子どもパワー
メジエール村の中央広場を目指すラヴィニア姫は、極度に緊張していた。
パドックで入れ込み過ぎた馬のように、興奮して鼻息が荒い。
今日はメジエール村の児童と、会食をするのだ。
『酔いどれ亭』の女主人が、わざわざ歓迎会のパーティーを準備してくれた。
是非とも、村の子供たちと一緒に楽しんでくださいと…。
昨夕、丁寧な招待状まで届けてくれた。
(なんてタイミングが良いのかしら…。まるで今日、わたくしが『酔いどれ亭』を訪れると知っていたようです。ユリアーネにしか、話した覚えが無いんですけど…。どこから情報が漏れたのかしら…?)
ラヴィニア姫にしてみれば、クロ猫はネコなのでノーカンだ。
そして…。
メルとアビーの、ちょっとした気遣いだった。
子供会に齢三百才のラヴィニア姫が、デビューする。
帝都ウルリッヒの夜会で、姫としてデビューする訳ではない。
辺鄙な田舎の村で、鼻を垂らした四、五才の幼児とゴハンを食べるだけだ。
(それなのに…。どうしてこうも、緊張するのかしら…?)
また知恵熱が、ぶり返してしまいそうだった。
これまで被ったコトもない麦わら帽子を頭にのせ、村の子たちが着るようなワンピースに身を包んだ小さな姫が農道を歩く。
ユリアーネ女史に手を引かれて…。
「わたくしの装い、安っぽくて恥ずかしいです」
「普通です。コレからは、それが姫さまの普段着です」
何もユリアーネ女史が、意地悪をしている訳ではない。
ラヴィニア姫が着せられたのは、メジエール村の気候に合った愛らしいワンピースだし、遊ぶのに動きやすく、トラブルに強い。
木の枝などに引っ掛かる余分な装飾を徹底して省いた、シンプルなデザイン。
引っ張りに強い縫製に、擦り切れづらい丈夫な生地。
それでありながら、シルエットが可愛らしいブルーのワンピースだ。
履いている靴も、動きやすくて頑丈そうなドタ靴である。
宮廷でのオシャレとは縁遠い品だ。
要するに、走り回って遊べと言わんばかりの服装だった。
ユリアーネ女史の意図は理解できる。
だけどラヴィニア姫は、子供たちと遊ぶ方法が分からなかった。
(どう話しかけて輪に入り、何をして親しくなれば良いのだろうか…?)
これが帝都の夜会であれば、何も悩んだりはしない。
ラヴィニア姫が、どのように振舞うかは最初から決まっていた。
近づいてくる貴族どもを嫌味と嘲笑で追い払い、適当な場面で癇癪を起して退席すればよい。
そもそも付き合いたい相手など居ないし、どいつもこいつもいけ好かない高慢ちきな連中だと分かり切っているからだ。
そう…。
ラヴィニア姫は怯えていた。
もし、メジエール村の子供たちに嫌われたらどうしようと、不安で不安で仕方がなかった。
「ユリアーネ…。わたくしは、村の子供たちと仲良くなれるでしょうか?」
遠くからも見える精霊樹に視線を据えて、ラヴィニア姫が訊ねた。
「愚問です。そのような問いに、意味などございません。そもそも姫さまは、どうなさりたいのですか…?」
「質問に質問で返すのは失礼だって、アナタが教えてくれたのではなくって…?ユリアーネ…!」
「そうかも知れませんね…。でも大昔のことなので、すっかり忘れてしまいました」
ユリアーネ女史は、ラヴィニア姫を見ながらクスクスと笑った。
忘れている筈がなかった。
三百年もラヴィニア姫に付き添った、魔法医師なのだ。
ラヴィニア姫との会話は、ひとつとして忘れてなどいなかった。
ただユリアーネ女史は、ラヴィニア姫を挑発しただけである。
品のない言い方をするなら、ケツを蹴り上げたのだ。
臆病者のケツを…。
「そう…。そういう態度なの…。良いわよ。分かりました…。わたくしは、上手にやって見せるわ!」
「気が急いて…。転ばないように、お気をつけください」
「こんな歩きやすい靴で、転ぶはずないでしょ!」
子供用のドタ靴を指さして、ラヴィニア姫が怒鳴った。
興奮しすぎて、ヒステリーを起しかけていた。
いいや、ヒステリーではない。
ラヴィニア姫は既に抑圧状況から解放されていたので、普通に憤慨していたのだ。
切れて泣き叫ぶもよし、笑い転げるもよし、幼児は賑やかなのが一番だ。
「もっと暴れても良いのですよ」
「えっ?」
「小さな子は、怒ったり悲しんだり…。それはもう、毎日のように忙しいものなんです」
「ちょっと、バカにしないでくださいませんか…。わたくし、躾のない幼児ではありませんの…!」
「そうですね…。ちいさな、お婆ちゃんですね」
