襲われた孤児たち
エーベルヴァイン城の地下深く、封印の石室に集まった精霊たちは、地下迷宮の入口から動こうとしないワレンとレアンドロに呆れていた。
「誰だ…?『あいつらの反応を見よう…!』などと、無責任に抜かしたやつは…」
「ぼくですけど…。アナタも、賛成しましたよね。『それは面白そうだ!』って、確かに言いましたよ」
「くっ…。どこまでも、口の減らん奴めっ!」
悪魔王子は、カメラマンの精霊を憎たらしそうに睨みつけた。
ワレンとレアンドロは、二日前から一歩も動いていなかった。
さりげない挑発や誘導をものともせず、携帯していた水と保存食を口にするだけでジッと耐えていた。
退屈しのぎで揶揄った筈なのに、悪魔王子とカメラマンの精霊は逆に退屈しきっていた。
もう我慢比べは限界だった。
「あいつら、人間とは思えん…。我が知る人間は、もっと単純で我慢の足らぬ連中ばかりだった。ちょっとした挑発で、馬鹿みたいに容易く釣れたモノだ」
「王子が活躍していたのは、ずっと昔ですからねェー。人間だって、色々と学ぶんでしょ」
カメラマンの精霊は、悪魔王子を鼻で笑った。
「あのォー。お二人は、侵入してきた方々をどうなさるおつもりでしょうか…?」
それまで、おとなしくしていた三の姫が、おずおずとした態度で後ろから口を挟んだ。
「んっ…。なんぞ問題でもあろうか。木の精霊の小娘よ?」
「いえ、実はですね。あの方々は、妖精女王さまのお知りあいでして…。『いたぶるのは、どうなのかなぁー?』と、疑問に思いまして…」
「……………!」
三の姫の問いかけに、悪魔王子とカメラマンの精霊が黙り込んだ。
忽ち顔色が悪くなっていく。
「何故それを言わん…?」
「いま、言いましたけれど…。何か問題でも…?」
精霊樹の守り役たちは、少しばかり様子がおかしくなっていた。
とにかく反応が鈍いのだ。
三人そろって、一日中ボーッとしている。
それでいて唐突に、思いがけない重要な報告をぶち込んでくる。
「おっ、おまえらは…。揃いも揃って、我を陥れるつもりか…?」
「そのような腹づもりは、ございません。ただ…」
「ただ、何だ…?」
「わたしどもは、殿のお傍に居ないと…。眠たくなってしまうのです」
「………くっ!」
悪魔王子が握りこぶしをわなわなと震わせ、カメラマンの精霊は宙にピタリと静止した。
ハンテンが居なければ、精霊樹の守り役たちは木偶の坊だと分かった。
一の姫と二の姫は、指令室の長椅子に座って舟を漕いでいた。
顔がないので気づかなかったが、完璧に寝ていた。
道理で静かな訳だ。
まったくの役立たずである。
丁度その時。
指令室の魔法ランプが、赤く点滅した。
騒々しい警報音が、地下迷宮に侵入者のあることを告げた。
「おっと…。コイツは驚いた。正面玄関からの御来客だぞ!」
「あらあら…。精霊宮の入口ですね」
「………王子。あれがミッティア魔法王国の連中だ。気をつけないとヤバイぞ!」
子機による画像を拾ったカメラマンの精霊が、悪魔王子に注意するよう声をかけた。
次の瞬間、モニター画面がひとつ死んだ。
偵察中の子機が、特殊部隊の攻撃によって破壊されたのだ。
「ほうっ…。なかなかに、やるではないか。だがな…。人間風情に臆する、我と思うなよ…!」
「だからぁー。さっきも言ったでしょ。人間は変わったんだ。昔とは違うんだよ。奴らの装備は、想像している以上に痛いぞ!」
「それは愉快だ。痛みと言うモノを連中に教えてもらうとするか…」
「ちょっとは、オレの話を聞けよ。ジジイ!」
カメラマンの精霊は一生懸命になって悪魔王子を諭そうとしたが、完全に無視されてしまった。
けたたましい警報音のなかにあって、一の姫と二の姫は目覚める気配さえ見せなかった。
チームワーク以前の問題だった。
◇◇◇◇
チルたち三人組は妖精に案内されて、真っ暗な地下通路を移動していた。
周囲を照らすのは、妖精が放つ仄かな光だけである。
「お化け、出ないね…」
「思ってたより、安全なのかも…」
「ちがうよ。妖精さんたちが、追い払ってくれてるんだよ」
「うへぇー。マジかよ!」
チルの説明に、キュッツとセレナが顔を引きつらせた。
「落とし穴とかもあるんだって…。だから、勝手に歩き回るのは禁止だよ」
「頼まれても、お断りです」
「ごろつきには襲われないかもしれないけど、スゲェー危ない場所じゃないか!」
「ちょっと、不便すぎるヨネ。だからさぁー。いま、妖精さんたちに、もっと良いネグラを探してもらってる」
チルだって地下迷宮に住むのは、気が進まなかった。
確かに妖精たちが見つけてくれたレストルームは快適である。
