天衣無縫なちみっ子
S級邪霊の超感覚が、ラヴィニア姫の気配をハンテンに伝えて来る。
遠く離れた地にいるラヴィニア姫の、微かな気配。
ラヴィニア姫が通り過ぎたであろう場所に残された、最近の痕跡。
それらを頼りにして、ハンテンはクリニェの桟橋までラヴィニア姫を追跡した。
この後は帆船で、タルブ川を遡行することになる。
だが、ハンテンに切符の買い方など、分かるはずもない。
分かったところで、もとから犬の切符は用意されていない。
どうしようもないのだけれど、ハンテンは甘やかされて育った殿である。
これまで全てを『わんわん』だけで通してきたのだ。
だから…。
「わんわんわん、わんわんわんわん、わぉーん!」
取り敢えず、船に乗せろと騒いでみた。
「うわっち…。どこから現れやがった、この不細工な犬は…?」
「さっさと、追っ払えよ。足元が危なくて仕方ねぇ」
「こりゃまた珍妙な犬だな。本当に犬なのか…?おまえ、踏みつぶされちまうぞ。しっし…。これをやるから、向こうへ行っとけヤ!」
「キャン!」
桟橋を管理する小太りの若者が、ハンテンに食べかすの骨を投げつけて追い払った。
どうやら犬の無賃乗船は、許されていないようだった。
「くぅーん」
ハンテンは倉庫の陰に隠れて、考え込んだ。
帆をたたんだ帆船に、荷担ぎ人夫たちが木箱や穀物の袋を積み込んでいく。
あの荷物に紛れ込めば、バレないで船に乗れるかもしれない。
都合の良いことに、ピンク色をした果物が詰め込まれた樽を発見した。
ハンテンと同じ色である。
「わん…♪」
犬の浅知恵だった。
三の姫は無惨にひしゃげて用をなさなくなった石室の鉄扉をジッと睨んでいた。
外の通路に倒れた頑丈な扉は、ハンテンの体当たりで破壊されたものと思われた。
腐っても屍呪之王である。
瞬間的な妖精パワーは半端なかった。
封印の石室から追いだされた三の姫は、通路で正座をしていた。
好きでしている訳ではない。
一の姫と二の姫に、『そこで反省しなさい!』と命じられたのだ。
(一瞬でも…。ハンテンを可愛いと思った自分が、許せない…!)
愛想よくする犬に、コロッと騙されたのだ。
犬コロに、コロッと…。
屈辱だった。
◇◇◇◇
幼児の朝は早い。
東の空が薄っすら白み始めると、幼児は小さな胸を期待に膨らませてベッドから跳び起きる。
おとなしく寝てなんていられない。
もう既に、今日は始まっているのだ。
一日が、勿体ないじゃないか!
そして夏の朝は、とりわけ早くやって来るのだ。
「プッププゥーッ。ププーッ♪」
「ジャーン、ジャジャーン!」
「ぴぎぃー。ブッブッ…」
「フニャァー♪」
「おい…。たのむから、止めてください。おーい!」
メルとダヴィ坊やに、トンキーとミケ王子を交えた混成部隊は、帝都ウルリッヒで購入したシンバルを新たに加え、発生させる騒音も一段とグレードアップ。
アニマル・フレンズが参加したモーニングコール隊は、まるでブレーメンの音楽隊みたいになった。
ここにモーニングコール隊、再結成デアル…。
メルが留守にしていた間の静かで平穏な朝は、もう二度と帰って来そうになかった。
「あさ、あさ、朝ぁー!」
「さっさと起きんか、粉屋のせがれ…。おテントウさまは、もう登っとゆわ!」
「ぷぎぃー!」
「ミャァー」
「うるせぇ!こちとら飲み過ぎで、頭がズキズキ痛いんじゃ。だまれや、ガキ共…」
その活動範囲も村の中央広場では収まらなくなり、中の集落をぐるりと一周するようになった。
騒音を訴える被害者の数だって、グンと増えた。
だけど、幼児ーズを見かけた村の小母さんたちは、ご褒美のお菓子をくれるようになった。
夜更かしの酔っぱらいオヤジたちと小母さんたちでは、モーニングコール隊への評価が正反対だった。
「毎朝、偉いね。とっても助かるよ」
「あしたも頼むよ。ガンガンやっとくれ!」
モーニングコール隊は近隣の小母さんたちから、熱い声援とおひねりを受け取る。
「オカシ、ありあとぉー♪」
「おばちゃん、ありがとうございます」
満面の笑顔でキチンと頭を下げるのは、幼児の嗜みだ。
貰えるものは拒まない。
日々の感謝が、幼児を磨く。
ピカピカに磨き上げられた幼児は、やがて蝶々となって大空に舞う。
「メル姉…。オレ、チョウチョ好かん。カブトムシが良い」
肉屋の小母さんから貰ったドライフルーツをしゃぶりながら、ダヴィ坊やが言った。
『チョウチョになゆのらー♪』と口にしたメルに、不満を感じての発言だった。
「はぁー?」
「オレはカブトムシになる。チョウチョはイヤだ!」
男の子は、蝶々になんてなりたがらない。
弱っちぃーから…。
「おまぁー、カブトはキモイでしょ…」
一方、メルが許容できる虫は、蝶々までだ。
ガジガジ虫の事件で負ったトラウマは、まったく癒えていなかった。
