地下迷宮を守れ!
陰気で薄暗い封印の石室には、当然ながらくつろげるような要素は皆無だ。
どこから用立てたのか、粗末なテーブルと椅子が置いてあるだけ。
お客さまを招くには、色々と問題を抱えた部屋だった。
〈このような場所に、妖精女王陛下をお招きしまして、誠に申し訳ありません!〉
一の姫が床にひれ伏したまま、メルに謝罪の言葉を述べた。
メルが怖ろしくて顔を上げられなかった。
声も出せないので、念話である。
いや、メル自体に対する恐怖と言うより、メルを守護する妖精部隊が怖い。
メルに付き従う妖精の数は、明らかに常軌を逸していた。
七万、八万…?
とうてい数え切れるものではない。
だが、妖精たちの警戒心は、肌を通してヒシヒシと伝わってくる。
『妖精たちは妖精女王陛下に従わされているのでなく、自らの意思で従っているのだ!』
一の姫は、そう直感した。
絶対に、もう何があろうと、逆らってはいけない。
目のまえに立つ小さな幼児は、そういう特別な尊い存在だった。
〈メルです〉
〈はっ?〉
〈妖精女王陛下は、堅苦しい。メルちゃんと呼んでも、よろしくてよ♪〉
一の姫が目を見開いて、プルプルと身体を震えさせた。
〈そんな…。畏れ多い…。おっ、お許しください!〉
ミドリに光る顔のない巫女姫たちは、メルにとって苦手な幽霊の筈だった。
だけどメルは少しも恐怖を感じなかったので、得意になって幼児特有の図々しさを発揮させた。
〈えーっ。ダメなの…?わたしが頼んでるのに、許すって何ですか?〉
〈ひぃーっ。ご勘弁を…!〉
〈不敬であります。妖精女王陛下は、敬われるべきお方…。我らには、容易に慣れ合えませぬ…〉
ところが、巫女姫たちはメルを怖がって、距離を縮めようとしない。
精霊樹に依存して生きる巫女姫たちにとって、メルは文字通り神の如く尊い。
どう頑張っても、『メルちゃん』と呼ぶことは出来なかった。
〈メルさま…、で宜しければ、なんとか…。頑張れるかなぁー〉
〈これっ…。三の姫は、余計な口を挟むでない〉
〈おまえは、控えよ〉
〈でもぉー。メルさまのご希望ですよぉー〉
そんな中…。
緩い感じで妥協ラインを提示した三の姫が、姉たちに詰られた。
〈うーむ。そっかぁー。なるほどぉー。なぁーんか気に喰わないけど、メルさまで我慢しましょうか!〉
妖精女王陛下より、幾分かマシだった。
陛下とか呼ばれても、メルには其れらしく振舞う自信がなかった。
だけど、メルさまなら、ギリギリ行けるかも知れない。
メルが望むのは対等な関係だ。
奉られる者は、必ず、いつか、思わぬところで対価を請求される。
人の上に立つと負債を生じさせるというのが、メルの持論であった。
自由を愛する幼児に、統括者の責任は重い。
そんなものは欲しくなかった。
要らない。
それでも逃げられない場面はある訳で、精霊の子だから仕方がなかった。
精霊樹が悪党どもに傷つけられるのを黙って見過ごすことは出来ない。
そういう話である。
(僕が与えられている力は、チートだよなぁー。慢心すれば、身を亡ぼすに違いない。ちゃぁーんと、適切な場面で義務を果たさなければ、でっかい負債を背負わされるに決まってるよ…。美味しいゴハンを食べるには、キャッシュに生きないとね。ツケを溜めるは、良くない!)
