明かされる世界で
眠りから覚めた途端、蛍光灯の明かりに目がくらんで眉を寄せた。病院にあるようなつんとした独特の匂いが次いで鼻につき、一気に目が冴える。
「どこ・・・?」
あたり一面真っ白の空間で目が痛い。着ていたはずの振袖は病院着に変わっており、結っていた髪も下ろされている。目の前にガラス張りの窓とモニターが目に付くぐらいで誰もいない。
状況からして、病院だろうか。
「シンキ・・・?」
無意識に漏らした言葉に夕ははっと息を呑んで動きを止めた。
目覚める前の記憶が一気に蘇り、ぶるりと震える。シンキが戻ってきたこと。従兄の神白達亜と対峙したこと。業火の記憶。焼けるような身を貫く痛み。
咄嗟に起き上がり、従兄に貫かれたあたりに触れ、病院着を少し開けさせて目で確認する。
(傷・・・)
包帯もガーゼもなくうっすらと白い線が残っているだけだった。所々にチリチリとした痛みはあるが、あんな業火に包まれたのにも関わらず、大きなやけどもない。
「あ、夕、起きたんだ・・・」
声がして顔をあげると、従兄の達亜が扉を開けて入ろうとしているところだった。なぜか、そこから動かず、入ってこようとしない。なぜだろうと夕は達亜を見つめていると達亜が「あー」と謎の声を上げ始める。 後ろから違う気配がした。他に誰かいるのだろうか。
「達亜、早く入り・・・、出ろ!」
「はいっ!失礼しましたッ!!」
敬礼でもしそうな勢いで達亜が返事をし、バン、と乱暴に病室の扉が閉められた。
「人がいる部屋に入るときはノックぐらいするのは常識だろうが!ここまで独断専行だと思わなかったぞ!貴様本当に既婚者か!?え!?こんな調子で梨絵といるんじゃないだろうな!!」
(丸聞こえなんですけども・・・)
夕は思わず苦笑した。
達亜の後ろに誰がいるのかはわからないが、無断で病室に入った事を叱っているらしい。声からして男だが声に聞き覚えがない。声が小さいのか、返事をしていないのかわからないが、達亜の声は聞こえなかった。
夕はそっと病院着を着なおし、姿勢を正して扉のほうを見る。
(14歳の子どもを見たってしょうがないのに。真面目な人なのかな)
まあ、たしかにマナーとしては男の言う通りなので達亜を庇おうとは思わなかったが。
しばらくして静かになると、コンコン、と控えめなノックが聞こえてくる。来るとわかっていてされるノックもなかなかない。
このノックの意味とは?きっとマナーの反復練習である。
「どうぞ」
何にせよ、この茶番劇に付き合うほかないな、と夕は内心でちょっと笑った。
ご本家の神白家次期当主とされていて、会うたびに緊張し、シンキに対峙していたという記憶のせいで一方的に悪印象しかなかったが、気が少し緩んでしまった。
「失礼します」
「失礼する。先ほどは申し訳ない」
「いえ」
達亜と見知らぬ男がようやく入ってきて、夕は自然と身構えた。
先日とは違う、白をベースとした制服を着ている。ちょうど、この国の海軍に似た制服だ。時代錯誤にも二振りの刀を帯刀している。
気が緩んだ、と思ったが前言撤回だ。どことも知れぬ場所で、なぜ従兄の達亜と見知らぬ男が当然のように入ってくるのか。なぜ、シンキを攻撃したのか。殺そうとしたのか。シンキを庇った末とはいえ、達亜には刺されたのだ。
塞がっている傷口がじくりと痛んだ気がした。表面上の笑みも浮かべられない。睨むの抑え、胸倉を掴みたがる右手でシーツを掴むので精一杯だ。
「私は鳥羽根和久だ。この神白達亜とは友人で、職務上は上司にあたる。よろしくな」
「神崎夕です」
よろしくなんかしない、とにこりと微笑む。口元は笑顔の形をとっているが、目が、笑えていないはずだ。
二人は気にした様子はなく、達亜が口を開いた。
「体調はどう?」
「お気遣いありがとうございます。気にかけていただくほどではないです」
(なんで笑うの・・・?)