つまらないことでも、ハッキリとした反応が返ってくる。
良い兆候だった。
「まったく…。あー言えば、こー言う。アナタと言い争っても、面白くありませんわ」
「私は千才のおばぁーちゃんですから、三百才程度では勝てません。姫さまは、赤ちゃんみたいなモノです」
「はぁー?」
そう言うことだった。
ラヴィニア姫がユリアーネ女史と言い争っても、勝てる見込みなど欠片もなかった。
勝てないと分かっているなら、やるだけ無駄である。
「アーロンが村の広場に宿を借りたと聞いたときには、もうトンカツテイショクが食べられないのかと絶望したけれど…。帝都に呼び戻されたって、最高の知らせです。たまには皇帝陛下も、マシな事をすると思いました」
ラヴィニア姫はトボトボと泥道を歩きながら、話題を変えた。
前方には、メジエール村の中央広場が見えていた。
「アーロンのことですが…。後から考えてみると不自然な事件でしたから、弁解を聞いてあげなかったのは失敗だったと反省しています」
「えーっ。どうして…?」
「どうしてと申されましても、明らかに怪しいではありませんか。自分の懐から女性の下着を取りだして、口を拭くなんて…。誰かに嵌められたとしか、思えません」
「ふーん。それでも、良いのではなくて…。わたくしは、嵌められたアーロンが悪いと思います!」
ラヴィニア姫は、迷いなく言い切った。
アーロンは奇妙な手紙の内容をごまかしたけれど、ちらりと目にしただけで充分だった。
『特権者気取りか、糞エルフ!』
『順番も守れない大人は、己を恥じるべきです!』
その二つのメッセージを目にすれば、アーロンが村人から責められているのは明白だ。
単に恥ずべき者が、相応しい辱めを受けただけの話である。
三百年もの長きに渡って屍呪之王を封印してきたラヴィニア姫は、高貴なる義務に厳しかった。
ラヴィニア姫からすると、アーロンの言動はどことなく不潔に見えたのだ。
「エセ貴族どもは、地獄に落ちやがれデス…!」
幾つになっても乙女の潔癖さをつらぬく、ラヴィニア姫だった。
畑を吹き抜ける風が、ラヴィニア姫の髪を揺らした。
ミントグリーンの髪を束ねた黒いリボンは、食い気の表れだった。
どのようなヘアースタイルにするかと小間使いのメアリに尋ねられたとき、『食事がしやすいようにしてください!』とお願いしたのだ。
今日は頭もハッキリとしている。
友だちはともかくとして、ガッツリと料理を楽しむつもりだった。
メジエール村の中央広場では、幼児ーズがタケウマの技術を競い合っていた。
それはもうラヴィニア姫からすれば、とんでもなく奇妙で興味を惹かれる景色だった。
(アレはナニ…。あの子たちは、何をしているの…?)
遊んでいると言う答えにたどり着かないのが、ラヴィニア姫の限界だった。
三百年の歳月を生きても、知っているコトと言えばユリアーネ女史に聞かせてもらった物語くらいで、子供が何をして遊ぶかなど分かるはずもない。
そもそも身体を動かして楽しむと言う行為さえ、知らないのだ。
「あんた、ラヴィニア姫ね。このまえは、アイサツしそこねちゃったから…。今するね。ようこそ、メジエール村へ!」
タケウマを操ってラヴィニア姫のまえに来たタリサが、ものすごく高い位置から、明らかに偉そうな態度で、見下すようにしながら言った。
事ここに至って、ラヴィニア姫もタケウマの効用について気づいた。
(これって、他人を見下す道具なの…?)
それは間違った解釈だけれど、タリサが見下すために使用しているのは否定できない。
そもそもの初めから、メルはタリサを見下して挑発したのだから、ここで同じことが繰り返されても仕方なかった。
「あたしはタリサ。この子たちの面倒を見て上げてるの…。あんた…。髪の色がヘンテコだから、トモダチ出来ないんでしょ?」
「はぁー?」
「心配することないよ。あたしたちが、友だちになって上げるから!」
「そっ、それはどうも…」
ラヴィニア姫は身分など関係なく、天然自然に女王として振舞う女児がいる事実を突きつけられた。
真夏の日差しを背にして、高みから初対面の挨拶を済ませたタリサは、悠然とタケウマを操って仲間たちの元へ戻っていった。
真の子供である。
ラヴィニア姫は、生の子供を体験した。
天真爛漫、傲岸不遜、キラキラと輝く生命力が眩しい。
「ユリアーネ…。わっ、わたくしも、アレに乗りたい!」
「頼んで貸してもらえば、よろしいのでは…?」
ユリアーネ女史は、ラヴィニア姫の目をジッと見つめながら答えた。