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喰うモノ 抗うヒト  作者: 水無月 綾
ひとつの出会い
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2人の日常

 この世界には二つの空間で成り立っている。ひとつはオモテと呼ばれる私たち人間が住まう世界。このオモテと支えあうようにして存在するのがウラと呼ばれる霊たちが住まう世界。彼らは時々オモテにやってきてヒトを喰らう。寿命はヒトの何倍にもなり、私たち人とは隔絶するほどの身体能力を保持する。一部の自然現象は彼らのせいとまでも言われている。

 一部のヒトを除き、ヒトはその姿を視認することができない。彼らがヒトを喰らう瞬間のみウラからオモテへ侵入してくるので視ることができるが、日常の中で大多数のヒトはその存在さえ知ることはない。しかし、一部のヒトは彼らの姿かたちを日常的に目にする。あるものは虫のようにあり、あるものは犬のようであり、またあるものはヒトに擬態する。擬態した霊はヒトを飼い、またとして喰う。

 視える人たちは危機を抱いた。


   このままでは、人が人としてあることすらできない


 霊からすれば、ヒトは捕食対象であり、家畜化すれば安定して摂取することができる。しかし、知能を高め、道具を用い、知識を得て文化を形成した人間には耐えがたい屈辱であり、到底受け入れることができない現実だ。

 はるか太古の昔から、視える人々は抗い続けてきた。人としての尊厳を守るため、人という種を守るための抵抗の戦であった。分断され、決して全世界が繋がっていたわけではなかったが、世界各地で人は人としてあるために霊に抵抗した。


   霊と人は契約を交わした


 それは視える人々が贄となり、生涯をかけてその身を霊の食糧とすることだ。霊は人の肉を喰らうわけではない。霊はあらゆる生き物の魔力を喰らうことで生きるのだ。魔力はありとあらゆる生き物に備わっているが、視えない人々は持っているだけでそれを業として生かすことはできない。対して視える人々はその魔力を操ることが可能であった。しかし、その操ることができる人も一部のみであったが。

 魔力は両親の魔力に大きく影響される。生み親の魔力が多ければ、その子どもも多くなり、質の良い魔力を保有する親から生まれた子もまた良質な魔力を持って生まれる。血族としての繋がりと、能力が重視された徹底した世界。



 広いキッチンに少女が忍び込んだ。少女の名前は神崎夕。

 夕はキッチンに忍び込むと、冷蔵庫の扉を開けて中の物色を始める。開けた際にがしゃん、と冷蔵庫の中のものが音を立ててびくりと肩を震わしたのはご愛敬だ。


「ほう・・・。今日はショートケーキか・・・」


 料理人も誰もいないキッチンで夕は一人で呟くと、もう一度周囲を見回して誰もいないことを確認する。ただ家の中のキッチンから盗み取るだけだが、夕は真剣だ。

 だだっ広いキッチンを見た通り、夕の家はかなり裕福な家である。神崎家は世間一般には法曹界に名が通る者が多いと思われていることが多いが、昔から通じる本職は神職であり、一族には多くの神官や巫女が神殿で勤めている。両親は神職ではないが、かなりの資産家であると聞いている。財も縁も持つ、世間一般からみれば勝ち組ともとられる家柄である。


 しかし、夕にとってはそんなことは誇りに思うものではなく、とても窮屈で、いやなものだった。

当主一家の弟筋ということもあり、神崎家として、恥のないように幼いころから徹底的に教養を身に着けさせられ、勉学にも励んだ。そういった技能を学ぶことは大変であったし、いやになったときもあったが、それ自体は大して問題ではなかった。身に付けた後、それは大いに役に立つものであったし、師や両親に感謝したこともあった。


「つっ……!」

 夕はショートケーキに伸ばしていた手をひっこめた。目の前に蝶のような紫や赤の派手なものが視界に入ってきたからだ。ただ蝶であれば、夕も気にしない。蝶のようであるそれはその姿に見合わぬ大きな口をぐわっと開け、牙をむき出しにしてきた。

「蝶じゃなくて、何なの!?」

 小さい声で叫ぶ、という器用なことをしつつ、夕は震える声を抑えた。


 夕には人には見えないモノが視えた。家族や使用人たちは視えないのだと知ったのは五歳のころで、視えないモノを視て不可思議な言動をする夕を家族や使用人は忌避して、接触を避けた。夕もそのころから引きこもりがちになり、学舎となる初等学校と中等学校を何度か行き、成績だけを修めるだけで学校にはほぼほぼ行かなかった。奇妙な行動をする夕を両親やほかの兄弟は遠巻きにし、神崎家の恥であると口をそろえて言う。家族によりどころとなる場所は夕にはなかった。