どこか毒を含んだような夕の回答になぜか達亜が嬉しそうにほほ笑んだ。微笑む理由がわからず、内心で引く。
「さて、話をしよう。どこから話すのがいいかな」
「その前にシンキはどこですか?殺してしまったんですか?」
達亜を遮るように夕は問いただした。
語気が少々強くなってしまったが、それに気を回すほど夕には余裕はなかった。
「殺してはないし、無事だよ。今は別の場所にいる」
「会わせてください」
「それは、私たちの話を聞いてからだね」
達亜の言葉に夕は目を吊り上げた。
シンキを攻撃し、殺す勢いで襲い掛かってきた達亜をどう信用すればいいというのだろうか。シンキをこの目で確かめなければ、信じられなかった。
相変わらず達亜の雰囲気は柔らかかったが、対して隣に立つ和久という男は厳しい眼差しで見降ろしてくる。
「こちらが先です。達亜さん、シンキを殺そうとしてましたよね?そんな人の言葉のどこを信じればいいっていうんですか」
「・・・・・・」
それを言われると返す言葉はないらしい。達亜の柔和な雰囲気が初めて硬いものに変わった。
「会わせてください」
「却下だね。覚えてない?人間を喰う生き物だって言ったこと」
確かにそんなことを言われた気がする。そして、獰猛な赤い眼がちらりと脳裏をかすめた。
無言でいたことを肯定と受け取ったのだろう。達亜はひとつ頷くとまた口を開いた。
「あれは本当の話。私たちは彼らのことを『霊』と呼んでいてね。ウラという世界に住んでいる。対して私たち人間はオモテの世界に住んでいる。霊は人間の魔力を喰うことで生きている生物だ。ほとんどの人間は霊の存在を視ることができないし、感じることもない。オモテのものしか視れないからね。だから、世間一般には霊の存在は認知されていないんだよ」
「レイ?まりょく・・・?じゃあ、私が普段視えているモノは、私がおかしいわけではなく、正しく視えているということですか。私が視えて、みんなが視えていないアレは霊というものですか?」
聞きなれない言葉に夕は目を丸くした。
他の誰にもわかってもらえなかったことをわかる人たちがいる。教えてくれる人がいる。それだけで、今までにないほどの安堵が全身を包んだ。これからのことをどうにかできるのかもしれない、という希望が夕を聞く姿勢にさせた。
「そう、霊だ。魔力っていうのは、この地球の生物が必ず持っているエネルギーのようなものだよ。彼ら霊に言わせると、人間が持つ魔力が一番魔力の保有量が多くて質が良いらしい。って、それは本題じゃないからどうでもいいだけどね」
夕が聞く姿勢になったことに安堵したのか、達亜の口調がやや穏やかになった。
「私たちは人間を喰う霊と対抗するために存在する組織に所属しているんだ」
「では、シンキは人間を食べていたというんですか」
「そういうこと。夕はまだ喰われてなかっただけ。たぶん、18から20ぐらいで喰う予定だったと思うよ、あの霊は。年齢を気にしてるそぶりはなかった?」
「それは・・・」
祝賀祭の3日前のことがよみがえる。たしかに、年齢のことは聞かれている。それを思い出して口を噤んだのを見て、達亜は一瞬すっと目を細めた。
「私たちは人間が人としての生きることができるよう、ただ搾取され続ける側の種族にならないよう、抵抗するために存在している。これは人類というものがこの世界に誕生したときから続いている抵抗だ。この国以外の国々でも同じような組織がある」
シンキが喰おうとしていた、という衝撃的な話から頭がついていかないというのに達亜は容赦なく話を続けていく。痺れたように動かない思考に夕は衝動に任せて何かを壊したいとさえ感じてしまっていた。
「でもね、夕も体感したと思うけれど、霊っていうのは人間よりもはるかに強くて長生きする生き物なんだ。まともに勝負したら絶対に負けるし、人間が家畜化するのは目に見えているね」
恐ろしいことを言いつつも、達亜のその表情は晴れやかだ。その違和感に不気味ささえ感じる。今まで見てきた達亜の顔は外面だけで、まったくもって内面が視えていなかったのだと思わざる得ない。
「でも、シンキを殺そうとしたあの大きな男の人が霊なら、あの霊は達亜さんの命令に従っていませんでしたか?」
「そう、あっているよ。霊と対抗するにはやっぱり、霊の力を借りないと人間は抵抗できない。皮肉なことにね。私たちは霊に自身の魔力を常時提供する代わりに霊の身体能力や業を使えるように交渉している。この交渉を成り立たせて契約し、基本的に人間が上の主従関係を結んでいるんだ」
そして、ここからが本題だよ、と達亜はじっとこちらを見た。先ほどまでの柔らかい雰囲気は鳴りを潜め、底光りする鈍いまなざしが夕を見つめている。
「夕にはこの契約をシンキとしてほしい。これはこの霊対策組織も同意している話だ。シンキと契約を果たし、この組織の隊員として私たちの仲間となってほしいんだ」
