第二十二話「そして、さよなら」(後編)
夜のとばりが降りる中、新幹線はホームに滑り込む。懐かしいという感覚は、窓越しに見えたホームドアにかき消される。
見慣れた改札の景色も、なんだか違って見える。何より寒くてたまらない。十八年慣れ親しんだ気候を、身体は九か月やそこらで完全に忘れていた。
いつぞやとは異なり、今日はまだ二十時。歳末商戦に駅前はそれなりの賑わいを見せていた。そのままバス停に向かおうとして、俺は前を行く少女の姿に気づく。
「琴葉……?」
振り向いたメガネの少女は、リトマス試験紙ばりにさあっと青ざめた。
そして脱兎のごとく、背を向けて逃げ出す。
追いかけようとしたけれど、今の自分がなぜ追いかけようとしているのか分からなくて、俺は手を伸ばすだけにとどまった。
やがてその腕が降りたころ、正面からばたばたと慌てた様子で駆け戻る彼女の姿があった。
「……清春さん」
彼女の言葉が続かないのは、息が切れているからだけではなかった。
俺の言葉が続かないのは、偶然にも程がある再会に、戸惑っているだけではなかった。
その喫茶店は大通りに面しているのにひっそりとしていて、駅前の再開発に取り残されたかのようだった。すりガラスの窓越しの明かりには店内は薄暗く見えたのに、不思議なことに中では暖色の蛍光灯が、冬の太陽のように穏やかに、しかし絶やすことなく広く室内を照らしていた。
夕食の時間帯は過ぎた店内には誰もいなかった。静かな空間で暖かいコーヒーとミルクティーをすするうちに、少しずつ緊張もほぐれていった。
「お前、全然変わってないな」
何の気なしにそう言うと、彼女は意外そうな顔をする。
「そうですか?嬉しいような、複雑なような……」
近況報告は俺から切り出した。上京し、学業とサークル活動に追われながら、大学生活を送っていること。アルバイト先では自分が最年少で、いいようにこき使われていること。何となくゴールデンウィークも夏休みも帰省せず、高校時代の友人と再会する機会を何度も逸してしまったこと。そうしてこの年の瀬にようやく帰ってきて、なんとなく居心地の悪さを感じたこと。そんなところだろうか。自慢話にならないよう極力努めながら、俺は親より先に、おそらく親よりも詳しく現状について語った。
「……そうですか」
琴葉は一切話の腰を折らず、ただあいずちだけ打ち続けた。上の空というわけではなさそうだった。
そして、当たり前のように沈黙。
「興味なかったか?」
「そんなことありません、むしろ逆です」
言いつつも、彼女はうつむいて、手元のマグカップを握りしめている。
この態度と、先ほど彼女が一旦逃げて、しかしすぐに戻ってきたことと関係あるのだろう。しかし、理由は皆目見当もつかない。どこまで詮索していいのかも、俺には分からない。
「……」
「……すみません。もう少し待ってもらえますか」
何かを言い出す心の準備をしているようには見えず、俺は戸惑う。なんだかんだで彼女は、素直な人だったはずだ。卑屈で、物理的にも壁を作っていたけど、それだけ周囲のことを大切にしていたはずだ。
もしかして、嫌われていたのだろうか。いやしかし、ここまで先導してきた連れてきたのは彼女だった。これは一体……。
カランカランと、出入り口の扉の鈴が鳴ったのはその時だった。俺の座っていた席からは、分厚いコートを羽織った、入店直後の彼女の姿が良く見えた。
「岩瀬さん!?」
あっけにとられる間に、彼女は琴葉の隣に腰を下ろす。
「嬉しい再会ね。もう二度と会うこともないかと思ったけれど。やっぱり世間は狭いものね。その大荷物からして今日帰ってきたのかしら」
「ええ。もしかして、琴葉が呼んだんですか」
「そうよ。本当はいけないんでしょうけど、この子が高校生の時から連絡先は交換してたの。とっくに教職を辞める覚悟はとっくに出来ていたんだなって、今にして思うわ」
ふと違和感を抱く。俺の覚えている岩瀬さんは、こんなに饒舌に話さない。他人に興味を示さないし、身の上もこんな積極的に明かしたりはしない。
「なんだか、お元気そうですね」
「そうね、おかげさまで」
岩瀬さんは、目を見開いて微笑む。反応にラグはなく、表情も自然で、妙に血色も良い。
「病気はすっかり良くなったわ。相変わらず寺田君にはいろいろ助けられてるし、今はあの時無為に過ごした時間の埋め合わせをするために、毎日充実してるから」
「埋め合わせ、ですか」
「そうよ。もしかして琴葉ちゃん、何も言ってないの?」
「……すみません、自分からは、まだ」
ずっと黙っていた琴葉は、やがて意を決したような顔で切り出した。
「清春さん。私、専門学校辞めちゃいました」
「えっ」
「今は、予備校で岩瀬さんの講義受けてます」
次回、最終回です。




