地雷を踏んだアーロン
アーロンはクルト少年を盾に、フレッドからの手紙を剣として使い、『酔いどれ亭』の昼食会にまんまと侵入を果たした。
こと食べ物が絡むと、驚くほどにワル知恵の回るエルフだった。
だてに長生きはしていない。
『おまぁーは、帰れ!』
『こらっ、メル…。お客さまに意地悪をしない!』
『…チッ!』
メルはアーロンを追い返そうとしたのだが、アビーの一言で轟沈。
幼児ーズとメルのトンカツ定食が、アーロンたちとクルト少年に譲渡された。
メジエール村の常識を備え持つクルト少年は、非常に気まずそうな顔で縮こまった。
美味しそうな料理を横取りしてしまい、お腹を減らした幼児ーズに申し訳がなかった。
更に付け加えるなら、あとで傭兵隊の仲間たちから私刑にされる恐れがあった。
そのときは、アビーに助けを請うしかない。
メルと幼児ーズは、お預けを喰らった体である。
もちろん幼児ーズが納得などする筈もないので、そこはメルがデザートの追加を交換条件に我慢してもらった。
メルを納得させるのは、保護者であるアビーの重要な仕事である。
こうなるとキャラメルナッツを山ほど作ってもらわなければ、アーロンへの特別待遇を納得できない。
『キャラメルナッツを山盛りですよ!』
メルは視線でアビーに訴えてから、精霊樹の厨房へと戻っていった。
アーロンたち…。
アーロンは二人の女性を連れていた。
ひとりは、メルにも見覚えがあった。
たしかユリアーネ女医。
ラヴィニア姫の部屋にいた魔法医師だ。
だけど、もうひとりの女児には、見覚えがなかった。
(頭がミドリって、ちょっと普通じゃないよ。人の髪の毛は、あんな色をしていない。精霊樹の守り役を務めている三姫は、全員がミドリだったけれど…。あの姉さまたちは精霊みたいなモノだから、ヒトじゃありません…。なに、あの子…。メッチャ、偉そうなんですけどぉー。貴族の子…?なんで、村に来たの…?)
驚いたことにメルは、ハンテンを救えなかった気まずさから、自分で助けたのにラヴィニア姫を見舞っていない。
そのような理由があって、無事に成長したラヴィニア姫の姿を知らなかった。
グダグダ悩み始めると現実をおろそかにしてしまうのは、明らかに前世から引き継がれたメルの悪癖だった。
クリスタを笑うことは出来ない。
「あのこ…。アイサツせんで、ちょいムカつくわぁー!」
何だかんだ言っても、メルの社交性は磨かれていない石ころと同じだ。
あちこちが尖っていて、スマートさに欠ける。
ちょっとしたことを大袈裟に捉えて、拗ねる、泣く、怒る。
まるで、駄々っ子のようだった。
そのうえ自意識過剰で、仲良くしたくても声をかけられない。
小心者の恥ずかしがり屋だ。
「だいたいさぁー。アーオンは、キンシン(謹慎)中でしょ!メシ食わすんわ、おかしぃーデショ!」
メルはブツブツと文句を言いながらも、トンカツを揚げた。
一枚ずつ丁寧に、仲間たちへの愛情を込めて…。
その頃アビーは、フレッドからの手紙を受け取って、ほっと胸を撫でおろしていた。
そこには全てが順調であるコトと、アビーに会いたいから近々メジエール村に帰ると書いてあった。
大人の情事はなかったようだ。
と言うか、それを追求するのはフレッドが帰ってからだ。
手紙で浮気を告白するような男は、何処にも居ない。
男に色事を白状させたければ、時間と手間を掛かけるしかない。
とにもかくにも、アビーはフレッドの無事を素直に喜び、戸棚の抽斗に手紙を仕舞った。
そしてテーブルに着くと、アーロンたちにメルが作ったトンカツ定食を勧めた。
「どうぞ、召し上がってください…。お友だちの分は、いまメルが作っているから遠慮しないで…」
「ありがとうございます」
「では、失礼させて頂きます」
「初めて見た…。この白い粒々が、パンの代わりかしら…?」
それぞれにカトラリーを手にすると、トンカツ定食を食べ始めた。
