ニーナと高矢
「なぜ、そんなに辛気臭い顔しているんです?やめてくれません?」
初日の技能訓練を終え、やっと休めると一息つく間もなく夕は不意に目の前に現れた神白秋に食堂に連れ込まれていた。大勢の隊員や候補生が夕食を囲んでいるが、食堂の隅を陣取っている夕と秋の傍には誰もいない。
夕は知らないことだが、大抵の幹部候補生や幹部隊員は四族の顔と名前、階級を知っている。一般隊員であっても、名前は記憶している。もし四族に遭遇した場合は遠巻きにして見ることが多く、よってこの場合は秋の登場に周囲の者たちは一線を引いているのだ。
「申し訳ございません・・・・・・」
だったら放っておいてくれないだろうか、と思わずにいられなかったが、夕は呑み込んで謝罪を口にする。
それにしても、疲れた。眠い。食欲がない。今すぐ寮に戻って睡眠をむさぼりたかった。
「そんな中身のない謝罪など結構です。初日の訓練を終えて様子を見に来ましたが、想定した通りぼろぼろでお疲れのようで良かったです」
にっこり、と音が付くような笑みを浮かべて秋は言った。
許されるのであれば、一撃を入れてやりたい思いつつ、夕は内心で秋をタコ殴りする。なんで、こんなに小さな男の子がそこらにいる大人よりも大人びていてむかつくのだと思わずにはいられない。
「今受けている訓練は契約した霊との魔力の運用効率を上げるためのものでもあります。健全な魔力は健全な身体に宿る。魔力の質と量は確かに生まれに起因しますが、身体を鍛えれば良くなるんです」
「補助隊員が受ける理由は?」
霊と契約することができない補助隊員候補生が本隊員候補生と同じ技能訓練をする必要性はあるのだろうか?
「補助隊員って、野良の霊にとってみれば、格好の獲物です。ぼくがなんの防備も無しに外にふらっと出ていたら即効で喰われます。補助隊員は非力で脆弱で美味い。ほぼほぼ普通の人間の身体能力しか持たない。だからといってそれに甘んじてもらっていては困るんですよ。必要最低限の運動能力は持っていてもらわないと」
だからぼくも頑張りましたよ、と秋は最後に付け加えた。
「それに人間にも狙われやすいです。四族はその血脈から魔力の質と量は最高級の状態で生まれてきます。その力を得たいと思う野心のある輩は一定数いるものです。四族は数が少なく、お気に入りとして認めてもらおうにも、婚姻関係を結んでのし上がろうにも難しい」
一変して笑顔を消した秋はすうっと視線を机の上に滑らせた。
「四族はとても強い。単騎出陣して任務を遂行し、無事生還することができるほど。他の隊員ではできません。努力とかいう以前の問題、生まれ持った才能がそこにあります。それに手出しすることはできない。では、補助隊員は?本隊員ではないとはいえ、その身体は四族由来です。そんな考えから誘拐拉致同然のことをして、乱暴する人間が一定数存在するんです」
乱暴、という言葉で言い表すことが果たして適切なのかと思わないでもないが、それを口に出すこともまた憚られた。
「候補生も当てはまりますからね。まだ、未熟で弱い。候補生程度で准等の階級を得ていないぐらいならば、と考えるやつもいます。だから、幹部になれていない四族は本当の名前を名乗ることを許されないのです」
夕はシンキと契約を結んだ後、神白家当主の養子となった。そのため、名は神崎夕から神白夕となったのだが、しばらくは神崎姓を名乗るように、と厳命を受けている。
夕が神白姓を名乗れるようになるのは早くても候補生中に准等の地位を得るか、卒業して幹部入りを果たさねばならない。
しかし、まあ、こうして四族の人間であると公表されている神白秋といることは問題ないのだろうか。
「あの、私があなたといることは目立つことになるのでは・・・・・・?」
「そんなこと気にしていたんですか?まあ、言いたいことはわかりますが、お気に入りのお気に入りになろうとする輩は要注意人物として見れるじゃないですか。人間との付き合い経験が少ないあなたには丁度良い」
つまり、自分自身を囮にして周りに寄ってくる人物に気をつけろと。確かに注意しなければならない人は限定されるし、人間関係がこれまでほとんどなかった自分には良いかもしれない。良いかもしれないが・・・・・・。
(扱いが丁寧なのか雑なのか・・・・・・?)
