旅立ちの日
主人公が病弱なので、出だしが暗いです。
でも、重苦しいのは最初だけです。
基本はほのぼので、明るく軽い読み口を目指そうと考えています。
応援をよろしくお願い致します。
森川樹生は、生まれつき身体が弱かった。
子供の頃から入退院の繰り返しで、友だちも少ない。
部屋の中に閉じこもる生活が長く続き、楽しみと言えばゲームだけ。
ゲームの中でだけは、元気に走り回ることができる。
一緒に遊んでいた友人に、置いていかれる心配も要らない。
それでもアバターを女の子に変えて、現実を思いださずに済む工夫を凝らしていた。
男の子が活躍するゲームなんて、見たくもなかった。
どうしても現実の自分と比較してしまうから。
樹生はゲーム内ではしゃぐ自分のキャラを見て、白けるのが大嫌いだった。
樹生がベッドで点滴を受けている今でさえ、同級生たちは教室で授業を受けたり、走り回って身体を鍛えたりしているのだろう。
夏休みの間に彼女ができた奴だって、何人か居るんじゃなかろうか…?
いや、きっと居るに違いなかった。
斯くして、毎日のように彼我の差は開いていく。
埋めようのないハンディキャップだ。
元気になってから追いかければ、きっと追いつけるなどと言う慰めは、嘘っぱちでしかない。
病弱な樹生に、追いかける体力など無かった。
樹生の胸には、焦りと孤独だけがある。
いや…。
最近では失望と諦観の方が、強いかもしれない。
手に入らない望みは、無理をして抱えていても辛いだけだ。
SNSのアカウントは、悔しくなって削除してしまった。
話題についていけないのだから仕方がない。
クラスの友人たちも、やがて樹生のことを忘れるだろう。
(なんで僕は、生きているの…?)
深い溜息と共に、生の意味を問うてみる。
樹生が何とか頑張っているのは、心配してくれる家族に泣きごとを言えないからだ。
家族に多大な手間と苦労を掛けさせておいて、不貞腐れていられるのは子供の時だけだ。
入院費だってバカにならない。
だから…。
どんなに絶望していても、そうした素振りを家族に見せることはできない。
『死にたい!』なんて、冗談でも口にできない。
(父さんや母さんにとっても、僕はハズレだよね)
それは疑いようもない確信だった。
樹生だけであれば、とうに人生を投げだしているところだ。
(和樹兄さんが居るんだもん。僕なんて、作らなければ良かったのに…)
樹生の思考は、いつだって其処に行き着く。
せっかく合格した高校も、一学期を通っただけで病院に逆戻りとなった。
出席日数が足りなくなれば、二年生にはなれない。
「どうして僕ばかり、こんな目に遭うの…?」
問うても意味のないコトだった。
視線を上げれば、栄養点滴のパックが目に入る。
毎日のように、終わることのない点滴。
ホントに栄養点滴なのだろうか…。
(もう退院するコトはないかも知れない?)
樹生の脳裏に、不吉な予感がよぎった。
(いけない。余計なことは考えるな!)
弱々しく頭を振って、ひんやりとした死の気配を追いやる。
「元気になったら、熱々のピザが食べたいなぁー」
思い浮かぶのは学食のカツカレー。
コシのないラーメンや、ふやけたミートソースパスタも懐かしい。
安い日替わりメニューだって、すごく美味しかった。
何より皆と並んで食べるのが楽しかった。
「また、学校へ行けるのかなぁ?」
復学できるとは、どうしても思えなかった。
我慢できずに涙があふれてきた。
目を閉じて、目を覚ます。
退屈な繰り返しの中で、時間は意味を無くした。
知らぬ間に季節が移り変わり、月日は飛び去っていく。
樹生は、すっかり痩せ細っていた。
もう愛用のタブレットPCを手にしても、ゲームを起動する気力が起きない。
死を間近に控えて…。
樹生が意識を向けるのは、過去に食べた料理の記憶だった。
美味しいものが食べたいなぁー。
歯ごたえがあって、味のはっきりした美味しいご飯…。
母さんの作ってくれたビーフカレー。
炊き込みご飯に焼き魚。
「バターを落としたステーキなんか、最高だろうな…」
病院のベッドに横たわって思いだすのは、好物だった焼肉やシチュー。
タブレットPCで眺めるのは、写真がたくさん載った料理のサイト。
旅先でのグルメ紹介…。
暇に飽かして、幾つものレシピを暗記したこともあった。
料理人になれる訳でもないのに…。
「病気にさえ罹らなければなぁー!」
枕元には『I.М』とイニシャルが記された、キャンバス地のデイパック。
そのサイドポケットには、エルフの少年冒険者が鮮やかにプリントされていた。
「なにかを美味しいと感じたのは、いつのことだろう…?」
それはもう、何か月も昔の話に思えた。
今となっては、重湯さえ喉を通らなかった。
「もう一度、ちゃんとしたご飯が食べたいなぁー」
樹生は食べる喜びに飢えていた。
「もう一度、楽しいって気持ちを味わいたい」
そんな樹生の願いは、死ぬまで叶えられなかった。
その日…。
樹生は肺炎による高熱と意識混濁のなか、病室のベッドで横たわる惨めな自分の姿を見下ろしていた。
『ああっ、これが幽体離脱というモノか…?』などと呑気なことを考えながら、ユルユル解けていく自我を意識した。
『なんだか、久しぶりにお腹が減ったよ…』
シナモンの香りが鼻腔に蘇る。
これはクッキーを食べたときの記憶だろうか…。
それともアップルパイ…?
樹生はいつ迄も終わらぬ点滴にじっと耐えながら、妄想を膨らませていた。
そうして甘い匂いがする宙に、ふわりと漂いだしたのだ。
不自由な肉体から抜けだして…。
昏睡状態だった。
『おや、誰だろう…?』
夕暮れ刻になって…。
樹生のもとに、ひっそりと死が訪れた。
病室の窓辺に揺れる黒い人影は朧で、それが誰なのかも判然としない。
ただ懐かしさだけが、樹生の心を満たした。
『やあ…。もう出かける時刻かい?』
昔から知っている友人のように親しげな素振りで、死は樹生を手招いた。
『ちょっと待ってね…。出かけるなら、大切なデイパックを持ってかなきゃ…』
それが最後に思った事だった。
次回から明るいよぉー。
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