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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第一章
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第七話「五人がいる部屋」

「……なんだか賑やかじゃない」

 放課後。どこからか戻ってきた岩瀬さんは、せせこましい空間に四人の生徒がひしめく光景に、少なからず驚いているようだった。感情表現に乏しい人だったけど、元々大きな目を見開いたのが見えた。

「岩瀬先生……!」

 寺田と芽依が、そう言って駆け寄ってくる。

「清春が岩瀬さんって人がいるって言ってたから、もしやとは思ったんですけど」

「たまに見かけると思ったけど、こちらにいらしたんですね」

「……私のこと、覚えててくれてたの?」

「当然ですよ!」

 岩瀬さんは色めき立つ二人を手で制して座らせた。

「なんだ、知り合いなのか?」

「知り合いも何も、元副担任だって。私たちの一年のときの」

「そうなのか……」

 自分が一年のときの副担任は、誰だったろうか。俺が全く覚えてないのは、薄情だからなのだ。ここまで再会を喜ばれるとは、岩瀬さんはよほど慕われていたのだろう。

「琴葉や清春はわかってると思うけど。一応、ここは進路指導に使う部屋だから、そういう人たちが来たら席を外す、ってことは覚えておいて」

「すみません……」

 そこで真っ先に謝ったのは、なぜか琴葉だった。

「別に、琴葉ちゃんに言ったわけじゃないわ」

「でも皆さん、私が呼んだようなものですから」

 かたくなに自らを責める言葉に、岩瀬さんは何と返すべきなのか、一瞬分からなくなったようだった。

「とにかく文句を言ったわけじゃないの。確かに推奨はされないけれど、さりとて問題になることじゃないから」

「でも……」

 相変わらず持って回った言い回しをしつつ、岩瀬さんは定位置に腰掛けた。

 俺は重ねてフォローを入れておく。

「この時期にわざわざここを使って、込み入った相談をする奴なんていないと思うけどな。ここには三ヶ月近くいるけど、そんな奴見たことないし」

「そうですか」

 そこまで言って、彼女はようやく納得したようだった。そして、賑やかな放課後が静かに始まった。


「私が言うのもなんだけど、うちのお姉ちゃんってすごいと思う。すっごい物持ちが良い」

 芽依はカバンから、プラスチックのケースを取り出しつつそう言った。

「答案、見つかったんだな?」

「小学生の頃から全部あった。ノートどころ連絡帳も担任が書いてた学級通信も綺麗な状態でまとめてあったから」

 言いつつ、彼女は答案のコピーを琴葉の前に並べていく。現代文。古典。漢文。世界史、倫理。リーディング、ライティング。どれも人に見せても恥ずかしくないような筆跡と点数だった。英語なんか通信教育でもやってたのか、と聞きたくなるくらいの流麗な筆記体で記入されていた。

「す、すごいですね……」

「お礼はお姉ちゃんに言ってちょうだい。事情を話したら快諾してくれたけど、多分他人に答案を見せること自体は、多少なりとも抵抗があるだろうから」

「でも、二年前はクラス全体で回覧してたんだろ」

「それはそれ、これはこれだって。そもそも、何がきっかけであんなことしてたんだか……」

 寺田に目をやると、昨日に引き続き赤本をめくっている。その様子を、背後から岩瀬さんが覗き込んでいた。

「どう?この部屋の赤本は役に立ちそう?」

「ええ……おかげさまで」

「まあ予備校にもおんなじものがあるんでしょうけど」

「いや、この時期は奪い合いですからね。本当にありがたいですよ」

 そう語る屈託のない笑顔を見て、懐かしさを感じた。それはここ数ヶ月の彼が、常に陰のある表情を浮かべていたことの証明でもあった。

「おい、お前もコピーが欲しいんじゃないのか?」

「ああ、ちょっと待ってくれ。……ここって、コピー機使っていいんですか」

 寺田は岩瀬さんにそう尋ねる。

「私の許可があればね。入ってる紙はわら半紙だけど」

「構いませんよ」

 こちらも、明るい未来が拓けてきたようだ。


 その日は、琴葉と改めて作戦の練り直しをした。

 懸案事項であった三科目のうち、現代文と世界史に関しては芽依の姉の答案が流用できそうだった。数Ⅱは引き続き俺が見ればいいだろう。これでかなり楽になったのは間違いない。残りの科目も……単語や用語を覚えないことには始まらない科目もあるけれど、きっとなんとかなるだろう。

「テストまであと十日。余裕だな」

「……本当に、余裕でしょうか?」

「ああ」

 いつものおそるおそるといった風の口調に、あえて力強く言い切る。

「今の俺には根拠のない自信も、根拠のある自信も満ち溢れている。そうでしょ、岩瀬さん」

 彼女は自分の机に座って何かの資料を読みふけっていたけど、静かな部屋の中で俺たちの会話は良く聞こえたようだった。

「そうみたいね。頼んで良かったわ。ありがとう」

 俺は立ち上がって、岩瀬さんの元へ歩み寄る。彼女は回転椅子に座ったまま、ゆっくりと百八十度回転して俺と向かい合わせになる。

「でも、琴葉の勉強を見てあげて欲しい、ってこういうことで良かったんですか」

「出来る範囲で構わなかったんだけど、全面的に見てくれているみたいね」

「俺理系なんで、現代文とか世界史とか、芽依がいなかったらどうにもならなかったですよ。その辺はどういう風に考えてたんですか?」

 岩瀬さんは困り顔を浮かべる。

「それは、あまり深く考えてなかったのよ」

「え?」

「あなたが理由をつけて断る可能性もあると思った。オッケーをもらえてから、私も一緒になって考えるつもりだったんだけど……私が続けざまに二日も休んでいる間に、あなたは頼れる友人に協力をあおいでいるなんて」