「ああ、そう、ですね?」
「そうです、そうです。こちらとしても対策を取りやすい」
「ああ、そういうこと・・・・・・」
神白家、または神白家を含めた四族が要警戒人物を炙り出すためでもあるのだろう。
夕の立場は微妙だ。四族生まれの隊員というのは数少ない。数少ないがゆえに粗雑に扱うことはできないが、立場の弱い分家出身。
「まあ、とりあえず訓練については半年は頑張ってください」
神白秋の姿が見えなくなり、ようやく寮に戻る。そっと扉を開けると「夕さん!」とニーナが視界いっぱいに広がった。
「四族の方とお知り合いだったんですね!噂になってますよ」
「え?」
「大丈夫ですか?違いました?もしかして、四族に目をつけられました?私がやってやりますよ!!あのかわいいおつむに鉛玉をぶち込んでやります!!!」
「ええ!?」
「え?違うんですか!?」
かなり物騒なことを宣言するニーナに夕は少し引くと、ニーナようやく勢いを失って夕の様子を伺った。
「別に、目をつけられたわけじゃないよ。ちょっと訓練ですごい疲れてたから声をかけてくださっただけみたい」
「え、激励されたんですか?あの男の子に?もしや、これは、禁断の恋の予感では……!」
何やら勝手に盛り上がっているニーナに夕は首を傾げ、「あれは激励、かな」と神妙な顔で肯定した。「きゃー、これは歳の差、身分差、身長差……。これは一冊、いや二冊……」と夕にとっては訳の分からないかことをぶつぶつと呟き始めた。危ないオーラが漂い、「いひひ」と漏れる声にちょっとしたホラーになっている。
「応援しますね、夕さん!」
どこに帰結したのかは不明であるが、キラキラとした目で見つめられた夕は素直に「ありがとう」と礼をいうのだった。
夕は押しに弱い。
「って、ニーナ運動苦手だったんじゃないの?今日の射撃、すごかったよ」
しばらくして今日のことを思い出した夕はちょっと内心むっとしつつ、年下の子の凄さを素直に称賛した。
「あれ、昨日言いませんでした?苦手じゃないですよ、得意じゃないってだけで。射撃は祖父に習いまして。ウラに住む霊には効かないけど、対人間用として教わったんです。私、魔力の質がまあまあ良いみたいで、祖父が心配して念のためにと」
「得意じゃないってそういうこと……」
夕が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべると、ニーナはにやっと笑った。
「やだなあ、夕さん。女の子同士の『私、○○してない、できない、苦手、嫌いなのー』は割とネタじゃないですか。うわ、マジでテスト勉強してねーっていうの、割と嘘なやつ」
アハハっと軽い調子で笑っていたニーナだったが、やがてすっと笑顔を消す。ずっとにこにこと笑っていた顔から笑顔が消えると途端につっときつい視線がこちらを射抜く。
「それはそうとして、祖父から聞いたんですけど、護身はしっかりしたほうが良いって言ってました。夕さん、訓練苦手ですけど、女の子は特に狙われやすいから真剣に取り組めってめちゃくちゃ言われたんで、頑張りましょう」
「……うん。それは、もちろん」
夕は半ば気圧されたように同意した。それを受けてニーナは安心したのか、元のにこにこした笑みを口元に浮かべた。
「あー、でも、明日から座学も始まるみたいですよ。私、勉強苦手なんですよ……」
どこか一転して悲痛な表情を浮かべ、ニーナはばたりとベッドに倒れる。
「あまりの点数に一個下の学年やり直せって前に行ってた学校の先生に言われたんですよ、ひどくないですかー」
くぐもった声で訴える様子を見て、夕は内心で「なるほど」と納得する。これは、フリというやつだ、と。
「私も、得意じゃないよ。いつもひやひやしてる」
ぱっとこちらに顔を向けたニーナは安堵の色を受かべてにぱっと笑った。
「がんばろーねー!」
翌日。
「ひゃ、ひゃくてんちゅう、ひゃくてん!?」
ニーナは夕の試験用紙を断りなくひったくるや、まじまじと見つめ、それからばっと夕を見た。
座学の中の、いわゆる学舎で習うような一般教養課程は個人の能力に応じて割り振られるため、授業開始早々に年齢に応じた試験が何の前触れもなく行われた。絶望に青ざめていたニーナは解答用紙を返却されて早々に証拠隠滅とばかりに点数を見もせずに突っ込んでいるのを夕は目撃している。