メルは幼児だけれど、中身は頭でっかちな男子高校生である。
樹生として生きていたときには、医療関係者や家族に迷惑を掛け続けた。
苦しさと悔しさに負けて、我儘を垂れ流した自覚がある。
それは前世に於いて、負い目となった。
(負債感情は、生きる上で不健康そのものだ…)
メルのネジくれまくった思考は、きちんと物事の本質を見抜く。
だから一億ポイントをスッパリとあきらめて、異界ゲートの設置に踏み切ったのだ。
強制イベントは、絶対クリアが最低条件である。
これは健康で幸せに生きられる権利を与えられた、当然の対価であろう。
メルが支払うべき対価だった。
俺TUEEEで酔っ払うには、前世の樹生が病弱すぎた。
健康で強いなら、それを約束してくれたモノに、感謝を捧げなければいけない。
さもなくば罰が当たるだろう。
〈それではですねー。わたしが此処に来た理由から、話さなければいけませんね〉
メルは穏やかに切りだした。
〈ははっ…。お教え頂ければ幸いです。われらは、何であれ陛下の命に従いましょう〉
一の姫が代表として、受け答えするつもりのようだ。
そうメルは受け取った。
〈この樹は…。わたしの精霊樹から枝を授かって、ここに植樹したものです。わたしは元の精霊樹より命を受けて、この地の守りを堅牢なものとすべく参りました〉
〈なんと…。ありがたき幸せ…。妖精女王陛下には態々ご足労を頂き、われらの力不足を深くお詫び申し上げる次第にございます〉
堅苦しい。
やりづらくて仕方がなかった。
〈よい…。姉ヒメたちは、しばし沈黙を守りなさい。アナタたちが恐縮すると、話を進められません。わたしは、この件をサクッと終わらせて帰りたいのです…。末娘のヒメよ、アナタが相手をなさい!〉
メルは会話相手を三の姫に定めた。
〈は、は、はっ、はい。承りました。メルさま…〉
〈申し訳ございません、妖精女王陛下〉
〈承知いたしました、陛下…〉
三者三様に、カクカク震えながら畏まる。
そう言う態度は、止めて欲しかった。
〈よろしいですか、三の姫よ。答えは、『はい』だけで構いません〉
〈はい…〉
〈ふむ。なかなかよろしい〉
〈はいっ♪〉
どうやら上手く行きそうだった。
これならアビーに不在を覚られず、用事を済ませることが出来そうだ。
ひとりで帝都に出かけたと知れたなら、何時間もお説教をされるに決まっていた。
それはイヤだ。
サクッと終わらせて帰りたい。
〈ではでは…。本題に参りましょう。防衛です。わたしどもが為すべきは専守防衛と申しまして、攻撃を主眼としたモノではありません。飽くまでも精霊樹を守るのが、目的であります。これは攻めるより遥かに難しく、わたしには如何ともしがたい専門外の知恵を必要とするので、専門家に任せようと思っております〉
〈はい〉
〈幸いにもと申しますか、わたしには地下迷宮を強化するための手段が与えられているので、ご心配されませんように…〉
〈はい〉
メルはデイパックからタブレットPCを取りだした。
そして花丸ショップを画面に表示する。
花丸ショップには、地下迷宮を強化する特殊なセットが用意されていた。
松・竹・梅のランクがあって、それぞれに掛かる購入費用が違う。
又もや花丸ポイントが削れる訳だが、このような場面でケチるつもりはなかった。
梅のセットを購入して、悪党が地下迷宮へ侵入するのを許すくらいなら、最初から松のセットを設置すべきなのだ。
(昔から、安物買いの銭失いと言うでしょ。僕はポイントをドブに捨てたりする、バカじゃない。ここはドーンと、八千万ポイントの松セットだ!)
なにしろ梅セットは二千万ポイントだ。
詐欺みたいな安さである。
フレッドの事務所を守るなら迷わず梅セットだけれど、精霊樹を守るには心許なさ過ぎる。
竹セットは四千万ポイントで、使えなかったときのダメージが大きい。
(こういう場面では、中途半端が最も危険なんだよ!)
だったら松だ。
八千万ポイントを払ってダメなら、花丸ショップを心の底から怨める。
とにかく、自分の選択ミスだと思わなくて済めば、それだけでも心が軽くなる。
だから松だ。
その上で、闘いの専門家を召喚するのだ。
現状に於いて、最強の選択である。
〈それでは地下迷宮を要塞化しまぁーす♪〉
メルは松セットをタップした。
花丸ポイントの数値が、ガクンと減った。
今朝まで二億八千万ポイントあったのに、もう残すところ一億ポイントしかない。
たった半日だけで、半分以上を使ってしまった。
メルは少しだけ涙目になった。
ど偉いことを言っても、本性はケチなのだ。
お小遣いがぶっ飛べば、幼児だから泣きたくもなる。
メルの悲しみを他所に、封印の石室が振動して姿を変えていく。
『ゴゴゴゴ…!』と言う鈍い響きは、地下迷宮が生まれ変わる音だった。
粗末なテーブルセットは地に呑み込まれ、精霊樹の根が石壁を覆い尽くす。
床のひび割れた石畳は黒い大理石に変わり、つる草模様の美しい絨毯が一面に広がった。
更に新しく高級そうな応接セットや、三人の姫たちに相応しいであろう立派な寝具などが生みだされ、拡張された石室は天井から降りてきた壁で仕切られた。