 よっぽど「昨日コンビニで見かけましたよ」と言いかけそうになったけど、彼女の申し訳なさそうな表情を前にして、俺はすんでのところで言うのを止める。

 なぜ、休んだんですか。風邪を引いていたようには見えませんでしたけど。

 そんな風に追及するのは、簡単なようで簡単なことではなく、問題ないようで問題があることのような気がした。


 校舎を出ると、既に校門の前にバスが止まっていた。早く着きすぎて時間を調整しているのだろうか、それとも最終下校時刻に合わせて、乗り込んでくる生徒たちを待ってくれているのだろうか。どちらにせよありがたいことだ。マフラーもたなびく風の吹く冬の夜、街灯も乏しい街道で、明かりの点いたバスがドアを開けて待っていてくれているということは、どこまでもありがたいことだった。

 進路指導室で残っていた四人全員で乗り込む。戸締りをしている姿を見送った岩瀬さんは結局姿を現さぬまま、バスはドアを閉じて発車した。

 それが合図だったかのように、俺は芽依から質問攻めにされた。

「どうして東京の大学に進学するの?」

「推薦入試を選んだのはなぜ?意識し始めたのはいつ?」

「予備校はいつ頃まで通っていたの?」

 社交的な彼女からしてみれば、突然接点が生まれた人物について、詳しく知っておきたいというのは当然の心理なのだろう。その間、寺田は度々合いの手を入れてくれたけど、琴葉は口を挟めず黙っていた。

 やがて彼女の降りる停留所が近づいてきて、琴葉は無言のまま降車ベルを鳴らす。そこは昨日の朝、芽依が乗ってきた場所でもあったけど、芽依は降りる素振りを見せない。

「あの……芽依さんは、このまま予備校へ?」

「ええ。やっぱり家より自習室の方がはかどるから」

「そうですか……」

「頑張ってね」

 予期せぬ言葉に、琴葉ははっと振り向く。初めて彼女の方から、ごく自然に芽依の方を向いた瞬間だった。

「ずっと気がかりだった。そりゃ授業もバラバラとはいえ、あまりにも琴葉を見かける機会があまりにも少なくって……。でも、昨日はその理由が分かって安心した。今日はずっと見えないところで頑張ってたんだなって確認できて、本当に嬉しかった」

「すみません、ご心配をおかけして」

「謝ることじゃないでしょ」

「いえ……クラスの皆さんのことは、意識して遠ざけていましたから。気を使ってくれてた芽依さんは、特に……。自分でもおかしいなことしてるって分かってるんですけど」

「僕、昨日も話したけど、それ全然変じゃないからね。それは琴葉なりの気遣いなんだから、それでいいんだよ」

「ありがとうございます」

 寺田のその言葉に、いちいちお礼が出てくるあたりに距離感を感じた。俺はそのことが、他人事ながらどうにももどかしかった。そうして今日も、俺は彼女のことを見送った。


「地元が好きですか」と聞かれたら、多分素直に好きだと答えられるだろう。

 ただそれはそれとして、俺は見聞を広めるべく東京の大学に進学するし、わざわざ観光にやってくる物好きな人間の気持ちを推し量ることは出来ない。

 金曜日の夜は、明らかに地元の人間ではない層で賑わっている。ここ数年は特に増えた気がする。家族連れや外国人だって少なくない。

 雪が積もる季節ならいざ知らず、今は何の行事もない、ただ年が暮れていくだけの一番不毛な時期だ。確かに駅舎は立派な構えだし、それなりに情緒のある観光名所もあるかもしれない。でもそんなのはハリボテみたいなもので、少し街道を外れて歩けば、あぜ道と荒れ地が目に付くような、ここはそんな街なのだ。それが本当の姿なのだ……。

 今日も駅前にやってきた俺は、のんびりとした足取りで行き交う人ごみにまぎれながら、またそんな複雑な感情を抱いていた。午後八時過ぎのことだった。

 昨日買ってきた年賀状を渡した母に、困った顔をされたのが数時間前。

「清春、インクジェット紙って言わなかったっけ?」

 俺が買ってきたのは、プリンター非対応の普通紙だったのだ。思い立ったが吉日どころか、完全に凶だった。思えば久しく年賀状など書いていないわけで、小学生の頃ならこのような失敗をしでかすこともなかっただろう。

 こうなるとそのままにしておくわけにはいかない。ミスを取り返すのは一日も早いほうが良い。そう思った俺は、再び年賀状を求めて駅前をさまよっているのだった。

 予備校の一階にあるコンビニは、今はまばらな人影だった。抵抗なく入店し、難なく年賀状を購入することに成功する。ちゃんとインクジェット紙と記されているのを確認してから、束ごとコートのポケットに突っ込み、回れ右。

(……)

 身体は完全に帰る方向を向いたけれど、足が止まってしまい、やがて反転する。

 気がつけば昨日と同じく、駅の反対側へと歩き出していた。

(はは、まさかな)

 予感は的中する。コンビニの前に、岩瀬さんが立っていた。

 死角に移って様子を伺う。片手に小さなレジ袋を提げたまま、彼女はぼんやりしている。時間を気にしている素振りもないし、待ち合わせというわけでもなさそうだ。ただ暇を持て余している、というだけのように見えた。しかし駅の周辺には住宅街があるわけでもなく、車で通勤している彼女がどうして二日連続でこんなところにいるのか見当もつかなかった。

 話しかけることも立ち去ることも出来ないまま、しばらく彼女のことを観察していた。ほんの数分だったかもしれないし、数十分だったかもしれない。やがて何かにいたたまれなくなって、俺はそっとその場を離れた。

 明日は土曜日だけど、授業がある。

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