崖っぷちの皇帝陛下
謁見の間にて…。
ウィルヘルム皇帝陛下は、ミッティア魔法王国の大使と向き合っていた。
ウィルヘルム皇帝陛下の背後に控えるフーベルト宰相とヴァイクス魔法庁長官の姿が、謁見の重要性を感じさせた。
この会見は、通り一遍の儀礼的なモノではなかった。
ウスベルク帝国が、ミッティア魔法王国に向けた拒絶である。
「プロホノフ大使…。何度も申すように、卿の心配は無意味である…。むしろ、今こそ屍呪之王の封印は、完成したのだ!」
ウィルヘルムはミッティア魔法王国から派遣されたプロホノフ大使に、これで何度目かの説明を口にした。
一片の真実も含まない真っ赤な嘘であるが、ウィルヘルムの表情はピクリとも動かない。
皇帝陛下は、平気で嘘をつける男だった。
「そうは申されましても、貴国の象徴であった封印の塔が崩壊しているのです。本国を納得させられる説明がなければ、私としてもお訊ねせずにはおれぬのです」
「卿も、あの霊妙なる大樹を間近に見たであろう?屍呪之王は、あの大樹によって封印された。何度、質問されようと、真実は変わらぬよ」
「しかし、ことは屍呪之王に関する重大事…。あれもこれも秘密にされたままで、左様でございますかとは行きませぬ」
プロホノフ大使は、プラチナブロンドの髪を神経質そうに指先で触った。
その見事な長髪は、エルフの髪で拵えた美しいカツラだった。
エルフの髪で作ったカツラは、ミッティア魔法王国の高位貴族が好んでつける高価な装身具であった。
身分の証であると同時に、魔素の保有量を増やす特殊な魔法具でもあるらしい。
「では…。プロホノフ大使は、ワシに…。ウスベルク帝国に、何を望むのか…?」
「封印されている屍呪之王をお見せください」
「それは出来ぬ…。強力な封印魔法が、人を近づけぬでな…。無理に試せば、卿や卿の部下が命を落とす。地下迷宮へ出向くのは、お勧めしかねる!」
「でしたら…。ミッティア魔法王国の調査団に、あの大樹を」
「ならん…!」
プロホノフ大使は、ウィルヘルム皇帝陛下の言葉について考えた。
「貴国は、大樹の調査を…。いかなる理由があって、拒まれるのでしょうか?」
「畏れながら、プロホノフ大使さま…。かの大樹は屍呪之王を封印する、魔法術式の要。ウスベルク帝国の、先端魔法技術でありますぞ。それを他国の調査団に、おいそれと委ねられましょうか…?」
ウィルヘルム皇帝陛下の背後に控えていたヴァイクス魔法庁長官が、不機嫌そうな口調でプロホノフ大使の質問を遮った。
ヴァイクス魔法庁長官は、封印の塔を破壊してしまった大樹の正体を知らない。
それなのにプロホノフ大使に向かって、平然と魔法庁の開発した封印魔法であるかのような物言いをする。
こちらもウィルヘルム皇帝陛下に負けぬ役者だった。
政治に長けた立派な古狸である。
「これは失礼を致しました。御前にての不調法をお詫び申し上げます…」
「構わぬ…。気にするでない」
「実を申せば、私も怖ろしいのです…。いったん、綻びが生じたなら…。屍呪之王による災厄は、ウスベルク帝国に留まりません。グウェンドリーヌ女王陛下も、ミッティア魔法王国の民人に『安全である!』と発表したいのです…。それなのに根拠となる情報が無くば、『信じろ!』と力なく繰り返す他ありませぬ…。ウィルヘルム皇帝陛下に於かれましては、我らの胸中を察して頂けませんでしょうか…?」
ここで頷いてしまえば、またプロホノフ大使に踏み込まれてしまう。
迂闊な同意は悪手だった。
謁見での会話は正式なモノであり、双方の記録に残される。
ウィルヘルム皇帝陛下はプロホノフ大使に言質を与えず、突っぱねるしかなかった。
「フムッ…。千年に渡るウスベルク帝国の実績が、ミッティア魔法王国では信じるに値せぬのか…。証拠だ、魔法理論だと…。卿の話を聞いておると、貴国ではウスベルク帝国を随分と見下しておるようだな…」
「なんと…!」
「そうであろう…。余が幾度となく安全であると伝えておるにも拘らず、卿は信じようとせぬ。何故かと考えるに、わが帝国の魔法技術を侮っているためであろう…?甚だ、心外である…!」
ウィルヘルム皇帝陛下が釘を刺したコトで、プロホノフ大使はミッティア魔法王国の魔法技術が優れているところを証明しなければいけなくなった。
しかも相手は、学術的な魔法理論を示そうとしない。
こうなると打てる手段は、実力行使しか残されていない。
友好国を装うべき相手に、実力行使は如何なモノであろうか?