「おおおっ…。なんとも凄まじい…。これは、如何なる奇跡でありましょうか?」
一の姫が、とうとう口を開いた。
余りにも驚いたので、思わず声が出てしまったようだ。
「妖精女王陛下…。あの、大きなタイルは何でございましょうか?」
二の姫がズラリと壁に設置されたモニターを指さした。
だが、メルの関心はモニターになかった。
「おまっ…。なんで、ここにおゆ…?」
メルはカメラマンの精霊を見て、叫んだ。
「おーっ。これはこれは…。メルさんじゃありませんか…!」
「どうして、ここに…?」
「あーっ。わたくし…。迷宮強化セットのオプションに含まれておりまして、メルさんが全部載せの松セットを希望されましたので罷り越した次第にございます」
「はぁー?」
「この地下迷宮に関しましては、わたくしの分け身となります『覗き見くん』たちが、各エリアを担当しております…。これ、この通り…。すべてをモニターで観察することが、可能であります」
モニター画面が起動すると、新しく生まれ変わった迷宮の様子がつぶさに映し出された。
隊列を組んだゴブリンの部隊や棍棒を手にしたオークなどが、ハッキリと確認できる。
映像の拡縮や明度の調整も、自由自在である。
「ぐぬぬっ…!」
カメラマンの精霊は優秀だった。
「メルさんに解雇されてから、花丸ショップに拾われまして…。わたくし、今か今かと、活躍のときを待っておりました。メルさん…。アナタに、わたくしの凄さを欠片なりと知って頂きたくて…」
「くぅーっ。おまぁー、ムカつく!」
腹が立つけれど、目にした能力を認めない訳には行かない。
「でも…。おまぁーを作ったんは、わらしぞ!」
「心得ておりますとも…。偉大なる母上さま…。麗しき、妖精女王よ。どうか…。どうか、わたくしめをお認めくださいませ」
カメラマンの精霊はドローンっぽいボディーを宙に浮かせながら、おずおずとメルに近づいてきた。
「やむなし…」
メルはカメラマンの精霊を小さな手で撫でた。
いい子いい子だ。
「うわぁーん。ママぁー!」
カメラマンの精霊がメルに抱きついた。
ドローンぽい癖して、ボディーは自由に曲がるようだ。
(ママ…?確かに、キミをクリエイトはしたけれど…。幼児でママって、どうなのよ…?)
メルはカメラマンの精霊を抱っこしながら、遠い目になった。
「そえでは…。すっげぇー、つぅえぇーの…。ショーカンすゆ。ここの、ぼすネ!」
メルが宣言した。
「おいでませェー。アクマ王子!」
メルの呼びかけに応えて、禍々しい光を放つオーブが渦巻いた。
三人の巫女姫たちは、怖気づいてメルの後ろに身を隠そうとした。
召喚された精霊の、邪悪な気配を察知したのだ。
勇ましそうなことを口にしても、巫女姫たちの本質はビビリなのだ。
どちらかと言えば、メルの仲間である。
「なんと忌まわしい霊気であろう…」
「恐ろしや、あな恐ろしや…」
「うわぁー、王子さまですか。期待で、ゾクゾクします」
妖精たちの属性は地水火風に固定されているけれど、微妙に色彩が異なる。
ここに集まった妖精たちは、戦に駆り出されて心を荒ませた邪妖精たちであった。
それ故に、どことなく陰鬱でダークな色調を帯びていた。
その邪妖精たちが凝縮して、ひとりの美しい青年を生みだした。
青年が身に纏う甲冑とマントは黒く、唐突に死をもたらす凶悪な気配を滲ませていた。
手にしたハルバードには、金属部分に髑髏の装飾が施されていた。
氷を想わせるブルーグレーの瞳に、肩の位置で切り揃えられた白い髪。
スラリとした痩身から溢れだす闘気は、まるで野獣のようだった。
気品に満ちた相貌は、猛禽類の鋭さと冷酷さを感じさせた。
見た目だけで合格だ。
〈お呼びに預かり、恐悦至極…。我が名は、デーモン・プリンスなり…。さあ、妖精女王よ。何なりと、我に命ずるがよい!〉
悪魔王子が黒いマントを翻し、メルのまえに傅いた。
〈それでは、精霊樹の守護を命じます…。邪な野心を抱く者どもから、罪なき精霊たちを守ってください。アナタに、地下迷宮の指揮権を委譲しましょう〉
〈ご命令、しかと承った。我に、お任せあれ…!〉
〈其方に任せました〉
メルは満足そうに頷いた。
強面のイケメンだし、メッチャ腕が立ちそうだ。
しかも精霊クリエイトではないから、太古より存在する歴戦の古強者に違いなかった。
戦乱に明け暮れた暗黒時代を記憶している、経験値バリバリの邪精霊さまだ。
〈ピンポン、ピンポン♪〉
強制イベント終了の文字が、タブレットPCにポップアップされた。
高得点での、ミッションクリアだった。
帝都ウルリッヒでの用事は、支障なく終わった。
〈ミケー、帰るよ!〉
〈ええーっ。妖精猫族のお店は…?サシェを買ったお店に、寄っていくんじゃないの…?ボク、ずっと待ってたんだよ〉
〈急いで帰らないと、アビーに叱られちゃうでしょ〉
〈ひどっ…。ちょっと酷いよ、メル…。ボク、泣いちゃうよ!〉
〈泣きたきゃ…。泣けばぁー〉
メルはミケ王子の首っ玉を攫むと、異界ゲートの扉に向かった。
「にゃ、にゃぁーっ!」
泣くのも、鳴くのと変わりなかった。
いつもと同じである。