「うん、100点取れたよ。良かった、いくつか不安な問題があったんだけど、ちゃんと合ってたみたい」
「夕さん、昨日、得意じゃないって言ったじゃないですか……!」
この裏切り者め!という悲痛な声が聞こえてきそうなニーナに夕は目を瞬かせた。
「え?だって。女の子同士のそれってネタ?なんでしょう」
「うっ……。た、確かに、私がそういったけど、でも、昨日のアレは違うでしょ……!」
「えー、わかんないー」
夕はお返しとばかりに笑って席を立った。
一般教養課程は個人の学力に応じたものだ。8割以上の点数で次の段階へ進むことができる。満点を取った夕は言わずもがなだ。
次の試験を受けるために教師に申し込もうと席を離れようとした瞬間、夕の制服をニーナがひしりと掴んだ。
「夕さん!お願いがあります!」
「え?」
「私に勉強を教えてください!ほんと、まじめにヤバいんで!」
口元が引きつり、手も心なしか震えている気がする。そして、目は獲物を見つけた肉食獣のようにぎらぎらしているという矛盾。こわい、と夕は思った。
夕は押しに弱い。
「えと、念のために聞いとくけれど、元の学舎では何年生だったの?」
「5年生です。この前11歳になったばかりです」
初等の学習内容であれば大丈夫だろうと夕は「いいよ」と了承する。そして、ふと気になってバッグを見やった。
「何点だったの?」
「いやあ、そのお、私もまだ見てなくて……。あははははは」
「見せてもらってもいい?」
「……はい」
どこか諦めの境地に至ったかのような顔をして項垂れた後、バッグを手に取り、ごそごそと取り出した。先ほど返却したばかりだというのにもう皺が寄ってぐちゃぐちゃだ。
「え、えへ」
「……」
7点だ。
あまりの点数に夕は固まる。半目になりつつあるのを見て危機感を覚えたのだろう。
「ラ、ラッキーセブン!」
「…………」
「すみません、夕さん。何でも良いんで反応してください……」
「どう反応して良いかわからなくて」
引きつった顔で何とか苦笑して答えるとニーナは胸を押さえて「うっ」とうめいた。
「一番グサッとくるやつ……!」
「うお、それって誰の点数?すげーな、7点なんてとったことねー!!」
テンション高めに突如現れた高矢はニーナの点数を見るなりゲラゲラと笑った。
初対面にして容赦なく笑われたことにニーナは目を剥くと、ビシッと高矢に指を指して睨んだ。
「だれ!」
「お。おまえか!7点ちゃん。おれは江原高矢、14歳。一般出身の特色隊員」
「し、失礼な一般隊員ね!初対面でいきなり人を貶すなんて、やっぱり一般隊員は低レベルなのよ!」
これ以上ないほど顔を真っ赤にしてニーナは食って掛かった。ぎゅっと握りこまれた拳は震えて羞恥で耳まで赤い。
「江原さん、どうしてここに?」
「来ちゃダメだったか?ていうかどうして敬語なんだよ。同い年なんだから、タメで良いって言わなかったっけ」
夕の問いに高矢はまともに応えず、渋面で言う。
確かにそんなことを言われたような気がするが、言いたいことがよくわからず夕は首を傾げる。
「確かにそんなこと言ってたけれど、タメってどういう意味なの?」
「夕さんは知らないままで良いです!こんな失礼な一般隊員には永遠に親しくならなくて結構!」
「え、夕さん、やっぱり良いとこのお嬢さん?神崎家ってあったっけ?ええ、せっかくの同い年だから仲良くしたいんだけど」
「はあ!?こんな純真な心を持った子を一般出身のあなたに近づけるものですか。とっとと失せなさい!夕さんが穢れる!」
腰に手をあてて、憤怒の色に染まったニーナを見て高矢はぶはっと噴き出す。「わるいわるい」と謝りつつも、大して反省の色が見えない高矢にニーナの拳の震えはひどくなる一方だ。
「7点ちゃん、良い奴だな。名前教えてくれよ」
「誰があなたに教えるもんですか!この失礼な一般隊員!」
「えー。おれは良いけど、教えてくれないと7点ちゃんって呼ぶぞお」
ちょっと小ばかにしたようなセリフにニーナはふん、と鼻を鳴らした。
「あなたの失礼さが際立つだけです」
「そうかなあ。事実なのに」
思わずふっと笑みをこぼした夕に高矢とニーナは不思議そうに夕を見やった。
「二人とも仲良いね」
「そ、そんなことない!だれがこんな失礼な奴と!」
「おれのほうが大人だからな!」