風呂トイレ完備で、それぞれが寝る個室もあった。
ちょっとした煮炊きだってできるのだ。
それでも、食料などの調達はしなければならない。
「ずっとネグラには居られないからね。外に出るのが不便だと、うんざりするでしょ」
「ねぇねぇ…。わたし、思うんだけどさぁー。地下って気がめいらない?」
「あるよねぇー。あたいも、なぁーんか頭が重い」
「オレたちゃモグラじゃねぇから…。お日さまに当たってないと、おかしくなるんじゃないの…?」
もっともな意見だなと、チルは思った。
生きている人間には、お日さまと新鮮な外気が必要だった。
地下に暮らすのは、それだけで不自然なのだ。
何しろ、どこもかしこも暗い。
幾ら目を凝らしても、通路の先が見えない。
これは安全を愛するチルにとって、心休まらぬ状況だった。
この二日ほど、炊き出しの列に並んでゴハンを食べると、ネグラに戻る生活を繰り返してみたけれど、ストレスが溜まる一方だった。
大人であれば耐えられたのかも知れないが、チルたちは育ち盛りの子供である。
子供は活発に動いていないと、我慢ならないものだ。
行動範囲をレストルームに限られるのは、チルたちにとって拷問に等しかった。
だからと言って外に出ようとすれば、暗くて危険な地下通路を延々と彷徨い歩くことになる。
どう頑張っても、道順なんて覚えようがなかった。
「なぁ、チル…。向こうの方に、何だか怪しい気配がしたんだけど…!」
「なによ、キュッツ。アンタってば、ホントに怖がりなんだから…。あたいたちの行くところは、妖精さんが偵察してるの…。だから心配ないって…!」
強がってみせるチルも、正直に言えば怖かった。
暗闇に呑み込まれそうな恐怖と闘いながら、健気にも胸を張って見せる。
そんなチルの前方で、唐突に横壁が崩壊した。
転がり落ちる岩を蹴散らすようにして、巨人の如き影がヌゥッと姿を現した。
これほどの破壊行為が行われたのに、小石が転がるほどの音さえ聞こえてこない。
まさに、悪夢だった。
「ウヒィーッ!」
「なっ、何だよ!」
「バババッ、バケモノです…」
特殊部隊の魔導甲冑だった。
彼らは計測器が捉えた魔素の反応を追って、移動してきたのだ。
「ターゲットを発見した。子供だ。確保を頼む!」
魔素とは即ち妖精であり、チルの周囲には妖精たちが集まっていた。
「遮音結界を解除し、ポットを起動させる!」
「了解した…。全隊員は、ポットの効果範囲から退避せよ」
魔導甲冑を操作するミュッケは、仲間が安全域に退避すると魔素収集装置を起動させた。
魔導甲冑に装備された円筒形の魔素収集装置が唸りを上げ、チルの周囲から妖精たちを吸い取った。
淡い光を放つオーブが、次々と魔素収集装置に吸い込まれて行った。
「ああっ…。妖精さん…。妖精さんたちが、攫われちゃった!」
「おぉい。真っ暗だ。どうすりゃいいんだよ」
「ダメェー!動いたら、トラップに嵌っちゃうから…」
だからと言って、逃げなければ巨人に襲われてしまう。
チルたちはパニックに陥って、その場に硬直した。
「赤目の亡霊だ…!」
「うわぁー。こっちからも来るぞ」
「チル、逃げらんないよぉ!」
チルが口にした赤目とは、魔力感知ゴーグルから漏れる光だった。
三人の孤児たちは抗う術もなく、黒い魔導スーツを纏った特殊部隊員に捕縛されてしまった。
「フレンセン隊長…。魔法使いを確保しました。子供が三名です」
「フムッ…。優秀な魔法使いであるなら、子供だろうと構わん。いや…。むしろ再教育の必要性を考慮するなら、子供の方が良かろう」
「こちらでは、精霊使いと呼ぶようですな…。見たところ、親のいない孤児たちでしょう」
「待ち伏せしている強敵かと思えば、捕らえてみたら痩せっぽちの子ネズミか…。これほどの才能を授かりながら、攻撃魔法のひとつも使えんとは…。ウスベルク帝国は、いったい何をしているのだ…?」
「少なくとも…。児童の教育には、関心が無さそうですな」
ヘイム副長が嘆いた。
「チッ…。野蛮なサルどもめが…」
フレンセン隊長は忌々しげに吐き捨てると、部下たちに移動を指示した。
「要らぬ寄り道であったが、よい拾い物をした。気を取り直して、任務に戻るぞ!」
「承知しました。隊列を組み直して、封印の石室を目指しましょう」
「ヘイム副長…。ミュッケに方向の指示を…。ズベレフ、孤児の搬送を頼めるか…?」
「荷造りさえしてもらえれば…。運ぶのはパワーユニットですから、お任せあれ」
「よし…。ロスコフ、ジータス 、荷づくりだ。ズベレフの魔導甲冑に、孤児たちを括りつけろ!」
こうしてチルたちは、特殊部隊の手荷物に成り下がった。