 そんな夕の楽しみは毎日のおやつである。毎日、自室からこっそりと部屋から出てくるとキッチンに入り、家族や使用人の目を盗んで冷蔵庫にあるおやつを一つ持っていくのが習慣だ。一度、料理人の沖さんという年配の男性に見つかったことがあったが、無言で分けてくれたことがあり、それ以降は気兼ねなくおやつをいただいている。夕がひとつ持っていくのを見越してひとつ多めに作られているのもわかっている。

 そんな一日の唯一の楽しみを邪魔されて、いつもならば逃げているところだが、夕はぐっと歯を食いしばるとバチン!とその蝶のようなモノを叩き落としてショートケーキを獲得した。

「私の人生だけでなく、楽しみまで奪う気か!」

 なんで私はおまえらが視えるのだと、夕は睨む。踵を返してショートケーキを死守しつつ、自室へ戻った。

「……部屋の中には来ないのだけど」


 不思議なことに自分の部屋には入ってこないのだ。それは都合の良いことだし、安心できるので不満はないが、一体どういったからくりでそうなっているのかわからない。それがわかれば、周りの人に不審に思われることなく外の世界に出て生活できるかもしれないというのに。神崎家の恥、と後ろ指を指されることなどなくなるかもしれないというのに。


 不意にコンコン、と窓ガラスを叩く音がして夕は我に返った。そっとケーキをテーブルの上に置くとベランダに通じるガラス戸を開けた。


「シンキ!良かった、来てくれて!」


 現れたのは十四、五歳ほどの黒髪の少年だ。白いシャツに黒いパンツといったシンプルな服装だが、切れ目な目と濃い整った顔立ちを際立たせている。夕は頬を上気させて目を輝かせた。


「おはよ、夕。今日のお菓子はなに?」

「もう、おはようの時間じゃないよ。そろそろおやつの時間!シンキってば、来る時間だけは正確だよね、ほんとに」


 呆れている夕を流してシンキはテーブルの上に視線をやった。ショートケーキを見て、「ふうん」と興味なさげな声を上げる。


「腹時計が優秀だからな。しかし、夕はケーキが好きだな。二日前もケーキだったし。よく太らないな。まあ、太ってくれても別にいいんだけど」

「いっつも半分こしてるでしょ。ここ最近、一人分も食べてないし。



 自室に置いてある食器棚からスプーンを二つ取り出すと、シンキはスプーンをひとつもらい、ショートケーキを一口食べた。

「なんだかんだ言って、シンキもケーキ好きなんだから」

 ふふっと夕はどんどん食べ始めるシンキを見て笑った。夕がおやつを好きなのはこのシンキといっしょに過ごせる時間だから、という理由もある。


「別にケーキが好きなわけじゃない。味は良いけど、腹の足しにならないし」

「しょうがないよ。二人分持っていったら、さすがにお目こぼしもらえないだろうし……」

 二人分おやつを持ち出せば、もう一人は一体誰だと追及されるに違いない。夕はその追及をかわす自信はなかった。

(シンキのこと、何にも知らないし)


 名前も、初めて会ったときは無かったのだ。

 とある冬の日に空から突然ベランダに落ちてきたのが初対面だ。親方、空から男の子が!そのときはそんな某アニメのセリフが浮かんだものだった。ぼろぼろで傷だらけで怪しさ満点だった。今思えばそんな彼を助けてしまったのは、危ないことだったと思うし、考えなしであったと思う。だが、そのときは自分自身独りぼっちで人を求めていたのと、男の子が大けがをしている、というただ助けなければ、と思ってしまった。



『あなた、名前は?』

 警戒心も露わに男の子はこちらを睨んでいた。身体中ぼろぼろで傷だらけ。動けないというのに目だけはらんらんと光らせ、手負いの獣のようだったのを今でも覚えている。その質問の答えは二日後にようやく聞けた。