「私が・・・?」
お願いという形をとりながらも、その雰囲気はまるで同意する以外を認めないとでもいうような冷たさがあった。
夕はちらり、と逃げるように達亜の隣に立つ和久を見る。
先ほどからじっとこちらを観察するように見下ろすだけで、何も言わなかった男だが目が合うと、その口を開いた。
「そうだ。この国で私たち隊員は100万人と全人口の1%にも満たない。そして、その中で契約ができる隊員は4割ほどだ。よって隊員の確保は急務だ。この外見詐欺師はお願いという形をとってはいるが、はっきり言おう。神崎夕、君が隊員として所属し、シンキという霊と契約することは決定事項である。それができないというのであれば、シンキを処分、所謂殺すことになるな」
「なっ!なんで、そんな、横暴です!脅迫じゃないですか!!」
達亜の有無を言わさぬような雰囲気は間違いなかったらしい。和久は厳しい声音でそういうと、夕の抗議なんぞ何とでもないとでもいうように淡々とした色を浮かべるだけだ。
咄嗟に反発した夕だったが、その勢いでシンキが自身を喰うつもりだったということよりも大切なことに気が付いた気がして、首を横に振る。考えがまとまらないままに吐き出していく。
「シンキに仲間を殺せと命令しろというんですか?拒否したら、殺す?そんなの、いやです。私は、確かに、シンキに喰われる運命で、そのつもりで傍にいたかもしれないけれど、でも、きっと、それだけじゃない」
そうだ、そうじゃないか、とショックを受けてあまり動いていなかった思考がだんだんと巡っていく。熱が全身で蠢いて、急き立てられるように夕は呟いた。
「シンキは私が外に行けるってことを教えてくれた。ただ、喰われるまで置いておくだけなら、あんな、あんなに、私に!震えながら、帰ってきて、怖くないよって言ったときに、子どもみたいに安心した顔して」
「夕、言っただろう。シンキは夕を喰うつもりだった。だから、人間に擬態して優しくしていたんだ」
「そうかもしれない!でも、それだけじゃない!それだけじゃなかった!!」
いっしょにおやつだって食べた。約束した時間にいつだって来てくれたし、無理ならばちゃんと教えてくれた。お昼寝だってして、ベランダから花火を眺めたことだってある。私がシンキと名付けた。良い名前だとシンキは言ってくれていた。
最初に拾ったのはシンキではなく、私だ。私が拾って、名付けたんだ。私が先にこの世界で見つけた。
ぐちゃぐちゃになる思考の中でなぜか、それがくっきりと浮かんで残った。それが何とも代えがたいもののような気がして目の奥が熱くなった。
「夕、落ち着いて」
「シンキに会わせてください」
最初に言った言葉を夕は再度言い放った。
夕の目は涙に濡れていたが、強い意志のこもった眼差しが達亜と和久を射抜いている。頬が紅潮し、細かく震える手は隠しようもない。それでも、今までのお嬢様然とした口調や狼狽し、強張った表情からは想像できないほど強い威圧が二人に向けられていた。
「会わせなさい。達亜さん、貴方は話が先だと初めに言いました。私は話は聞きました。次は私です、会わせなさい」
「神崎夕、契約をすると先に言いなさい。それなら、会わせても構わない」
見かねたのか、和久が口をはさむ。
邪魔な、と夕は和久を睨みつけた。
「いいえ。私は言いません。まず、本人からの話を聞かねばなりません。一方的な情報で大切なことを決められない。私はシンキの意志を聞きたい。会わせて」
夕は揺るがなかった。和久にも負けず毅然とに言い放ち、一歩も引かないと目をそらさない。
「夕、いい加減に、」
「ごようあらためである!!!」
バーン!と病室に似合わぬ音で扉が開かれた。
不意のことで3人は言い合いを止め、扉を開けた主を見る。その姿を見て、夕は驚き、達亜は「えっ!」と声をあげた。
「秋!なんで、こんなところに!おまえ、まだここに入ってくるのに階級が足りないだろう!?」
「んー。義姉様にね、ぼく、あにうえが、また、おんなのこにむしんけいなことしてるかもしれないってしんぱいしてたら、みてきてくれる?って!ぼく、ちゃんと少将の代理できたんだー!だから、階級は足りてるよ?」
神白秋。神白家の次男、8歳。
突然現れた小さい男の子に夕は今まで張っていた気が一気にそぎ落とされていった。達亜も和久も同じようで、達亜はうっと詰まり、和久は秋の言葉を聞いて、じろと達亜を睨んだ。
そんな場の空気など知った事かと言わんばかりに、幼い男の子はにこにこと笑顔で兄である達亜に詰め寄った。
「あにうえ!だめだよ、おんなのこをいじめちゃ!それに、けがにんだよ!僕の権限でで即刻退場にします!」
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