新しいネグラ
チルたちはお腹がくちくなると、ネグラを探すために立ち上がった。
「行くよォー。二人とも」
「ああっ、眠たくなってきやがった」
「ずぅーっと、朝から歩きづめだもんね。さすがに疲れちゃった」
ここいら一帯は、タルラ地区と同様に貧民窟と呼ばれる危険地帯だった。
過疎化が激しいタルラ地区と違って、繁華なシェリナ地区ではヤクザの抗争なども頻繁に起きていた。
「動けなくなるまえに、安全なネグラを探そう!」
路上で寝るなんて、酒精で脳をやられた酔っぱらいか、自殺志願者のすることだ。
どちらでもないチルたちは、疲れていて眠くなっても油断などしない。
ネグラを見つけるまでは、休息なんて出来ないのだ。
「アッチだ…!妖精さんが呼んでる」
「おっし。急ごうぜ」
「素敵なネグラだと良いなぁー」
チルたちは妖精の案内に導かれて、帝都ウルリッヒに昔からある地下道へと潜り込んだ。
帝都建設の初期には単なる下水道施設であったのだが、いつの間にか地下迷宮と呼ばれるようになった。
『勝手を知らぬものが侵入すれば、生きて戻れない…!』と、巷では言われていた。
「地下かぁー。地下って、なんか怖いよね…」
チルに続いて地下施設へと降りる鉄梯子に取りついたセレナが、声を震わせて訴えた。
「グチ…。愚痴なのセレナ…?」
「違うよぉー。怖いのは、愚痴じゃないでしょ」
「オレは何にも言ってないぜ!」
キュッツは我が身の潔白を言い立てた。
チルだって、地下迷宮が怖くない訳ではなかった。
だから基本的に、妖精が案内してくれた道しか通らない。
「ちゃんと後ろについてくるんだよ。迷子になっても、助けに行かないからね!」
「えーっ。チルちゃん、冷たいよ。ちゃんと助けに来てヨ」
「そうだぞ、チル。冷たいのはダメだぞ」
セレナやキュッツもまた、他の通路には危険が隠されていると、頑なに信じていた。
道順を忘れて迷子になれば、命の危険がある。
だけど危険な地下迷宮には、チルたちを襲うゴロツキが近寄らない。
安心安全なネグラを求めるなら、たぶん地下しかないのだ。
「チルちゃん、下に着いたら手をつなごう」
「ズルいぞ、おい。セレナはオレと手をつないでくれよ」
「もう、分かったよぉー」
「うひゃぁー、コワァー。これは物騒な連中に目をつけられても、安心な隠れ家だ。ちょっと時間をかけて、妖精さんに幾つか通路を教えてもらおう」
地上から地下へ降りる逃走経路は、多いほど良い。
ちゃんと覚えて置けば、それだけで命拾いする可能性が上がるだろう。
チルたちは朽ちかけた鉄梯子を使って、地下通路に到着した。
頭上から差し込む陽光は、足元まで届かない。
辺りは真の暗闇だった。
「妖精さん…。明かりを下さい!」
全員が地下迷宮に降りると、チルたちのために妖精が明かりを灯した。
ぼんやりと足元や前方が、魔法の光で照らしだされる。
石を組み合わせて造られたアーチ状の地下通路は、曲がりくねって何処までも続くかに見えた。
通路の中央には排水用の掘割があり、左右が歩行路になっている。
路面は平坦で、躓きそうなでっぱりなど見当たらない。
妖精が灯した明かりは仄かだけれど、歩くには充分だった。
むしろ明るすぎれば、悪いモノを呼び寄せてしまいそうで怖ろしかった。
何しろチルたちは、野良犬にさえ勝てないほど弱いのだ。
余分な明かりは、リスクを高めるだけに思えた。
「チルちゃん。何か居るよ。闇の奥から気配がする…」
セレナが暗闇をジッと見つめながら、ボソボソと囁いた。
「やめろよ、セレナ。おっかねェーだろ!」
「ゴメン。ごめんなさい、キュッツ。でも怪しい気配がするの…」
「だから…。そう言うの、やめろよ!」
セレナは膝の力が抜けて、危うくへたり込みそうになった。
キュッツも先に進むのが怖くて、ガクブルだ。
「嫌なの、二人とも…?だったら安全を確認するまで、ここに残る…?」
「何ヨォー。いくっ、一緒について行きます」
「ちょっと待て…。オレを置いて行かないでくれェー!」
チルと手をつないだセレナに、キュッツがしがみついた。
「キュッツ…。男のクセして、わたしに抱きつくのは止めて…。歩きづらいし、恥ずかしいでしょ!」
「わっ、悪い…。ワザとじゃないんだ…」
「分かってるから、さっさと手を出しなさいよ…。ホラッ!」
「ああっ…」
こうして三人は手をつなぎ、妖精の案内で地下通路の奥へと向かった。
セレナの臆病者センサーは正しく作動していたのだが、チルの厳しい対応によって容赦なくスルーされた。
怖さと危険度は、イコールで結ばれない。
チルと妖精が回避するのは、危険だけであった。