『名前は、ない。あったかもしれないけど、忘れた』

 こちらを見ず、淡々と呟く男の子。その時の自分は少しおかしかったのかもしれない。

『じゃあ、あなたの名前はシンキね』

『はあ?』

 初めてシンキの表情が大きく動いたときだった。切れ目な目を丸くして、心底理解できない、といった表情でこちらを見るシンキに夕は嬉しくなって続けた。


『シンキって早朝の日の光のことを言うの。私の名前は夕日の夕だから、あなたには朝日をあげる。太陽が昇って、沈む。ね?』


 そう言って夕は紙とペンを取り出すと「晨暉」と書いて見せた。「これでシンキと読むの」と先日覚えたばかりの言葉を得意げに並べた。

『晨暉……』

 晨暉はぽつりと呟いた。しばらくなぞるように名前を呟いていたが、やがてちらりと紙に書かれた字を見て、鼻に皺を寄せた。

『おれ、字、書くの苦手だから。その字はいい』

 と、選んだ漢字は却下されてしまったが。

 まあ、自分が知っていればいいか、と飲み込んで簡単なカタカナで書いて見せると、それがいい、とシンキは了承した。



「ねえ、夕、何呆けてるの?」

 ぐいっとシンキが夕の顔を覗き込んだ。「近いって」とシンキの頭を押し返して距離を取らせる。

ちらりとケーキを見るとなくなっていた。私は三口ぐらいしかたべてないというのに。

「シンキが初めて来たときのこと思い出して」

 ぽつり、と夕が呟くとシンキは目を瞬かせてから「ああ」とまたしても関心なさげに相槌を打った。


「シンキっていう名前でホントに良かったの?」

「何それ、今さら?おれのことシンキって呼んでくれてるじゃん」

 ふっと小さくシンキは微笑んだ。


「もらえるものはもらっておく主義なんでね。良い名前をくれる人なんて、そうなかなかいないでしょ」

「そうかな」

「そうだよ。おれ、それまで名前すらなかったし。親のことも覚えてないし。捨てられたのか、どこか行って帰ってこれなくったのかも、何にもわかんないし。帰るところなんて、なかったんだから」


 突然のシンキの過去の告白に夕は黙り込んだ。夕は本当に今までシンキが空から降ってくる前のシンキを知らない。いや、出会う前はシンキですらない。

「お父様とお母様をまったく知らないの?」

 恐る恐る口にしてみると、シンキは気にした風もなく口を開いた。

「そうそう。まったく。あ、でも母親はいた気がする。でも何にも覚えてないな」

 珍しいことでもない、当たり前のような顔でそういうものだから夕のほうが余計に反応に困ってしまう。


「……あ、思い出した。夕って何年生きた?」

 急にシンキがぱっと明るい声を出して身を乗り出してきた。思い出せてスッキリした、と言わんばかりの明るい顔に夕もつられて先ほどの話を一瞬忘れるほどだった。

「何年生きたかって、変わった訊き方するね。今年で十四歳だよ」

「ふうん」

「聞いたくせして相変わらず興味なさげね」


 シンキの顔から明るさが消えて、何かを考えるかのように静かになった。夕が文句を言っても聞き流している。

「夕って、十八歳になったらどうなるの?」

「さあ、どうなってるんだろうね。できれば、外に出て何かしたいとは思っているんだけど」


 喰われそうになりながら社会の中で生きることなど、できようはずがない。あの奇妙なモノたちがこの部屋に寄りつかない原因を探ることができなければ。外でもできるようにならなければ。私はこの狭い部屋の中で一生……。ぐるぐると底のない不安と恐怖に頭が痺れる。

 ぴたり、と頬に冷たさを感じて思考が止まる。


「夕」


 シンキの落ち着いた静かな声音に夕は顔を上げた。優し気な瞳にだんだんと現実へ感覚が引き戻される。左の頬に乗せられたシンキの手にはほとんど力は込められていなかったが、なぜかいつものように振りほどけなかった。目が、離せない。


「おれに任せて。もし、ここから出たいと思うならおれに言って」


 のどがカラカラに渇いたようでうまく声が出せない。わずかに唾を呑む。

「でも、どうやって……?」

 出た声は掠れていた。

「秘密」


 にっこりと笑みを深めたシンキはそれだけを言い、夕が持っていたフォークを取り上げてポケットの中に入れた。その場違いの行動に我に返る。


「じゃあ、夕。今日はこれでさよなら。この後、おれはやることがあるから、いい子で待ってるんだよ。また明日来るから」


 シンキは立ち上がり、ベランダのガラス戸を開けたかと思うと姿を消した。





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