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ありがとう、そしてさよなら  作者: ミョー
第一章
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第二話「二人のいる部屋」

 冷え込みが厳しい朝、俺は教室で唸っていた。

 期末テストが始まる再来週の月曜まで、残り十二日。まだまだ慌てるような時期ではないし、そもそも三年生の試験なんて本来なら消化試合のようなもの。でも、今回は特別な事情がある。

 琴葉に目いっぱい時間を割くつもりはあるけれど、自分も卒業できればそれでいい、などという気持ちは毛ほどもなかった。彼女だって「お前の面倒を見ていたら、自分のことがおろそかになった」となったら、良い気持ちはしないだろう。モチベーションは上がらないけど何とかするしかない。

「なんだか難しい顔してるね?」

 耳に良く馴染む声がした。クラスメイトの寺田だ。しばらく会わないうちに、髪の毛を短く刈り上げている。この時期の三年にはありがちなことだけど、手には単語帳を持っていた。隣が空席だったので、これ幸いとばかりに座りこむ。

「大学はどうだった?」

「別に」

 寺田とは、二年生の頃から共に昼食をとる仲だった。しかし三年生に進級した途端、残酷な運命が俺たちを隔てることとなった。何のことはない、時間割だ。

 三年になると必修の授業がほとんどなくなる、というのは既に触れた通り。したがって四限が終わったときに、寺田とは違う教室にいることがほとんどになってしまったのだ。

 クラスメイトの中では一番仲がいい奴だと思っていたけど、お互い待ち合わせをするほどの仲ではなかった。それでも当初はそれとなくあいつを探していたけど、見つかるより先に、別の奴に「森本、購買行こうぜ」と声をかけられることの方が多かった。やがて自然と疎遠になり、気がつけば寺田とは友人とは呼べないような関係に成り下がっていた。東京に行く、と話したのは果たして先週の何曜だったろうか。教室だったろうか、下駄箱の前でだっただろうか。

「俺がのんきに大学の講義を聴講したり、東京観光をしている間も、お前はしゃにむに勉強していたんだよな」

「ねぎらってくれてもいいんだよ?」

 寺田はそう言っておどけてみせる。一般入試を控えるこいつは、授業が終わると駅前の予備校に直行する日々が続いている。普段はのほほんとしているけれど、最近は流石に切羽詰まってきたらしく、一度充血した目と、いかにも憔悴しきった表情で登校してきたことがあった。俺がちょうど推薦入試を終えて浮かれていたあたりの頃で、強烈に印象に残っている。

 寺田は近づいてくる校舎を見ながら、大げさにため息をついた。

「はあ、センター利用でケリつかないかな」

 冗談めかした口調はは、明らかに冗談ではなくて。

 何を言っても追い討ちになる気がして、俺は返事をすることが出来なかった。


 放課後、進路指導室を訪れる。相変わらず気配が限りなく希薄だったけど、琴葉はついたての向こう側、先週と変わらぬ定位置に座っていた。向かい側に俺が座ると、彼女は無言で軽く会釈をする。

「始める前に、ちょっと聞いてもいいか」

「なんでしょうか」

 琴葉はかすかに表情を曇らせる。とりあえず警戒されている辺り、まだまだ距離を感じる。

「お前、進路指導室って結構来てんの?」

「はい。二学期に入った辺りからは、ほぼ毎日」

「そうだよな。岩瀬さんがああいうことを言ってきたってことは、結構な顔なじみってことだよな」

「ええ……おかげさまで」

 その岩瀬さんは、今日は姿がなかった。単に席を外しているだけなら大抵パソコンをつけっぱなしにしているけど、電源は切られたままだ。白衣をイスに無造作に引っかけているところを見ると、そもそも学校に来てないパターンだろう。

「いや、俺もわりかし頻繁に来てたつもりだったからさ。でも全然顔を合わせたことなかったなって」

「それは時間帯の問題だと思います。たぶん清春さんがここに来るのは、六限が終わったあとの放課後ですよね」

「ああ、基本的にな」

「私はいるのは、大抵昼休みですから。段々テストが近づいてきましたから、放課後もあそこで勉強をしようと思って、昨日初めてあの時間にいたんですけど」

「まさか俺と同じように、この部屋に入り浸っている人間がいるとは思わなかったな……」

頬杖をつくと、彼女は申し訳なさそうにうつむいた。


「それじゃ、とりあえず過去の答案を見せてもらえるか」

「成績表でいいですよね」

 そう言うと彼女は細長い紙の切れっ端を、ためらった表情のまま取り出す。見覚えがあるそれは、テスト終了後に担任から手渡される、全科目の点数が記されたものだ。一学期の中間、期末、二学期の中間で合計三枚。科目ごとの平均点と順位も記されている、世にも残酷な通知表だ。俺もこれは親にさえ見せたことはない。

 点数を確認するより先に、科目のいびつさに違和感を覚える。

「お前、文系なの?それとも理系?」

「二年のときは理系のはずだったんですけど、全然出来なくて……それで三年になるとき、文系にシフトしつつ最終的に理系でも大丈夫なように保険をかけたつもりだったんですけど、全部裏目に出て……」

 最悪だな、と危うく口に出そうになったところを、済んでのところで口をつぐむ。彼女を責めたいわけではないし、責めたところでどうにもならない。強いて言えば(おそらく優秀な生徒にかかりきりになって)彼女のこういう時間割に何も口を挟まなかった担任に責任があるような気がするけど、それとて彼女の望むところではないだろう。

 恐る恐る、片目をつぶりながら点数をチェックしていく。しかし、次第に自然と目が開いてくる。

 一学期の中間試験は、確かに悲惨だった。軒並み三十点以下の、お世辞にも褒められない数字ばかりが並んでいる。だけど、期末からはやや盛り返している。この調子を維持できれば、少なくとも留年は回避できるんじゃないだろうか。