「オイシイ…。何の油を使ってるのかなぁー?こんなふうに、お肉を調理する方法があったのね…」
一口目で、思わずアビーの口から、感嘆のコトバが漏れた。
アビーもコートレットは知っていた。
そもそも、この世界でのコートレットは、カーミレと呼ばれるミッティア魔法王国の肉料理だった。
肉にパン粉をまぶすのも、多めの油を使って炒め焼きするのも、アビーには馴染みのある調理方法なのだ。
使用する肉は、魚、鶏、ブタ、羊、ウシと、実に様々である。
だが食べてみた感じが、全く異なる。
粗いパン粉のサクッとした食感は、カーミレに存在しない。
そのまま食べても充分に美味しいのだけれど、焦げ茶色のとろみがあるソースと黄色いカラシを塗れば絶品だ。
さらにレモンを搾ると、もう楽園の宴に招かれたような気分になる。
文句なしに美味い。
高温の植物油に食材を通して油を切る手法が、アビーの記憶や発想にはなかった。
豚の脂を大量に使った揚げ物が存在しても、普通であれば深鍋に食用油をなみなみと注いだりはしない。
そして大抵の揚げ物は油を多量に吸っていて、食べ過ぎると胸やけや胃もたれを起こす。
「このクセの無さは、植物オイルなの…?」
アビーが驚きの表情を浮かべた。
それもそのはず…。
植物油は動物由来の脂と比較して、非常に高価である。
食用の植物油など、王侯貴族がドレッシングに用いる程度なのだ。
そう考えるなら…。
メルのトンカツは、途轍もなく我儘で贅沢な料理だった。
マヨネーズにも驚かされたが、これはもう驚愕の領域に踏み込んでいた。
まさに魔法料理店ならではの、仰天料理だ。
それが証拠に、食通で有名なアーロンが、一言も口を利かずにトンカツ定食を味わっている。
なんだか涙目に見えるのは気のせいだとしても、歓喜と驚きの間を忙しく往復しているのが手に取るように分かる。
エルフの女性も似たり寄ったりだ。
おそらくは、こんなド田舎で美味と出会えたコトに、ビックリしているのだろう。
小さなお嬢さんは、真剣な表情でトンカツを頬張っていた。
もうコレハ、説明するだけ野暮と言うモノだ。
ミドリの髪をした幼女の顏に、美味しいと太字で書いてある。
いや…、紛れもなくオイシイ顔になっていた。
「これは、何だか今までと違う…。メルちゃんの料理が変わった…。何だろう…。すごい贅沢な感じですね!」
「クルト少年…。この料理は、宮廷の晩餐会でも食べられないレベルです。まさに感動だ。どう表現したら良いのか、わたしにも分かりません」
「アーロンの言う通りです。おそらくは、植物から搾った油を用いているのでしょう。サラッとしていて、口にくどさが残りません。調理方法も、特別な筈です…。私が記憶する限り…。このような料理が、宮廷の晩餐会で饗されたコトはありません」
「これって、宮廷でも食べられないんだ…?」
クルト少年が、ビクリと肩を震わせた。
傭兵隊の仲間たちに知られたら、確実に抜け駆けを責められるだろう。
『新参者の癖に、美味しい思いをしやがって…!』と、特別訓練を強要されそうで怖い。
だけど、トンカツ定食を食べるのは止められなかった。
だって…。
とにかく美味しいのだ。
トレーに載せられたお椀のスープも、良い香りがするピクルスも最高だった。
特筆すべきは糸のように細く切られたキャベツで、トンカツで脂っこくなった口中をスッキリとさせてくれる。
因みにクルト少年がピクルスと称しているのは、最近メルが作るようになったぬか漬けである。
今日は茄子と胡瓜、それにカブラが、小皿に並べて添えてあった。
「あーっ。メルさんに、調理方法を訊ねたい。どうすれば此処までサッパリとした、カーミレが作れるのか…?さぞかし特異な調理方法を用いているに、違いありません!」
アーロンが最後のトンカツを口に放り込んで、ゆっくりと咀嚼した。
特異も何も、高級な植物油を湯水のごとく使用しているだけだ。
植物油が安価になった世界で発展した、肉の旨みを閉じ込めるための調理技法を用いているのだ。