一方…。
通路の曲がり角に潜んで様子を伺っていたカメラマンの精霊とゴブリンたちは、孤児たちを心配するあまり前のめりになっていた。
「おいっ、あいつら…。落とし穴に嵌ったりしないだろうな…?」
「さすがに、それはねェーだろう。妖精がついてるんだ、トラップは避けるに決まってるギャ…!」
「えらい、不安だギャー。不安しか感じられネェ…。おらたちが助けたら、イケないんギャ?」
「おいおい…。不用意に姿を晒すんじゃねぇぞ。それこそパニックを起こして、ガキ共はトラップの餌食だ」
「おらっ、切ねェー。やさしく話しかけたら、トモダチになれるんじゃないギャ?」
夢見がちな発言をしたゴブリンが、仲間たちからボコられた。
ゴブリンたちはカメラマンの精霊と同じく、花丸ショップの地下迷宮セットに含まれていた拠点防衛ユニットである。
ゴブリンたちが悪鬼のイメージで語られるようになったのは、暗黒時代の人エルフ戦争で死兵として酷使されたせいだった。
覇権を唱える人とエルフが、平和に暮らしていたゴブリンを戦争に巻き込んだ結果でしかない。
そもそもは、心根の優しいナイスガイたちなのだ。
本来のゴブリンは荒れ地に棲み、魔獣を狩って生きる自由気儘な種族であった。
人やエルフと居住圏が異なるので基本的に争う理由を持たず、利害で衝突する可能性も極めて低かった。
地下迷宮の守備兵を務めるなどと言った、特殊なケースを除いては…。
そう…。
歩兵として高い戦闘能力を備えたゴブリンたちは、人エルフ戦争で使い捨ての傭兵にされたのだ。
そして虚しく滅び去った。
今ここに居るゴブリンたちは、精霊樹によって創造されたゴブリンの精霊であった。
精霊樹は破壊された世界のバランスを修復しようとしていた。
なので失われた種の再生にも、熱心だった。
チルたちは妖精の明かりに導かれて、ズンズンと地下迷宮を進んでいった。
通路の先は絶えず暗闇に閉ざされ、危険なモンスターが蠢く怪しい気配を感じさせた。
それだけでなく、妖精を畏れて退散する無数の毒虫と遭遇したり、アーチ状の天井から滴る怪しい粘液を発見したりと、チルたちを脅かす材料には事欠かなかった。
特に臆病者のセレナは、人形のように表情を無くしていた。
何かある度にビクッとするのだけれど、もう悲鳴を上げようともしない。
「セレナ、怖いの慣れた…?」
「ええっ…。慣れるわけ、ないでしょ!」
「なんだよ…。さっさと恐怖耐性をつけちまえよ。オレなんか、もうヘッチャラだぜ!」
膝をカクカクさせながら、キュッツが強がって見せた。
「キュッツ、足元がフラフラしてるじゃないの…!」
「こっ、これは後遺症なんです。ビビりすぎて、下半身の力が抜けちまったんだよ」
「あのぉー。お話し中にスミマセンが…。なんか、目的地に到着したみたいだよ」
チルが頑丈そうな木の扉を示した。
新しいネグラだった。
安心安全が保障された、チルたちの新居である。
「うわぁー。これはすごい!」
「えっ。井戸とカマドがあるの…。どういうこと…?」
「おーい。こっちの部屋には、高級そうなベッドがあるぞ!」
その部屋は地下迷宮が再編されたときに、衛兵たちのレストルームを繋ぎ合わせたものだった。
侵入者の撃退に不必要なパーツが寄せ集められた、ゴミ捨て場でもある。
「妖精さん、アリガトォー!」
チルたちは目に涙を浮かべて、妖精たちに感謝した。
何となれば、地下迷宮にとって不必要なゴミは、チルたちに有用な品ばかりだったからだ。
ヤクザ組織が地下に隠していた宝物や、侵入者から剥ぎ取った装備まで、この部屋に捨てられていたのだ。
「ナイフに水筒、保存食や霊薬まであるぞ…。このチェストは、ぐへぇー。きっ、金貨かよ…」
「この背嚢は、どうして此処にあるの…?」
「持ち主は、何処にいるんだろう…」
チルは怖い想像をしそうになり、激しく頭を振った。
「持ち主は居ない。もう、取り戻しに来たりしない。何にも心配なんて要らない。そうですよね、妖精さん?」
妖精がクルクルと回って、肯定の意を示した。
この日、チルたちは大金持ちになった。
もっともチルたちが金貨を持って歩けば、命の危険を招くだけであった。
「見て楽しめばいいじゃん。お金持ちなのは、本当なんだからさ♪」
「オレは納得できねェー」
「キュッツ、死にたくなったら…。その金貨を使って、新品のシャツとパンツでも買えば…」
「孤児は金があっても、裕福に暮らせねぇのかよ!」
妖精がクルクルと回って、キュッツに肯定の意を示した。
クルクル、クルクルと幾つものオーブが、キュッツの周囲で円を描いた。