「中間の直前まで、一ヶ月入院してたのが致命的でした」

「でも出席日数が足りない、ってほどじゃないだろう。平均点も低いしこんなもんじゃないのか」

「そうでしょうか……」

「教科の担任から何か言われたりした?」

「はい、現代文と数Ⅱの先生から、このままじゃ危ないって、はっきり……。あと世界史は、『ウチの学校に追試はないんだぞ』って」

「世界史かぁ……」

 俺は理系だから、世界史は三年に入ってから全くやってない。それに現代文は受けているとはいえ、今やっているのは入試問題の演習だ。教科書の何ページを開いてどうのこうの、という内容ではない。何とかなりそうなのは数Ⅱだけという状況に、すっかり気が重くなる。

 とりあえず、厳しいことを言っても彼女を追い詰めるだけのような気がした。

「ま、ここまで何事もなく進級してきたんだろ?」

「答案返却のときに小言を言われることはありましたが、幸いなことに」

「なんだ、じゃあ全然余裕じゃん。何とかなるって」

「そんなことないですよ。結局今受けている授業を一つでも落とすと留年してしまうので……」

 気丈に振る舞う俺に対して、それでもしゅんとして下を向く琴葉に、かすかないら立ちを覚えた。

 こいつ、なんでいちいちこんなにネガティブなんだ。まだちょっと可能性があるってだけなのに、まるで留年を正当化しようとしているみたいだ。口では拒んでいる一方で、無意識のうちに受け入れようとしている……そんな風に見えた。

 その日は結局、二人で勉強の計画を練ることに時間を費やした。そう言えば、岩瀬さんは単に「勉強を見てやれ」とだけ言っていた。それは俺は得意なことを教えれば良いのだろうか、それとももっと全科目の面倒を見ろと言う意味だったのか。彼女はどこまで琴葉の置かれた状況を把握しているのだろうか。

 去り際に、白衣が無造作に引っかけられたイスを見る。答えを知る唯一の人物は、その日最後まで姿を現さなかった。


 校門の前のバス停に、着膨れした生徒の姿が並んでいた。その日のバスは珍しく十分近くも遅れたようで、そのあいだ吹きっさらしの俺たちは、冷たい頬を赤く染めながら、ぞろぞろとバスに乗り込んでいった。

「あれ?こんな時間まで何やってたの」

 例によってバスの最後尾、いつもの定位置に顔見知りの先客がいた。寺田だった。やはり単語帳を手に持っているあたり、木枯らしに吹かれながらずっとめくっていたのかもしれない。

「お前こそ、とっくに予備校に行ったのかと思ってたけど」

「そうしたいのはやまやまだったけど、あいにく模試が返ってきたからね。担任と話し込んでたのさ」

 軽い調子で言うけれど、順調だったら十一月の後半に話し込むこともないだろう。おそらく志望校のランクを下げる、下げないで一悶着あったということは容易に察しがついた。

 寺田の隣に俺が座り、その更に隣へ琴葉が座る。俺とすら無関係を装うように、彼女はうつむく。

 しかしそこでスルーしてしまうほど、この男も鈍感ではなかった。

「水橋、だよね?」

「知り合いなのか」

「いや、一年のとき同じクラスだったんだけど」

 寺田は俺に目をやる。どういうことだか説明しろ、と顔に描いてあった。

「まあ色々あって、今一緒に勉強してるんだ」

「留年しそうなんで面倒見てもらってるんです」

 穏当な表現に被せるようにして飛び出た鋭い言葉に、俺は渋い顔になる。

「さっきも言ったけど、全然そんなことないだろ。それに面倒を見ているつもりなんてない。俺にそんな甲斐性はないからな」

「岩瀬さんだって、『勉強を見てあげて欲しい』って言ってたじゃないですか」

「あの人もどこまで状況を把握してんだ?もう三ヶ月もまともに勉強してない人間に、遅れを取ってしまうお前じゃないだろ」

「まあまあ、お二人とも」

 寺田は身を乗り出して、俺たちを仲裁する。

「どうもどちらも客観的じゃない感じがするんだけど」

 気がつくと琴葉はまた目を伏せていた。遅まきながら、人前で言い争いをしたことを恥じているのか。

「……数Ⅱと現代文は、もうちょっと頑張れ、とか何とか言われたんだよな」

「世界史もです」

 そのくぐもった声は、昨日のバス車内でのそれと驚くほど似ていた。

「手取り足取り教えられるものならそうしたいところだが、俺は理系だからな……数Ⅱは今日見てたんだけど、残りの二科目はどうしたものか、すっかり手をこまねいてるのが実情だ」

「するともしかして、今日の放課後は……」

「ああ、進路指導室で対策を練ってたという訳だ。放課後も今の今まで、な」

「六限が終わったあと、昇降口とは正反対の方向に向かっていたのもそういうわけか」

「ああ」

「現代文と世界史か……」

 寺田は単語帳を握りしめた手を顎にやって、どうしたものかと思案顔を浮かべる。

「あの、これは別に私の問題ですから……」

 おずおずと口を開く琴葉を、寺田はもう片方の手で制す。

「いやいや、最近自分のことばっか考えてるからしんどいんだよ。ちょっと考えさせてくれないかな」

 そう言って寺田は中空を見つめながら、琴葉がバスを降り、やがて俺が降りる段に至ってからも、真剣な顔でうんうんと唸っていた。

 振り返ってみれば、あの時のあいつはどことなく様子が変だったのだけれど、俺たちは自分たちのことに精一杯で、かすかに覚えた違和感を拾い上げることは出来なかった。

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