ラヴィニア姫と幼児ーズ
メジエール村の中央広場に生えている精霊樹は、驚くほどに立派な大樹である。
『中の集落』から離れた場所にポツンと建っている屋敷に居ても、ラヴィニア姫とユリアーネ女史は精霊樹の姿を眺めることができた。
お日さまを浴びてサヤサヤと風にそよぐ精霊樹の先端が、ニョキリと集落から突きだして見える。
眺めているだけで、『あーっ。メジエール村は、この樹に守られているのね!』と言う、安心感が胸に込みあげて来る。
その有難い樹に、『メルの魔法料理店』と記された看板が張りつけられていた。
それどころか、幹の根元付近には受付窓口があり、お洒落な紅白縞模様の日よけまで設置されていた。
エーベルヴァイン城の精霊宮を統括するルーキエ祭祀長あたりが目にしたら、卒倒間違いなしの冒涜行為であった。
ラヴィニア姫とユリアーネ女史は、幹をくりぬいて造ったとしか思えない魔法料理店をジト目で見つめた。
「こうして眺めるのは、二度目ですが…。どうも私には、罰当たりにしか思えません…」
ユリアーネ女史が、小声で囁いた。
「精霊さまの宿る樹に、おっきな穴を穿つなんて…。枯れてしまったら、どうするつもりでしょう!」
ラヴィニア姫も改めて精霊樹を見ると、ココロ落ち着かない気分になった。
「おいっ、おまえら…。それは、ちゃうどぉー!」
タケウマに乗ったダヴィ坊やが、ラヴィニア姫とユリアーネ女史を見下ろしながら罵った。
「その樹は、メルの樹だ。メジエール村の樹であるまえに、メル姉の樹なんだぞっ…!そんでもってなぁー。その店は、勝手にできたんだ。だぁーれも、穴なんぞあけとらんわ…。なんも知らんヨソ者が、軽々しく枯れるとか言うな!」
その居丈高な態度は、これまたタリサに負けないほど偉そうだった。
「ダヴィ…。他所から訪れた方が、村のジジョウを知らないのは当然です。間違っていても、広い心で許してあげなくては…。もっと、やさしく教えて差し上げなさい」
ダヴィ坊やの横に現れたティナも、タケウマから降りずに上から目線で語った。
「わたくしが間違っていました。失礼な事を口にしてしまい、申し訳ありません!」
「うむっ…。分かれば良いのだ」
ラヴィニア姫の謝罪を受けて、ダヴィ坊やは鷹揚に頷いて見せた。
ラヴィニア姫は不服そうに俯いて、頬を膨らませた。
「ぷっ…。お叱りごもっともです。私が軽率でした。誠に申し訳ありません」
幼児たちに応じるユリアーネ女史の声は、少しだけ震えていた。
大人と対等に振舞おうとするダヴィ坊やティナの姿はひどく可愛らしくて、笑いをこらえるのが難しかった。
でありながら、おかしなことを口にしている訳でもなかった。
(背伸びをしているけれど、とても良い子たちです。しかし大人に偉そうな態度を取ると、外の世界では揉め事を引き起こすでしょう…。たとえ、この子たちが正しくても…)
大人は子供にやり込められるのを善しとしない。
生意気な子供に正論を突きつけられたら、実力で捻じ伏せて口を利けないようにする。
ユリアーネ女史の身近にいた帝国貴族なら、殆どの者はそうするだろう。
教育のない市井の者たちともなれば、推して知るべしである。
だけど、この子供たちに関しては、当りまえの展開と結末を想像しづらい。
自分より格上の存在を実力で捻じ伏せるのは、誰にとっても容易くなかろうと思えたからだ。
ユリアーネ女史には、間近に接しただけで三人が普通でないと分かった。
三人の幼児たちは、驚くほど多くの妖精に慕われていたのだ。
(この子たちは、妖精の清々しい霊気を纏っている…)
尊きグラナックの霊峰に御座す斎王が見れば、幼児ーズの周囲に付き従う妖精たちを数え上げて、さぞかし驚くことだろう。
斎王は精霊を祀る斎女たちの頂点に立つ、優れた慧眼の能力者だ。
よく妖精の姿を見極め、言葉を交わすと信じられている。
(メルさんの御友人と言うコトで、特別なのかも知れませんが…。それにしても、これほどの妖精たちに愛されていたら…。斎王さまに見いだされた時点で、確実に精霊宮の祭祀候補ですね!)
能力だけで言えば、将来は大祭祀の座についてもおかしくない。
隷属させた妖精の数をピクスと呼び、魔素量の基準単位として定めるミッティア魔法王国であれば、熟練魔法使いに匹敵する潜在能力を備えた三人だった。
このままメルと遊んでいれば軽く大魔法使いを凌駕して、世に名をはせる伝説の魔法使いへと成長するだろう。
(それにしても…。こんな危ない子供たちを…。いったい誰が、導くのでしょう…?)
