ。
しっかりとインターバルを挟んで、メル対ケガレの第二ラウンドが始まった。
「ぶたー。いまから、助くゆでよォー!」
メルは聖水でべちょべちょになったマジカル・モップを構えて、小山のようなブタに突進した。
ブタの腹を覆い尽くすように広がった黒いヌルヌルに、マジカル・モップを押しつけてグイグイとこする。
すると黒いヤツが『グゲゲ…!』と苦悶の声のようなものを上げて、白い湯気を噴きだした。
「おおお…!」
初めて何某かの現象を目にしたエミリオが、感動の声をあげた。
黒いヤツはマジカル・モップから逃げようとするが、メルも『そうはさせじ!』と追いすがる。
「助けぃ。おっちゃぁー。手ぇーが、とどかん…!」
「おう。任せろや!」
ここに来て、ようやくエミリオの出番となった。
マジカル・モップが届かない場合、メルを抱き上げて指定された場所に移動する。
力尽きていたブタも、ティッキーの指示で身体を起したりと実に協力的だ。
こうして日没を迎える前に、一頭目のブタが除染処置を完了した。
結局、メルが全てのブタを治療するのに、エミリオの訴えを聞いてから、六日間を要した。
毎日のように顔を合わせるメルとブタたちの間に、仄かな信頼関係みたいなものが芽生えた。
助けられたブタは鼻をスリ寄せて感謝の気持ちを伝え、メルもまた大きなブタに抱きついたり、背中によじ登ったりしてみた。
ブタが好む野菜をエミリオに手渡され、自らの手で与えたりもした。
四歳のエルフ女児には過酷な仕事であったけれど、メルが得たモノも大きかった。
何よりもメルの心を満たしたのは、ブタの命を救った達成感だった。
黒い犬のときにはアクシデントだったけれど、今回は依頼を受けてチャレンジしたのだ。
(僕だって、頑張ればやり遂げられるんだ。嬉しいなぁー!)
それは間違いなく、メルの傷ついた心を癒した。
涙を堪えきれない感動の体験だった。
メルは一頭のブタも死なせずに、ミッションをクリアした。
そして褒賞のマジカル七輪と、ボーナスの皮むきを手に入れた。
「やったぁー!」
銀色のピーラーはミスリル製で、無駄に高級感を漂わせるピカピカの調理器具だった。
これさえあれば小さな女児でも、安心安全にイモの皮を剥ける。
料理人への第一歩だった。
あニキ様より、素敵な挿絵を頂きました。