メルの魔法料理店だから…。
一方、厨房のメルはと言えば、受付窓口から顔を突っ込んだチビたちに煽られていた。
「メル姉…。オレ、腹ペコやん。はよぉしてェー!」
「そうよ、急いでちょうだい。あんな横入りのエルフたちに、ゴハンを取られて…。腹が立つったら、ありゃしない!」
「お約束のデザート。忘れないでくださいね…」
「はぁー。おまぁーら、喧しわ!わらし…。いっぱい、いっぱいヨ…」
泣きっ面だ。
「アビーってば、あたしたちを舐めてるわネ!」
「たしかに…。ちょっと、気に入らんな」
「もぉー。アナタたち、そう言うのは良くなくてよ。いっつも…。アビーさんには、優しくしてもらってるのだから」
「ティナってば、ちょっと物分かりが良すぎだと思うの…。これはメーハクな、幼児サベツでしょ…。ダンコとして、コウギすべきヨ!」
意味不明な言い争いは、どこか遠くの場所でやって欲しかった。
どうせ口にしている台詞の大半は、理解していないのだ。
タリサが使いたがる難しい言葉は、雑貨屋に集まる小母ちゃんたちの受け売りデアル。
そして幼児ーズは、大人ぶりたいチビッ子たちの集まりだった。
ひとりの例外もなく、幼児差別過敏症を患っていた。
「まったく…」
新しく四枚のカツを揚げなければいけないのに、タリサのキンキン声で気が散って仕方ない。
「ねぇねぇ、メルー。『酔いどれ亭』のまえで、コウギの座り込みをしましょうよ!」
「タリサ、たまには良いこと言う…。なぁ、メル姉。それって、面白いと思わんかぁー?」
「メシ喰いたいなら、ちと黙らんか…。ボケェー!」
メルはキャベツを皿に盛りつけながら、大きな声で叫んだ。
完璧に切れていた。
プッツンだ。
アーロンの横入りでお預けされた事に憤っているのは、メルもみんなと一緒だった。
何しろ、誰よりもメルが一番、トンカツを食べたかったのだから…。
ずる賢く立ち回って美味しいを堪能したアーロンが、無事で済まされるはずもなかった。
現実的なアレコレを考慮するなら、メルと幼児ーズの不満はアーロンに向けられる。
アーロンは幼児ーズの逆鱗を逆なでし、差別対象に認定された。
名誉ある、『糞エルフ』の称号を与えられたのだ。
ズルい大人の代表である。
◇◇◇◇
タルブ川を遡行する微風の乙女号にて、船倉係のビリーが闖入者を発見した。
闖入者は果実の樽に潜んでいた、ピンク色の犬だった。
ビリーは満腹になって寝ている犬をリーゲル船長のもとへ抱えていった。
「船長、コイツが積荷を荒らしていた犯人です」
「おいおい…。犬じゃないか」
「犬ですが、それが何か…?」
「犬は人じゃないから、犯人ではなかろう!」
リーゲル船長は、犬の侵入を見逃した船員たちにこそ問題があると断定した。
つまり、犬に罪はないと…。
「ビリー、おまえが管理しろ。ちゃんとエサを与え、引き取り手が現れるまで面倒を見るんだ」
「うへぇー。えらい役目を押し付けられちまいましたね」
「はははっ…。風の妖精は、殺生を嫌うからなぁー。罪もない犬をタルブ川に捨てたりして、機嫌を損ねてはならんよ」
「まったく、仰る通りで…」
ビリーは穏やかに笑うリーゲル船長を眩し気に眺めた。
リーゲル船長はブレることのない、慈愛の人だった。
こうしてハンテンは微風の乙女号に乗船を認められたのだが、ビリーの腕で目を覚ました途端に激しく暴れだした。
「おい、こら。どうしたんだ…?おとなしくしないか!」
「えらく元気な犬だな」
「いや、見かけによらず…。半端なく、パワーがあります。うぉ、逃げた…!」
「ダメだ、止まりなさい。そっちは危ないぞ!」
リーゲル船長とビリーの叫び声を背にして、ハンテンは船側から夕暮れのタルブ川へとジャンプした。
「ワンワンワンワンワン、わぉーん!」
暫くして、トポンという着水音が聞こえてきた。
ハンテン…、他人の思いを理解せず。
こうしてハンテンの冒険譚が、幕を開けた。