何としても、口実が欲しかった。
実力行使を許される、都合の良い口実が…。
「プロホノフ大使さま…。我らがウスベルク帝国は、そもそも屍呪之王を永久に封印すべく建国されました。それ故に貴国とは魔法の解釈も異なれば、劣っているように見受けられる部分もありましょう。ですが、こと屍呪之王に関する限りは、何処にも負けませぬ…。プロホノフ大使さまの要求は、罪人を閉じ込めた牢が信用できぬから、分解して見せろと言うに等しいのです。とうてい認めるわけには、参りませぬ!」
「フーベルト宰相閣下は、ミッティア魔法王国を信頼に値せぬと申されるのですか…?」
プロホノフ大使が、フーベルト宰相の台詞に喰いついた。
そうしながらも、謎の大樹に執着することをスッパリと止めた。
突破口を変える必要があった。
「信頼の問題ではない。安全の問題を話しておるのだ。余は誰の頼みであろうと、屍呪之王を封印する魔法術式について教えるつもりはない。それはエックハルト神聖皇帝の御代より、守られてきた決まりである。相手が神であろうと、この掟を曲げることは罷りならぬ!」
「………それでは。地下迷宮の侵入者対策を確認させて頂きたい」
「先程…。危険だから容認できぬと、申したであろう…」
「心配、ご無用。人死に大いに結構ではありませんか…。むしろミッティア魔法王国の特殊部隊を退けたのであれば、それこそ安全の証となりましょう。そして、もし仮に…。彼らが侵入を果たしたとなれば、防御面の不安を改善するために我らの協力が役立ちましょう…。もちろん地下迷宮を突破できたからと言って、屍呪之王への接近を試みたりは致しません。そこは、お約束いたします」
彼方と見せかけて、此方を叩くのは兵法の基本だ。
それは論争の場に於いても、変わらなかった。
ウィルヘルム皇帝陛下が、『ぐぬぬ…っ!』と唸った。
背後に控えたフーベルト宰相とヴァイクス魔法庁長官も、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
(約束だと…?)
ウィルヘルム皇帝陛下の頬が、ピクリと痙攣した。
この場に居る誰一人として、プロホノフ大使の約束を信じていなかった。
約束を口にした当人も含めて…。
(なぜ、この場にアーロンがおらぬのだ…。ヤツが居なくては、地下迷宮の状況さえ分からんと言うのに…。何とか時間を稼いで、アーロンを呼び戻さなくては…!)
焦ってみたところで、どうにもならない。
今は、この場を取り繕うしかない。
とにかく、少しでも時間を稼ぐのだ。
「なるほどな…。卿の考えは、充分に理解した。元老院で吟味したあと、結果を伝えるとしよう」
「ありがたき幸せ」
「では、さがるがよい」
ウィルヘルム皇帝陛下は、敗北感で叫びだしそうな気分になった。
最低の謁見だった。
◇◇◇◇
「いつまでも殿と一緒に暮らしたいのですが、そうも言ってはおれませぬ。殿は少しでも早く、四の姫と会いたいご様子」
「この地に殿を留め置くのも、忍びない。取り敢えず四の姫と会えば、殿も落ち着きを取り戻しましょう」
「わんわんわん、わんわんわんわん…!」
ハンテンは扉を背にして、激しく吠え続ける。
クルクルと回ってから、また吠える。
(一日中、ずっと吠えてるのに止めない。絶対に止めない…)
煩くって、気が狂いそうだと、三の姫は思った。
「されば、わたしが案内人を連れて参ろう…。あの若人さえおれば、殿でも船に乗ることが出来よう!」
一の姫が急ぐふうでもなく、ゆらりと立ち上がった。
「留守居役は、アナタたちに任せます。怠惰に流されず、しっかりとお役目を果たしなさい!」
「心得ております、姉上さま。ご安心召されよ」
「留守居役、承知いたしました」
二の姫と三の姫は、一の姫に了承の意を示した。
精霊樹の守り役である巫女姫たちは、精霊樹やハンテンを外敵から守り、健やかに育てるのが務めだ。
自らの使命と喜びの間に、僅かなズレも存在しない。
三の姫がハンテンを煩わしく感じるのは、気の迷いだ。
多分おそらくは、ちょっとした勘違いである。