「メル姉…。カブトは格好いいぞ!」
「でぶ。うらっかわ、見てミィー。キモイでぇー」
「デブちゃうわ。ダヴィじゃ!」
「すまん。わらし、うまぁー喋れんで…。したっけ、カブトはキモイわ!」
「なに言っとるの…?カッケェ―よ。カブト、さいこーよ!」
ダヴィ坊やの口調に熱がこもった。
「ぬぬっ…。わらしに、逆らうんか…?エエかぁー、よお聞けや。キモイもんは、キモイんじゃ…。それになぁー。おまぁーは、カブトになれんわ。なれても、せいぜいデブじゃ!」
「何だとォー!オレさまは、カブトムシになるんだからな。オレがカブトになってからあやまっても、遅いどォー!」
「ふふんっ。おまぁーがカブトになったら、くつで踏んだるわ。ぺちゃんこじゃ!」
「くっ…。オレはなぁー。でぇーっかな、カブトになるんだからな。メル姉、泣くわ!」
「グヌヌヌヌッ…。アホォーが。幼児はカブトにならん。カブトになるんは、幼虫じゃ!」
メルが耳を真っ赤にして怒鳴った。
「アホは、メル姉だろ。ひとはチョウチョにならんもんね!」
「ムカつくぅー。赤ちゃんのクセして、ナマイキよ!」
「ばーか、ばーか。メル姉のばーか」
「わらし、チョウチョはタトエよ。ヒユ(比喩)…。分かゆぅー?」
「言っとること、ちぃーとも分からんわぁー!」
二人の意見が合わなかった。
一触即発の緊張感が、モーニングコール隊に走った。
すわ決裂かと思われたとき…。
ミンミンミン、ミィーッと、幼児ーズの頭上でセミが鳴き始めた。
「セミ、キモイわぁー」
「うむっ…。メル姉に、はげしく同意する…」
罵り合いが中断された。
「ヨシ…。ケンカは好かん!」
「おうっ、オレたち仲良しさんだ」
入道雲が湧き上がる青空の下で、互いの健闘を称えて抱き合う二人の幼児は、自分たちの友情を再確認した。
ガッチリ抱き合ったら、恥ずかしがらずに仲直りのチューだ。
メジエール村の子どもなら、そうする。
「アイスキャンディー、食いマスカ?」
「食う!」
モーニングコール隊は解散の危機を免れ、事なきを得た。
「うまぁー」
「ひゃっこいわぁー♪」
「うにゃぁー」
「ブッ、ブゥー」
ミケ王子とトンキーも精霊樹の根元に並んで座って、アイスキャンディーを食べた。
巫女印フルーツ牛乳の味を調整して凍らせた、ラクトアイスだ。
シロップに漬けた精霊樹の果実を刻んで混ぜてある。
元気が出るアイス。
今日も暑くなりそうだった。
アビーと囲む朝食のテーブルは、メルを幸せな気分にする。
どんな一流料理店のサービスだって、アビーの温もりには遠く及ばない。
ママとは、そう言うモノなのだ。
「メルちゃん。パンにベーコンを挟むの…?」
「うん…。まぁまのピクルスも、のせて…」
「それくらい、自分で出来るでしょ?」
「まぁまに、のせて欲しいのぉー」
甘ったれ全開である。
メルを茶化すフレッドが居ないので、心置きなくアビーの独り占めだ。
メルはマグカップのミルクをぐびぐびと飲みながら、『もうフレッドは、帰って来なくても良いかな…?』と思った。
パパは外で働いて、稼ぎだけ送金してくれたらよいのだ。
とんでもない幼児である。
フレッドが知ったら、さめざめと泣くだろう。
「ところでメルちゃん。ママは訊きたい事があるの…」
「あにヨォー?」
「森の魔女さまなんだけど…。帰って来たときから、元気がないでしょ。どうしたのか知らない?」
「あーっ。それなぁー。ヒミツですから…」
「えーっ。知ってるなら、教えてよ。ママも秘密にするからさぁー」
こうして秘密は、いつの間にか秘密でなくなる。
公然の秘密になってしまうのだ。
「うんとねェー。わらし、えらいマホォーのセンセー呼んだヨ。そしたら、センセーがクィスタさまとアーオンのマホォーに、点数を付けマシタ」
「うんうん…。それで、何点だったの?」
「アーオン、四十点もらったヨ。なんか喜んでらしたよ」
「だから、婆さまは…?」
「言えん…」
メルがわざとらしく両手で口を押えた。
「このォー、言いなさい。そこまで話しといて、秘密とかあり得ないでしょ!」
「ウヒャァー。くすぐゆのヤメテー!」
「言え。白状しなさい。ママに教えなさい」
「言う、言うからヤメェー!」
ちょっとした母子のスキンシップを挟んでから、メルは魔法王の事件について説明した。
「ババさまは二十点。マホォー王の言うにはぁー。ヤシンテキだが、キソをおろそかにし過ぎだって…」
「ぶふっ…。それでェー?」
「それ以来、ババさまは何しても上手くいかんで…。メッサへこんだわ…。ジシンソォーシツかぁ?」
「なるほどぉー」
「だもんで、引きこもってベンキョーすゆんデス」
何もかもを話してしまったメルは、スッキリした顔で食べ終えた皿を流しに運んだ。