もし子供たちが邪悪な欲望に憑りつかれたなら、暗黒時代に魔王と呼ばれた存在の再来と成りかねない。
(私なら、躊躇わずに断ります。とうてい責任を負えません…。クリスタさまは、どうされるおつもりかしら…?)
ユリアーネ女史は、クリスタが何も考えていない事を知らなかった。
そもそもクリスタには、幼児ーズの行く末を心配するような余裕などなかった。
精霊の子に言うことを聞かせるだけで、手いっぱいだった。
手いっぱいと言うか…。
すでに、完全に持て余していた。
精霊の子は、クリスタの想像を遥かに超えていたのだ。
精霊の創造主…。
何人もの天才魔法博士たちが、力を合わせて成し遂げた暗黒時代の奇跡。
新しい精霊の創造。
それをいとも容易く生みだして見せる、精霊の子。
何とかしろと言う方が無茶である。
サイは投げられてしまった。
もう後は、ひたすら祈るしかなかった。
メルがヨイ子であることを…。
精霊の子は世に放たれた、キケンな幼児だった。
だが、その事実もまた、ユリアーネ女史のあずかり知らぬところであった。
そしてユリアーネ女史は、自分もラヴィニア姫という危険な幼児を抱えている事実に、気づいていなかった。
得てして崇高な使命とは、それと気づくことなく己が責務として引き受けているものだ。
そこはアビーでさえも、全くの無自覚であった。
ヨイ子を健やかに育てるのは、親の愛情デアル。
「メルちゃん…。コレッ、すごいね!」
「ウヘヘ…。セイエージュの果汁で、ムース作ったデス」
「ビックリするほど、オイシイよ。もうちょっと、ママに味見をさせてください」
「ダメェー。デザート、さきに食べう。アカンよ!」
「えーっ。ケチ!」
神経質なクリスタと違い、アビーは信じられないほどタフだった。
◇◇◇◇
『酔いどれ亭』の卓子を並べ直して、皆で食事ができる席を用意した。
子ども椅子も増やして、五脚になった。
卓子は大人席と子ども席に別れている。
先ずは、冷たいドリンクで乾杯だ。
「ラヴィニア姫とユリアーネさんが、メジエール村で暮らすコトになりました。今日は、歓迎会でェーす!」
「カンパイじゃ!」
「おぉーっ!」
「ありがとうございます」
メルはコーラが飲みたかったけれど、幼児は炭酸が苦手なので乾杯はバナナシェイクだ。
花丸ショップで材料を買えば、風の妖精がシュバッと混ぜ合わせてくれる。
材料はクラッシュアイスにバニラアイス、バナナと牛乳にシロップである。
これらをクリスタから貰った魔法の鍋に入れて、風の妖精に撹拌してもらうだけ…。
あっと言う間に、バナナシェイクの完成だ。
(いっつも思うんだけど…。チョットだけ、量が減ってるよね…♪)
妖精だって、美味しいモノが好きなのだ。
気に入った料理があれば、仲間の元へ持って帰る。
メルが妖精の分を小皿に用意するときもある。
シェイクが気に入ったようであれば、次からは妖精の分も用意する。
「ラヴィニア…。ストローを使うのだ!」
「ストローを使わないと、口のまわりに白いワッカが出来ちゃうよ」
「はい。分かりました」
ダヴィ坊やとティナが、メルの代わりに説明してくれる。
ラヴィニア姫も、幼児ーズの干渉を嫌がらなかった。
友だちへの大切な第一歩だ。
「何ですか、これは…。すごく美味しい!」
バナナシェイクを吸ったユリアーネ女史が、驚きの表情を浮かべた。
「………」
ラヴィニア姫は、無言でチューチューしている。
気の利いた話題を思いつかないし、バナナシェイクが美味しいので、チューチューするしかない。
豚肉の冷製とは全く相性の悪いバナナシェイクだけれど、暑い中を歩いてきたのだから冷たくて美味しいに決まっている。
食事のときはアビーが用意してくれた、冷たいコンソメスープを楽しんで貰いたい。
「さて、お料理を並べましょうか…♪」
「アビー。あたしも手伝う!」
タリサがバナナシェイクを飲み終えて、席を立った。
タリサは仕切るのが大好きなので、率先して配膳係に名乗りを上げる。
どちらかと言えば、焼肉パーティーでも肉を焼きたい派だ。
メルは…。
タリサが上手になれば、全部やらせてしまいたい派だった。
メルが自分で肉を焼くのは、タリサに任せると微妙にナマだったりするからである。
真っ黒になった、コゲ肉を食べさせられたコトもある。
タリサは仕切るのが大好きだけど、ちょっぴりガサツだった。
それでも食器を落として割ったりしないので、取り皿やカトラリーを運ぶ役が与えられる。
タリサが粗相をしても風の妖精がフォローしてくれるので、何も問題はない。
むしろタリサは要らない。
風の妖精が、タリサの仕事を引き受けてくれる。
だけどそれは、絶対に口にしてはいけないコトだった。
幼児のプライドを傷つけてはイケナイのだ。








